第4話 ファイア・ダイバ

突き刺さるような寒風に身を震わせ探偵は缶コーヒーを買った。さぶい。

 中学生くらいの男女が騒ぎながら通り過ぎていく。今日は祝日だったかな?

 まだ春休みだったと探偵は思い直した。

 多摩総合医療センターを蹄左京丸ひづめさきょうまるは訪れた。携帯冷蔵庫のキャスターが乾いた音を立てる。

 うさん臭い、そんな態度を隠さない受け付けをやり過ごして左京丸は舌噛下上したがみかがみの病室へ。

「ちょっと探偵さん」

 受け付けに引き止められる。彼女の手には卵が。

「舌噛くんに持ってってあげて」

 左京丸は卵を受け取る。見舞いには卵だよな。忘れてた。

 今日は定期報告。荷布にぬのグループの動向はほぼ特定できていていずれ目撃者、つまり下上を消そうとここに来るだろうということ、そして既に警察がこのフロアを、そして病院周辺を警備している。

 報告できることがあるのはいいことだ、左京丸はそう思う。仕事に重要なのはアピールすることだと彼は信じている。

 スーパーヒーローのギロチンムーンやメジェドも関わっている。パイロ・パイレートという輩が気になるがほぼ勝ったと言えるだろう。上着に忍ばせたバインダーの中の報告書。そこにはグッドニュースが詰まっている。

「こんちわ、下上……」

 探偵は驚く。下上のベッドの横に見た顔。何故、ここに?

 薔薇原時女ばらはらときめ。セーラー服。依頼人の下上は眠っていて、時女はその寝顔を眺めていたらしい。

 彼女はゆっくりと左京丸の方を向く。子供とは思えない深みのある表情で左京丸には彼女の真意を測りかねた。

「あなたが下上が言っていた探偵さんね?」

「そうだよ。きみは下上くんの友達?」

 全力でしらばっくれる探偵。

「私の名前は薔薇原時女です。今日は下上の見舞いに来たのだけれど」

 時女は懐から卵を取り出し、ベッド横のバスケットに入れた。バスケットには卵が何個も入っている。どうか俺が敵でないと思われますように。内心そう願いつつ左京丸もバスケットへ卵を。

「探偵の蹄左京丸だ。知ってるようだけど、下上くんをこんな目に合わせた奴らを探している」

「それは私も探したい」目を覚まさない幼馴染の手を握り時女は本音を絞り出した。 

 左京丸は言葉を選ぶ。山の中で迷って熊の巣穴の前に立っている、そんな危機感を覚えた。

「下上だけじゃない。下上のお父さんは亡くなったわ。お母さんは……」

 時女の声は震えている。動揺。

「奇跡でも起きない限り目を覚まさない。先生がそう言っていた。こんな目にあわなければならない、なにをしたというの?」

「事件の情報を下上くんから聞いたかな?」

「いいえ。見舞いに来たはいいけど、こいつすぐに寝ちゃったから。蹄さんは犯人について何を知ってるの?」

 そら来た。

「俺の依頼人は下上くんだ。彼の許可なしに入手した情報を第三者に教えることはできない。職業倫理なんだ。わかってくれ」

 探偵の言葉は正論だと、一瞬だけ時女はそう納得した。時女はまた俯く。

「下上のお父さんは実の父親のように優しくしてくれた。お母さんは実の母親よりも厳しくしてくれた。そして下上は私の悩みを自分のことのように考えてくれた。舌噛家はご飯をご馳走してくれて、旅行に連れてってくれた。私は舌噛家に恩があるの」

 彼女の言葉がどんな結論に落ち着くか、勘の鈍い左京丸にもわかりかけてきた。

「薔薇原さん、落ち着いて。深呼吸をして考え直すんだ」

「私の人生を守ってくれたのは下上たちだけ。その舌噛家が窮地に陥っているこの時に立ち上がらなかったら、私はクズよ」

 誰か助けて。他のベッドの気配を探るが人の気配はない。撫でたい時に猫はいませんよ。左京丸は混乱する。この会話を続けるしかない。

「探偵さん。私、最近なんというか、発見をしたの」

 薔薇原は下上の手を離し立ち上がる。

「自分にできることをする、結果は関係なく、ってね。力ずくでも調査内容を教えてもらうわ」

 時女が言い終わらないうちに探偵は病室を脱し全速で逃げていた。

「……な」

 左京丸はこちらをどうにか説得しようとするだろう、そんな曖昧な彼女の予測を振り切って探偵は駆ける。時女は探偵を追いかける。

「廊下を走らないで!」看護師の叫び。

 看護師を無視、あの探偵、どうすればああも全力で女子高生から逃げられるんだ?

 多摩総合医療センターの廊下は長く、距離を離されていく。狐のように速く、自由に探偵は駆ける。

「俺を捕まえようなんて十年早いっての!」

 反対から歩いてくる医者をかわしてその先の階段を跳び降りる探偵。

「……ああっ!」その医者を避けきれず時女は激突、反動で吹っ飛ばされて後頭部を壁に打ちつけた。

 世界が真っ二つに割れるような、自分と世界が真っ二つに割れるようなダメージ。

 世界が夢と現実に、自分が生と死に分かたれるような力。それらがまた一つに戻るような感覚、そして時女は気絶した。医者が駆け寄り時女の容態を診る。

「脳震盪だな。誰かストレッチャーを! 検査室が空いてるか確認してくれ!エコー検査とCTスキャンだ」

 すぐにストレッチャーが来て意識のない時女が乗せられる。

 時女とぶつかった医師が付き添いエレベータへと向かう。左京丸もついていこうとするが医師に止まられる。

「親族の方ですか? こちらは患者専門のエレベータなんです。第一検査室の前で待って下さい」

 統制された手際で医師は時女とエレベータへ。親族ではないと伝える暇もなかった。

 エレベータの前で左京丸はしばし呆然とする。

「やべえ、朝兎あさうさぎ刑事に連絡……」

 その時何者かが左京丸の胸に飛び込んできた。不意を突かれ左京丸は後頭部を壁にぶつける。

「ちにゃ!」

 激痛でどこかで聞いたような叫びをあげる。左京丸の前には今さっき運ばれていった筈の薔薇原時女。

 くるま高校の制服は緑になっている。髪にも緑のものが混じって、むしろ緑髪に黒いものが混じっているという割合。彼女は左京丸のバインダーを開いていた。

「主犯格、荷布しゅん狩野洋楽かのうようらく清水護しみずまもる柘植真希つげまき。外部協力者? 『パイロ・パイレート』、ヴィラン。ヒーローチームが関与。『トゥモロー・パイオニア』。ギロチンムーンにメジェド……」

 その時、時女の顔から目鼻が消える。そして次はホブゴブリンのように醜い顔に、そして元に戻り、メジェドのようなドミノマスク、緑色のマスクをつけている。

 左京丸は勘が鋭い方でもないし頭も良くないが二つ確信した。

 時女が力能者であること、その力能が自宅からの脱出に関係していることを。力能、なんでもありの力。

「これが私の力能……」

 時女は蜃気楼のように消えてバインダーが廊下に落ちる。

 バインダーを拾い上げ、左京丸は第一検査室へ。

 検査室の前で医師と話をする。

「先生はすると、ずっと薔薇原さんを見ていたって言うんですか?」声をあげる探偵。

「そうですよ。薔薇原さんは意識を取り戻していない。気絶した彼女が僕の目を盗んで検査室から抜け出したというんですか?」

 医師の声は冷たい。頭を検査しようか、と言いそうだな。そう左京丸は心配する。

 だがエレベータ前のあの体験は頭をぶつけたせいで見た幻覚ではない。勘は鈍いが危機察知能力には自信がある。緑色の時女を前にした時、確かに命の危機だった。

 水際の戦争で感じた恐怖を俺は感じたんだ。

「探偵さん、彼女の病歴を知りませんか?」

「? いいえ、俺が知りたいくらいです」

 少しの沈黙の後、医師は語り出した。

「どうも気絶しているわけではないらしいんです。昏睡状態でもない」

「気絶していない?」

「外部の刺激には普通の反応を示します。なのに覚醒しない。寝ている状態が一番近い」

「どんな反応をするんですか?」

「手を払うとか寝返りをするんです」そう言う医師の表情をどう表現するべきか。寝返りだなんて、本当に寝ているみたいだ。

「まるで眠り姫……、すみません、馬鹿げた連想です」

「眠ったフリではないんですね」

「覚醒しないので脳波検査をしていますが、寝たフリかどうかは検査しなくてもわかります。意識はないんです」

 どういうことだ? あの緑色の時女は意識がないどころではない、強い意志を感じさせた。ロクでもないことを起こすような決意。

「先生、ちょっと連絡してきます」

 左京丸は病院の外へ。俺が頭を捻ってどうにかなる問題ではなさそうだ。

 というか薔薇原の件は朝兎刑事のヤマだろう。少年課の。大柄刑事さんの番号をコールする。

「朝兎さんっすか? ……う!?」

「どうした、蹄?」

 何気なく見た空には緑色に飛ぶ、何か。彗星ではなかった。星にしてはあまりにも近かった。

 薔薇原時女はまだ近くにいる。


 時間は前後する。

 荷布たちは行きつけの居酒屋、その個室に通された。荷布、狩野、清水、柘植は酒を頼むが酔うつもりはない。これはビジネスの席だ。外の客の喧騒が彼らの緊張を解いてくれた。

 この居酒屋は大学生時代から通っていた。同期である狩野、清水、柘植と。あの頃はまさか犯罪の打ち合わせに使うとは夢にも思わなかった。まして殺しの相談など。 

「殺しだって!?」柘植が声を上げる。

「声が大きい!」同じくらいの大声で清水。

「清水もな」狩野が呟くように続ける。

 ここで酒を飲む時だけは仕切り役をしないで済んだと荷布は思う。誰もが好き勝手に喋るのが通例でそれは今日も例外ではない。それでは困るが。

 大学時代のように俺が仕切らなきゃなるまい。

 荷布はビールに口をつける。

 四年生になったあたりから雲行きがおかしくなった。就活が上手くいかなかった。

 面接で落ちる度に四人で酔い潰れた、ここで。その頃にはもう明るい酒など望めなくなっていた。

 時折バイトをしていた舌噛建築の内定が取り消された時、それが荷布の最後の希望の消滅だった。

 以前の晴れやかな展望に根拠などなかったと知るようになって荷布は連続強盗案を仲間に聞かせた。

 誰も裏切らないと確信できるほど彼らは追い詰められていた。動揺はあったが荷布の予測通り拒否しなかった。荷布のおおまかな計画としては何件か強盗をしてまとまった金を集めた後物価の安い国に逃げてしまおうというもので、まともな神経をしていれば上手くいくわけがないとストップがかかったろう。しかしそもそも犯罪の話を切り出すような人間にまともな神経など期待できようもなく、四人はお気に入りの居酒屋で計画を具体化していった。

 しかし彼らはすぐに壁にぶち当たる。それは上手くいきっこないという事実だった。

 つい最近まで就活に励んでいた真面目な大学生が犯罪で金を稼ごうというのはサッカーに青春を捧げた男がプロ棋士を目指すのに似ている。

 襲うべき家は?

 逃走経路は?

 犯行のタイミングは?

 逃亡に適した国は?

 そもそも飛行機を利用できるのか?

 全てが手探りすらできない疑問。調べ方すら裏社会にしか存在しないも同然、完全犯罪は就職より遥かに難しいと彼らは思い知った。

 潔く表の世界に戻り地道に仕事を探そう、そんな結論が出そうな時、彼らを破滅させる女が裏社会からやってきた。

「その調子ですと永久に仕事になりませんね」

 個室の向こう、廊下から女性の声が。

「誰だ? 注文ならしたばかりだが?」

 女の声は答える。

「私も客です。よく隣で飲んでるんです。声には気をつけた方がいいですよ、えーと、清水さん」

 茶髪の清水が怒りで顔を赤くする。

「不慣れな街に訪れた時は案内人が必要でしょう? 私を雇ってみませんか?」

「なんのことか、わからないな」と荷布はとぼける。聞かれてしまったからには強盗案はポシャだ。強盗計画を諦める丁度いいタイミングといえる。

 廊下から小さなしゃっくり。

「私、一つ奥の部屋で飲んでます。その気になったら、うーん、パイレートって呼んでください。いつでも相談に乗りますよ」何故か楽しげ、酔っているようだ。

 廊下から人の気配が消えた。どうも自分の個室に戻ったらしい。

「変な女だ」と柘植。

 結局荷布はパイレート、などと声はかけず適当に飲んでその日は店の前で解散。

「頭いて〜」

「じゃ、学校で」

 そんな挨拶をして散っていく三人を見送って、荷布は誰かに見られているのに気付いた。

 振り向くと、顔を真っ赤にした女。荷布より少し歳上か。だぼっとしたコート、暖かそうなマフラー、長い髪を右肩に乗せている。穏やかそうな垂れ目。酔っ払って幸せそうな顔をしている。

「あなた、どこかで会いましたっけ?」

 女のその声はさっき個室の向こうから聞いた声だった

「え? パイレート?」反射的に荷布は答えてしまう。女は、いや、パイレートは合言葉に反応し目を丸くして、それから微笑んだ。

「お隣の四人組さんでしたか。計画は進んでいますか?」

「いや、全く。俺たちに盗みは厳しそうだよ」

「裏社会で長生きするコツは引き際を間違えないこと、だそうです。だけど引き際を間違えない人はそもそも裏社会に立ち入らないのかもですね」パイレートの幸せそうな声。

「俺の判断は正しいかな?」

「正しいですね。だけど誰もが正しい判断に従えるわけではない」とパイレート。

「盗んではいけません。そんなこと子供でも知っている。問題なのはお金がなければ盗むしかない、ということ。否応なくそうするしかない、そんな状況があって今あなた達は……、えっと」

「失礼、荷布瞬だ」

「私の名前は、日内ひうちめぐみです。絶対内緒よ。そう、荷布くん達はまだ逃れられるのか、、、、、、、、、という一事が問題」

 パイロ・パイレート、日内めぐみはゆっくりと、自分に言い聞かせるように語る。

「逃げられるのなら、盗まずに済むのなら逃げるに越したことはないわ。今荷布くんが考えるべきは逃げられるかどうかです」

 めぐみの言葉は正鵠を射ている。まだ引き返せるなら堅気カタギに戻るべきだ、だが戻れないなら裏社会を進んでいくしかない。それしか道はない。

 引き際とは、つまりそういうことか。

「日内は逃げられなかったのか?」

「いいえ。見事に逃げおおせたの。それがパイロ・パイレートなんです。私はね、荷布くんとは逆なのよ。仕事がないからヴィランになったのではなく、仕事をしたくないからヴィランになったんです」

 荷布は言葉を失う。悪党ヴィランになるほうがマシな仕事とはなんなのか?

