第167話 クロエの魔導

 カシオズの中心街から少し外れた路地で、少年と男が対峙していた。両者は互いに一定の距離を空けながら、互いに向けて手を翳す。その途端、二人の手先から幾何学模様の陣が浮かび上がり、その中心から炎が現出する。それらの炎は両者の中間で激しく衝突し、相殺される。


(そうか、これは……)


 目の前で起こった事象に、ヴァーノは奥歯を噛む。


「コイツの魔導は……」


 思わずヴァーノが口にする。


「思い出しましたか?」


 その様子をクロエは見逃さなかった。まるで、これまで思い出せなかった事を小馬鹿にするかの如く、彼は笑った。いや、嘲笑わらった。


「ボクの『模倣の魔導』は如何ですか?もっとも、訊くまでも無いでしょうけどね」


 その言葉に、ヴァーノは腹に据えかねて魔導を行使する。しかし、その炎は再びクロエが放つそれによって搔き消されてしまう。


「チッ、何処までも他人ひとをおちょくった魔導だ」


 ヴァーノが舌打ち混じりに呟く。苛立ちが募るヴァーノだったが、すぐに冷静な思考を取り戻す。


(……いや、考えろ。ヤツの挑発に乗るな。状況を俯瞰ふかんしろ。ヤツの魔導は、あらゆる魔導を真似る『模倣の魔導』だ。下手にこちらが魔導を使っても、向こうも同じ魔導を使い、打ち消し合うだけだ。ただマナの消費になるだけ。恐らく、ヤツは最初からそれを狙ってる)


 ヴァーノは手を止め、さらに思考を巡らせる。


(先程まで戦っていた『教会』の魔導士。ヤツがけしかけたんだろう。戦い、ある程度オレのマナが消耗された所でヤツが現れた。それが何よりの証拠だ。そうして疲労が溜まった所に追い打ちを仕掛ける。ヤツの考えそうな事だ)


 ヴァーノは鼻で笑った。


(厄介な相手に変わりはない。だが)


 彼は、目の前の少年を真正面から見据えた。


(あの魔導には、欠点があるはずだ)


 そして、彼は自分の懐へと手を伸ばす。そこから、数枚の木札を取り出した。その表面には、彼の手の甲に描かれているのと似た幾何学模様が描かれていた。


「何を……、まさか?!」


 クロエは疑問を浮かべたが、すぐさま何かに気付いた。その直後、ヴァーノが手にした木札を放り投げた。木札は地面に触れるや否や、それぞれ激しく燃え上がった。そうして生み出された炎は次々と繋がっていき、やがて大きな何かへとその姿を変えていく。


「これは……、狼?!」


 それは、体長三メートル程の大狼だった。


「成る程、これがアナタの虎の子ですか」


 クロエの額に汗が滴る。


「ほう、狼だというのに虎の子とは、なかなかどうして面白い事を言うな」


 ヴァーノはその口元を綻ばせた。


「そら、行け!」


 ヴァーノの合図と共に、大狼は一直線にクロエに向かって走った。クロエは手で払い、退けようとするが、その甲斐虚しく、大狼はその腕に噛み付いた。


「がああああああああああああああああ!?」


 その途端、噛まれたクロエの腕から炎が燃え上がった。クロエはすぐにそれを消そうと、そして大狼を退けようと必死に腕を振る。今度こそ、少年は大狼の牙を払い退けた。


「オマエの魔導は確かに厄介そのものだ」


 構わず、ヴァーノが口を開く。


「だが、対処出来ないという訳では無い。オマエの魔導は、魔導陣を介して行使される魔導を模倣するものだ」


「く、この……!」


 そんな中、クロエは迫り来る大狼に向けて手を翳す。その姿には、先程までの余裕は微塵も無かった。少年の伸ばした手先から、炎の玉が生み出され、大狼に向かい放たれた。火球が当たると、大狼の身体の表層はまるで霧のように揺らめいた。ところが、すぐにそれは元の形へと戻っていく。


「逆に言えば、オマエの魔導は魔導陣から生み出される魔導にしか対応していない訳だ。だとすれば、『そういう魔導』を使えばいい。例えば、こういうルーンを使うとかな」


「寄るな。……寄るなあああああああああああああああああああ」


 悲鳴混じりの声が、夜の街に響き渡った。クロエは必死の形相で再び腕を振り回した。それに反して、大狼は容赦なくクロエに向かって突進する。


「がああああああああっ!?」


 体当たりを喰らい、クロエは地面へと倒れ込む。そこに、大狼はその前足を少年の身体に乗せる。すると、大狼が触れた所から再び炎が立ち上がった。


「あああああああああああああああ!」


 激しく燃え立つ炎に、少年は再び叫び声を上げた。その様子を、ヴァーノは何処か物悲しそうに見つめていた。


「オマエの敗因は、オレを見くびっていた事だ」


 ヴァーノは懐から煙草を取り出し、火を付けた。


「前にも教えたはずだ。決して、対峙する相手を軽視してはいけない、と。自分をおごらず、常に冷静で居ろ、とな」


 そして、彼は煙草を口に咥えると、深く吸って煙を吐き出した。


「それが、オマエとアイツ・・・との決定的な差だよ」


 そう言った時だった。






「その『アイツ』っていうのは、もしかしてソールの事か?」


 と、ヴァーノの後方から男の声がした。ヴァーノが振り返ると、そこには銀色の鎧を身に纏った男が二人と女が一人、立っていた。


「誰だ、オマエ達は?」


 ヴァーノが問うた。尤も、彼にはある程度の見当は付いていたのだが。


「あんたがヴァーノだろ?……油断しないのはいいことだが、やりすぎだよ」


 鎧を纏った茜髪の男が手で合図すると、他の男女がクロエに近づき、その腕を両方から掴み取った。


「誰だと訊いている」


 ヴァーノは眉をひそめた。それに対し、茜髪の男は簡潔に答えた。


「俺はケビン。ソールの友達さ」

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