第2話 平凡なお別れ

「しゃらあ! おハルボケコラァ! ザマあかんかん! 誰彼構わず暴れるからこうなるんだよ! ばーん!」

 またゴム弾。左肩に。

「痛! やめろ! 勇いさみ!」

 団扇うちわと戦ったばかりで体力を使い果たしている。なにより勇がこちらに敵意を向けている状況に理解が追いつかない。

 白い傘を模した銃を向けてメジェドは言う。勇がメジェド?

「ヒーローの本名をバラしちゃいけないなぁヴィランくん! マナー違反だぞう♪」

「な、どういうことなんだ!?」

「俺ってさ、友情に厚いヒーローな訳。もう私情てんこもり。いつまでも夢を忘れない今どきの地球人なのさ。ヴィラン一歩手前の幼馴染とか全然見捨てらんない。イキってたハルをボコるのが楽しいとかそういう動機はないからマジで。あー気持ちいー!」

「完璧ウソじゃねーか!」

「うん。嘘は良くないね。こっからマジ話さ、ハル。もう乱暴はやめろ」 

 メジェドの顔から笑みが消えた。いつもからから笑っている幼馴染の顔とは、思えない。 

「ボクシングはスポーツとして楽しめ。リングの外に持ちだすな。そのままだとハリー、お前いつか犯罪者になっちゃうぜ。俺はさ、お前と戦いたくないし、ポリ公に突き出したくない」

「ふ。だが断る。誰と戦うかは俺が決める」  

「露伴先生味が強い。我も強い。うん、まあ、言うこと聞かないよな。この展開は正直言って予想してたわ」とメジェド。

 メジェドの言う通り、春一は我が強い。というより、物事を暴力で決める傾向があるために言葉での説得が通じない。  

 聡さとしや兄姉が、勇が、少年課の刑事がメジェドと同じように説得を試みたが、言葉で春一に影響を与えることは無理だった。

「しかしいさ・・・・・・」

HUSHシー

 メジェドは人差し指で静かに、のジェスチャー。

「メジェド、何故今なんだ? いつでも俺と戦えたろうにどうして今?」

「あのな。いくらメジェドっていっても格闘技術極まってるお前と真っ向勝負するわけないでしょ。かわゆい団扇うちわちゃんとバトってボロクソになったところをガツンだ! な? クレバーだろう?」

「卑怯じゃん。そうじゃなくて、団扇と戦うなんていくらでもあったろう。どうして今日なんだよ?」

「おやおや、クレバーなのは俺だけじゃないみたい。その答はさ、メジェドの秘密と関わってるんで口にはできないなぁ。でもねハル、お前がチンピラやめるならね、その秘密をよぉ教えてやってもいいんだぜ?」

 戦いをやめろというのは死ねと言ってるようなものだ。

 しかし、古代エジプトから存在していたヒーローの正体、歴史の教科書でも言及された秘密に肉迫しているのかと思うと。

 

「ストップ。メジェド、彼と闘わないで。果崎春一はてさきはるとは私たちの味方よ」

 

「誰だ!?」とメジェド。物騒な傘をがむしゃらに振り回す。暗闇の中で必死にバットマンを探す悪党のようだ。

 春一は日ノ笑ひのえと呼んでしまいそうになる。そう呼んでギロチンムーンの姿で出てこられたら目も当てられない。

「撃たないでね。私は味方よ。メジェド」

 両手を上げてギロチンムーンが出てきた。変身している。

「生きていたのね、メジェド」ギロチンムーンは微笑む。

 プライベートな会話を聞かれたか、とメジェドは焦る。

 そして春一を見やる。大丈夫さ、ハルは俺の名を言ってない、いや、言ってたな。アイデンティティがクライシスさ。デビュー戦で? マジかよ。

「メジェド、撃つな。こいつは・・・・・・カタギの」

「隠さなくていいのよ、春一。私は柔草やわくさ日ノ笑。ギロチンムーンの二代目よ。よろしくね」言いながらヘルメットを外す。変身が解け、愛らしい少女の素顔が露出。

「なに?」と春一。 

「はあ!?」とメジェド。

 暴露している! 

「彼と知り合いのようね。メジェド。私は春一をヒーローとしてスカウトしている。彼が犯罪者になることはありえないと請け負うわ」

「ハリー!? マジで!?」

「そうだ。いさ・・・・・・」

「HUSH! ハーッシュ!」 

「悪い、俺も驚いて」

 日ノ笑が笑う。

「ああ、きみ、、か。世界は狭いわ」と日ノ笑。

「なにバラしてんだよ、日ノ笑」

「私は先代とは違う。仲間には素性を明らかにしたい」

「アメリカのチームみたいにか?」

『マガジン・マッド』M A Dのように公表はしない。セキュリティにも気をつかうわ。仲間には教える、というだけ」

 そうして日ノ笑はメジェドを見つめる。

「力を貸して。メジェド。私、ギロチンムーンはチームを再建する。あなたには是非参戦して欲しい」

「・・・・・・・・・・・・」

 どう答えろというのだ。いきなり亡霊に仲間に加われと言われて。

「流石に即答してくれないわよね。だいたい信用できないだろうし」

「そうだよ。偽者だろ! ギロチンムーンは死んだ! もういない!」

 勇め、大分テンパってるな、と春一は冷静になる。

「二代目、二代目ね。サーカスの団員で孤児になったところをギロチンムーンに拾われた?」メジェドは問う。

「いいえ」

「キリスト教系の秘密結社のメンバー?」

「いいえ」

「府中市警の本部長?」

「そう見える? いや何の質問?」

「あー。たしかバットマンの後継者がそんな奴ら」と春一は教えてやる。メジェドはギロチンムーンをバットマンと同一視しているらしい。

 ヒーローマニアめ。

「私は素顔を見せた。これが私の誠意よ。メジェド」

「だから俺にもドミノマスクを外せって?」

「私の仲間になるならね。どうするかは任せる。でもあなたは必ず私の手をとる。ギロチンムーンの見る目は確かよ。私はコスプレイヤーなら誰彼構わず顔を見せたりしない」

 その時メジェドの傘が開いて、ふわりと彼女は舞い上がる。まるでメリー・ポピンズのようだ。

「日ノ笑ちゃん。お前の提案は即答しかねるぜ。時間をくれよ」

 メジェドを見上げて日ノ笑は答えた。

「オーケー。色良い返事を期待してるわ。決断したら春一に通してね」

「!?」

 アポイントの受付にいきなり指名され春一は日ノ笑を凝視する。

「仲良しだな。果崎春一。俺もかわいー彼女が欲しいぜ」

「彼女じゃないから」端的に否定する春一。

 メジェドのレインコートが鈍く光ったかと思うと、一直線に飛んでいった。

 飛んでいった方向からして自宅と反対だ。用心しているな。と春一は思う。

 ふう、一息入れると日ノ笑が声をかけた。

「有名人の友達がいたのね、春一」

「俺も知らなかった。驚いたよ。あいつは・・・・・・」

「言わなくていい。メジェドの決断を尊重すべきだから」

「顔を見せてよかったのかよ?」

「私の読心術を舐めないで。少し観察すれば簡単に分かる。信用できるかね。あの子は本物のメジェドよ。絶対コスプレではない」

 それでも違和感はあった。あのメジェドは、経験不足だ。紀元前から活躍してきた最古のヒーローが。何か秘密があるのだろう。

 しかし、それは構わない。

「しかし、タイミングよく助けてくれたな。パトロールでもしてたのか?」

「きみのこと調べたら、今日試合があるってわかったから見に行ったの。そしたらメジェドに襲われてるでしょう?」

「俺を調べるな・・・・・・」

「想定外だった。いい意味でね。メジェドが生きていたなんて。それほど悪印象を持たれてもいないようだし。春一も流石にメジェドとは戦えなかったわね?」

「あいつの絵図に完璧にハマった。コンディションはこの通りだし、その・・・・・・」

「身内だから? 」 

「心を読むなと。自分でも意外だ、あいつでも殴れると思っていたが」

「そこは私も意外。きみは相手を選ばないと思ってた」

「俺も普通の学生だったってことだ。身内相手は流石に躊躇う、な」

「きみは、果崎春一、普通ではない。戦うべき時は戦わなければならない」

 普通ではない君は。

 日ノ笑の顔から微笑むが消え、真顔に。周囲の気温が一気に下がったよう。

 今俺は、と春一は日ノ笑の演技でない素顔を見ているのだと感じた。

 ほんの一部といえ、これが柔草日ノ笑の、ギロチンムーンの正体だ。

「身内であろうと関係ない。善か悪か、判断基準はそれのみ。春一、ベアナックル、挑戦者。峻厳なる選択によって敵を選びなさい。それがきみにはできる」

 だからきみを選んだのだから。と日ノ笑。

「峻厳なる選択、か。自分の師匠を敵に回す奴が言うと違うな」

「ええ、墓泥棒の用心棒をやるのなら、ギロチンムーンであってもヴィランよ。彼に同情の余地はない」 

「死者に、それも師匠に言うことか? お前、どういう神経してるんだ」 

「初めて鏡を見たようじゃない、ベアナックル。きみは明らかに二者択一そのものを選んで生きている。勝者と敗者を分かつ戦いに首まで浸かっている、そこがきみの長所。私たち非凡な者には二種類の生き方しかない。平凡な人々に奉仕するか、人々の敵になるか。選べるでしょう?」

 二種類? たったの? 