「一種の公務員です。日内家は代々特殊公務員の家系でしてね、私は自由な生活が欲しくて家を飛び出したんです。結構ヴィランって自由な時間がとれるんで今の生活に満足してますよ」

「自由か……。そんな物差しで進路を決める奴が?」

「ちょっと工夫すれば組織や他人に縛られない生活スタイルを手に入れられます。その分、収入は低いですけどね。それでも女一人生きていくには十分な蓄えが作れますよ」

 その時、荷布はめぐみに隔たりを感じ驚いた。というのも距離を感じるということはそれだけ親近感を持っているということで、初対面の、しかも警戒すべき犯罪者のめぐみに心を開きかけている自分に驚いたのだ。荷布は彼女を警戒するよう意識した。

「境遇は違えど同じ店で知り合った者同士ですから、力になれればな、と思ったんです。この商談がポシャっても別にいいかなって思います。私はただ、あなたたちと一緒に飲みたい、それだけ」

 そう言ってめぐみはしゃっくり。

「飲み過ぎだ。今日は帰れよ」

「えー。荷布くん、もう一軒付き合ってくれないんですか?」

「明日も学校なんだよ。じゃあまたこの店で」  

 荷布はそう言って手を振る。

 めぐみは上機嫌で笑う。

「学生は大変ですねえ。それじゃあまたこの店で。

 物珍しい友人はそうして去っていった。犯罪者であれ、新しい友人ができるのは気分のいいものだ。それが綺麗で気さくな女性ならなおさら。

 しかしいいことは長く続かないものだ。柘植真希の志望する企業、ネックテックの工場が盗難被害に遭い、更に大火災で甚大な被害を出した。

 ネックテックは経営立て直しの為に人員削減を発表、その影響か、柘植はまた一つ選考に落ちてしまった。厳密に考えれば人員削減と柘植の落選は直結しているとは限らない。就活生たちが数撃ち、当たらなかった銃弾の一つに過ぎないかもしれない。

 その弾丸はしかし、十分な威力を持っていた。時には一本の藁がラクダの背をへし折ることもある。これがそうだった。四人の心はついに折れた。

 柘植の話を聞いた荷布は日内めぐみを三人に紹介して強盗プランを立て始めた。もはや誰も止めなかったし迷いもしなかった。

 府中駅前の居酒屋、その個室で五人は淡々と計画を立てた。現実味のない時間。

 強盗のセオリーはパイロ・パイレートがレクチャーした。狙うべき家の特徴、移動時の注意点、遺留品の隠滅法、はては国外脱出の手引きまで。

 意外だったのはパイレートもそれほど詳しくない分野がある点だった。集団での犯行、国外脱出などだ。

「私も裏社会に入って日が浅くてですね」バツの悪そうにパイレートは言った。

「なにより私が人にノウハウを教えるなんて夢にも思いませんでしたから」

「どうりで教え方がぎこちないわけだ」と清水は納得する。

 しかし生活がかかっている荷布らはパイレートに不信を抱かずその教えを真剣に学んだ。それに平行して荷布が犯行計画を立てる。

 その頃には将来の不安を口にする者はいなくなっていた。善かれ悪しかれやることがあると人は余計なことを考えなくなるものだ。

 そして今に至る。いつもの個室にいつもの四人。パイロ・パイレートは遅れている。

 余りにも苦しすぎる状況。できることならあれは悪い夢だったと思いたい舌噛家での犯行。舌噛夫妻への仕打ちは彼らへ恨みがあったものの感情的になりすぎたと荷布は思う。

 その上一人息子の下上に見られてしまい、その口封じをしなければならない破目になっていた。

 もはや引き返せない、選択の余地のない苦境だ。舌噛夫妻を殴って大怪我をさせた挙句、目撃者である下上も殺そうとしたあの時はまるで、自分が自分でないようだった。

 こうなれば悔やんでいる時間はない。まだ生きている下上を消して犯行を続ける、目標金額まであと少しだ。

 ついでに舌噛夫妻の様子も見よう、生きているなら殺すしかない。

 淡々とそう語る荷布を恐れる仲間はいなかった。

 そして最後のメンバー、パイロ・パイレートが入ってきた。帽子、マフラー、サングラスで顔を隠している。日内めぐみ。

「来たか、日内。下上の方はどうだった?」と荷布。

「意識ははっきりしてるみたい。重体で動けないから殺すのはわけないけれど、病院中に警察が張っているようね」

「みたいとかいるようとか、はっきりしないな?」と柘植。

「あくまで病院の空気からそう感じ取っただけだから。ヤバげな雰囲気で近づけなかったの。それでも患者の情報は手に入れられたけど」

「どうやって?」

「コンピュータには01ゼロワンウィルスが入っているはずだろ?」

「それは企業秘密。完璧なセキュリティなんてない、とだけ言っておこうかな」

 01ウィルス、出所不明のコンピュータウィルスで強力無比の感染力を持ちネットに接続されたコンピュータなら必ず感染していると言われる。このウィルスの最大の特徴はファイアーウォールとして機能するところだ。

 つまりあらゆるセキュリティを突破したのち最強のセキュリティソフトとして振る舞うウィルス、世界中の研究者がこのウィルスの起源を求めているがその答は見つかっていない。01ウィルスを突破する手段も。

「警察がいるから舌噛を殺さなかったと?」と柘植。

 めぐみが頷くと荷布が割り込んだ。

「俺には責任がある。舌噛下上は俺が殺る」

「そう焦ることはないと思う。どうも下上くんは個人の特定まではできていないらしい」とめぐみ。

「なんだ?」荷布にはその言葉は意外。

「俺は面接の時下上と顔を合わせたぞ? 確かに話し込んだわけではないが」

「犯行時に荷布くん、君たちはマスクをつけてたでしょ? あの時きみは激昂して面接のことを口にしてたけどさ、舌噛建設に応募して落ちた人が何人いるか調べたらさ、四十五人だって。その中から君を特定するのは警察でも骨が折れるよ」 

「おお、それで今日もここで打ち合わせができたのか」納得する清水。めぐみはその通りと頷いた。

「しかし俺らは後三件は仕事をしないと」狩野が呟くように言う。

「フィリピンでのんびり暮らす計画には届かんぜ」

「目標金額を考えるとのんびりしてられねえか」と柘植。

「それにやっぱり目撃者が生きているってのは落ち着かないぜ」

「清水くんの言う通りだと思う。私なら殺してる」とめぐみ。

 目撃者下上を生かしておくか殺しておくか、またも決断ということだ。

 どちらの道を選ぶのか、自分の真価が問われている。生かしておいても俺まで辿り着かないかもしれない。殺した方が安全かもしれない。

「…………」

 そして荷布は決断を下す。

「舌噛下上を消す」

 四人の仲間に語りかける。

「後顧の憂いを断つ。小さなリスクだろうと放置してはおけない。だがこれは俺だけでやる」

「なんだと?」

「俺の責任だからだ。お前らは日内と埼玉の下見をやっておけ。それに大勢だと目立つしな」

「はいそーですか、なんて言うと思ったか、荷布?」柘植の声は低い。

「お前の責任じゃなくて俺たちの問題だろ、リーダー。ここまで来たら一蓮托生だろうが」清水は真剣だ。

「俺たちもきっと役に立つ。実際お前が俺たちを役立ててきたんじゃないか。ついていくよ。な、日内」

 めぐみは満足そうに狩野に応える。

「いい友達を持ったわね、荷布くん」

「お前ら……」

 バカどもめ。

「よし、全員で病院へ向かう。日内、具体的に病院の様子を話してくれ」


「門を開けておいてくれ。重傷者一名、帯刀たてわきだるまがやられた」

 車両型ドラゴンスレイヤー、『運命の車輪』ホイールオブフォーチュンを走らせながらカーター・スマックスは通信をこなす。

 エレメンツ、『ヒポポタムス』との戦闘を終え、ドラゴンスレイヤー達は帰還するところだった。

 水澄涼みすみりょうは失神、山轢瓶底やまびきびんぞこは軽傷。ドロップレー・ブレーク・ロバートウェインスタインと 紅南海くみなみうみは無傷で済んだ。

 ホイールオブフォーチュンに乗せられただるまは我々の勝ちだと断言したが、それが事実ではあったが、瓶底達はその言葉を素直に受け止められない。ヒポポタムスは強すぎた。

 『虚寂竜』ディオゲネス・クラブとのファーストコンタクトはスレイヤー達にとって苦い経験となった。

 スレイヤーらのそんな想いと関係なくカーターはホイールオブフォーチュンを駆る。教会が見えてくる。

 注文通り門は空いていてドクター・ブリキがストレッチャーを用意している。

 得体は知れない女だが気は利くな。カーターは笑う。いかんな、俺も興奮しているみたいだ。

 制動、敷地内に入りホイールオブフォーチュンの後面、入り口のステップを下ろす。

 すぐにドロップレーと海が左右からだるまを支えてストレッチャーに。

「起きろ。着いたぞ、涼」スレイヤーをつけたまま瓶底が涼の頬を張った。

「むにゃむにゃ……、どんぶらこどんぶらこ……、うお!?」

「うわ!」

 跳ね起きる涼に驚く瓶底。

「ここはホイールオブフォーチュンか?」

「そうだよ。生き延びたんだ」とりあえずな、と瓶底は付け加える。

「ちび、怪我人は!?」

「博士が両足を折って担ぎ込まれた」

 カーターが運転席を出ると教会へ駆け込む涼が見えた。


 ストレッチャーに横たわるだるまが痛みに呻いた。

 ストレッチャーはエレベータの中へ。『女教皇』ハイプリエステスの巨大工場へと入る。

 だるまが指差した先に、手術室のような部屋。

「ヒビキ、ビルドザビクトリー」

 だるまの呼び掛けでハイプリエステスのBLAIビヘイビアラーニングエーアイ、ヒビキが目を覚ました。

「だるま、損傷していますね」

「両足だ。下腿部の部品を用意しろ、ヒビキ。オペ室に行く」

『隠者』ハーミットの整備命令を受諾しました」

 手術室に入る、ストレッチャーが手術台の横へ。だるまは自力で手術台へと移る。

 すぐにワゴン型ロボットが手術室に入ってくる。だるまが言った下腿部の部品が上部に載せられている。

 海たちからストレッチャーを引き継いだブリキは手術着を着込む。切開手術の準備。

 手術室の上部からアームが伸びてきてだるまの両足に局部麻酔をかける。続けて消毒処置。ブリキはメスを取りだるまの足を切開。

 皮膚の下に金属板が貼られている。

「そうとも。これがハーミットだ、ブリキ」

「知ってます。前も見ましたから」

 ヒポポタムスに曲げられた金属板が外され、筋肉と折れた骨が見える。

「ハーミット、ツァラトゥストラのコンセプトは戦闘に必要な器官の保護でな。主要な骨格と筋肉、神経と血管を守っている。涼と戦った時は縫合で済んだが、今回は骨と筋肉を保護している装甲板がひしゃげたもんだから痛いったらない」

 ブリキはだるまに言われた手順で脚部の装甲板を外す。右足から。だるまが驚くほどの手際で新しい装甲板を着ける。

「まるで何度もやったかのようだな」だるまは笑う。

「優秀な外科医だ。汗ひとつかかないか」

「それはどうも」だるまの顔を見ず右足の縫合を完了させる。

 だるまは天井を仰ぐ。

 ハーミットは傑作だ。そう思っていた。それをいとも簡単に破壊されてしまった。思い上がっていたというわけだ。反省しなくては。

 既に左足の装甲板をブリキは取り替えていた。


 帯刀だるまの研究室前で四人のドラゴンスレイヤーが立ち尽くす。いや、涼は落ち着かないというように歩き回っている。

「うろうろしてもしょうがないだろ、涼」

 瓶底の指摘にドロップレー、海が頷いた。

「ああもう、うろうろして怪我が治るような魔道とかないのか」

「そんな便利な魔道がありますか。心配しなくても死んだりしないわよ。足だけで済んだんだし」

「……そうだな」

 海に苦々しく応じる涼。誰かが、知り合いが怪我をして自分にできることがない。そんな状況はいつだって涼を困らせる。

「そんな顔をしないで。涼はよくやった。ヒポポタムスを撃退したじゃない」

 王女が労ってやる。それが涼に必要とドロップレーは判断したのだ。

 ドロップレーの気遣いを感じ、涼はやっと足を止める。

「ありがとう、ドロップレー」

「よろしい。だるまには悪いけれど、先にお茶にしない?」

 こんな時に、そう言おうとした涼は足音を聞く。

「二つの足音だ。え、歩いているのか?」

 ドアの向こうの足音はブリキとだるま。杖の音まで涼は聞き取れる。

 足が完治しているのか? 馬鹿な。

 ドアが開いてだるまらが顔を見せる。四人の目はだるまの足に釘付けだ。

「皆、よくやった。俺の足が気になるだろう。説明するから会議室へ。だれかカーターを呼んでくれ」

 会議室、観音が全員分のお茶を出していた。瓶底だけリンゴジュースだが。

 ホワイトボードを背にだるまは戦士たちを見回す。涼たちドラゴンスレイヤーは簡素な椅子に座り茶を飲んでいる。

「まず今まで黙っていた情報がある。悪魔について」

「あんなモノ相手にさせといて黙っていただ?」

「落ち着け、瓶底。秘匿して即座に状況悪化するという性質ではないので話さなかったんだ。悪魔を倒すと呪われるというものだが、俺たちはドラゴンの姿すら見ていない」

「確かに今必要な情報じゃないな」とカーター。

「やっぱり、あなたは知っていたのね、博士」

「はい、殿下。俺が何故悪魔の対応に慣れていたか納得して頂けましたね。俺は以前メフィストフェレスという悪魔を斬ったことがあるのです」

「悪魔の呪いは伝説というか、迷信だと思っていたわ。メフィストフェレスが、死んでいる?」

 ドロップレーの故郷、イーン帝国において悪魔を倒すという偉業を達成した者はいない。そのために悪魔の呪いは迷信と信じられていた。誰も確かめていないのならこの迷信はどこから来たのだろう?

「確かに斬りました、殿下。何故俺が大昔のことを話したのかというと、メフィストの呪いがこの足に関係あるからです。奴の呪い、それは不老不死です」

 興味なさそうに聞き流していた瓶底がだるまの方を向く。

「剣を究め不老不死となった俺の弱点は主要な神経や血管の損傷。死なないと言っても筋肉が動かなければ戦いようがないのだから。それをカバーするために作られたのがドラゴンスレイヤーの初期試作型、ハーミットだった……」

 だるま自身が言った神経、血管、筋肉という弱点をカバーする装甲板、隠者ハーミット。

「ヒポポタムスには通じなかったのは業腹だがな。そいで、ディオゲネス・クラブの呪いはなんなんだ?」

 瓶底の当然の問い。

「殿下はご存知ですか?」

「期待に応えられなくて残念だけど、知らないわ。悪魔を倒した人なんて初めて見たもの。キューピッド?」ドロップレーにまとわりついている妖精も首を捻る。

「さあ? 俺はあいつらとは没交渉だしな」

「ディオゲネス・クラブの呪いも不老不死だったりして」と涼。

「そもそも不老不死がどうして呪いになるんだ。長生きは三文の得って日本では言うだろ」

「それを言うなら早起きは三文の得、だ。カーター。不老不死の価値がなんで三文ぽっちなんだ。メフィストは俺の目的の果てしなさに目をつけたんだろう。この呪いで俺は永遠に働く運命だ。と言っても、それほど悲観してないがね」

 不老不死、そんな秘密を豆知識を教えるような手軽さで打ち明けるだるまに涼たちは驚いた。

「だるま、お前何歳なんだよ?」

「お前よりは年上だよ。瓶底。これで俺の要件は終わりだ。一同解散……?」

 海が発言しようと手を挙げている。

「手なんて挙げんでいいのに。海、こちらへ」

 今度は海が壇上に立つ。だるまは隅の椅子に座る。

「今回の作戦、指揮を取るのは私の筈だった。けれど満足な働きができなくて、この場を借りて謝罪するわ」

 深々と頭を下げる海。「まあ」とドロップレー。

「あんな不手際は二度と起こさない、次は必ず上手くやる。そう言いたいけれど実戦の厳しさはわかっている。皆が認めないならリーダー役は、降りる」

 せっかくの大役を手放さなければならない、それは海にとって耐えられない悔しさだ。昔の海なら石に齧り付いてでも立場を諦めなかっただろう。

 だがもし、自分のミスで仲間を失うことになったら。涼が倒れ、瓶底とだるまが分の悪い戦いに挑んだあの光景。今思い出しても寒気がする。

 仲間の死が何よりも恐ろしい。いや、それより恐ろしいのはその死に責任を持つことだ。

 仲間たちの意見を無視してリーダーを続けることはできない。

「そんなこと気に病んでたのかよ」下らないというふうに瓶底が言う。

「海の気持ちを考えなさいな、ビン。でも海、そんなに早く決めることではないでしょ?」ドロップレーが慰める。

「言い方はともかく」と涼。

「ちびの意見に賛成だな。誰も死んでないし大怪我した奴も……いない。それにディオゲネス・クラブとの戦いは始まったばかりだろ。ドロップレーの言うように早いと俺も思うよ」

「そうそう。せっかく生きて戻れたんだから。またチャレンジすればいい。だよな、ドクター?」とカーター。

「その通り。海、お前は二つ勘違いをしている。一つは殿下や涼が言う通り、判断が早過ぎるということ。二つめはお前の進退はお前にも涼たちにも決められないということだ」

「なんですって?」海はだるまを睨む。

「お前をリーダーに据えたのは俺と観音だ。そして教会は軍事組織だ。そう見えなくてもな。軍隊は上意下達が基本。人事は上官に任せてもらおう」

「そういうことだ。エレメンツの撃破に成功した、それ自体が重要な情報だ。奴らは物理的なアプローチで倒せる、というな」

 頼むから辞めるなんて言ってくれるな。そう観音は願う。前線要員で指揮を取れそうなのは海とドロップレーしかいない。そしてドロップレーは異世界から来たお姫様。こちらの事情に詳しくなく土地勘もない。海が隊を率いられなくなれば戦力は致命的なまでに低下する。

「俺たちは生きて帰ってこれた。それ以上の何が必要なんだよ、海」

「どういうこと、ビンくん」

「インサイダーのお手本ってセリフだよな、ちび。俺も同感だけど」と涼。

「ネクロポリスじゃ諍いはしょっちゅうだけど、死ぬことは珍しいんだ。例えば追い剥ぎ。襲われる方はもちろん命乞いするし襲う方は反撃されたくないから無理に追い詰めないよう気をつける。そんな感じの駆け引きがネクロポリスにはありふれている。俺が言いたいのは勝ち負けが決まる方が珍しいってこと。博士やドロップレーがどう思ってるか知らないけど今日の戦いも上出来だと思ってるよ。インサイダー組はね」

「善かれ悪しかれ序盤だからな。あまり焦るなよ、海」ニッカリと観音は笑う。水際の戦争を戦い抜いた観音にとってはこの程度の損失は損失に入らない。

「それに海、気絶した俺をよく起こしてくれたよ。あれこそリーダーの働きじゃないの?」ヒポポタムスとの戦いを思い出し涼はありがとうと礼を言う。それが海には意外だった。

「逆でしょう? 助けられたのは私たち……」

「お互い様だな、つまりはさ。俺が間に合う、、、、うちによく起こしてくれたとマジで感謝してるよ。もし目が覚めた時に誰かが大怪我したり、殺されてたりしたら、俺は一生自分を許せなくなるところだった」

 最悪の展開を想像して恐れ、そうした事態を回避した現実に安堵する複雑な心境の涼。傍から見れば思い上がりと言われるだろうそうした想いが、涼にとっては冗談でも傲慢でもない。

 ワイヤー状のデブリに締め殺されたあの男の件でさえ涼は気に病んでいた。もしそれが自分の友人だったらと想像すれば海に感謝するのも当然だ、超人ならば。

「ふむ。人を使うのは基本。次はもっと効率的に、落ち着いて働くがいい」 

 淡々とだるまが言う。

「おお、そうそう。瓶底」観音は義理の息子に声をかける。

「なんだよ」

「もうすぐ入学式だろう。それが済んだら柔草日ノ笑に接触して教会に連れてこい」

「またその話かよ。わかってるよ」

「新生したヒーローチームには話を通しておかなくちゃな」

 そう言う観音に涼は質問。

「そんな必要あるんすか? ヒーローが敵になるわけないでしょう?」

 ヒーローを知る者としては当然の疑問だ。

「俺たちが向こうを味方だと思っているからといって向こうもこちらを味方だと思う、というのは迂闊じゃないか、涼。話し合いの席を設けなければ彼らと会うのは戦闘中ということになる。そんな時に的確な判断をヒーローに期待できるかね」

「確かに」と涼。涼が元いた特殊部隊、ピーチ小隊は水際の戦争で『マスカレード』と共に戦ったことが何度もあった。それだけで涼は、ピーチ小隊はヒーローを信頼するようになった。明るく人望があり、決して弱音を吐かないマジスターのお陰だ。

 そのマジスターが今はいない。ギロチンムーンも。

「マスカレードに何があったか、それは知らん。だが我々の知るヒーローはメジェドしか生存していない。だから新生ヒーローチームと戦闘になるというのはあり得ないことではない。それをなんとしても避けねばならんからな。そうだ、カーター」

「え、俺?」

「お前が迎えに行け。柔草日ノ笑たちをな」

「ジャスタモーメント。元ヴィランの俺に素顔のギロチンムーンと接触しろと?」

 カーターの顔が青褪めるのを見て一同は驚く。こいつ、そこまでギロチンムーンを恐れているのか?

「観音。会長。考え直してくれよ。俺まだ死にたくねえよ」

 よほど怖いのか、カーターの声は震えている。

「そ、そんなに怖がることあるまい。殺されるわけではないんだから」 

 観音の言葉にカーターは絶望する。ギロチンと言っても観音の言う通りギロチンムーンが首を刎ねたことはない。ヒーローなのだから当然だ。

 しかし、必要とあれば手首でもなんでも斬るのがギロチンムーンだ。

 この中で追われる身になったのは俺だけだ。こいつらにはヒーローに追いかけられる奴の気持ちなんか一生わからないだろう。あの恐怖は理屈ではない、のだ。

 まあヴィランにならないに越したことはないんだけど。

「まあまあ。カーター。そんなに怖いなら俺がボディガードをしてやるよ。超人が守ってりゃ悪くても大怪我しないだろ?」と涼。

 カーターの表情がわかりやすく明るくなる。

「それなら観音がいるだろ。確か入学式に出るって言ってたよな?」と瓶底。まだ観音を父と呼ぶ気はないらしい。

「そうだったな。カーター、安心しろ。俺が守ってやるよ」

 すっかり余裕を無くしたカーターは縋るように言う。

「ほんと頼みますよ。手首にサヨナラして、ごめんねじゃ済まないんですから。俺運転手よ」全員がヒーローに興味を持つ。カーター・スマックスをここまで怯えさせるのは何故なのか?

「話は済んだな。ご苦労だった。休憩していい。海はその後レポートを作成だ」

 観音の号令。解散。


「ということなんスよ」

 府中警察署の物置前。左京丸が朝兎へ通報し、朝兎はギロチンムーンへ連絡、そこからメジェド、ベアナックルへと連絡が済んだ後、朝兎は改めてミーティングをするよう提案した。

「なんというヘマだ」朝兎は誰にも聞こえないような声を出す。

 調査内容を第三者に見られ、こんな状況に陥るとは。現場検証と警察の事件資料だけで荷布たちを特定した調査力は大したものだが、蹄左京丸はどこか抜けている。

 当の左京丸は失態を意識して縮こまっている。これまでも様々失敗を重ねてきたがそれらはすぐにフォローできるものだった。

 しかし今回は、悪くすれば死人が出る。

「どうしてくれるんだ、蹄」

 朝兎刑事の傍にいる新顔の男が探偵を責める。

「朝兎刑事、彼は誰?」とメジェド。

「こちらは富良野ふらの刑事。連続強盗事件の担当をしている」

「ふうん。連れてきてよかったのか?」とベアナックル。

「大丈夫だ。俺と組んでた時期もあって信用できる。ちょっと口うるさいが勘弁してくれ」

「大きなお世話だ、朝兎。それでどうするつもりなんだ、お前らは」トゥモローパイオニアに水を向ける富良野。

「漠然とした質問ですなあ」即答できないよ、とメジェド。

「これからの事件の展開を考察しその対応を議論する。確実なのは、薔薇原時女は荷布グループに復讐することであり、次に確実なことは総合医療センターで荷布たちを待ち伏せることだ」

 すらすらとギロチンムーンは語る。迷いはない。

 朝兎の言う通りバカではないな、と富良野は感心する。そうでなくては朝兎の信用を勝ち取ることはできない。

「荷布たちは目撃者を消すために医療センターに来る、今夜にだ」と探偵。

「なんでわかったんだ?」左京丸と親しい朝兎。

「俺が犯人なら必ず目撃者に気を配る。実際連中は強盗というより空き巣に近かったんだ。無人の家ばかり狙っていた。何故家族が勢揃いの薔薇原家に押し入ったのか、それはわからないけど、連中は今頃下上くんたちを探してるぜ」余裕のない左京丸。小人物、という言葉がベアナックルの脳裏に浮かぶ。この探偵にぴったりだ。

「荷布たちの行動予測として妥当だと、私も思う。富良野刑事、朝兎刑事。早急に医療センターに人員を配置してください」

 ギロチンムーンの要請、富良野は電話をかける。

「それと、薔薇原時女の力能が判明した。十中八九間違いない」ギロチンムーンは意外な切り口で語り出した。

「へえ、マジか? 俺は全然わからなかったぜ」とメジェド。

 それは君が時女の力能に全く興味がないからよ。ギロチンムーンはそう思ったがそれを指摘する状況ではない。

「彼女の力能はサイコキネシスとテレパシー。そしておそらく眠っている時、夢を見ている時しか使えない」

「サイコキネシスだ? メジェド、サイコキネシスってのは確か」それは幼馴染の持っている漫画で出てくるパワーだ。

「念動力だね、ベアナックル。それにテレパシーか。それでどうやって見張りのいる自宅から抜け出したんだ?」

 言いながらメジェドはX-MENのマーブルガールを連想する。左京丸はDCのマーシャン・マンハンターを思い浮かべる。

「薔薇原時女はもとより家を抜け出していない。肉体はそのままに精神だけが府中に移動したと考えられる」

「寝ている時だけ、か。我々が接触した時は深夜だったし左京丸の時は頭をぶつけて失神していたな」ギロチンムーンの仮説を検討しながら朝兎。

「深夜の薔薇原は怯えているか躁状態だという。それはちょうど夢を見ている時に似ていないか?」

 全員に問いかけるようにギロチンムーンは言った。

「ビビってる時は夢と気付いていない場合で、躁状態の時はその逆か。メジェド、名前があったよな? 自分が夢を見ていると自覚できるやつ」

「明晰夢」ベアナックルに短く答えてやるメジェド。

「夢を見ているから寝ている時しか使えない力能? 寝ているから夢の中でしか使えない力能? いや、夢の外でか?」

 メジェドの頭は混乱の一歩手前。

「この際それは置いておいていいだろう。ギロチンムーン、つまりあの妙なファッションの薔薇原はテレパシーによる幻だ、と思っていいのか?」

「よくできました、ベアナックル。力能を使って深夜徘徊していたのは家庭問題からの逃避と同時に、無意識的に強盗グループを探していたためだと思う」

「そうか? 薔薇原時女にはなんの手がかりも無かったんだぞ。それが何故府中なんだ?」

「薔薇原は府中によく遊びに来ている。荷布グループの居場所としてではなく逃避先として選ばれたのだろう」

「あの……」探偵が手を挙げる。

「テレパシーでできた幻に俺思いっきり吹っ飛ばされたんだけど、それはどう説明するんスか?」

「それはサイコキネシス。テレパシーの思念体を肉体に見立ててサイコキネシスを腕力に見立てている。目覚めたての力能は力能者の直感に従って性質を変えることがある。薔薇原もそうなのだろう」

 これが私の力能。時女がそう言っていたのを左京丸は思い出す。目覚めたて。時女の直感。

「薔薇原の直感が、その力能の限界だ。薔薇原が力能を応用し始める前に片付けるのがベターだな」とベアナックル。

「確かに。テレパシーで自分はキリストだと思い込まされたり見えない力場なんか使われたりしたら超厄介になるな」メジェドはベアナックルに賛成する。よちよち歩きが弱点ってワケ。でもそれは俺らも同じだよな。チーム結成したばっかで手探り状態な上、俺はギロチンムーンを探らなきゃいけないかもだもんな。油断したら痛い目に合いそう。

「蹄さん、薔薇原時女の思念体が飛んでいるのを確かに見たのね?」

「そうだよ。それが?」

「多摩総合医療センターの周りを飛んでいるとなると薔薇原は荷布グループを待ち伏せているとしか思えない」

「何?」と朝兎。

「彼女は生き残った目撃者である舌噛親子を荷布グループが放っておくわけがない、と考えている」しかもそれは事実だ。

「まずいな……。最悪だ。止めなければ薔薇原は殺人犯になる」富良野刑事が呻く。力能に目覚めてハイになった子供が人殺しになる?

「大まかな対応策はできているが警察、探偵、双方の協力が欲しい」

「対応策ができている!?」こんな短時間で? 朝兎刑事は驚く。いや、ギロチンムーンの言葉を聞いた全員が。

「策だと? 薔薇原を止める策?」ベアナックルが問う。ギロチンムーンの思考、その速さのために感情が表に出ている。

「当然。だけど私の策には前提条件がある。薔薇原から荷布グループを遠ざけること。この条件さえ満たせば薔薇原など敵ではない」

 文字通り不敵だな。とメジェドは思う。

「俺たち警察は協力する。当然だがな」

「朝兎、言っておくがヒーローに表立って協力することはできないからな? あくまで彼らは偶然俺たちと同じ事件に関わった。それだけのことだ。表向きはな」

 富良野刑事の保身ぶりに左京丸は幻滅などしなかった。自分の身を守って何が悪い? むしろ損得勘定無しに命を張るヒーローの方がおかしいのであり、だからこそ俺はヒーローが好きなんだ。俺が一生かけてもできないことをやるから。

 富良野刑事の言葉にギロチンムーンは深く頷く。

「対外的なイメージ戦略はそれでいい。これから何度も言うだろうけれど、警察と我々ヒーローは適度な距離を取らなければならない」

 ギロチンムーンの雰囲気が少し暗くなる。探偵は一歩退いた。怖くなったのだ。

 もし距離を誤ったら?