「俺に奉仕しろと? そこらのクズどもに?」声を荒げる春一。

「きみが何に尽くしているかはちゃんと分かっている。私の示した敵を倒してくれればいい。そこを期待している」

 仕事があるから、と日ノ笑は背を向けた。

「待てよ、日ノ笑。俺が『力能者』だと知っているんだろう」

「そうよ。それが?」彼女は振り向く。

「何故、力能を使うよう俺に勧めない? 相手が相手だっていうのに」

「力能者は誰でも自分の力能を使いこなせるわけじゃない。春一が力能の使い方がわからないタイプの力能者であるのは調べればわかる」

「しかし・・・・・・」

「どんな力能なのかわかっていないのにどう期待しろというの? きみもリングの中でいい加減な力に頼ろうとは思わないはず」

「その通りだ。ボクシングの試合に力能の出番はない」

「それに私は君の、自身が鍛えた肉体への信頼を買っているしね。そちらの方がよほど戦力になる。繰り返すけど、頼りにしてるよ、果崎春一」

 日ノ笑は手を振って姿を消した。


「うおおお! なんだこりゃ!」

 部屋に戻った勇はレインコートと傘をベッドに投げつける。ゴム弾が暴発。少年ジャンプが読めなくなった。

「うるせー!」頭を抱えて絶叫。混乱。

「デビュー戦でこれだと? カッコ悪すぎる。ヒーローってもっとこう、クールで痛快な活躍するもんじゃないの? 太宰勇の人生より超ショボいんだが? え、もしかしてこれ上げた拳の下ろし先がわからないってやつ? ダサッ! マスクつけててよかったわ。素顔であんな恥かいてたら自殺モンだわ。あっハルにバレてる鬱だ死のう」

 傘の銃口を口に咥えて勇は正気に戻った。

「危うく手軽に死ぬとこだった! 天国のドアは回転扉じゃないんだから気をつけないと。これからどうしよう? 自殺は抜きで。報告すべきだよな・・・・・・」

 携帯を取り出す。

「話したくねえ〜。あ、どうも砂絵すなえさん。あ、合言葉っすね。ホルスは時代を迎える」

「よろしい」若い男の声。

「果崎春一をボコる仕事なんですけど、失敗しちゃいました。なんとギロチンムーンが出てきて春一は仲間だ傷つけるなって言うんですよ」

「え、ギロチンムーンが?」と砂絵。

「そうなんす。びっクリプトンっすよね。あ、オドロキってことっす。で、そいつに仲間になれって勧誘されたんすよ、どうしましょう?」

「果崎春一とギロチンムーンから距離をとれ。そして情報収集」

「あ、そうだ。正体が春一にバレてしまいました。あいつなら黙っていそうですが」

「お前それは歴史的不祥事だぞ・・・・・・」不祥事の金字塔だ。歴史の教科書に載るかもしれない。

「果崎がこのことを吹聴したら・・・・・・」

「いやハルが俺を困らすなんてことはないっすよ! それにヒーローの正体なんて興味もないだろうし!」

「ギロチンムーンの前でお前のことを話さなかったのか?」

「俺には結構優しいんですよハルは。逆にですね、ギロチンムーンが正体をバラしました。柔草日ノ笑。凄いかわいい女の子です。ほとんど天使。俺の前で顔を見せやがりました」

「なんだと?」と砂絵は当惑。マスカレードのメンバーが正体をバラしたなんて聞いたことがない。マジスターを除けばメンバー同士ですら素顔を見せ合わないチームだったのだ。

「日ノ笑ちゃん、方針を変えてチームを作るって言ってました」

「そうか。チームを作るなら確かにメジェドは欲しいだろうな。だが」

「だが、なんです?」

「ギロチンムーンを騙る敵、という可能性もある。ギロチンムーンと春一に接触すべきだろうが、もちろん素性は知らせてはならない」

「了解です」

「しかし柔草日ノ笑が本物である公算は高い。ギロチンムーンなら、自分が負けたときのために保険を掛けてあるというのはまず確実だからな」

「そうっすね、でも日ノ笑ちゃんがその本物とは限らない。じれったいなぁ。敵が味方かリトマス試験紙みたいにわからないっすかね」

「試験紙はいらない。簡単に明らかになる問題ではないからな。太宰、お前はギロチンムーン、それと果崎春一を支援しろ。俺たちの方で柔草日ノ笑を探る」

「アイアイサー」具体的な指示をもらって勇は安心した。やることがあるというのがこうも励みになるとは。

「気をつけろよ、太宰」

「わかってますって」

「顔バレにも気をつけて」

「マジすんませんでした!」 

 電話が切れる。


 頭が冷えて冷静になる頃に自宅に着いた。

 居間で救急箱を取り出し簡単な応急手当。

 消毒しガーゼを治して終了。

「春一、おかえり〜」

 姉の接子がソファから顔を出した。寝ていたらしい。

「春一さ、勇ちゃん知らない? メール返ってこないんだけどぉ」

 右サイドにまとめた髪をいじりながら、甘い声で話しかけてくる。

 まあメールどころじゃないよな。内心そう思う。

「さあ? 遊んでるか寝てるかじゃないか? 俺がかけてみようか」

「んーん。いいの」

 そう言って接子はまたソファに寝そべった。

 麦茶を飲んで二階の自室へ。休憩したいが、勇が接触してくる未来しか想像できずため息。頼むからコスプレして家に来ないでくれ。

 カーテンの向こう、窓からノック音。確かめれば想像通り見慣れた顔。

 想像と違うのは顰めっ面でなくえびす顔なこと。

 幼馴染を部屋に入れてやる。

「さっきは撃って悪かった。今は反省している」

「はいはい。それよりどうした? 何かいいことでもあったような面だが。俺を撃ってスカッとしたもんな」

「それもあるがな」

 あるのかよ。

「詳しいことは言えないけどな、お前らとチームアップすることになった。もうお前を撃たなくていいんだ。やったね!」サムズアップ。

 撃っても撃たなくても嬉しいらしい。

「気になってたんだがハル。お前もヒーローなんだろ? プロテクテゴは? 変身しろよ」

「プロテクテゴってなんだよ」

「アメコミで言うところのアルターエゴ。プロテクト・エゴ。自我、素性を防護、隠すもの、つまり、マスクと名前だよ。キャプテン・アメリカみたいな」

「なるほど」

 青いヘッドギアを取り出し、春一は変身してみせた。

「名はベアナックル。俺にピッタリだ」

「おおー。青基調か。カッコいいね。これでギロチンムーンが赤ならトリコロールカラーだったのにな!」

 青のベアナックル、白のメジェド、赤の・・・・・・と言いたいらしい。

「赤はマジスターだろ。そうそう。マジスターといえば、俺たちの敵はマジスターだからな?」

 言いながら変身を解除。

「うん? なんて?」

「マジスターとギロチンムーンの遺体が墓泥棒に盗まれてな。ゾンビになってるらしい。エンバマーとかいう奴が黒幕なんだと」

「エンバマーって、元大学教授の、ネクロマンサーのエンバマー?」

「知ってんのか? 有名なのか、エンバマー」

「ギロチンムーンとマジスターが敵?」

 繰り返す、思考が停止しているようだ。

「エンバマー? あれっ? ヤバいよ? デュラハンマスクと死街の王様が敵に? チートすぎるよ? タチの悪いマーベルゾンビーズかな?」

「しっかりしろよメジェドだろ?」

「うるせー! オメーはいつ死んでもいいバーサーカーだろうが俺は死にたくねーんだよ!」

 勇は頭を抱えた。これほど酷い状況だとは想定していなかった。

「ゾンビ? 悪堕ち? あの二人が? リビングデッドってことは死なないってことだろ?」

 ヒーローは、メジェドは殺人はしないが、それはこの際関係ない。相手はもう死んでいるのだから。

「二人に勝てるビジョンなんか浮かばない! こんな展開予想できるか! くそくそ! やっぱ天国のドアは回転扉だったのか!」だとしても回転扉をくぐって生き返れるとは思えない勇だった。

「泣き言言ってる場合じゃねぇだろ、勇」

「お前よくも・・・・・・」

「まず勝利条件は何か考える。そしてその条件を満たす現実的な手段を考える。それが戦術だろ」

「ドライだな、頼もしいぜ、ベアナックル」

「この際ギロチンムーンは日ノ笑に任せちまおう。手こずるようならマジスターを倒した後日ノ笑に加勢する」

「問題はじゃあマジスターか。あいつの弱点は・・・・・・、一日二錠の精神安定剤か」

 マジスターのような超人、春一のような力能者は日に二度の服薬を怠ると我を失い暴走する。

「しかし死者に薬が必要かな。死亡時の精神状態のまま固定されてる、でなきゃエンバマーの王笏の効果で精神に干渉、コントロールしてるとも考えられるよな」と勇。

「マジスターほどの超人が暴走していたらとっくにわかるはずだ。マジスターはとにかく目立つからな」

「つまり暴走はしていないし薬を飲む必要はない、と。次の弱点は?」

「弱点弱点・・・・・・」天井を見上げ春一は頭を働かせる。

「そうだ! 超人は心優しい! そこらの民間人を人質にとれば・・・・・・」勇が閃く。

「お前自分が言ってること分かってるか? ヒーローのとる策じゃないだろ。俺の趣味でもねーし」

「ぐぐぐ。なんでランボーモノに正論を吐かれなきゃなんねーんだ! あー。まーな。日ノ笑ちゃんも却下するだろうし、第一エンバマーの奴がマジスターたちに干渉して人質なんか無視させるだろうしな。マジヴィランってクソだは」

「さぁ、マジスターの弱点はなんだ? 薬は要らない。良心はない。肉体は無敵・・・・・・ではないか。事実死んでるわけだし」ステーキハウスでの日ノ笑の言葉を思い出す。

「楽観できねーよ。弱点を突かれて負けたにせよ、それは生前の話、ゾンビ後もそんな弱点があるとは限らないんだからな」

「そもそもマスカレードは誰に、どう負けたんだ?」

「目下調査中。日ノ笑ちゃんも調べてんじゃねーの。今気にするとこか? ギロチンムーンとマジスターをどうにかしなきゃ俺たち死んじゃうぜ」

「む。それもそうだ」

 その時、勇の携帯端末が鳴った。砂絵からだ。

「丁度いい、知恵を借りよう!」

「誰だよ」

「ちょ、黙ってろ! もしもし? 石の墓にはビールを供えろ(合言葉)! 砂絵さん、激緊急事態っす! なんとマジスターとギロチンムーンが・・・・・・」

 何を聞かされてるのかみるみる真顔になっていく。

「ハイスグニムカイマス」

 通話を切り春一を見る。その顔は真っ青。春一は直感した。

「来たのか。マジで?」

「来たよ。噂をすれば影、マジスターが暴れてるってよ。府中郵便局の前だと。ヘッドギアを取れよ、ハル」

 勇の声は震えている。足も。

「足はお前もだろ」と勇。

 武者震いさ、と減らず口。

「勇」春一は呼びかける。

「これで最後になるかもしれないからな。さみ、お前が友達でよかったぜ。今までよく付き合ってくれた。ありがとうな」春一は微笑む。

「!」

 涙が溢れる。目を瞑り俯く。恐怖と歓喜がい交ぜになり言葉を詰まらせた。しかし、何か言わなければ。

 この素直で素敵な幼馴染の気持ちに応えるために。

「こっちこそ。お前の親友で幸せだったよ。ハル」幸福感、報われたような気がした。しかし何が報われたのだ?