 恐ろしくてそう聞ける者はいなかった。

「まず荷布たち三人、これは警察と蹄さん、そしてメジェドが抑える。これだけ割けば確実に制圧できるだろう」

「オーケーだ、ギロチンムーン。いいよな、富良野?」

「構わんさ、朝兎」

「メジェドとチームアップできるのかよ! デカい仕事がきたぜ!」探偵ははしゃぐ。有名なヒーローと共闘できるのが嬉しいようだ。

「メジェド、救援が必要な時は連絡する」

「オーライだよ。ギロチンムーン、そんならパイロ・パイレートはどうするの?」

「ベアナックル。きみがパイレートを潰せ。サシでだ」

 ベアナックルは頷くだけ。無言。

「薔薇原時女は私が相手しよう」

 お手並み拝見、と朝兎は考える。先代のギロチンムーンは信頼できた。完璧なヒーローがいるとすれば、それは彼だ。二代目たる眼前の少女、纏う空気は先代と変わらないが実力は不明。それも今夜はっきりするだろう。新顔のベアナックルについても。

「一人で大丈夫か、ギロチンムーン? 必要なら俺が手伝うぜ。力能者が相手なんだからさ」

「私に言わせれば一番危険で不確定なのはパイロ・パイレート。手が空いたらベアナックルを支援してね、メジェド」

「黙れ。俺の邪魔をするな」

 ベアナックルの簡潔な拒絶。まあそう言うよな、とメジェドはため息。コイツはそういう奴。ヤバくなったら割り込んでやるけどね。

「いったいどう薔薇原を止めるというんだ。何か弱点でも見つけたというのか?」と富良野刑事。

「彼女の弱点はヒーロー秘密主義者でもなくヴィラン利己主義者でもない点にある。それでは私は倒せない」

 自信に満ちた発言を飾り気のない口調で黒衣のヒーローは語る。まるで既に勝っているように錯覚させる。

「私はギロチンムーン。全てを操る」


 真夜中。後ろ暗い者たちが動き出す時。多摩総合医療センターの駐車場を五人の男女が通る。二人のターゲットの居場所は既に頭に叩き込んである。人の出入りするERを避け、パイレートが昼間のうちに鍵を開けておいた薬品室から侵入する予定。

 荷布たちはこれから行うことに恐怖していた。巨大な病院が地獄の門に見えた。夜の病院。ここより入る者、全ての希望を捨てよ。

 だが荷布たちは希望を捨てていなかった。彼らの希望は門の中にある。地獄の底まで抜ければ天国が待っているとでもいうように。

「待って、みんな」

 パイロ・パイレートの声は硬い。

「人の気配がする。まだ見つかってないけれど」

「え……」清水が固まる。

「どういうわけか、こちらの襲撃は予測されてたようね。警察かな」

「ざけんな、なんでバレたんだ?」と狩野。誰か裏切ったのか? 狩野はそう考える。

「今更だけど、同じ会合場所を使い続けたのがまずかったわ」とパイレート。

「警察が私たちの話を盗んでいたと思うしかない」

「パイレートの言う通り。俺たちを裏切るような奴はいない」荷布は断言。自信のあるように見せなければグループはここで空中分解もありうる。

「荷布、どうするよ?」

 柘植の問いは突然に選択肢を荷布へ突きつけた。ここで、引き返せる?

 このまま進めば目撃者を消せる。そうすればこの後の仕事がやりやすくなる。

 反対にここで引き下がればこの場は安全であるし余計な罪を犯さずに済む。仮に舌噛家の連中が俺に辿り着いても、それで捕まる危険は増すが、警察は俺たちの次のターゲットまでは予測できない。

「荷布くん。アドバイザーとして言わせてもらうわ。撤退しましょう」

 一同、パイロ・パイレートを見る。こんな時のためのガイド、それが彼女の仕事だ。

「待ち伏せされたということは私たちの情報が漏れたと考えていい。だから、もう目撃者を殺す必要はない」

 単なる骨折り損よ。そうパイレートは言う。しかしその言葉が荷布を逆上させた。

「パイレート、退路を確保して三人を逃がせ。俺は舌噛を殺る。連絡するからなんとか俺の退路も作っとけ」 

「はあ?」清水。

「これは仕事じゃねえし損得の問題でもねえ。舌噛家と決着をつけずに日本を出ても未練が残る。フィリピンに行くのは逃げるためじゃない。人生をやり直すためだ。……俺は舌噛たちへの恨みを晴らして、フィリピンへ行く」

 自分を偽り続けることはできない。内心の想いを荷布は言葉にした。恨み、と。

 今振り返れば舌噛の面接は性根の悪い圧迫面接ではなかった。それでもあの社長は荷布の研究を鼻で笑い、ものの五分で面接を打ち切った。それで『今後の活躍をお祈り申し上げます』?

 犯罪計画を立てているうちは忙しさで忘れていた、いや、押さえ込んでいた苦い記憶、それが不意に蘇った。恐らく舌噛家のことばかり考えていたためだろう。今だけは採算を度外視する。舌噛家を皆殺しにして、今度こそ自分の人生を築き上げる。

「荷布なあ。何度も言わせんなよ。俺たちは一蓮托生って言ったろが」と狩野。

「そうそう。やばい橋は皆で渡ろうね」清水が合わせる。

「一人でノコノコ出てったら捕まるに決まってんだろ。も少し様子を見ようぜ、な、パイレート?」

 柘植にそう言われてパイレートは微笑んだ。

「いい友人を持ったわね、荷布くん。柘植くんの言う通り、少し周囲を調べましょう。人員は多そうだけどどこかに侵入できるルートがあるかもしれない」

「お前ら……」

 仲間たちが俺を助けようとしてくれる。益のないことだというのに、誰一人迷わない。

「決まりだ。撤退する。お前らを危険に晒しまで殺すような価値は、奴らにはない」

 その言葉に四人は力強く頷く。満足そうに。

 仲間たちの思いやりが荷布の心の中に冷徹な天秤を生じさせた。

 それは合理的で利己的、損得で判断する、悪党の選択と言えた。

 この時荷布は完全にヴィランになった。


「お前たちに退路はない。刑期を終えて出所すれば進路があるだろうが」


「!」

 声の主を荷布らが見やる。ギロチンムーン。物音も気配もなく、そこにいる。グループ全員の十数メートル後ろに。真っ黒なコスチュームは闇に馴染んで目立たないものと荷布らは思っていたが、実際に見るとそうではない。

 顔の見えない不吉な存在は漆黒の夜の闇の下でも人の警戒心、恐怖を喚起させる。

「カッコいい登場セリフ! ヒーローはこうでなくちゃ!」

「…………」

 そのギロチンムーンの後ろから二人のヒーローが姿を現す。

 一人はニュースでよく見る有名人。メジェド。打ち倒す者。

 もう一人は初めて見る男。三人の中で最も明るいデザインの全身タイツ。外見と裏腹に明るい性格ではなさそうだ。荷布とパイロ・パイレートは咄嗟にそう分析。

 青いコスチュームの少年はこちらを凝視しているらしい。こちらに興味があるに決まっている。その筈だが、凝視しているのだがまるで無視されているかのよう。不気味だ。

「みんな見ろ!」

 叫ぶメジェド、その指差す先はパイロ・パイレート。

「な、なんだ?」ベアナックルがその場全員の意見を口にする。パイレートがなんだというんだ。

「バカ、見てわからんのか! パイレートがいい女だ!」

「はあ?」

 ギロチンムーンまでメジェドを凝視している。本気で言っているらしい。

「むさ苦しいおっさんの海賊だと思ったら綺麗なおねーさんだぜ! 船長っぽい帽子、クールなカトラス! 言うまでもないと思うが胸が大きいのも海賊ポイントだ。この世で一番の巨乳が海賊王だ……!」

「マスクを着けてるってこと、思い出せよ、メジェド」とんとんと自分のマスクを指で叩いてベアナックル。パイレートは胸を両手で隠していた。

「ベアナックル、パイレートの相手は俺に任せろ。お前は荷布たちを捕まえろ」

「駄目だバカ。パイレートは俺が相手するって話だろが」

「綺麗なおねーさんだってわかってたらなぁ。揉めない胸はただの……、なんだろ?」

「投降しろ。怪我をさせたくない」とギロチンムーン。強引に話題を切り替えようとしている。

「そうそう。サツもクソタレ来てるし。諦めた方がいいよ」メジェドの軽口。こんなに明るい男だったか? まるで人が変わったかのようだ。

 狩野、清水、柘植はヒーローから目を離さないが意識は荷布に向けている。リーダーがどう出るか?

「パイレート、撤退だ!」

 荷布の号令でパイレートはヒーローの方へ走り、残りの四人は来た道を全力で引き返す。引き返そうとしたその先に、むくつけき大男と中肉中背の男。何故か携帯冷蔵庫を持っている。

「動くな、警察だ! お前らを殺人、強盗などの罪で逮捕する!」

 隣の男が耳を塞ぐほどの大声で大男は怒鳴る。刑事か。

「鼓膜ないなったかと思ったわ」両耳から手を離し、男がぼやく。

「朝兎さん、もちょっと手加減、声加減お願いしますよ。俺ら『正統人』は繊細なんですから」

「すまん、左京丸」

「ええ、ええ、それよか仕事を済ませちゃいましょ。今日は昔の仲間と呑みがあるんでね」

 メジェドが空を飛び、探偵の隣へ。分断作戦開始。

 白衣のメジェドが着地した瞬間、パイロ・パイレートが懐に手を伸ばす。

 朝兎は見た。パイレートが懐から取り出した拳銃が近くに停めてあった救急車、の給油口を撃ち抜いて爆風が広がる様を。朝兎刑事は咄嗟に探偵に飛びつきそのまま他に伏せた。

 メジェドも己のトレードマークであるレインコートで顔面をガード。閃光で目がちらつく。

 熱風が収まる。そこかしこで火の手が上がっている。何両もの車が燃える。

 ギロチンムーンは無事だろうか? ベアナックルは?

「何があったんスか……」頭を抑えて左京丸が呻く。

「パイロ・パイレートらしい女が救急車に発砲したんだ。ガソリンに引火して爆発した」爆炎と煙で周りが見えない。

「逃げられた!?」

「いや、足音が聞こえる。左京丸、あっちだ!」

 朝兎が指し示した方向に既にメジェドが向かっている。慣れたものだな、と思いつつ朝兎と左京丸はメジェドたちを追う。

 運動不足の柘植がバテてきた。しかし車までもう少し。

 荷布、狩野、清水、柘植、四人は逃走用の車へ、パイレートは囮になって時間稼ぎ、これがパイレートのプランB、犯行発覚時の予備計画。しかし彼らのミーティングで計画に入れられていない要素があった。

「全滅したんじゃないのかよ!」狩野がやけくそに叫ぶ。

 スーパーヒーロー。『マスカレード』。メジェド。ギロチンムーン。

 真夜中に出くわした二人。荷布たちにはほとんど幽霊だ。ニュースでは死んだと報道されていたのに。

「とにかく逃げるんだ! ヒーローの相手はパイレートがやる」

 多分な、と心の中で付け加える荷布。

 後ろから乾いた破裂音。銃声。立ち止まり振り返ると大男の刑事が銃を上に向けていた。

「これは警告だ。大人しくしろ。荷布!」

 最悪だ。素性がバレている。これで舌噛を殺す合理的理由は無くなった。

 携帯冷蔵庫を持った探偵が追いついてきた。肩で息をしている。携帯冷蔵庫を引っ張りながら全力疾走したのだから無理もない。

「発砲するとは穏やかじゃないスね、朝兎さん」

「当然だろう。寝ぼけてるのか、左京丸?」

「俺はただムキになるなと……」

 夜空に白いはためき。夜に見る枯れ尾花のように人を驚かせるそれはメジェドのレインコート。

 音も無くメジェドは刑事の隣に着地する。

「宇宙刑事、メジェド参上!」

「頭でもぶつけたか、メジェド?」

 メタルヒーローらしいポーズをとるメジェドに辛辣な言葉を朝兎刑事はぶつける。メジェドがジョークを言うのは確かに珍しい。無口な奴なのに。そう荷布は不審がった。

 荷布と狩野は懐から拳銃を出し乱射。

 左京丸は咄嗟に車の陰に隠れ、メジェドは露出した顔面を両手でカバー、朝兎は全弾浴びる。

「おいー! ピストルは卑怯だろー!」大型車の陰から探偵はブーイング。

「人の心はどうしたー!」

 非難の言葉で荷布らのメンタルを攻撃できないものか。無理か。血も涙も無い人殺しに良心は期待できない。

 左京丸はそんな自分の想いを否定する。パイレートはともかくとして、荷布たちからはプロの犯罪者という雰囲気が感じられない。多分自分たちの行いに恐怖するような甘さがあるだろう。良心に訴えるのは無駄ではないだろう。それに期待しすぎるのは危険だけれど。

 また発砲。探偵は頭を守る。良心なんて残ってないようだ。

「うるせー!」この声は清水か。

「早くエンジンかけろ!」

「やってるよ!」

「やべえ朝兎さん逃げられる!」

「止めろ左京丸!」

「無茶な!」銃が欲しいと思うのは自衛隊を抜けて以来初めてだった。四人は車に収まり既に走り出している。走り出したら追いつけない。止められるような飛び道具は?

「メジェド!」

 思わず叫ぶ左京丸に応えてメジェドが飛ぶ。低空、左京丸のそばを掠めて車を追う。空中で傘型銃を構える。

「カーチェイスになるなら実弾持ってくるべきだったぜ!」

 傘型銃に込められているのは対人用のゴム弾。三発発射。

 二発はトランクに、一発はタイヤに。大きく動揺したが転倒することなく車はスピードを保った。

「意味ないか! なら肉弾戦!」

 メジェドのレインコート、その背部には飛行の魔道効果を込められたはやぶさの羽が仕込まれている。着用者の飛ぼうというイメージと僅かな風をキーにしてメジェドの羽は飛ぶ。メジェドのイメージに呼応しスピードを上げる。車に近づく。メジェドが振り上げた傘型銃の先端から小さな槍状の刃が飛び出した。

「制限速度オーバーだぞう!」

「狩野、後ろ!」

「うお!?」

 急ハンドルで車が左右に振れる。トランクを狙ったメジェドの穂先ほさきはその右端に刺さる。

 バックミラーを見た荷布がドライバーの狩野に声をかけてメジェドの攻撃をかわそうとした。

「回避すな! 三下ァ!」頭に血が上ったメジェドはせっかく突き刺した槍を抜いて再度振り上げる。

「今だ! ぶっちぎれ狩野!」

「やってるよ柘植!」

 アクセルをベタ踏み、メジェドとの車間が開く。

「ホリーモリー! 我が瞳悪を逃さじノーイーブルシャルエスケープマイサイト、逃すかよ!」

 更に速度を上げるメジェドの真下を朝兎刑事が走り抜ける。荷布たちとの差がみるみる縮んでいく。

「あいつ、まさか超人か!?」狩野が叫ぶ。パニックでハンドルを握る手に力が入る。

「この先に坂がある。そこを抜けたら右に入れ!」

「なんでだ荷布!」

「そこは細く入り組んでる。あの化け物を撒ける」

「ナイス、荷布!」

 狩野が運転する車は更に加速、坂を駆け上る。朝兎刑事はもう車の後部に手が届きそう。左のウインドウが下がって荷布が上体を出した。そのまま拳銃を連射。ほとんどが朝兎刑事の大きな顔に当たる。効いていないとはいえ、刑事は立ち止まり顔を覆った。

「や、やった……!」柘植、清水も荷布の腕に驚いている。本人も。

「それよか荷布、あそこを右折か!?」

 小さくなっていく朝兎を見て呆けかけた荷布の意識を狩野の声が引き戻す。

「そうだ、絶対に入れ!」

 追いかけにくい路地とはいえ超人や空飛ぶヒーローを撒けるか確信は荷布にはない。しかしこれ以外に道はなかった。狩野はがむしゃらに走る。十字路や三叉路は直感で道を選んだ。

「もう少しそのままだ。頃合いを見て脱出ルートを指示する。上手く逃げられたら調布へ行く」

 荷布の言葉に三人は頷いた。調布飛行場、そこがパイレートとの合流地点。

 その時前方に白い布が被さってきた。四人が見たくなかった純白。狩野は思わずブレーキを踏んだ。歩道に乗り上げ急停止、狩野はエアバッグに顔を埋めて気絶。 

 車がなければ逃げきれない。どうする?