「よし、さみ、負けたときの事を考えるのはこのくらいにしようぜ。まあな、マジスターってのは死ぬにはいい対戦カードだが」

「はぁ?」

「考えすぎると戦意が萎えるぜ。せいぜいヒーローらしく戦おうぜ! 大暴れすんのさ!」

 春一はヘッドギアを掴み上げる。元気よく。生き生きと。


 母、断子たつこの虐待が始まり、小学校に上がっていじめにあい、人類の素顔を垣間見た頃。小さな少年、春一はノイローゼになっていた。家族は信頼できず、友の勇すら信じられなくなっていた。

 人間は、春一のイメージからかけ離れた習性を持っているように思われた。

 春一の短い人生の中に悪の居場所は無かった。

 春一は誰にも悪意を向けなかったし、誰も春一を傷つける理由を持っていない、無邪気に春一少年は信じていた。

 断子に蹴飛ばされるまでは。

 家族が俺を傷つけるなら、誰を信じられるだろう? クラスメイトは? 無理だ。あいつらは俺を殴る。蹴飛ばす。教科書を隠す。靴を捨てる。冬の池に突き落とす。机に花瓶を置く。ランドセルに火を付ける。体操服を切り刻む。髪を切る。首を絞める。校舎の窓から放り投げる。それで両腕を折った。三階からだった。ともすれば死んでいた。

 公的には転落事故として処理された。誰を庇うためだったのか、今でも分からない。

 しかしそうした不祥事の隠蔽に教師が、大人が関わっている事を知ったのは、春一にとって人生最大の衝撃だった。

 圧力があったのか、保身だったのか、理由は関係ない。

 理由があれば人は容易く人を見捨てるという現実。それが春一の人格に楔くさびとなって打ち込まれた。

 目に写る誰もが理由さえあれば自分を傷つけ得るという体験は、春一を人間不信にするのに十分だった。

 いじめられているなど、家族にも言えなかった。春一の窮状を正確に把握して涙する友人は勇だけ。

 放課後、春一と勇は一緒に帰っていた。春一の後で勇はめそめそ泣いていた。

 テレビの向こうにしか無いと思っていた悪意にどう対処すれば良いのか、幼い春一には見当もつかず、途方に暮れるばかり。どうすればいいか分からず、こんな不幸な毎日が永久に続くとしか思えなかった。永久は少年にとって身近だった。

「うっうっ・・・・・・」

 勇が後ろですすり泣く。

 春一は。

 春一はおぼろげな予感を味わいながら歩いている。

 明るい予感とは言えなかった。

 中学生になっても高校生になっても大学生になっても大人になっても自分は虐められるんじゃないのか?

 というより大人になれるのか? 

 このままでは中学に上がる前に自殺もあり得る。

 正義も安全も期待できない人生なら、死んだ方がましではないのか?

「どうして世界はこんなに・・・・・・」

 その疑問を言語化できる程の語彙力は当時備わっていなかったが、今振り返ればこうなる。

 どうして世界はこんなに不完全なのか?

 人々は簡単に正義や道徳を口にするのにそれを何故実践しないのか?

 悪意が世にこうもはばかるのは何故か?

 人が容易に傷つけられる世の中を何故人は許容するのか?

 人は何故容易に人を傷つけるのか?

 子供の時点でこんな疑問を持つのなら大人の世界は情け無用の修羅場なのでは?

 大人の世界がもしそうなら、そこに住まう大人は、修羅ばかりなのでは。断子のように。

 それなら大人になる前に死んだ方がいいのでは?

 通学路上の大きな公園に入る。シーソーや鉄棒、滑り台のある大きな広場に出たところで子供が通せんぼをしていた。

 見慣れた顔だった。

「よお。果崎。先生にチクったんだって?」とリーダー格の屋上やがみ少年。

 春一は何も言えない。恐怖で舌がからからだ。勇は縮こまって春一の背中に隠れている。

「シカトかよ、コラ!」

 屋上の恫喝に二人はすくみあがった。屋上は背が高く力も強い。何より、人に命令することに躊躇がない。

「ムカつくぜ! お前の顔見てるとよ!」

 そう言って春一を殴る。春一は砂場に突っ伏す、砂場の縁に顔をぶつけ出血した。勇が泣き出す。

 涙は無力の証だ。そう思いながら春一も泣き出した。

「どうして、お前を見るとこんなにムカつくんだ・・・・・・?」

 春一を踏みつけた屋上少年。サッカーボールのように春一の顔面を蹴飛ばした。 

 春一は白目をむいて気絶。

 屋上少年の蛮行は普段以上に過激だ。

「クソが!」

 繰り返し繰り返し、春一の腹を、胸を、顔を蹴りまくる。子供によくある激烈な憎悪を全力で春一にぶつけていた。

 胸倉を掴んで立たせ、殴り飛ばす。うつ伏せになった春一に馬乗りになり、屋上少年は髪を掴んで春一の頭部を地面に叩き付ける。

 血みどろの頭部のすぐ脇に拳大の小石があるのを、少年は見つけた。

 躊躇いなくそれに手を伸ばそうとして、大きな影が自分にかかっているのに気付く。暗い。

 見上げればそばに大男がいた。

 足音も気配もなく、その大男は泣きそうな顔で三人の子供を見ていた。

 テレビではいつも陽気なシーンしか撮られないその大男の、陰鬱な表情に子供たちは困惑した。なぜこんな所に? なぜそんな顔を? 大男は、マジスターは静かに涙した。

「・・・・・・あああっ!」

 叫び、屋上少年の胴を手の甲で叩いた。地面と水平に屋上少年は吹き飛びシーソーに直撃して気絶した。

「なんで子供が、子供までがこんな酷いことを? 『外』の子供もこんなことをするのか? ネクロポリスと変わらないじゃないか!」

 マジスターの悲痛な叫びと顎の激痛で目を覚ました春一。マジスターの嘆きに度肝を抜かれる。体中の痛みを忘れる程に。

 マジスターは、なぜかは分からないが、激しく取り乱している。

「俺は・・・・・・何から人々を守ってきたんだ? 俺の敵って何なんだ? 俺はどうすればいいんだよ!?」

 死街の王の怒号。遊具と木々はビリビリと震え、人が集まってきた。

 お前もいつか知ることになる。俺たちの仕事の本質をな、デュラハンマスクの言葉を思い出してマジスターは落ち着いた。多分、ギロチンムーンが言っていたこと、それを俺は知ったのだ。ギロチンムーンは分かっていた。今は取り乱している場合じゃない。一般人の前で取り乱してはいけない。春一の方を向き、「もう大丈夫、少し我慢してて。今救急車を呼ぶから」マジスターは心配ないよと言うふうに満点の笑顔で言った。ありったけの涙を流した、笑顔だった。

 そして突風と共にマジスターは姿を消し、数分で救急車が駆けつけた。

 勇と春一、二人はこの経験を一生忘れないだろうと予感した。

 春一は頭蓋骨、顎関節、歯を三本、肋骨、大腿骨を折られて重体だった。重体は屋上も同様で脊椎と肋骨を折られていた。折れた肋骨が肺を破り死ぬ所だったと退院後、学校で知らされた。

 屋上は学校に来なくなったがいじめがなくなることはなく、これに春一は耐え忍んだ。屋上少年の手並みに比べればどうということはなかった。

 マジスターに助けられた経験が衝撃なら、それでいじめがなくならないという事実も衝撃だった。

 一見、ヒーローの活躍で事態は解決したかに見えた、しかし、『暴力で問題は解決しない』ことを実体験し春一の人生は狂った。現にいじめはなくならなかったのだから。そう、問題は解決する様に見えるだけだ。あらゆる国が問題解決手段として戦争を行う、しかし戦争で問題が解決するなら太古から続く種類の国家間問題はとっくに解決してるはずではないか。

 人は死に、大義は変遷し、国家は滅ぶ。

 だが戦争、戦いは普遍だ。不滅なのだ。

 人間よりも戦いのほうが、遥かに確固とした存在なんだ。 

 外交も戦争の大義も、ただの虚飾。ヒーローのマスクのような。

 やめてと口で言っても意味はなく最強のヒーローの腕力でもぼくは救われない。あの公園で無力だったのはぼくであり勇でありマジスターであり、そして正義だった。正義には力も意味もない。おそらく悪も無意味。少なくとも俺の人生では正義は無価値だ。

 春一は穏やかに微笑む。

 いじめを止める手段はない。暴力は止められない。俺はいつか誰かに全てを奪われるだろう。


 俺には、いや人間には、いつか失うものしか残されていない。

 人間に手に入れられる物は、いつかその手をすり抜けていく物だけ。


 力が全てという確信と力は無意味という事実から春一は答を得ようとする。

 人間がいつか死ぬ、殺される脆い存在だとしても、力で問題が解決しないとしても、その歴史には常に戦いが寄り添っていた。俺の短い人生にいじめと虐待があるように。

 いじめを拒絶しようとした俺が間違っていた。

 虐待を否定しようとした俺があやまっていた。

 誰もが誰かを傷つけ、傷つけられる世界で自分だけ無傷で安全でいようだなんて傲慢だ。

 戦いという摩擦こそ、人の最高の絆だ。言葉はクソだ。大義ある暴力は馬鹿げたピエロだ。

 クソとピエロなら俺はピエロを選ぶ。返り血で化粧したピエロを。 

 もはや相互理解は幻想だ。無理解と誤解と、流血の絆が春一の全て。

 とても、晴れやかな気分。

 骨折と打撲の痛みが自分の考えを肯定してくれるような気がした。

 平和も安全ももう望まない。

 それらはチンケな幻想で、しかも俺には縁が無いのだから。いや、誰にも縁が無い。それに誰も気付いていないだけ。幻想、つまり虚飾。ヒーローのマスク。

 役に立たないマスクは要らない。素顔で、素手で、正義や安全といった虚飾に囚われない自分を好きになろう。

 誰もが俺を嫌うのなら、俺だけは俺を。

 快復して退院したその日から、春一は恐れ知らずの乱暴者になった。

 当然初めの内は返り討ちにあうばかり。しかしどんな目に遭っても、どれほど負けても彼は戦いを辞めなかった。春一にとって今や戦いは神であり、戦うことは信仰の実践と同義だった。戦えば戦うほど、負ければ負けるほど、戦神に認められるような気がした。

 ボクシングに出会って、ついに手のつけられない乱暴者になった。

 言葉を無意味と退けた春一だったので、周囲の説得もまた無意味だった。最後まで春一に声をかけ続けたのは勇だった。

 春一のねじ曲がった性根を正す試みを諦め、程よい距離感を掴んだ勇は、しかしマジスターの姿に勇気づけられていた。

 強くても泣いていい。泣いていても戦っていい。

 マジスターがした事を、いつか私も。

 あの日、自分とヒーローとの間に横たわっていた境界線は取り払われた。

 地味に、静かに、勇は変わった。

 春一がいじめられる前の、明るい彼女に戻った。どんな時代の、どんな国の子供にも見つけられる幼い明るさを取り戻せた。

 そして二人は、自分を変えたヒーローを倒しに行く。


 郵便局を襲ったのは失敗だったな、とマジスターは反省する。府中郵便局を銀行と間違えていた。

「ヒーローこそ犯罪に詳しくなくちゃならないってギロチンに言われてたのにな」

 適当に盗んできた切手をひらひらさせながらひとりごちる。ギロチンムーンに知られたら嫌味を言われるだろう。

 言い訳をさせてもらえるなら、マジスターの育ったネクロポリスでは郵便局も銀行も機能していなかったので、そうして施設の役割りをよく理解できていなかったのだ。お金を預かる商売? それでどう儲けるの?

 騒ぎを大きくする為ガラスを全て割ってきた郵便局から、職員や客が逃げ出している。

「まだ来ないのかな? ギロチンムーン。これからどうしよう? またなんか騒ぎを起こさなくちゃか?」

 そばにいた老人に近くの銀行を尋ねた、老人は握手をせがむ。「いいっすよ」

 握手。

「ヒーローが負けたなんて嘘じゃないか」老人は笑う。

「マジスターさん、頑張っての」という老人に、「頑張りますよ、銀行強盗をね」と返し、笑われた。冗談と思われたらしい。

 神社の方へ歩けば五分もかからずそれはあった。閉まっているが。

「マジスター、土地勘無い説」

 シャッターを障子のように破いて乗り込む。

「大将やってるー?」

 その時、後ろ襟を掴まれ、通りに投げ出された。受け身をとり、にやりと笑う。

 来たか! さあ戦うぞ! と身構えれば相対しているのはメジェドと見慣れない仮装少年。

「あれれれ!?」

 目当てのギロチンムーンでないことと、目の前で死んだ筈のメジェドが立ち塞がっていることでマジスターは混乱した。それに。

「おいおいどういうことだあ? メジェド、どうして生きてんだよ! ていうかどうして二人ともどっかで嗅いだ匂いがすんだよ、、、、、、、、、、、、、、! ギロチンムーンはどこ行った!? めちゃくちゃだな今夜は!」

 超人の苛立ちにベアナックルとメジェドは怯んだ。恐ろしい。

「匂いが違うって事は。そうか、やっぱりメジェドは死んだのか。きみは二代目なんだ」

 バレてるー! メジェドは固まる。

 ベアナックルはなるほどな、と納得。

「それについては触れるなよ、マジスター」頼むから。メジェドは必死に懇願。情けない。

「いいぜ。どうせお前はこの場で死んじゃうんだから」マジスター、快諾。

「爽やかに物騒なこと言うな。死んでもユーモアは変わらずか」とベアナックル。マジスターは明らかに余裕だ。俺たちの出現は想定外だろうに、微塵も動揺していない。流石に大物か。

「強さも変わらずさ、新人くん。きみ名前は?」

「なんだ? 俺にはこの場で死んじゃうんだからと言わないのか?」

 構えながらベアナックルは問う。

「死ぬなら名乗りくらいしといた方がいいんじゃないの?」マジスターは軽口を叩く。

「俺はベアナックル。・・・・・・お前に挑む戦士だ」

「お? へっへっへ。気に入ったぜ、ベアナックル」心底機嫌よく、死街の王は笑い出した。それは自然で見惚れるような笑い。

 それでも、ベアナックルとメジェドには不気味に映った。

「何がそんなにおかしいんだ?」とベアナックル。

「いやなに。ド直球に勝負を挑まれるのは何年ぶりだろうと思ってな。みーんな姿も見せない腰抜けばっかりでさ。それがきみ、シンプルで気持ちいいタンカじゃないの。よし。メジェドにベアナックル。纏めてかかって来なさい!」

 マジスターは構える。それは隙だらけで、ベアナックルは真意を測りかねた。

「舐めてるのか・・・・・・?」

 両足は肩幅まで広げ、両手は翼を広げるように左右に伸ばす。

 顔は少し上を向き、口はにやけた半開き。

 多種多様な格闘家と戦ってきたベアナックルにしてみれば、これは構えというより、戦う気がないような。

「そういうことか。王者的というか、なんというか」

「あれが何の構えか知ってんのか、ナックル?」傘型の銃をマジスターに向けてメジェドが問う、当然今回はゴム弾ではない。

「構えてないんだよ。あれは全て受け入れるって意味だ」

「マジっすか?」

「初手だけだろうがな。それで俺たちの力量を読むつもりなんだろう」

 団扇と戦う時のように心臓が脈打つ。

 一瞬で無数の戦闘シミュレーションを行うベアナックルだが、すぐにそうした思考を捩じ伏せた。決定打どころか現状有効打すらないのだ。戦闘の中で勝利の足掛かりを探すしかない。

「ナックル、超気をつけろよ。マジスターパイセンは、自分は変わっていないとか言ってたけど、一つメチャ変わったところがあってな」

「わかってる、完璧な真剣試合だな、これは」

 会話の中で、マジスターは自身のヒーロー像を吹き飛ばす事を口にした。

 ヒーローの中のヒーロー、心優しいマジスターは、殺意を口にしない。 

 マウスピースを噛み締め、地を蹴り渾身のストレートをマジスターの胸に叩き込んだ。人生でも五指に入るストレート。

 しかしマジスターは一歩後ろによろけただけ。

「知ってるぜ。それボクシングだろう。テレビで見たことあるもんね」そう言って広げた両腕をベアナックルの頭部目掛けて振る、蚊を叩くように。殺意を乗せた猫騙し。 

「!」

 僅かに早くベアナックルはダッキング、頭を下げて回避、その反動を利用しアッパーを顎に叩き込んだ。

 体勢を保てずマジスターは銀行の中まで吹っ飛んだ。

「やったか!?」絶対やってないという確信を持ちながらも、メジェドの舌は希望的観測を口にしていた。これで勝てたらどれだけいいか。

 ベアナックルとメジェドは銀行に乗り込む。

 セキュリティが作動し、サイレンが鳴っている。非常灯が点いてマジスターを照らしていた。

 仰向けになっていたマジスターは上半身を起こし顎をさする。

「エンバマーに操られているせいかな?」マジスターは整った口を吊り上げて笑う。

「ケンカが、面白く感じるよ」

 ゆっくりと立ち上がる。誰の心配もしなくていい戦いは、意外と爽快だ。

 メジェドは傘を模したサブマシンガンを連射。

「頼むから死んでくれ!」

「俺はもう死んでるよ」マジスターは顔だけ庇っている。

 メジェドの射線を避けて回り込み、ベアナックルはマジスターの左側面へ。最も折れやすいという一番下の肋骨目がけボディを入れる、が骨の折れる感触はない。コンクリートよりも硬い外腹斜筋を拳で味わい超人の防御力を思い知る。擦り傷がついたかも怪しい。

 咄嗟に後ろに退がる。巨大な裏拳がベアナックルの前を横切った。直撃すれば、死ぬ。死街の王、ヒーローと超人、双方の最高峰ハイエンドとの戦闘。

 綱渡り感は団扇との試合で慣れ親しんでいたが、今回は掛け値無しに命懸けだ。

 マシンガンの掃射が止み、マジスターがこちらを向く。足を上げたかと思うと、鋭い前蹴り。腹か胸を狙っているが、落ち着いて回避、カウンターで左ストレートを放つ、初撃と同じく胸に当たる。

「おっとと!」たたらを踏むマジスター。

「どけナックル!」

 メジェドの怒声。ベアナックルが距離をとると再びマシンガンの掃射。

「強盗する方に回った感想は? 先輩!」とメジェド。

「特にどうも」本当にどうでもいいというような声だ。メジェドはまた弾倉を交換する。

「まあなぁ。銀行強盗止めるのはヒーローの華ってのはよくわかるよ。ドクターもそう言ってたし。で悪事の基本と言ったら」

「ダムに毒薬、幼稚園バス誘拐、そして銀行強盗だもんね」とメジェド。

「そのとおり。でも強盗ってつまんないや。悪党に向いてないね」

「じゃあ辞めたら?」とベアナックル。戦うのは楽しいが相手が嫌々なら興醒めだ。

「ヘイ新人くん。お前はエンバマーの杖、『デンデラ王笏』がどうゾンビを作っているか知らないようだね。デンデラ王笏は魂のレプリカを作り、死体に埋め込む。このレプリカは生前の魂とほぼ変わらない。ある一点を除いてーー」

「エンバマーの命令を遵守する?」メジェドが合いの手を入れる。

「その通り。肉体は勿論、精神も俺はマジスターさ。メイズ・ハイエンド。マジスター・ハイエンド。だけど魂はそうじゃない」

「魂レベルでエンバマーの命令を聞いているってか」とベアナックル。

「その通り。死んでからものを思い出すのが上手くなったな。王笏の効果は昔、ドクタに聞かされてたけどすっかり忘れてたのに」頭の王冠を指に引っ掛けてくるくる回す。

 説得不可能。衝突は不可避か。メジェドは舌打ち。一方ベアナックルは会話の最中も戦術を模索していた。サンドバッグを粉砕したあのパンチ。あの技が使えれば、あるいはマジスターとも互角に戦えたろうに、狙って出せないのでは意味がない。勝負にならない。

「そういや、マジスターセンパイ、あんたら誰にやられたんだ? センパイやドクターストゥピッドを倒せる奴って?」生前と同じくマジスターは口が軽い、この場で聞けるだけ情報を引き出そう。生きて帰れれば儲け物だ。それに、どう死んだか聞き出せればマジスターの弱点がわかる。