 一瞬メジェドを殺すか、と考えたがそんな危険を犯すよりは車を盗んだ方がいい。しかしそれならメジェドの足止めが必要だ。荷布は拳銃に弾丸を装填。

「柘植、清水、狩野を担いで車を探せ。ここから三十メートル真っ直ぐ行くと広い道路に出る。足を確保したら電話をかけろ。行け」

「お前は?」と柘植。

「時間を稼ぐ。もたもたするなよ」

 返事もせず二人は狩野を担いで逃走。

 さあ、どう出る、荷布がメジェドの方を伺うと、ヒーローの不敵な、不気味な笑顔は消えていた。テレビで見るような無愛想。拳銃を向ける。

「仲間想いなんだな、荷布瞬」

「…………え?」

「お前もあの三人もお互いを助けようとしてる。それが当然って感じでさ。強盗殺人犯なんて血も涙もなくて平気で仲間を見捨てる奴らと思ってたよ」

「俺たちはチームだ。全員揃って仕事を完遂させる。……それが……」

「その思いやりをどうして舌噛家の人たちに分けてやれなかったんだよ?」

 メジェドの質問に荷布は腹を立てる。

「そもそも舌噛が面接で俺にナメた話をしなきゃ盗みも殺しもしなくて済んだんだよ。あいつらと一蓮托生の仲になんてならなかったんだ!」

 ギロチンムーンの言葉をメジェドは思い出す。

 薔薇原時女の弱点は『悪党』利己主義者でないこと。

 ではこいつはなんなのだ。無惨に舌噛家主人の命を奪い、我がこと一蓮托生だからとうそぶき仲間の為に命を張る、こいつは。

 メジェドの心中の太宰勇はその答えを求める。しかし彼女のメジェドたる部分はその訴えを退ける。

 荷布瞬が人を殺したのは紛れもない事実。ならば彼を前にしたメジェドのとるべき道は一つしかない。

 心を鬼にするようにメジェドは決意を固め戦闘傘を振り上げる。

「話は署で聞く。大人しくしな」俺は同席できないがね。

 マスクを着けた俺は鬼じゃない。でも人間でもない。

 俺はヒーローなんだ。

「クソ!」毒づきながら銀色の拳銃を発射、弾丸はメジェドの左胸に。メジェドは一歩退く。

「あのなー。このクールなレインコートが伊達だと思ってんの? 防弾防刃耐熱耐火、対魔道処置バッチリの謎ビニールでできたアーマーなんよ。小学校で習わなかった?」

 その一歩を取り返すようにメジェドは前へ。傘の鋭い穂先を外して懐にしまい、全力で傘を振り抜いた。細いその末端は荷布の横顔を引っ叩く。意識暗転、たたらを踏んだ拍子に荷布は意識を取り戻す。

 闘志を取り戻して荷布は応射。外れる。顔面の横を掠める。

「はっずれー! 後何発残ってる?」

 煽りながら前蹴りを叩き込むメジェド。腹部の激痛で荷布は膝をつく。震える拳銃が標的を定めようとする。

「タフだな。仲間のためか?」

「……うるせえ……」

 何故かメジェドは周囲を見回す。

「舌噛下上のお友達が血眼でお前らを探してるんだよ」

「……なに?」

「チョー仲間想いだよな?」

 そう言うメジェドは自分が苛ついているのに気付く。仲間想いで悪いかよ?

「もちろんスーパーヒーローのメジェドさんとしては復讐なんて止めなきゃだよな。でも俺思うわけよ。お前がそこまで仲間に尽くすなら同じ仲間想いの下上のお友達もスルーすべきじゃねーの、ってさ」

 荷布は固まっている。下上の友人が事件に関与するとは夢にも思わなかったし、ヒーローにあるまじき私見をあのメジェドが語っているのもまた、意外だったからだ。

「お前、本当にメジェドなのか?」

「自分のことをメジェドだと思い込んでる頭の可哀想なナイスガイだったりしてな。はは。マスクとったら美少女だったりして。流石に古いか」

 傘を振るって荷布の拳銃を弾き飛ばす、咄嗟に手に力を込めたので銃は遠くには飛ばなかった。

「そう、私情を口にしたってのは認めるよ。反省しなきゃな。でも反省といえばさ、お前は反省しねーのかよ、荷布瞬」

「……黙れ」

「てめーの利益の為に人なんか殺すか普通? 口封じで更に殺すとかマジでやってんのかよ?」

「……黙れって」

「オーケーオーケー。反省はムショでやっておくれ。後がつかえてっからサクっと捕まってもろて……」

 懐からメジェドは手錠を、荷布はナイフを取り出す。そのまま横薙ぎ、ナイフはメジェドのレインコートに傷一つつけない。防刃処理。ナイフを振った右手に手錠をかけ、後ろ回し蹴りで荷布を黙らせる。気絶したのを確認して左手にも手錠。

「素人素人。ま、メジェドに挑むその度胸だけは買うけどね。おっと、まだお友達を捕まえてなかったぜ」

 清水たちが姿を消した暗がりへメジェドは走ろうとして。

「忘れるところだったぜー」

 サッカーボールを蹴るようにメジェドは荷布を蹴る。何発も。

「うが!?」

「我が友カ・ガーミンがよろしくってさ。じゃ、イイ子で待ってろよ」

 ヘラヘラと笑い、今度こそメジェドは清水たちの下へ走る。

「おお?」

 暗がりから大きな通りに出ると狩野、清水、柘植が手錠をかけられて転がっていた。

 三人の両手は鎖か知恵の輪のように絡み合い、身動きが取れないように工夫されている。その傍には朝兎刑事、蹄左京丸。全力疾走したらしく、探偵は息を吐きながら清水たちの横に跪いていた。

「お、片付いたのか?」

「まあな、メジェド。ヒーローばかりに任せておけるかよ。三人は俺と左京丸で捕まえた」刑事は絡まり合った三人を指差す。

「み、水……」

 震える手で冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し飲み干すと探偵は刑事に、メジェドにペットボトルの麦茶を振る舞った。

「俺らのノルマはこれで終わりだな。お疲れ様、朝兎さん、メジェド」

「まだ容疑者を保護せにゃだろ。留置所にぶち込むまでが捜査だぞ。左京丸」

「凄い手際じゃないか、刑事さんも探偵さんもさ」とメジェド。超人である朝兎の活躍は驚くにあたらないが、こちらの探偵は。

 どうも有能そうには見えない男だが、大きなヘマもするが、時々活躍するらしい。考えてみれば荷布たちの身元を割ったのもこの探偵だったか。恐らく警察の情報を入手して警察より早く荷布に辿り着いたのだ。

 左京丸を凝視するメジェドを見て朝兎がにやりと笑う。

「見たままの男じゃないんだ、そいつは。無能にベアー小隊は務まらん」

「そのベアー小隊を逃げてきたんですけどね。やっぱりシャバの空気は美味いから」と左京丸。

 ベアー小隊。『灰色熊』グリズリーと呼ばれる小隊長、花園アラン率いる実験特殊部隊。無能は務まらないのではない、長生きできない。それがあの小隊の実情だ。

 メジェドは今、超人たる刑事さんと並んで仕事した俺を評価してるだろうが、それは嬉しいけれどだが、軍人時代の俺が何をしていたか、何をしない奴だったか、メジェドには決して教えられない。

 俺はヒーローじゃなかったし、これからもヒーローなんてやれない。俺はただのケチな探偵なんだ。それで精一杯だ。一杯やりてえ。

「左京丸は動けなさそうだな。無理もないが。メジェド、お前はチームの援護に行けよ」と朝兎。

「悪いがこの三人を守らにゃならんで、俺もここを動けん。メジェド、パイレートに気をつけろよ」

 メジェドは口角を上げて軽く敬礼。

「任せろよ、朝兎のおっさん」

「俺をそう呼ぶのは久しぶりだな。なんだか懐かしいぜ」

 何も答えずメジェドは空を飛び病院へ。メジェドの誰かが朝兎をおっさんと呼んでいたとは。何気なく口にしてしまい正体が割れるところだった。朝兎の言う通りではないが気をつけなくては。

 パイレートも危なそうだが、薔薇原時女も要注意。


 火によって闇を取り払われた駐車場。炎の陰に身を隠したパイレートは周囲を探る。スーパーヒーロー。

 なんてこと。生きていたなんて。ギロチンムーン、メジェド。

 ギロチンムーンと新人らしきヒーローは爆発を察知して、いや、懐から銃を取り出したのに反応して瞬時に散開し、車の陰に身を潜めた。

 あれで殺せたとは思えない。

 ベアナックルは隠れるのをやめてパイロ・パイレートを探し始めた。

 周囲は熱気。立ち昇る炎が揺れる。銃を持ったヴィランがこちらを狙っていると思うと心地いい緊張を感じる。

「銃は久しぶりだな」とベアナックル。人を殴るようになった頃、一度だけ撃たれたことがある。あの時は家族が大騒ぎだった。

 パイレートはベアナックルの足音を聞いて驚嘆する。今さっき発砲されたばかりでこうも堂々と歩き回れる神経とはなんなのか? さっきまで隠れていたのに? 何者なんだ。そう問いかけるのを堪える。敵はこちらを把握していない。有利だ。

 新人はこちらに近づいてくる。十五メートル先か。歩調に迷いがない。

 多分、こちらに気付いている。有利でもなんでもない。それなら至近距離から撃ってやる。私はまだ逃げられない。荷布たちの時間を稼がなくてはならないから。後、十メートル。

 新人の歩きが遅くなる。やっぱりバレている。いいだろう、勝負だ。パイレートは覚悟を決める。

 小学生の頃から鍛えてきた戦闘勘をレーダーのように周囲に展開させ、ベアナックルは歩を進める。周りで燃え盛る炎は闇に慣れた目に眩まばゆく飛び込み視界を乱している。

 戦闘勘とちらつく視界、不確かな空気の流れをベアナックルは全力で感じていた。

 パイレートの気配を一度でも取りこぼせばこちらが殺される。命がかかった戦いがベアナックルの感覚を鋭敏にしていた。

 ベアナックルの足が地にしっかりとついたその音を頼りにパイレートは炎上する車から身を乗り出した。

「!」

 二人は視線を合わす。パイレートの拳銃、ステイン・インターナショナル社の傑作、U.S.ガードが炎を反射して煌めき、標的の胸を狙う。銃声と閃光。そしてパイロ・パイレートは横面を殴られて倒れる。

 右頬に鋭い痛み。意識が薄れるか。敵が片足に完全に重心を預けた完全な無防備の瞬間を狙ったのに。まるで、まさか、あの新人は弾丸を避けて反撃したのか?

「弾丸避け? 超人……!?」

「俺は力能者だよ」とベアナックル。力能は使えんがね。馬鹿正直にそう言う。

「避けるどころか弾を見切ることもできないさ。だが狙いを定めるお前の腕の動き、引き金を引く指の動き。どちらも遅すぎる」

「な……」

 見て、反応した? 腕の動きを見てから避けたとそう言うのか?

「あっけない終わりだが、いい戦いだったぜ。生きている、いや、戦っている。そう実感できる戦いだった」既に勝っていると言わんばかりの口ぶりだ。

「不意打ちで決めるというのは最適解だったな。こうなった以上そう思うしかないだろ、パイレート? 俺の視界に入ったらどんな武器も届かなくなるんだからな」

 ベアナックルの顔には玉のように汗が吹き出ている。よく見れば彼は肩で息をしている。あの一瞬に相当な精神力、集中力を割いたらしい。余裕のある口調は見せかけだ。

 しかし疲れているからなんだというのだ。腕の動きでどこを狙っているのか知られるというならベアナックルの言う通り銃もカトラスも届かない。敵は疲労している、もう一度やれば当たるかもしれない。だがそれは先と同じ状況ならだ。

 こちらは地に這いつくばっていて、相手はこちらを捕捉している。これでは不意打ちもなにもない。立ち上がった瞬間、あの鋭い打撃を浴びてしまうだろう。その時はもう立てまい。

 異常過ぎる。ボクシングらしいパンチに、拳銃を向けられて鈍ることのない判断力と戦意。化け物か。

「だがパイロ・パイレート。ひょっとしてお前は俺に届く武器を持ってるんじゃないのか」

 戦況を変える問いをその化け物、ベアナックルは発した。腕の動きから射線を見切るという離れ業に気圧されていたパイレートはその言葉で自信を取り戻した。まだ私は戦える。

「君、名前は?」とパイレート。このヒーローを荷布たちから遠ざけておく時間稼ぎだけではない質問。

「ベアナックル。ご覧の通りの、馬鹿野郎だ」

「何故私が何かを隠してると?」

「お前は力能者だと俺らは思ってる。俺はその力能も見てみたい。それだけだ」

「好奇心だと?」

「闘争心だ。立て、パイロ・パイレート。お前の力を見せてみろ」

 ベアナックルはそう言って構える。腹部と顎を守るデトロイトスタイル、防御を意識した構えだ。強気な言とは裏腹に未知の力能を警戒している。パイレートはさりげなく周囲を見回す。すぐ近くに炎上する軽自動車。

「ベアナックル。立たずとも、君を殺せる。それが私の力能。『ファイア・ダイバ』と、私はそう呼んでいる」 

 這いつくばっていた姿勢からパイレートはその輪郭を歪ませ、炎の中に吸い込まれていった。

「これは!」

 驚愕するベアナックルの後ろで燃える炎の中からパイレートが飛び出し発砲。

 ベアナックルはパイレートの足音に反応して振り向き防御しようと腕を上げたが、それは判断ミスだった。

 音を聞けば振り向かず距離を取ればよかった。ミスのせいで防御のために上げた右腕の前腕部を撃たれてしまった。利き腕が死ぬ。

「しっ!」振り向く勢いを利用して左腕でストレートを放つ。しかし簡単に避けられてしまった。

 二人は距離を空ける。ベアナックルは舌打ち。これが力能か。

「これが『ファイア・ダイバ』。二つの炎から炎へ瞬間移動できる。私が車を撃った理由がこれ」

「ネックテックの工場から逃げた理由も、これか!」

「そこまで知ってるの!? ……それで私の隠し芸を知ってたのね」

 テーピングが欲しい。血を止めたい。

「スピードでなら私に勝ち目はない。認めるわ。でも瞬間移動ならスピードは関係ない。君の視界の中の私は無力だけど、火の海の中で君のスピードは無意味になる」

 パイレートはまた炎の中に消える。無我夢中でベアナックルは右側に飛ぶ。銃声、弾丸はベアナックルではなく停めてあった自動車を撃ち抜いた。また火の手があがる。

「テレポーターはパイレートの方だったか!」薔薇原時女ではなく。

 どうするか。ベアナックルは知恵を絞る。

「選択を誤ったわね、ベアナックル。余計な口をきかなければ『ファイア・ダイバ』を見ずに済んだでしょう。多分私も自分の力能を忘れて捕まっていたかも。本当よ。君のあの弾避けはそれだけの衝撃だった」

 パイロ・パイレートはそう言って炎の中へ。ベアナックルは集中力を絞り出す。周りの空気の流れを感じる。

 腕の痛みを無視して近くの炎へと走る。その炎から顔を出したパイレートはベアナックルを認めた途端消えてしまう。背後の火柱から現れベアナックルの背中を撃つ。ベアナックルは膝をつく。

「く……。忘れてだと? いつか思い出して逃げるだろうが。俺の選択は間違ってねえ。ギロチンムーンは」

 立ち上がれないベアナックル。背中に受けた弾丸は背骨も内臓も傷つけていない。多分。

「ギロチンムーンが俺とお前を引き合わせた。すげえマッチメイクだ。ギロチンムーンに従ったことも、正しい。お前は命を賭けるに値する敵だ」

 ベアナックルの言葉はより強くなる。本当に撃たれているのか?