「初めて戦う奴だったな。超人だった、あのガキ・・・・・・、なんだ?」

 マジスターは崩壊したシャッターの外を見つめる。少女程の大きさの夜空が銀行に飛び込んできた。

 潮の流れが変わった、そう感じるや否やベアナックルはステップを踏んでマジスターへと飛び込んだ。

 マジスターは人型の漆黒、ギロチンムーンのシミターを片手で受け止める。背後から飛んでくるベアナックルの拳はしかし防ぎ損なった。マジスターの片方の手をくぐってベアナックルのストレートは後頭部を打った。その衝撃を利用してマジスターは前傾し、シミターを防いだ手を曲げて肘でギロチンムーンを打つ、がギロチンムーンはこれをかわす。

 ストレートを防げなかったマジスターの片手はゴキブリを潰すようにベアナックルに振り下ろされる。

 マジスターの背後、正中線へとベアナックルはこれをかわして左腕で背中を叩く。固い。

 シミターの突きをマジスターは横に回避、そのまま回し蹴り。一回転する蹴りを二人は屈んで避ける。「ギロチンムーン!」ゾンビは吠える。

 ギロチンムーンは無視、いつの間にかシミターは姿を消している。

 両股関節、両肩にギロチンムーンは打撃を与える、マジスターは痺れを感じ膝をつく。質感を伴わない痺れは不気味だった。複製された魂は生前感じていたクオリアを生じさせない。

 再度後頭部に打撃。常識的には致命的な弱点ではあったが、死んでいる超人のそれを狙うのはナンセンスだろ、とマジスターは思う。立ち上がり、三人を殺そうとする。

 しかしギロチンムーンの肘が眉間を突く。痺れ。後方に倒れ込む。

 マジスターはバク転の要領で体勢を整えベアナックルに飛びかかる、これをベアナックルはステップで横に回避、マジスターは息を呑む。避けたベアナックルの後にメジェドが居たが、彼女はどこから出したのか大きめの傘立てを四つ出していた。傘がぎゅうぎゅうに詰まっているその一つを肩にかけこちらに向けている。ロケットランチャーのように。

「ようにじゃねえ、マジか!」こんな兵装は見たことがない。

「許せ八橋やつはし銀行!」傘立ての引き金を引く。

「ベアナックル、外に退避しろ!」ギロチンムーンは外へ駆け出している。遅れてベアナックルも。

 大爆音。熱風がベアナックルとギロチンムーンを灼いた。外には野次馬が居たらしく無数の悲鳴。

 すぐにギロチンムーンは立ち上がる。「皆さん離れて下さい。また爆発するかもしれません!」

「マジスター!!」ロケットのように射出された傘、全弾撃ち終わるとメジェドは別の傘立てを担ぎ、また引き金を引く。

 透明な空飛ぶ傘でマジスターの視界は覆われた。大爆発。

 銀行の外。金色に光る王冠が飛んできた。ベアナックルはそれをキャッチ。その持ち主である大男も吹っ飛ばされてきた。爆風でコスチュームはボロボロだ。彼は起き上がらない。

 地鳴りのような音を立てて八橋銀行の小さなビルは倒壊した。

「な、いさ、メジェド!!」

 ベアナックルはビル跡に駆け寄り瓦礫をどけようとする。

「返事をしろ、メジェド!」

「また爆発するかもしれません、離れて!」ギロチンムーンは声を荒げる。野次馬は中々距離をとらない。

 瓦礫をかき分けると白いレインコートか出てきた。「いた!」さらに瓦礫をどける、赤い血。ベアナックルの心臓が脈打つ。

「メジェド!」

 メジェドを瓦礫から引きずり出してやる。顔色はいい。流血も少なくないが、死ぬほどではない。

 ゆっくりと目を開けるメジェド。 

「天国の・・・・・・扉が見えたぜ。やっぱり回転ドアじゃなかったな・・・・・・」粉塵が喉に入りメジェドは咳き込んだ。最悪の気分だ。

「ドアの上に注意書きがあったよ。『ここより入る者全ての希望を捨てよ』って」

「それは絶対天国の扉じゃないわね」ギロチンムーンは穏やかに笑う。

「おいおい。俺のような清廉潔白ヒーローガールが天国以外のどこに落ち着くっていうんだ?」

「今度死ぬまでにありったけ徳を積んどけよ、メジェド」せっかくヒーローになったんだからよ、とベアナックル。

「アホ言え俺は永遠に生きるぞ」メジェドの減らず口。

 背後でマジスターが息を吹き返す、巨体が起き上がる気配にギロチンムーンとベアナックルは振り返る。

「びっくりした・・・・・・」マジスターは周囲を見回し、自分のコスチュームを調べる。爆風でボロボロだ。

「思ったよりやるじゃんか、三人とも。素人じゃあない、と俺も認めないとな」殺気が膨れ上がる。ヒーローたちは構える。殺される。今度こそ。

 超スピードで動くマジスターが紅い閃光に変身し、ギロチンムーンの眼前で拳を振り上げるマジスターに戻る。

 誰一人反応出来なかった。音速を超えた挙動でソニックブームが生じ、けやき並木を震わせる。八橋銀行のビルが今度こそ倒壊する。星空を模したギロチンムーンのケープがはためき、彼女はマジスターから退いた。マジスターの踏み込みに耐えきれずコンクリートが砕けた。彼方の地震計の針が飛び跳ね、京王線は緊急停止。暗い空から雲が吹き飛んだ。鼠が、蝙蝠が、野良猫が我先と逃げ出す。

 しかしその拳はギロチンムーンを殺しはしなかった。

 拳とギロチンムーンの間に男が立っている。

 黒を基調とした不吉なコスチューム。

 マジスターのように力強く発達した体型。

 星空が描かれたケープを羽織り。

 強化スタンドグラスを用いたヘルメット、七色の紋様の中、十字架が浮かび上がっている。

 左手にシミター、右手にギロチン型の刃剣。

 マジスターの前に立ちはだかるはずのない男。

 初代ギロチンムーン。

「何のつもりだ? エンバマーが殺せと言ったのはお前じゃないぜ?」拳を下ろさずマジスターが言う。

「ギロチン、どうしてここに来た?」

「計画の変更だ」

「エンバマーのお守りはいいのかよ?」

「問題ない。全ての危険要素は」初代ギロチンムーンは三人のヒーローを見据える。

「ここに揃っている。俺の計画に狂いは無い」

 その時二代目ギロチンムーンが動いた。己の師に躊躇いなくシミターを振り下ろした。それを初代ギロチンムーンは難なく回避。

 初代ギロチンムーンのシミターが二代目の心臓に達する。血を吐いてギロチンムーンは倒れた。

 ギロチンの刃剣はけんを盾のように用いて飛来する弾丸を防ぐ。ブーメランのようにシミターを投げる。

 それはブーメランのように戻っては来なかった。ダーツのようにメジェドの胸に突き立った。傘を落としメジェドは声も上げず倒れた。

「ほう」感嘆するマジスターを無視してベアナックルはギロチンムーンに挑みかかる。

 左のジャブがギロチンムーンの側頭部に当たるが効いた様子は無い。遅れてギロチンムーンの奇妙なジャブがベアナックルの顎に。顎関節に電撃様の痺れ、二代目ギロチンムーンの拳と同一だ。一瞬意識が薄れるが即座に立て直し再度最速のジャブ、それは掴まれ、拳に痺れ、それは肩まで届き、いや、内臓まで届いている。

 なんだよこれは!

 横薙ぎのギロチンを退いて回避。追撃するギロチンムーンの顔面にストレート。最悪の感覚。ヘルメットにヒビ。

 ギロチンムーンの貫手ぬきてがベアナックルの胸に突き刺さっていた。これまで味わった事のない激痛、そのショックで心臓が止まった。胸筋の表面、筋膜を全て巨人の手でつねられたような痛みで意識が飛び、同じ痛みで意識が戻った。

明精臨電流管狐めいせいりんでんりゅうくだきつね」呻いてベアナックルは膝をつく。

 体に力が入らない。立てない。深刻なのはしかし、心臓が止まったままということ。

「・・・・・・・・・・・・!」

 一心不乱に胸を殴りまくる。

「自分で心臓マッサージか。ガキにしては肝が据わってるな」マジスターが感心する。ギロチンムーンは既にいない。

 ということはこれは仕事は済んだってことだな、とマジスターは断じてベアナックルに歩み寄る。そして彼が持っていた王冠を取り上げて、やはり返してしまう。

「センベツってやつだ。くれてやるよ、チャレンジャーくん」

 胸を殴りながらベアナックルはチャンピオンを睨む。

「心臓も動いてねーのに凄んだってしょーがねーだろ。そいつはお墓に一緒に入れてもらいな。ガハハ!」

「しん、ぞうが、動いてねーのは、お前、も」

「喋れるのか。へへ。あの世で会ったら返してくれや。そん時はまた戦おうぜ」

 突風と共にマジスターは姿を消した。死んでたまるかボケェ。尚も胸を殴る。眠くなってきた。

 心臓が飛び起きる感触を味わいながらベアナックルは眠った。


 目が覚める。コスチュームの胸部が切られ、ギロチンムーンがベアナックルの傷を縫合していた。彼女の胸の傷も既に縫われている。露出した胸の谷間が痛々しい。彼女の隣にはメジェドが座り込んでいる。

「府中市警です! 離れて下さい! 現場を保存しています。危険ですのでテープの内側に入らないで下さい」野太い声。

 マジスター並の大きさの中年刑事が声を張り上げていた。周囲の野次馬は写真や動画を撮っている。見せ物じゃねえぞ。と言う気力もなかった。

 刑事はベアナックルの知り合いだった。朝兎友槍あさうさぎともやり刑事。何度も彼に補導された。少年課の他の刑事では春一を止められないために非公式的に超人である友槍が春一の担当となった。互いを疎ましく思っている腐れ縁だ。

 そういえば担当でない危険な仕事に駆り出されることがある、とか言ってたな。はっきりしてきた頭で思い出す。縫合が終わった。「立ちなさい、ベアナックル」とギロチンムーン。体中痛むがなんとか立てた。胸部の痛みは消えていた。メジェドも立ち上がる。そこに朝兎刑事が駆け寄ってきた。

「もう傷はいいのか、ギロチンムーン?」

「協力に感謝します。朝兎刑事」

「俺を知っているのか?」

「先代ギロチンムーンから話は聞いています。貴方が来てくれて助かりました。我々の素性を民間人から隠してくれましたね?」

「お前たちを助けたことについては触れてくれるなよ。礼を言われるだけで困る。実際上はともかく法的にはお前らは、アレなんだからな」

 日本では自警行為は違法だ。警察が犯罪者を助ける、そうした事態を言葉にするというのはタブーであり問題なのだ。

「了解しました。我々はすぐに敵を追います。それでは」

「待て! ホシは何者なんだ!? こんな大破壊をやったのは!?」

 メジェドが地面にボールのような物を投げつけた。煙が噴き上がる。煙幕。メジェドは飛び去りベアナックルはギロチンムーンに手を引かれた。

 少し離れた場所でギロチンムーンは変身を解く。ベアナックルもそれに倣う。

「旧甲州街道を通って駅へ。メジェドに連絡はつく?」と日ノ笑。

 痛みを堪え、二人は歩き出す。

 マジスターの王冠を春一は力の限り握りしめた。

 舐めやがって。思い知らせてやる。


 京王線聖蹟桜ヶ丘駅の側に日ノ笑の家はあった。

「メジェド、こっちに来るってよ」携帯をしまって声をかける。

 小綺麗なリビング。テーブルには紅茶。テレビがニュースを流している。

「本日二時ごろ、調布市の谷山生物研究所に窃盗犯が侵入しました。警察の発表によりますと窃盗犯は研究所の検体サンプルを盗み逃亡。足取りは掴めていないとの・・・・・・」

 救急箱を横に置き、穴の開いたセーラー服を脱いでいた。縫われたばかりの傷が露出する。痛ましい傷と血痕で飾られていなければため息が出るほど美しい体だった。

 救急箱から湿布の様な物を取り出し、鋏で切る。スプレーを傷に吹きつけ、傷に貼り付けた。

「人工皮膚か」

「春一も。傷が開きにくくなるわよ」日ノ笑は息をついた。

 人工皮膚は高価で春一は使ったことがない。団扇が使用していたのを見たことがあったが。

 消毒作用のある糊スプレーのラベルを読んで使用法を調べる。シャツを脱いだ時には日ノ笑が姿を消していた。

 傷を覆う程の大きさに人工皮膚を切り、スプレーを傷に吹き付ける。皮膚を貼り付ける。シャツを着ると携帯が鳴った。勇からだ。

「日ノ笑ちゃんの家、見つけたぜ」

「わかった。・・・・・・お前、今変身してるか?」

「してない。ちょっと緊張するね。でもこちらも素性を明かそうと思って」

「待ってろ、開ける」

 勇を通してリビングへ。丁度日ノ笑がシャツを着た所だった。細いウエストがシャツ下から覗いている。勇は春一の方を見る。

「ウソだろハル!」

「怪我の手当をしただけだ。お前は大丈夫なのか? 怪我はよ」

「誤魔化すなよ、幻滅したぜ! お前がそんなムッツリスケベマンだったなんて!」

 この茶番続けなきゃならんのか? 春一はうんざりする。この様子なら応急手当ては済んでるのだろう。

 日ノ笑が春一の前を横切り、勇の手を握る。

「春一から聞いているわ。太宰勇さん。私は柔草日ノ笑。ギロチンムーン。頼りにさせてもらうわね」マジスターのように爽やかな笑顔だ。

「よ、よろしく。全力を尽くすよ」とんでもないかわいさ。鼻の下が伸びてしまう。

「スケベはどっちだ」春一が呟く。明らかに勇の方だ。

「二人とも座って。しかし、大変な事態ね」と日ノ笑。勇と春一はソファに腰掛ける。

「全くね。でもあの二人から生き延びられただけ御の字だよ」と勇。春一も頷く。

「それも大変なことだけど、今言ったのはあなたのことよ、勇さん」

「俺?」

「メジェドが正体を明かす。歴史的なイベントでしょう」 

 日ノ笑の言葉に砂絵の小言を思い出す。お前それは歴史的不祥事だぞ。

 日ノ笑は正しい。これは歴史上のターニングポイントの一つになる。メジェドの背景を語るのだ。この、俺が。

 日ノ笑は紅茶を出してやった。春一の分も新しく。

 茶を一口飲んで、勇は切り出した。

「ボスからシークレットオリジンを話していいと許可がおりてね。さてメジェドってのは紀元前・・・・・・いつだったかな? 紀元前1300年頃? とにかく大昔のエジプトで生まれた。エジプト文明がやっと安定したころだ」

 勇が不老不死だったいうのか? 

「そうじゃねーよ。俺がエジプト人に見える? 当時のエジプト人がある時、素性を隠して犯罪と戦い始めた。その仮装、メジェドは常軌を逸したような執念で匿名性を保ち次世代へ次世代へと継がれ続けた。すぐにメジェドは組織性を持って秘密結社を作った。お察しのように俺はついこないだやっとメジェドを名乗れるようになった新人なんだ」

「それほど大きな組織を作る理由は? その組織が現代まで続いているなら、メジェドの大元の敵も相当大きい筈」と日ノ笑が訊く。

「俺みたいな新人には聞かせられない機密だね。だけど日ノ笑ちゃんの言う通り、そうした何者かがいた筈だよな。でもさ、そいつ大昔に死んでるんじゃね? でメジェドだけずうっと続いてる。ありそうな話じゃん」

「なるほどな」と春一。

「俺たちメジェドこそ、スーパーヒーローの元祖。日本でもアメリカでもヒーローチームに所属してるし、世界中戦場を選ばない。日ノ笑ちゃん、俺は信用していいぜ」親指でビシッと自分を指差す。

「今メジェド仲間がエンバマーのヤサを探してる。頼りになるだろ」

「流石ね。やっぱりメジェドは大歓迎よ」

「質問がある。勇」春一が授業のように手を挙げる。

「メジェドはどうして単独で戦っている? 話を聞けば地上最強の軍団だろう。マジスターはともかく、ギロチンムーンとエンバマーくらい数で押し潰せそうだが」

 春一の問いに勇は複雑な顔をする。ホントそれな。と言いたい。

「メジェドが最も重視しているのは匿名性と永続性。表向きは複数人いちゃ駄目なんだよ。例えば俺がメジェドだと警察に疑われたとするじゃん? すると俺の前に別のメジェドが出てきて容疑を晴らしてくれる訳。そしてメジェドの正体は謎のままと」 

「巨大なアリバイシステムね。共犯のネットワークというか」と日ノ笑。驚いている様子ではない。

「日ノ笑? まさか知ってたのか?」

「いいえ、でも春一、考えればわかることじゃない?」

「えっマジで?」と勇。

「先代ギロチンムーンは多分気付いていたわ。勇ちゃん、メジェドの永い歴史の中、その程度・・・・のアリバイ工作が破られない筈がないわ。興味があって頭が回れば思いつく仮説、よ」

「ならなんで誰もその仮説を公表しないんだ?」秘密を教える側の筈の勇が問う。日ノ笑の話を聞いていた春一はその答えをおぼろげに察していた。

「そいつが善人ならわざわざ公表することはない」と春一。そんなことをすれば社会にパニックが広まるのは自明。メジェドのトリックに気付きながら語らずに人生を終えた人々を春一は想像する。

「悪人ならその言葉が信用される訳がない。それでもそうした仮説が語られるようなら、たぶん消されるわね、その人」

「・・・・・・中世に、メジェドが関係している殺人事件の記録があった。それが?」勇は信じられない。

「人権という概念が生じる前の話ね。うーん。当時のメジェドはさぞ過激だったんでしょうね・・・・・・」と日ノ笑。胸の傷をさする。

「近年でもメジェドを取材していたジャーナリストが・・・・・・」

「まさか、殺された?」と日ノ笑。

「いや、取材を突然切り上げただけ、だけど・・・・・・」

「もういい、勇。今はメジェドの闇を気にしてる場合じゃないだろ。それより日ノ笑」

 日ノ笑に向き合う。

「ギロチンムーンとお前の使う得体の知れない技、ありゃなんだ? あんな格闘技、戦ったことねえぞ」あの痺れを作る技は。

 ああ、それね。と日ノ笑。

「七大拳術の一つ。明精臨電流拳術めいせいりんでんりゅうけんじゅつよ。私は彼から教わったの。私は明精臨電流の伝承者ってわけ」」

「マジかよ? 明獣爪苑流めいじゅうそうえんりゅう以外は都市伝説かと」春一は驚く。UMAを目撃した気分。

 古来から続く七つの拳術。明獣爪苑流、明精臨電流、明天三昧流めいてんざんまいりゅう暗妄曲戯流あんもうきょくぎりゅう暗妖土塊流あんようつちくれりゅう暗魔邪気流あんまじゃきりゅう、そして征神破国流せいしんわりくにりゅう。一般的に認知されておらず、唯一全国に支部を持ち広く知られる明獣爪苑流の使い手に語られる噂話だけでしか知られていない。

 それだけに実在が疑われることもしばしばだ。

「ちなみに俺たちメジェドは明獣爪苑流をマスターしてるぜ」と勇。

「やっぱりね。明獣爪苑流は七大拳術のなかでは一番習得が簡単で強力だし。全国に支部があるから集団に習得させやすい」と日ノ笑。

 軍も警察も明獣爪苑流の習得をカリキュラムに取り入れている。

「それに、アテナは征神破国流の伝承者よ」と日ノ笑。身一つで犯罪と戦うマスカレードのメンバー、最強の格闘家。戦神アテナの秘密。

「そうだ。アテナは? あいつもやられたのか?」

「違うよハル。確かアテナは難病に罹って闘病中のはずだ。な、日ノ笑ちゃん」

 日ノ笑は頷く。「そう。殺されてはいないけれど」

「どんな病気なんだ?」

「聞いていないわ、春一。そうした個人的な情報は出来るだけ共有しないようにしているから」

「漏洩対策か」とにかくいないヒーローを頼ってもしょうがない。手持ちのカードで勝負するしかないのだ。

「あの触るだけで痺れたり激痛が走るのは? 死ぬかと思ったぜ」と春一。

「触るだけで痺れる? ブランカかな?」と勇。

「それは明精臨電流の技術。勁法の一種・・・・・・といえば理解の助けになるかしら。『創覚法』そうかくほうといって痛覚や触覚に干渉したり、相手の動作を誘発させられる」