「君は本当にスーパーヒーローなの? 何故私と戦うのよ?」

「何故だと? バカくせえ。そんなのはどうでもいいんだよ」

 パイレートの不粋な質問で頭に血が上る。ベアナックルはなんとか立ち上がってパイロ・パイレートを睨みつけた。

「俺はまだ倒れちゃいない。お前も。『今ここ』はそれが全てだ」

 ベアナックルが何を言おうとしているのかわからない。しかし何か単純なことを言っているらしいというのはパイレートは理解できた。これ以上の問答は無意味というのも。いいだろう。

 荷布たちが私を待っている。

 パイロ・パイレートは背後の炎の中に。火中では光も音も感じない。瞬間移動の最中五感は使い物にならないが何も問題はない。ベアナックルに膨大な戦闘勘があるように自分には『ファイア・ダイバ』の力能勘がある。説明し辛いが感覚的に周囲の様子がパイレートにはわかる。そもそも移動は瞬時なので炎から出た時点で外界の状況はあまり変わらないのだ。

 炎から出た瞬間、ベアナックルと目が合う。ベアナックルは負傷した右腕を振るう。血がパイレートの顔に。思わずパイレートは目を瞑ってしまう。がむしゃらにU.S.ガードを乱射。ベアナックルは射線を避けてカウンターのように左ストレート。腹部に当たったが浅い。

 パイレートは殴られながら炎の中に消えていく。そのために上手くヒットしなかった。

「……手強い!」ベアナックルは笑う。

 もしかしたら空間ともいえない炎の中でパイレートはベアナックルを恐れる。銃を向けられて恐れず、瞬間移動する敵に対して驚異的な勘でタイミングを合わせ目潰しを浴びせる、これほど戦い慣れた敵には会ったことがない。

 裏社会がこんな男を生み出したのか?

 裏社会にはこんなヒーローが何人もいると?

 荷布たちを導いたパイレートも裏社会でのキャリアは浅い。女海賊は自分の居場所たる裏社会の闇を覗き込んだ気がした。

 ともあれ今はベアナックルを始末しなければ。腕を負傷している右側から攻撃する。

 殺さずとも両足、ついでに左手も撃ってしまおう。後の弾丸はギロチンムーンとメジェドにとっておく。

 パイレートは明るい夜闇に戻る。彼女は信じられないものを見た。いや、見えないのが信じられなかった。

 ベアナックルがいない。あの手傷でどこへ?

 次の瞬間、背後から左腰部、背中、左後頭部とパンチを喰らう。左寛骨骨折、左第四、五、六肋骨骨折。頭蓋骨亀裂骨折。 

 さらに左広背筋断裂。初めての激痛の中でパイレートはベアナックルがどこに姿を隠したのか思い当たった。

 私の背後にいたということはつまり。しかし、勝つためにそこまでするのか?

 自ら火に飛び込んで姿を隠すなんて、、、、、、、、、、、、、、、、

 倒れ伏すパイロ・パイレート。足に力が入らないのは脊椎にダメージが入ったからかもしれない。

 ばしばしと体中を叩く音がするので見てみれば、ベアナックルが自分を包む炎を落としていた。クソッタレ、そんな呪いの言葉を吐きながら。

「スマートとはいえないが、とにかく俺の勝ちだな」ベアナックルは勝ち誇る。

 そしてギロチンムーンに与えられた手錠を取り出して両手にかける。

 ギロチンムーンに教わった文句を思い出してそらんじる。

「お前には黙秘権がある。また弁護士を呼ぶ権利があり、望むなら国選弁護人を呼べる。お前の証言は裁判でお前の不利に働くことがあるから気をつけろ。そして……」

 超人と力能者にミランダ警告を告げる時、追加の文句があり、彼はそれを思い出す。

「超人と力能者は自身の能力、力能を申告する義務がありこれに黙秘権は適用されない。ただしその申告内容は弁護士と相談できる。裁判においてこの義務を果たしていないと看做された場合、法廷侮辱罪が追加され、量刑に影響する。以上っと……」

 馬鹿ではないが、疲労と出血でフレーズを思い出すのに苦労するベアナックルだった。

「自分から火に飛び込むとはね」

「そこしか安全地帯はないと判断したんだ。火だるまになって何が安全だって話だが。それに意表をつけばカウンターを狙える。俺のコンビネーションは効いただろ」

「そうね。ここが病院でなければ死んでいたかも」

「そうだな。血迷って逃げるんじゃねえぞ。逃げるなら医者にかかってからにしな」

「きみはやけに元気ね。もしかしてそのコスチューム、耐火性?」

「よくできました。ギロチンムーンお手製でな。メジェドのレインコートと同じく色々耐性を仕込んであるんだと。いや、クソ熱かったけどな」

 服が耐火性だからといって、思いついたからといって、自分から火に飛び込むのは尋常ではない。尋常ではない状況にいながらパイレートはベアナックルの異常性を意識せずにはいられなかった。

「……ギロチンムーンはどこにいるの? 荷布たちの所?」

「ギロチンムーンは別件で哨戒任務だ。お前のお友達はメジェドが追いかけてるよ」

「別件って?」観念してパイロ・パイレートは座り込む。痛みは引かないが命に関わるわけではないようだ。

 命を狙われているパイレートには知る権利がある。だが当然、時女の個人情報を話すわけにはいかない。そうギロチンムーンにきつく言われている。

「お前らの被害者の友人が復讐しようとしている。ギロチンムーンはそれを止めようとしてるのさ」

「私たちのために……?」

「思い上がるな、と言いたいが、ギロチンムーンならマジでそう考えてるかもな」

「…………」

「一般人を犯罪者にしないのもスーパーヒーローの仕事だしな。ま、せいぜい俺らがしくじらないよう祈ってな」


「見つけた。パイロ・パイレート」


 見上げればその声の主、緑に輝くトンガリ帽子、緑葉のジャケット、緑のチェックズボン、メジェドのようなドミノマスク、サーベルを腰に。絵本に出てきそうだ。

 薔薇原時女が夜空に浮かんでいる。憎しみをたたえた眼差しはパイレートを射抜いている。左京丸の捜査報告書。あの探偵が有能だったばかりにこんな事態に。しかし時女に報告書を奪われた失態を考えれば無能といえるか、あの探偵。

 府中駅であった彼女とは印象が全く異なる。変われば変わるものだ。

「あんた、誰?」

 恐ろしく冷たい時女の声。その声音でベアナックルは彼女が本気であると判断。迷いを感じられない。

 パイレートを背にしてベアナックルは時女と相対する。

「俺はヒーローチーム、『トゥモローパイオニア』のベアナックル。パイロ・パイレートを捕まえたところだ」

 時女はベアナックルに近づきつつ降下する。見えない階段を降りるように。

「ふーん。『ベアナックル』? そこをどいてよ」

「断る。パイレートの保護もしなきゃならんのでな」

 ベアナックルの言葉に時女は眉をひそめた。

「見たとこ、君がパイロ・パイレートを倒したみたいだけど、そのくせ守ろうって?」

「こいつがどうなろうとどうでもいい。だがギロチンムーンの命令なんでな」

 今はギロチンムーンに課せられた務めを果たさなければ。ギロチンムーン、あいつ何やってるんだ?

 パイレートは身動きできず時女を睨んでいる。

「逃げたら殴るからな」次は本気で。小声でパイレートを脅してやるベアナックル。周囲にはまだ燃えている自動車が。逃げようと思えばパイレートは逃げられるだろう、そうベアナックルは警戒している。

 その時、上空にジェットの音。ギロチンムーンの装備を戦場に届けるジェットロッカー、それに捕まってギロチンムーンが姿を現した。

 彼女はベアナックルの隣に、パイレートを庇うように時女の前へ。

「遅いぞ」とベアナックル。

「ごめん。消火作業をしていてね」

「ぎ、ギロチンムーン……」時女もパイロ・パイレートもうろたえる。

 本物のギロチンムーン。法の外に出た者を待ち受ける怪人。

 パイレートは隙あらば力能で脱出しようとしていたが、そんな気概は萎えてしまった。黒衣の怪人を見ることすら恐ろしかった。

 対して時女はギロチンムーンを前にしてますます復讐の炎を燃やした。目前の海賊女と荷布瞬だけは血祭りにあげなければ舌噛家に、下上に合わせる顔がない。

 この力能が夢でないのなら、舌噛家の惨劇が現実なら、この力を使って荷布たちを殺せという神のお告げに違いない。

 時女は腰のサーベルに手を伸ばす。

「ヒーロー、そこをどけ」

 前に出ようとするベアナックルをギロチンムーンが制する。

「あの娘は私が相手する。きみはパイレートを保護して離脱しろ。作戦通りにな」

 返事もせずベアナックルはパイレートを引っ張り上げ、後方へ。警察のいる場所を思い出しながら離脱。 

「逃すか!」

 パイレートの背中に斬りかかろうとする時女のサーベルをシミターが止める。ギロチンムーンのシミター三日月刀

「ギロチンムーン!」

 渾身の力をシミターに込めて押し返す、時女は数歩退がる。

 薔薇原時女は物理的な干渉を受け入れている。ギロチンムーンは確信。

 あの姿はある種の幻に過ぎないにも関わらず時女自身がそれを理解していない。空間に投影された精神のヴィジョンを己の肉体だと思い込んでいるに等しい。

 力能の性質を理解していない今こそ時女を叩く好機だ。正面から戦っても勝ち目はある、しかし。

 一歩間違えれば時女は元の生活に戻る道を失うことになる。それを思えば自分が用意した切り札は必要になる。

 脚を内股に両手を斜め下に広げる『おとろし』という構えを取り、ギロチンムーンは距離を詰める。見た目はどこか笑えるが、明精臨電流めいせいりんでんりゅうの中でも防御に向いた構えであり、ギロチンムーンは未知の敵にはこの構えで様子見するのが効果的だと思っている。

 あのギロチンムーンが間の抜けた格好をするのでやはりこれは夢なのか、一瞬時女は考えたがかぶりを振って跳躍、サーベルを振る。

 そのサーベル向けてギロチンムーンは走る。一瞬にして振り下ろされるサーベルの柄の下に潜り込み、その腕を掴んで時女の背後へ。

「え!?」

 そのままサーベルを持った時女の腕を捻り背面に覆い被さったまま押しつぶす。

「くあ……!」

 上段突きの返し技から関節を極きめてマウントを取る『枕返し』という技だ。綺麗に決まった。反面手加減できたか心配になる。肉と骨でできた肉体ならともかく精神体との戦闘を想定したことなどない。恐らく明精臨電流の『創覚法』も通じないだろう。打撃が通じるからと油断すればこちらが負けるかもしれない。

「落ち着きなさい。頭を冷やして。彼らを殺してどうなるの?」

「うるさい、どいてよ!」

 ギロチンムーンの胴体に突き抜けるような衝撃。時女の右手はギロチンムーンが殺している。左手は腹部まで届くはずがない。そもそもギロチンムーンがしっかりと見張っている。

 衝撃を殺しきれず時女の背中から吹き飛ばされる。

「今のは……」

 立ち上がりずかずかと詰め寄る時女。精神投影体。攻撃するのに手足は必要ない、ということか。背中から力を放出したのか。まるで中国拳法の寸勁。

 時女の精神が肉体感覚を超えようとしている。力能を使いこなし始めている。長引けば不利だ。しかし、短期決戦では彼女に大怪我を負わせかねない。

 時女が反応できるようさりげなく隙を作ってシミターを振り下ろす。時女はサーベルで受け止める。

「この程度なの、ギロチンムーン」

 手加減されているとも知らず、とはギロチンムーンは思わない。

 演技はギロチンムーンの得意とするところ。まして相手が修羅場慣れしていない素人なら手のひらで転がしているようなものだ。

「荷布たちを殺して人生を台無しにすることはないでしょ! ご両親が悲しむわよ!」

「だ、黙れ!」

 痛い所を突かれてサーベルが鈍る。

「まだあなたには失うものがある、守りたいものがあるんでしょう」ベアナックルとは違って。

「引き返して、薔薇原さん、そして舌噛くんを助けてあげるのよ!」

 殺意が膨れ上がる。殺意に呼応するように時女の体が瞬時に大きくなる。男性の背丈ほどの手のひらがギロチンムーンを張り飛ばした。ギロチンムーンは燃えていないバンに強く体を打ちつける。むねが圧迫されて肺から空気が搾り出される。苦しい。

 通常、力能者というのはその過半数が春一のように使い方がわからない者で、発動方法は試行錯誤を重ねて発見するか、天啓を受ける、閃くように知るのだという。そうした力能者も全員が全員自身の力能を使いこなそうとするとは限らない。

 力能者はその力能を隠し芸のように見せびらかすか、パイロ・パイレートのように訓練して最大限に活用するかだ。

 目の前の薔薇原時女は偶発的に力能に目覚め、短期間で使いこなそうとしている。ろくに練習もせずに、実践を通して。

 力能に才能差があるのなら、彼女は天才だ。腹部の疼痛がギロチンムーンにそう告げている。

 大丈夫。内臓は傷ついていない。筋肉、骨、損傷なし。ギロチンムーンは立ち上がる。時女を図に乗らせてはならない。たぶん、精神状態が強さに直結する。

「強いわね。だけど考えなしな使い方をしている。パイロ・パイレートを殺してどうするの。君のご家庭、やっと元通りになったんでしょう? 今度は君が家族を壊すというの?」

「何故それを!?」

「私はギロチンムーン。全てを見通す。ご両親のことを考えてあげて。そしてさっきも言ったよう、下上くんのそばにいてあげて」

 家族こそ、ギロチンムーンが掴んだ時女の弱点。大事な家族を意識させれば集中力がそちらに割かれて戦闘力が落ちる。しかし時女は意外な反応を見せた。肉体と対応して膨れ上がった殺意。怒り狂っている。

「両親の仲が冷え切った時、私の居場所が無くなった時。その私を迎え入れてくれてたのは舌噛さん家だったのよ……! おじさんもおばさんも娘ができたみたいだって喜んでくれてた。下上はアホでデリカシーはないけど、だからこそ遠慮なく私に接してくれた!」

「薔薇原……」

「下上たちがいなければ私はとっくに潰れていたのよ、だから今度は私が下上たちの力になる番! パイロ・パイレートも荷布も殺して、そして舌噛家を助ける!」

 緑衣の時女はふわと空を飛び、ギロチンムーンにサーベルを向ける。


 パイレートを引きずるベアナックルは前方にパトカーを見つける。都合の良いことに警察官もいる。恐らく富良野刑事の部下だろう。

「おーい、そこのお巡り!」夜中でも視認性の高い不審人物に声をかけられて巡査が駆け寄る。

「確か……、バーンナックル?」

「コンボの締めに使う必殺技じゃない。ベアナックルだ。それよりこいつ、パイレートだ。保護してくれ」

 手錠をかけたままのパイレートを巡査に引き渡す。

「うわ? こいつがパイロ・パイレートか」

「お巡り、ボディチェックをやるから手伝え」

 言うが早いか宣言通りパイレートを調べ出す。発育の良いパイレートのボディラインを意に介さず、遠慮も緊張も無し。腰のポーチや上着、ズボンのポケットをチェック。

「ちょー! どこ触ってんのよ!? きゃはははは!」

 くすぐったいのか爆笑するパイレート。彼女の持ち物は笑えなかったが。所持している武器を次々警察官に渡していく。

「刀剣。ガスバーナー。ライターにチャッカマン、手持ち花火。これって紙マッチ? 実物は初めて見たよ」と巡査。

「こっちも見ろよ」

 ベアナックルがそう言って見せたのは火打石、拳銃、そして手榴弾。

 空いた口が塞がらない巡査。滅多なことでは動じないベアナックルも若干引いていた。

「完璧なパブリックエネミーだな。花火や手榴弾って火に飛び込む時誘爆しないのか?」

「知らないわよそんなの……。荷布くんごめん、もうお嫁に行けない」

「どのみちてめーの行き先はムショだろ」

「ベアナックルくん、危険物はトランクに入れたよ。容疑者を後に乗せるから手伝って」

「了解」

 巡査がパトカーの後部のドアを開けベアナックルが力任せに突っ込んでやる。そこでベアナックルはギロチンムーンの言いつけを思い出した。

「こらパイレート。お前本名は」そばにいる巡査も興味深そうにしている。

「ベアナックル、もし君が本名を教えてくれたら……」

 言い終わらないうちにパイレートは殴られる。パイレートも巡査も何が起きたのかわからない。

 答えないとまた殴るぞ。そんな脅し文句すら言わずベアナックルはまた拳を振ろうと。

「わかったわよ答えるわよ、日内めぐみ! これで満足!?」

「日内めぐみ。日内? 本名だろうな? 偽名だとわかったら次に会いに来るのはギロチンムーンだぞ」それは脅迫というより警告に近かった。

「本当よ……」震える声。想像したらしい。

 何も言わず後部ドアを閉めるベアナックル。残された任務はギロチンムーンが時女を倒すまでパイレートを分断、保護すること。彼はパイレートにかけた手錠の鍵を巡査に渡して、ギロチンムーンがいる駐車場の方を見る。まず負けないだろうが、それでも時女に備えようと。

「ね、ベアナックル。ギロチンムーン、彼女、本当にギロチンムーン本人なの?」

 パトカーの中からパイレートが問う。なるほど。死んだギロチンムーン、その名を語る子供となれば本物かわからないということか。

 彼女と共に戦っているベアナックルにしてみればそんな疑いは微塵も生じない。彼女の行動、思考、双方が鋭く、正しく、美しい。柔草日ノ笑こそ本物だ。しかし俺が言葉を尽くしたところでパイレートを納得させられるか? 無理。

「本物だよ」

 余分な装飾を削ぎ落とした簡潔な言明。ナフセイド他に言うことなし。これで伝わらないなら自分で確かめる他ない。直接ギロチンムーンに会って。


 時女を地面に叩き付け、ギロチンムーンは病院の方を見る。そろそろだ。彼らが来れば勝負は決まる。

 顔をしかめながら時女は立ち上がる。そのまま高スピードの飛び蹴りを浴びせる。

 しかしギロチンムーンは体勢を低くし時女を躱す。先代ギロチンムーンとの戦闘でも使ったカウンター技、『すねこすり』。屈んだ姿勢から自身の上の時女を捕まえ上空に放り投げる。

 ぴたりと空中で静止した時女をギロチン刃剣の背で殴る。空振り、時女はインパクトの直前に姿を消していた。

「!」

 ギロチンムーンの背後に時女は出現、両手でギロチンムーンを押し飛ばした。パイレートに続いてまたも瞬間移動。

 よろけながら振り向くギロチンムーン。おもむろに構えを解いた。もう戦う気はないと時女に知らせるために。

「え、諦めたの、ギロチンムーン?」

「いいえ。勝ったの。薔薇原さん、ほら、私の切り札がやってくるわよ」

 ギロチンムーンの指差した先に、暗がりから走ってくる二つの人影。

 ギロチンムーンよりも時女の方が見慣れたその姿は。


「父さん、母さん!?」 


 時女のサーベルは虚空へ消える。

 二人は娘を認めるなり、泣きそうな、心の底から安堵したような顔になる。

 迷子になった子供を見つけたように。

「時女!」

「ときちゃん!」

 蛇に睨まれたカエルのように身動きのとれない時女を薔薇原夫妻は抱きしめる。痛い。 

 医療センターで頭をぶつけた時のように世界が真っ二つになるような感覚。

 しかし二つに分かれたのは世界ではなく時女の心だった。

「時女、ギロチンムーンから話は聞いた。気持ちはわかるが、俺たちに口を出す資格があるかわからないが、それでもこんなことはやめてくれ!」父さんの誠実な言葉。

「でも、でも、ほら、あっちにパイレートが、下上の仇が……」ベアナックルたちが姿を消した方向を指差す時女の手は震えている。あんなところ、指差したくない、というようにだ。

「私は、舌噛さんの仇をとらなきゃ。パイレートだけじゃない、荷布、狩野……。父さん、母さん、分かってよ……」

 その時時女の母が娘の頬を張った。父に殴られたことはあったが、今まで母に殴られたことはなかった。頭が真っ白になる。

「ダメよ! ダメ! 人殺しなんて絶対許しませんからね! ときちゃんが諦めるまでママはここを動かないわよ! ときちゃんだってどこにも行かせない!」

 吠えるような、取り乱した、しかし決して折れない母さんの断言。そう、母さんと口喧嘩して折れるのはいつも私だった。

「なぁ、時女。話し合おうじゃないか。この場で。お前はどうしたいんだ? 何が不満なのか、言ってごらん」

 話し合おう。仲違いしていた二人にそう言ったのはこの私。

 時女の中で二人の時女が争いあっている。

 片方は声を張り上げる。復讐を貫徹しろ。そうしなければ舌噛家に面目が立たない! いや、私の腹の虫が治まらない! 荷布を殺せ、パイレートを殺せ! 

 片方は叫ぶ。もう嫌だ! 帰りたい。戦うのは怖い。殺すのはもっと怖い。下上には悪いけれど、これ以上怖い思いはできない。復讐なんて私には最初から無理だったんだ。それに父さんと母さんは裏切れないよ。ごめんなさい。ごめんなさい……。

 殺すか、帰るか、今こそ選ばなければならない。両親の温もりを偽物の体で感じながら時女は目をつぶった。

「時女」

「ときちゃん」

 その様子をギロチンムーンは無言で見守る。

 時女がヴィラン利己主義者なら両親の言葉など一顧だにしなかったろう。

 ヒーロー秘密主義者だったなら『両親』という弱点に辿り着くことはできなかっただろう。

 善人でも悪人でもない時点で時女はギロチンムーンに情報的に負けていた。

 時女が両親にほだされないという可能性はほぼない。

 時女がそれでも我を通そうとするなら戦うだけだ。しかし家族の前で引き出せる力能などたかが知れている。憎しみをむき出しにして戦う姿を見せるのは多大なストレスだ。天才的な力能者である時女であろうと、それほどのハンデキャップがあっては勝負にならない。

 時女を調べ尽くしたギロチンムーンにはわかる。

 精神を肉体から分離できる時女といえど、二つの道を同時に進むなどできはしない。

「私の望み、私の不満は、復讐……」

 時女の両親が息を呑む。

「そして、舌噛の、下上の力になること……!」

「それなら、力になってあげなさい」

 ギロチンムーンがこともなげに。時女たちは黒衣のヒーローを見る。

「人を助ける。素晴らしいわ、薔薇原さん。あなたは人生をかけて舌噛くんの無念を晴らそうとした。やり方は賛同できないけれど、その気持ちはとても立派だと思う。ご両親も時女さんを助けてあげてください。薔薇原さんは友達想いで勇気のある、優しい女の子なのだから」

 冷たい印象を受けるギロチンムーンとは思えない言葉、時女の父だけがかろうじて頷いた。

「でも、それじゃ、復讐が……」

「復讐は司法に任せればいいわ」

 時女のジレンマなど小さいことだと言わんばかりのギロチンムーン。

「刑法の存在意義の一つが政府による復讐なの。個人に復讐をさせていたらすぐに治安が悪くなる。政府の存在意義に関わる。だから世界中の政府が刑法を持つのよ」刑法の解釈は諸説あるけどね。とギロチンムーンの註釈。

「それに荷布たちの犯罪は凶悪で目立ち過ぎたからね。大きな声では言えないけれど府中警察の威信がかかってるから担当刑事たちは物騒なほど真剣よ。拘置所では快適な生活はできない。それと、量刑ね」

「量刑とは?」と時女。

「数件の強盗、うち一件は殺人。強盗殺人だけでも重罪なのに今晩は殺人未遂、器物破損、銃刀法違反、放火も問われるでしょう。何十年すれば出られるかしら? 最悪死刑もありえる」

「死刑って……」

「事の重大さに今更気付いた? でもそれは薔薇原さんの責任じゃない。荷布たちの問題ね」

 突き放したようなギロチンムーン。

「彼らの心配は弁護士がするわ。それでもまだ薔薇原さんは荷布を追いかける? それとも舌噛さんのところへ? どちらも遠くないけれど」

 どちらを選ぶのだ、ギロチンムーンは問う。

「……もういいわ。家へ帰る。疲れちゃった」

「ときちゃん」

「時女!」

「力能を使い過ぎたし、考え過ぎた。いいえ、力能に目覚めるのが突然過ぎたのよ」

「ああ、それは鋭い洞察ね、薔薇原さん。あなたが舌噛家の事件よりももっと前に力能を使いこなしていたら、こんなに風に簡単に止めることはできなかった。いいえ、それどころかあなたは暴走していなかったわ」

 洞察が鋭いのはそっちの方だ。時女はそう不気味がる。全てを調べるとは言ったが、これはもうプロファイリングの領域だ。再度時女はギロチンムーンを恐れた。家に帰りたい理由が増えた。

「ヘイ、ギロチンムーン。お固い話をしてるねー。もう勝ったんだろ? なら明るく行こうぜ」

 空から降りてきたメジェドは軽やかな雰囲気。場違いだ。

「メジェド。持ち場を離れて大丈夫なの?」

「兎の刑事さんと探偵さんに任せたよ。パイレートのおねーさんはどこさ?」

「彼女はベアナックルが逮捕した。完全に無力化したから君は行かなくていいわ」

 メジェドは舌打ち。パターンを読まれている。メジェドは三人の一般人を認める。一人は自分と似たようなファッションだが、それでも彼女はヒーローではない。

「君が噂の時女ちゃん? なんだか色っぽいね。本当に高校生?」

「こっちの小さいのが娘よ」

「それは失礼しました。あまりに若いので間違えましたよ」

「メジェド。薔薇原のお母さんを口説かないの」

 ごめん。メジェドは謝罪し今度こそ時女に話す。

「聞いてた通りエメラルドだね。『ピーター・パン』って感じ。クールと言いたいけど、普段着でそれはヤバいか」

「普段着なわけないでしょ」

「まさに。そのマスクを見る限り、俺らのようにコスプレなワケだ」

 私たちはコスプレじゃない、ギロチンムーンはそう口を挟みたいが我慢だ。些細なこと。

「このマスクは、事件にあなたたちスーパーヒーローが関わってるって知った時に、なんとなく着けたの。特に考えがあったわけじゃ」

「うーん、ま、この裏社会にクビを突っ込む気がないならいいか。それで復讐しようとしたんだって? 時女ちゃん」

「……ええ。でも、もういいんです」

「俺舌噛くんに頼まれてさ、内緒だけど荷布に何発も蹴り入れたったわ」

「メジェド?」ギロチンムーンが声を上げる。薔薇原たちもなんと答えればいいのかわからない。

「マジ絶対誰にも言うなよ? 俺らトゥモローパイオニアにもイメージあるからね。でさ、俺のキックに免じて悪いことはやめてーな」

 口調はいつも通り軽いがメジェドはシリアスだ。時女は微笑んで頷いた。

「ありがとう、メジェドさん」

 その言葉でメジェドのにこやか度が一段階上がる。

「おうっ! ブタはブタ箱に。女の子はお家に。これでハッピーエンドだな。ギロチンムーン」

「そうね。薔薇原さんの実体は医療センターだけれど、もう私たちの出番はおしまい。メジェド、ベアナックルに解散と伝えてきて。そのまま帰ってよし。私は警察と状況確認をして撤収するから」

 ギロチンムーンは朝兎刑事のいる方向へ。そしてメジェドの方を振り返る。

「それと、荷布にリンチをかけたことで後日話があるから」

 それだけ言って星空を背負ったヒーローは姿を消した。

「真面目だねぇ。それじゃ薔薇原さん、俺もこれで失礼しますよ。ごきげんよう」手を振ってメジェドはベアナックルのいる方へ飛んでいく。

「……ときちゃん。ときちゃんももう起きなさい」

「はい」

「俺たちも病院のお前が起きたのを見たら今日は帰るよ。母さんと一緒にな」

「父さんったら、一緒に帰るなんて当たり前でしょ。しっかりしてよね」

「はっはっは。すまん母さん!」

「ふふ。それじゃまた、後で」

 両親に手を振って時女は消える。

 目を覚ますと暗い部屋。照明はオレンジ色。横には心電図。医者らしき男がそばに。

「あ、薔薇原さん、意識が戻ったんですね。ここは多摩総合医療センターの集中治療室です。あなたは頭をぶつけて眠ってたんですよ。お父さんとお母さんを呼んできますからね」落ち着きのなさそうな医者はそう言って出ていく。

 仮病の連絡を済ませた朝のような解放感。頭はまだ痛むけれど時女はリラックスできた。

 心配事など何一つない。

 自分の現実に帰ってきたのだ。


 メジェドとベアナックルが帰っていくのを見送った巡査はパイレートを乗せてパトカーを出した。

 手錠の鍵は胸ポケットへ。

「さっさと終わらせよ」

 彼は冬に採用されたばかりの新人だった。地味な雑用を真面目にこなしてきた結果、この捜査に加わることができた。

 とりたてて出世欲や野心のあるでもない、そのためにこうしたチャンスにも動揺することのない、ありふれた警官だ。

 バックミラーでパイレートを一瞥し、エンジンをかける。


 その時前方が真っ暗になった。


「なんだ!?」

 夜の暗さではないその暗黒は見る間にパトカーの左右へ。そして後部へと広がる。広がるというより包み込むと言った方が正しい。

「お巡りさん銃を抜いて!」

 パイレートは叫ぶ。パイレートはその広がり方から暗闇が巨大なマントであると気付いた。

 真っ黒なマントといえばギロチンムーン。その推測は即座に却下された。奴にはパトカーを襲う理由はないからだ。

 ならば何者か? わからない。

 わからないなら敵だ。そう判断したパイレートは警官に武装を要請した。

 震える手は上手くリボルバーを取り出せない。

 次の瞬間運転席のドアが開き、外から巨大な腕が飛び込んできた。

「ひっ……!」

 巨大で毛深く、筋張って動物的、禍々しい腕は警察官の顔を掴む時には人間の腕に変化していた。長く逞しい、白い腕は警察官の頭蓋骨を砕いて彼をパトカーの外に放り投げた。ドアを開けようがないパイレートは黙ってそれを見ているしかない。