「創覚法。そのまんまだなあ」他人事の様に反応が薄い勇。

「ム、便利そうだな」便利な分敵に回せば厄介だ。なんにせよもう管狐は喰らいたくない。

「勇、創覚法は、かなり厄介だぜ。動きを操られるのが一番やばいが、あの痛みもかなりやばい。心臓止まったからな」春一はまた胸をさする。

 日ノ笑が春一を凝視した。春一がさすっている胸を。

「心臓が止まった? あなた、管狐を?」

 痛みを思い出して顔をしかめた。

「そうだ。あれだけは二度と食らえねえ」

「あれは胸筋、腹筋の筋膜全体に痛みを走らせる荒技よ。筋膜が切れる時の痛みを。よくショック死しなかったものだ……わ」信じられない、というような日ノ笑。

「死ぬ程のショックなら小学生の時に受けている」そう言って春一は勇を見遣る。勇は頷いた。

「日ノ笑。俺と勇は小さい頃マジスターに会っている。俺はマジスターに助けられたんだ」

 助けられたという表現を春一がするとは、勇は思わなかったので驚いた。素直だ。意地を張ることも隠し事もないというわけか。

「ヒーローが現れて、俺は乱暴者になった。だからってマジスターがしくじったと思うなよ。俺は乱暴者になって、幸せなんだから」

「俺もマジスターに会ってヒーローファンになった。お陰で今じゃメジェドだぜ。ナフセイド(言うことなし)!」

 ウィンクアンドサムズアップの勇。こんな時でも明るく幸せそうだ。彼女のこういう所は評価できる。そう春一は思う。俺の分まで明るくしているようだ。

「ふん。恩人マジスターのために戦うってのもたまにはいいかもな」と春一。  

 嘘つけ全然納得してない面だぞ。とは言わない勇だ。しかし、そう言語化する程度には、恩を感じているわけだ。それに、彼の戦う口実を茶化してはならない。

 春一の発言で日ノ笑は微笑んだ。それを見た勇は春一の頭に腕を絡めて囁いた。

「すげえ可愛い笑顔だ。あの笑顔のためなら裸でマフィアに喧嘩売っていいと言ったお前の気持ちがわかるぜ」

「俺はそんなこと言ってない」

「でもいつか言うだろ?」

「ほざいてろ、相棒」

 二人は笑う。

「春一、勇ちゃん」と日ノ笑。彼女は笑みを絶やさない。

「まだ話していないことがあるの」 

 二人はリーダーの方を向いた。

「先代ギロチンムーンは、私の父親なの。本名は柔草靖臣やすおみ

「なに、マジかよ!」

「スターウォーズみたい!」と勇。

「命を懸けてくれる二人には話しておかないとと思って」声が震えている。笑顔はもうない。

「父さんと私はさまざまなシチュエーションを想定して訓練を重ねてきた。実際これまでの戦いで父さんの予想を逸脱したケースはなかった」

「最後の戦いを除いて、な」と春一。日ノ笑は頷く。

「父さんが死ぬとは思ってなかったし、まして敵に回るとも思わなかった。今、父さんも想定外の戦いをしている」

「あちらもアドリブで踊ってる、と?」勇は尋ねる。彼女は微かな光明を感じる。

「そう、ギロチンムーンはずっと全てを計算して戦ってきた。でも父さんは悪党の手先になり私と戦おうとしている。いくらギロチンムーンでもこれほどのイレギュラーに対処できるとは思えない。この短期間ではね。エンバマーの人形という立場にギロチンムーンが適応すれば、私たちに勝ち目はなくなるけど」

「短期決戦なら、勝てるか」春一の声が弾む。

 想定外は日ノ笑ちゃんも同じだよな。家族と殺し合うのに、果たして冷静でいられんのかね、勇は案じる。

「私の言いたいのはこれは私的な戦いでもあるということ。それにきみたちを巻き込んで、すまないと思ってる」日ノ笑は頭を下げた。

「ヒーローは平凡な人々を守る非凡な存在であり、私的に動いてはならない。そう父さんはよく言ったわ。なのに私は、私的な理由で戦っている。ヒーローになりたいというのに。父さんを超える機会は、これが最後。父さんに悪事をさせないためにも。そんな誰でも理解できる平凡な心理で行動している。今の私はヒーロー失格」涙が床に落ちる。告白する彼女の顔は伺えない。頭を下げたままだから。

「この戦いに勝たない限り、父さんを越えない限り、私は、ギロチンムーンになれない。私が、私に、私であれと命じて、そうできなかった結果がこれ。他に選択肢はないし絶対後悔する。だけど、それでも、勝たなきゃ私はどこへも進めない! そのためにはどうしても、きみたちの力が必要なの!」

 クールな日ノ笑に合わない壮絶な告白に二人は声を失った。

 俺にこれほど飾りなく心中を口にできたろうか?

 言葉を信じないと嘯くくせに、頑なに言葉を避けていたことに気付く。

 コミュニケーションを暴力に頼っていたのか。言葉を避けるために暴力に縋っていたのか?

 いつから俺はそんな臆病者に?

 マジスターの声が聞こえそうだ。

『自分のことばかり気にして、ケンカに逃げ込んで! あれこれ考えなければ女の子一人助けられないとはな! なんてちっぽけでからっぽな強さなんだ! なんて窮屈で空疎な力なんだ! 自分の全てを込め、何年も鍛えて守るのが自分だけ!? こんな奴になるなら助けなけりゃ良かったよ! どのみち碌なやつにならなかったろうからな!』

「こんな感じかな。あの人の人となりはよく知らんけど」

「何のこと?」と勇と日ノ笑。

「なんでもねえよ」

 力を貸して。私を助けて。顔を上げ日ノ笑は請い願う。涙を隠さず。誤魔化さず。ありったけの誠意を込めて。

 そうだよ、と勇は実感。こういう願いに応えるために、こういう人々の頼みを聞くために、俺はヒーローになったんだよと。

「俺はやるぜ俺はやるぜ」勇のテンションが上がる。

「俺もやるぜ」春一が合わせる。

 この一度だけでも構わない。マジスターのため、日ノ笑のために戦おう。そうでなければ、二度と自分を好きになることはできないだろう。みじめ過ぎる。

 いじめられていたあの頃に逆戻りだ。それなら死んだ方がマシだ。

 日ノ笑は協力者たちの目を見、その心中を察して感謝した。二人は心底から私の助けになろうとしている。 

「二人とも、ありがとう」

 一呼吸おき、日ノ笑は言う。

「聞いて。秘策があるの」


「ここがあのジジイのハウスアジトね」  

 古びた屋敷、いや、廃屋を見上げ勇は言う。

 荒れているのは家だけではない。庭も手入れされていず、敷地の外側周囲も人の手が入っていない。広大な幽霊屋敷。

「始めようぜ」春一は青いヘッドギアを被った。

「変身」日ノ笑もヘルメットを被りギロチンムーンに変身する。 

「変身」続いて春一も。

「も一つ変身!」全身タイツの上から白いレインコートを羽織り、装備を入れていたアタッシュケースを蹴飛ばして茂みに隠すメジェド。 

 匂いか声でこちらの存在はマジスターに知られているだろうな、三人は予想する。鼓動が早まる。

 周囲を確認、誰もいない。ギロチンムーンは玄関のドアを開ける。すえた匂い、異質な空気。室内は広い。暗いが、廊下の左手に明るい部屋がある。

「あっちだな」そこを指差すベアナックル。

 リビングのような部屋、そこに三人の男がいた。

 王笏を抱き抱え、震えてこちらを睨む小男。白髪に少し皺のある顔。スーツはよれている。江戸江蘭貴、エンバマー。

 黒を基調としたジャンプスーツ、ケープは星空模様。大きな体格。左手に三日月刀、右手にギロチンの刃剣。ヘルメットは弾丸も弾く強化スタンドグラス製、赤い十字架型のグラスが顔面に張り付く。ギロチンムーン。初代。

 もう一人も大男。赤を基調とした、古代ローマを連想させるタイツ。紅いケープ。ギロチンムーンよりも筋肉質。片手で宝珠をくるくる回している。王笏はエンバマーに、王冠はベアナックルに譲ってなお、不敵なその笑顔から風格は失われなかった。

「グレートシーザーズゴースト・・・・・・」

 偉大なる王者の亡霊よ。スーパーマンのキャラクター、ペリー・ホワイトの口癖をメジェドは引用する。

 明らかに空気に飲まれていた。

「ようこそ、三人の小さな挑戦者よ」  

 またも両手を広げてマジスターは語る。依然俺こそ王者だ、というように。 

 ギロチンムーンという重臣とエンバマーという道化を侍らせているように見える。

「ここが貴様らの墓場となる、かは我が主、エンバマーが決める」 

「ここで死ぬ。それだけは決定事項だ」初代ギロチンムーンが相棒に合わせてやる。

「墓場を決めるのはエンバマーではない。私たちよ」

 そう言うギロチンムーンの声は固い。

「それよりっ」半ば叫ぶようにエンバマー。

「どうして死んでないんだ、ギロチンムーンの後継者も、メジェドも! 殺せと命じたろうが!」子犬のように震えながらエンバマーは叫ぶ。

「確かに心音が消えていたからな」とマジスター。 

「蘇生するとは悪運が強い。しかしここで殺せば関係ない。名誉挽回だ」ギロチンムーンがシミターを構える。

「だいたいもう一人の青いガキはなんなんだ?」ベアナックルを指差すエンバマーの問い。マジスターと初代ギロチンムーンはギロチンムーンの顔を見る。お前の仲間だろ、と。

「俺のことは気にするな。ただの助手サイドキックだよ。ギロチンムーンの助手だ」

 メジェドが噴き出した。

「お前が相棒サイドキックぅ!? にしちゃデビューからキャラ強すぎるだろぉ!」

 ゲラゲラゲラ!