 そしてその腕の主人らしき男が運転席に乗り込みドアを閉める。

 パトカーに似合わない上品な雰囲気。黒を基調とした優雅なスーツは何百年も昔の流行で仮装パーティのようだ。艶のある黒い上着はヴィキューナか。コートを最高級のカシミヤで仕立てている。真っ赤なシャツ。赤いマフラー、黒帽子。柑橘系の香水。体格はいい。白人。

 助手席にも一人乗り込んでくる。男性。ニュースで報道されている有名人。ヴィラン。日本最強のヴィラン。

 左腕が肩から指先まで黒い。黒過ぎて輪郭しか見えない。遠近感が狂って腕がどこを向いているのかわからない。

 金色の全身タイツは上から下まで小さな宝石、金銀の装飾品で彩られている。頭部には王冠を戴き。そして彼はマスクを着けない。引き絞られた唇はルビーのように赤い。ミケランジェロの銅像のような鼻、ダイヤモンドのように輝く瞳、細く柔らかい金髪は運転席の怪人物のそれより美しい。全身が金でできているような造形。彼は遠くを見ている。

 最強のオカルトヒーロー、ドクター・ストゥピッドの宿敵アークエネミー

 ブラックワンド。黒い杖。

「出せよ、ルシアン」不機嫌そうな声音でブラックワンドは急かす。

 ルシアンと呼ばれた男は上機嫌に車を出した。

「シビアなタイミングかと思ったが、意外と余裕があったな。案ずるより塞翁が馬」ルシアンは声も美しい。

 パイレートの頭は状況判断で精一杯で質問一つできない。

「パイロ・パイレート」

 ブラックワンドはパイレートに何かを投げる。彼の装飾品の一つかと思ったがそうではない。

 それは小さな鍵。ベアナックルが警察官に渡した鍵だった。

「外しておけ」

「……どうも」

 鍵を外す。

「ルシアン、さっきのポリ公殺し損ねてたぞ。仕事はちゃんと片付けろ。オレが尻拭いすることになるじゃないか」

「そうかね? だがダイヤ、奴の生き死になどナンノブマイビジネス(夜に影を探すようなもの)だ。彼奴が死に損なったとて、我らに何の不利益のあろうかね。とはいえ、鍵の件は吾輩の不手際。助けて頂いて感謝感激カンボジア。おやダイヤ、前を見て運転したまえ!」

「運転してるのはお前だろ。さて、パイロ・パイレート。オレはブラックワンド。こいつはルシアン・オブライエン・ハーレムルート。ルーシーと呼んでやってくれ。オレたちはあんたを誘いにきたんだ」

「誘いにですか?」それはトゥモローパイオニアがしゃしゃり出てきた時と同じくらい嫌な展開だ。

「然り。我らはヴィランの互助会。強力なるヒーローどもに対抗するためのアンチマスカレード軍団と思うがいい」

「連中の宿敵アークエネミーを集めたチームだ」ブラックワンドがルーシーをフォローする。

 アークエネミー? 

「あの、私誰の宿敵でもないんですけど?」パイレートはヒーローの目につかないように生きてきたつもりだ。だいたい、ヴィランを始めたのはつい最近だ。

「宿敵の心当たりはないか?」とブラックワンド。

「君を狙うヒーローは今後生まれるのだよ。占いでそう出ている」ルーシーが不可解なことを言う。

「吾輩がこの互助会を立ち上げた理由の一つがまさにそれ。近い未来、吾輩を追う運命にある女が現れ、善悪の均衡を大いに乱す。ロシアがミサイルを増産するのならアメリカもミサイルを増やす。これホント自然の摂理」

「ブラックワンドさん、占いなんて、信じているんですか?」

「さんを付けるなよ。マヌケに聞こえる。しかし、パイレート、お前は天気予報を信じているのか?」

 パイレートは返答に窮する。天気予報が外れることは知っているが、基本的にアテにしていることに気付いたからだ。

「わかったようだな。占いはインチキじゃないし信じるもんじゃない。ちなみに、必ず当たるもんでもない」

「正に」ルーシーが頷く。

「『女帝』、『節制』、『正義』、『月』、『死神』、『永劫』」

 ルーシーはタロットのカードを口にする。

「これは吾輩の未来。吾輩はこれを、女王の国たる我が故郷から女が訪れ吾輩を正さんとする。そうして大きな変化が起こる、と読んだ。『マスカレード』は滅び、アメリカはキナ臭い。時代が変わる気がするのだ、パイレート」百歳を超えたような老練な口調で孫に言い含めるように語る。不気味な男だ。

「大魔道士のオレに占いを信じるかというのは不遜だが、別にいい。こっちの目的は伝えた。まさかオレの誘いを断るほど命知らずじゃねえよな?」

 さりげなく脅しをかけるのはさすがブラックワンドと言ったところか。

「条件があります」

「条件を出せる立場だと? いい度胸だな。そうでなくちゃ」

「己の人生がかかったこの場でどのような条件を出すか、吾輩好奇心を抑えきれん。パイレートや、条件やいかに?」

「すぐに私の共犯者を逃してください。荷布瞬、狩野洋楽、清水護、柘植真希。彼らを国外逃亡させて。それで仲間になります」

 にんまりとルーシーは笑う。

「友達想いで大変結構。ではダイヤよ、進路変更、荷布たちを乗せたパトカーを追えい」

「だから運転はお前が……、俺が運転してるじゃねーか!?」

 絶叫するブラックワンドとパイレート。その様子を助手席で楽しむルーシーの笑い声は唯一彼らしからぬ下品なものだった。

「ふざけるなルシアン! オレはともかくパイレートが死ぬだろうが!」

 数日後の朝刊の見出しをこの事件の顛末が彩った。

 連続強盗殺人の容疑者国外逃亡か。府中市警は府中市の多摩総合医療センターで連続強盗犯五名を逮捕。荷布瞬、狩野洋楽、清水護、柘植真希、ヴィランのパイロ・パイレートを逮捕したが、彼らを乗せた二台のパトカーは大破。乗っていた警官二名は死亡。

 荷布瞬以下三名が最後に目撃されたのは神奈川県の港町であり、神奈川県警は現在も捜査中だが船で国外脱出を果たしたものと思われる。

 共犯のヴィラン、パイロ・パイレートの行方は杳として知れない。


 俥高校。入学式が終了する。校舎を出ても人だかりだ。新入生、保護者、部活勧誘する先輩がた。桃色の桜が咲いている。儚い美というやつだ。

 頼まずとも毎年花咲く律儀な美を春一は楽しむ。どうも俺は機嫌がいいらしい。勇が飯に誘ってくる予感がする。

 彼は校門の前で勇を待つ。日ノ笑も多分来るだろう。来なくても困らないが。

 俥高校は府中市の中堅的な学校といえる。学力は中の上、部活の実績は特になし。しかし施設はかなり大きい。

 学校見学に訪れた時、この街にこんな大きな学校があったのかと見上げたほどだ。横の勇は実際にそう呟いたが。

 背後で聞いたことのある声。ちらりと振り返ると薔薇原時女が両親と楽しそうに話をしている。

 時女から目を逸らす。俺には関係ない。特に果崎春一の方には。

 春一の父親、聡さとしがやってくる。満開の桜によく似合うえびす顔。悩み事などなさそうだ。

「はーるとくん。入学おめでとう」春一は父親にうざったそうな目を向ける。うざったかったから。

「ウキウキだね、本当。子供のハレの日というのは何度体験しても嬉しいもんだ」

「なんの用だ?」

「まーね。高校生になったからって悪さをするなよ。真面目に学生生活を送れ、と言いにきたのさ」

 春一は当惑を顔に出さない。春一が街一番の悪タレなのは知っている筈だ。

 パイレートに撃たれた銃創を人口皮膚で隠していなかったら聡はこんな能天気は言えなかったろう。

「お前さんは瀬戸際で踏ん張っている。それがいいんだ。なにもヤーさんと関わってるわけじゃないだろ? それならそれでいいのさ。それとな」

 上等なスーツの上着から数万円の現金を取り出し春一のポケットに突っ込んだ。

「こいつは入学祝いだ。ママには内緒だぜ。これで友達とウマいもんでも食べな。おっと、ハルには友達なんかいなかったっけ? かわいそ」

 自分からのジョークで笑う聡。ハレの日の息子に言っていい種類のジョークではなかった。

「……ま、もらっといてやるよ。サンキュー」

「ママー! ハルはこっちにいるよ!」

 いきなり手を振り出して大声を出すので春一はたまげる。周囲の視線を感じる。親父はやっぱり頭がおかしい。テンションが勇に近い。

 聡そっくりのにやけ顔で断子たつこがやってくる。嫌いだ、こいつら。

「ハル、入学おめでとう」と断子。

「それさっきも言ったよな?」

「だまりな。ママは機嫌がいいのよ。これから接子せつこ外郎ういろう呼んでご飯食べに行くけどあんたも来るよね?」

「行かない」即答。死ねと言うのを咄嗟にこらえる。

「マム、こいつは勇ちゃんと約束があるのさ」聡がすらすらと嘘をつく。

 友達がいるの知ってるじゃねえか。うざいがナイスフォローだ。

 付き合い悪いヤツ。断子はそう言い残して聡と一緒に帰っていく。

「ようハリー」

 振り返ると勇。俥高校のセーラー服。うるさい両親もついてきている。

「似合うだろ?」

 恥じることなしと言わんばかりに胸を張り幼馴染の称賛を待つ勇。ボーイッシュな勇が女子の制服を着ていると違和感があるが不快感はない。まあ、そのうち慣れるだろう。

「似合ってねーよ」

「ふっ。言うと思ったぜ。お前の方は決まってるな。学ランまで着こなすとは、さすがはナルシストのハリーくん。こだわりを感じるぜ」

 勇にナルシスト云々言われたくないが、確かにこだわった。

 学生服を扱う洋品店に制服を発注した時に何か注文はないかと店員に聞かれた。

 春一は上から下まで細かな、しかし彼には重要な調整を要求した。

 大き過ぎず小さ過ぎず、何度も仮縫いをして鏡の前に立った。聡はやりすぎだと言ったが春一は譲らなかった。鏡で自分を見ることは春一にとって戦いと同じくらい重要だった。 

 調整を担当した店員は何度もやり直しと言われ憔悴していたが春一が満足する頃にはいい仕事をさせてもらいましたと言うようになった。その完成度に春一は珍しく本気で礼を言い、店員を感動させた。

 春一の学ランは彼の体格をうっすらと表現するスリムなデザイン。

「春一くん、久しぶり!」

「ハルちゃん、久しぶり! 入学おめでとう!」

「これからもうちの勇をよろしくな!」

「……ああ、どうも、こちらこそ」

 勇の両親は明るい。春一は彼らが黙っているところを見たことがない。

「うん? どうしたね春一くん。暗い顔してからに。めでたい場に憂鬱は不要さ」

「青白い顔は葬式で出すのね。それじゃ勇ちゃん、ハルちゃんの隣に立って」

 母親に言われた通り勇は春一の隣へ。馴れ馴れしく幼馴染の肩を抱きピースサイン。

「春一くんや、もちょっと自然に笑ってくれ。……そうそう。はいチーズ」

「写真ができたら分けてあげるわね、ハルちゃん」

「いいっす……」

 その時勇は日ノ笑に気付いた。とても可愛い。セーラー服女子高生戦士のプレミア感を放っている。

「日ノ笑ちゃーん」

「日ノ笑?」

「あの子が日ノ笑ちゃんか。勇、パパたちはこれで失礼するよ」

「聞いてた通り可愛い子ねえ。うちの子にならないかしら。なんてね、さ、パパ、帰りましょ」

 二人は話をしながら帰っていく。

 入れ代わりに日ノ笑がこちらに。

「今の二人は勇ちゃんのご両親? 似てるわね」

「そう? なんかやだな」と勇。

「そっくりだ。あの親にしてこの子ありだ」春一は断言。

「そりゃどういう意味だよ、ハル?」

「環境が子供に与える影響は計り知れないと言ってるんだ」 騒がしすぎるんだよお前ら。

「!」

 誰かの視線を感じ日ノ笑は振り返る。目つきの悪い小さな少年。こちらに近づいてくる。

 入学式で見た、確か山轢瓶底やまびきびんぞことかいう新入生。

 瓶底眼鏡の奥の目でこちらを睨んで口を開いた。

「柔草日ノ笑と太宰勇と果崎春一だな?」

 誰こいつ?

「俺は山轢瓶底。ちょっと付き合ってもらうぜ」

 日ノ笑は少し緊張する。

 三人の名前を彼は知っている。いや、入学式で名前を呼ばれていたので知っているのは不思議ではない。問題なのはその三人に用があるということ。共通しているのは裏の顔、それしかない。

 瓶底の後ろから大男がやってきた。筋肉質でスーツがはち切れそうだ。よほど重いのだろう、歩けばその振動が少し感じられるほど。日ノ笑はその男の顔をテレビで見たことがあった。山轢。

「山轢観音かんのん……」

 大男は厳しい顔に似合わない、人懐っこい笑顔をみせる。

「おお、俺を知ってるのか。それなら話が早そうだ。瓶底の義父の山轢観音です。瓶底、よく柔草たちを見つけたな。挨拶はすませたか?」

 瓶底は三人を睨んだまま頷く。

「実験特殊部隊、ピーチ小隊隊長、山轢観音さん、ですね」

「もう除隊したがね、今も政府の仕事をやってるんだ」

 ピーチ小隊? 最近似た単語を聞いたっけ?

 勇は頭を捻る。そうそう、あの探偵だ。元自衛隊。

 観音はスーツの内ポケットから名刺を差し出した。

「防衛庁特殊実戦部隊『教会』?」

 日ノ笑の左右から春一と勇が名刺を覗き込む。

「聞いたことないなあ?」と勇。

「秘密組織だからな、太宰くん」

「秘密組織がなんで名刺なんか作る?」春一が問う。

「この時のためさ」

 どうも俺たちの正体はバレてしまってるらしい。と春一は思い至る。さあどうする、日ノ笑、そう彼女の様子を春一は伺う。困難な状況に柔草日ノ笑がどう対処するのか、大いに興味がある。

 一方勇は半ばパニックだった。俺の正体も絶対バレてるよな、と。

 砂絵さんに殺されるかも。それだけじゃ済まない。メジェドの正体が明らかになれば世界中がパニックになる。どうしよう。

「トゥモローパイオニアにどういった用件かしら? わざわざ素顔の私たちに声をかけるのだからそれなりのことでしょうけど」

「トゥモローパイオニア、か。まあ、詳しいことは俺たちの基地、教会で話すさ。すぐ車が来る。乗ってくんな。三人ともだぞ」

 映画に出てきそうな黒のリムジンが停まる。助手席と後部座席のドアが自動で開く。助手席に観音が、後部座席に瓶底が乗り込む。続いて春一が。ここで逃げても意味がない。

 意を決して日ノ笑も乗り込む。溜め息をついて最後に勇が。

 ドアが閉まるとリムジンは走り出した。

「ああ、どうしよ……」ヒーローとは思えない弱気さで勇は嘆いた。

「虎穴に入らずんば虎子を得ずだろ、勇。シャキッとしろ」

「ホントに虎子がいるんですかね」そう春一に返事する。

 その時黙っていた瓶底が口を開いた。

「俺ん家に虎なんかいない。俺たちは虎を殺すんだ」

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トゥモローパイオニア 樹 覚 @tatuaki

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