 無口の筈のメジェドの大笑い、流石にマジスター、初代ギロチンムーンも面食らった。

「生意気な・・・・・・。年上には敬意を示せと学校で習わないのか?」とエンバマー。

「墓泥棒に敬意を示せとは、教わらなかったな」

 ベアナックルの皮肉にメジェドは口笛を吹く。

 いつの間にか緊張が解けていた。

 悪くない流れだぜ。メジェドはほくそ笑む。勝てるかもよ。

「マジスター!」

「なんだい? 我が主どの」 

 怒りに肩を震わせてエンバマーは死刑を宣告する。

「あのガキを必ず殺せ」

「おおせのまんまに」マジスターは慇懃に礼をしてみせる。

「これが力だ、ガキども」

 引き攣ったような、神経質な笑いを浮かべるエンバマー。

「超人だろうが体を鍛えようが関係ない。死ねば俺の兵隊になるんだ。俺を見下し笑ってきたやつら全員死ぬんだ。死んでおれに跪くのさ」王笏、杖を振りかざす。

「ついでにお前らも兵隊にしてこの国の王になってやる。お前らの二度目の生セカンドチャンスは俺のものだ!」

「吠えてろ負け犬」じわりと怒りを感じる。奴が笑った、鍛えた体で痛めつけてやりたい。二度目の生? くれてやるかよ。

 しかしベアナックルは堪える。白髪のジジイの相手は俺じゃない。

「エンバマー」二代目ギロチンムーンが切り出す。恐ろしく静かな声音だ。

「念の為聞いておく。投降する気はないか? 今なら穏便に済ませられる」

 頼むから投降するな、そう言ってるようにメジェドには聞こえ、畏れた。彼女の怒りを感じた気がした。 

 また神経質な笑い声。

「はははは! 降参などするか! お前らを殺した、後ぉぉ!?」

 二代目ギロチンムーンはエンバマーに突撃。

 悲鳴をあげてエンバマーは奥へ。初代ギロチンムーン、二代目ギロチンムーンが後を追う。エンバマーは奥の階段を上がり二階の奥へ。

「なるへそね」マジスターは得心。

「分断してトークせよ。だね?」

「トークじゃなくて統治だし、統治する気もないから」メジェドがつっこんでやる。

「きみらさぁ、何年か前に助けた子供だろ? 公園でさ」

「やべえなんかバレてる」

「落ち着けメジェド。チリはチリに。灰は灰に。死人に口なし。これでよし」

「お前が落ち着けよ! 韻を踏んでるぞ!」ベアナックルは言葉遊びを好まない。

「なんか嗅いだ匂いと思ったら、あの時の子供か。それが今こうして殺されにくるのだから奇妙だね」

 死街の王は微笑む。

「ギロチンムーンと後継者を引き合わせてやりたかったんだな。師弟に決着をつけさせてやろうと・・・・・・はうああ!」

「うわなんだ?」

 余裕たっぷりに見抜いてみせるマジスターだが、己の発見に絶句した。

 俺は彼女を知っている。師弟ではない。親子!

 ギロチンムーンのことはよく知っていたではないか。ドクター・ストゥピッドに導かれ、ヒーローにと彼をスカウトしたのは俺だ。あの場に子供がいた!

「思い出した。あの子か」

「やべえなんかバレてる」

「落ち着けメジェド。チリはチリに。灰は灰に。死人に口なし。これでよし。」

「お前が落ち着けよ! 韻を踏んでるぞ!」

「そのくだりさっきやったじゃん?」マジスターがつっこんでやる。

 あの娘。父親の死後に活動を始めた。そうするようにギロチンムーンに言い含められていたのは疑いようがない。

 死人に口なし。それは事実だ。

 だからこそ人は遺言を遺す。生きている内に。それが今エンバマーを追っていった彼女であり、目の前の二人は。

 生前の俺のカルマ。

「多くの命を救ってきた」

 二人の挑戦者に語る。

正統人オーソドキシー、力能者、動物。ときにはアトランティス人。正しいことと疑わなかった。今も悔いはない」生前の、あらゆる活躍を思い出す。己の願いに忠実だった日々。人々を救う生活。

「・・・・・・・・・・・・」

 英雄の王、その独白に耳を傾ける。

「そんな人生の、集大成、というのかな? それがきみたちだ。俺が創り出したのは二人のヒーロー。しかし、どうしてそれが俺と敵対するんだ」

 ゾンビなんだ、メジェドは実感し応える。

「あなたが救った無数の命に釣り合ってるのはあなたの死、あなたの人生だよ、マジスター。決して俺たち二人じゃない。そして俺たちがあなたと戦うわけはね、マジスター。あなたが間違えているからだよ。ヒーローは間違いを正さなきゃ」

 マジスターに向けていた傘を下げてメジェドは続ける。

「あなたがヒーローのままなら、俺は諸手をあげて受け入れたさ。ハグだってした。でもマジスター。あなたはあなたのままでも、ヒーローではもうない。ヴィランだ。あなたは間違えている。そして俺たちは正しいんだ」

 俺たちゃ正しかったあんたの残響なんだよいわば。再び傘でマジスターを狙う。語らず、マウスピースを噛んでベアナックルも構えた。 

 納得したよう、深く頷くマジスター。

「ふ。そりゃそうだ。残響、エコーと語る馬鹿はいない。分断もトークも終わりだ。お前らも終わらせて、あの娘も終わらせる」

 嵐のように吹き荒れる殺気。

 ベアナックルが走る。 


「そういうことか」と初代ギロチンムーン。

「そういうことよ」と二代目ギロチンムーン。ここまでは読まれるのも想定。

「どういうことだ?」

「俺の後継者は一対一の形に持ち込んだのさ、我が主。俺さえ倒せばお前を捕らえるのは容易いからな」

「そこまでわかっているならなんとかしろぉ!」

「肝っ玉の小さい」エンバマーの人形はぼやく。 

「あのビビりは死んでも治るまい」

 人形師の文句を言う様子を見て、ギロチンムーンは希望を見出す。

「父さん。エンバマーの術中から抜け出せないの?」

「甘ったれるな、間抜けめ。敵に寝返りをねだるなど、先が思いやられる。だからここで死ね」

 マスクの下で歯噛みする。

 初代ギロチンムーン、ギロチン刃剣を構え間合いを詰める。威圧的な剣。多くの血を吸い、しかし命を奪ったことのない大剣。処刑台からそのまま取り外して剣にしたという造形。見た目通り重く、刃は見た目より鋭い。飾りではない。伊達でも酔狂でもない。もちろん、レプリカではない。

 二代目ギロチンムーンはシミターを構える。父親の戦闘スタイルを思い出す。初撃はどうでる?

 二代目ギロチンムーンが走る。

 刃剣とシミターがかちあう。甲高い金属音。火花。

 刃剣を押し付けたままギロチンムーンは肘打ち。浅く、有効ではない。二代目は反撃したいがギロチン刃剣を押しとどめるので精一杯。

 苦し紛れに前蹴りを入れる。下腹部。創覚法で腹筋の力を抜かせる。

「!」

 瞬時にシミターでギロチン刃剣を弾く。二度目はないチャンス。

 飛ぶように間合いを詰めた二代目ギロチンムーンの顎に初代ギロチンムーンの前膝蹴り。カウンター。

 創覚法なしに操られた! シミターを払い牽制、初代ギロチンムーンは距離をとる。騙された。

「よくも、父さん、私を操って」

「俺はギロチンムーン。全てを操る」

 その言葉はハッタリではない。操られている、そんな感覚がある。

 何が違うというんだ、父と私と。

 頭の中がノイズで騒がしい。普段は目の前のことに集中できるのに。

 振り下ろしたシミターが空を斬る。

 ギロチンムーンの心中が計れない。

 ギロチンムーンを謀れない。

 これではこちらだけ相手に手札を見せてカードをしているようなものだ。不利。

 懐から煙幕ボールを取り出す。視界ゼロ、エンバマーが恐怖で絶叫している。

 その声目掛けて飛びかかるのを堪える。初代ギロチンムーンは確実にこちらを読んでいるから。

 さあ、どうする? 


 ベアナックルの拳を掴み壁に叩きつける。メジェドの傘型のマシンガンを浴びる。紅いコスチュームが破れた。手近な椅子をメジェドに投げつけた。

「ダァッジ!」メジェドは跳んで回避。椅子は壁にぶつかり粉砕、壁も粉砕。屋敷が震える。

 やっぱり無理だよこれ! そんな泣き言を飲み込んでメジェドは再度射撃。

 マジスターは腕を振るって弾を払った。ハエを追い払うように。

 マジスターは壁にかかった姿見を見る。死街の王を写した鏡を掴み、槍投げのように投げる。狙いはベアナックル、ベアナックルはストレートを鏡に打ち込む。姿見はパンチによって分断される。飛び散る破片が輝いて拳士を彩った。

 報復するようにベアナックルは左のストレートを繰り出す。顔面に当たりマジスターはのけぞる。

「おおっ!」 

 連撃、雄叫びをあげてベアナックルは殴りかかる。超人に打撃など効かない、そんな理屈を殴るように激しく。マジスターの片腕が消える、反射的にベアナックルはウィービング。

 マジスターのパンチをかわしていた。楽しそうにマジスターは笑う。

 ベアナックルは何かを投げつけ、マジスターはそれを受け止める。

 マジスターの王冠だった。

「あれ? なんで王冠?」

「それは負け犬が持つべきじゃねえ。あんたに勝ったら改めてもらうぜ!」

 素晴らしい! なんて気持ちいい子供なんだ。ますますマジスターは笑う。愉快だ。俺はチャンピオンだ!

 王冠を被り、手刀を振り下ろす。ベアナックルは手刀を内側にパリング、受け流す。マジスターは体勢を崩して前に倒れる。

「チャンス到来、ゲラウェイナックル!」

 あっちいけと叫ぶメジェドに従いマジスターから離れるベアナックル。

 傘の先に特殊な弾頭を取り付けている。ベアナックルはそれをハリウッド映画で見ていた。ロケットランチャー。 

 コーラを百本同時に空けるような音を立て弾頭は飛ぶ。マジスターは弾頭を掴み窓の外へ投げる。外で爆音。

「このクソ窓外投擲そうがいとうてきマンめ・・・・・・!」切り札をポイ捨てされたメジェドが怒り、呻く。

 レインコートを翻せば、またも傘立て。傘が詰め込まれている。その一本をメジェドが抜く。その先にはまたRPG弾頭。どこに隠してたんだ? ベアナックルは疑問に思う。 

 間を詰めてアッパーカット。マジスターは避けてボクシングのように構え、パンチを放った。

「!」

 その拳を紙一重でかわし前のめりになったマジスターの側頭部にブーメランフックをきめる。

 ここだ。「ベアナックル!」メジェドが叫び、RPGを発射。さらに傘立てのRPGを取り出して連射。

 爆音。爆音。熱波。爆風にマジスターは飲み込まれた。爆風からベアナックルが飛び出してくる。そのまま床に倒れ伏せ、立ち上がることもできない。

「メジェド・・・・・・貴様・・・・・・」

「ごめんて!」駆け寄りベアナックルに肩を貸す。火柱を見やる。今回はやったか、とは言わないらしい。

「マジスター・・・・・・。これで死んだとは思えない」

「当然だろ。これで死ぬなら世話はない」もう死んでるが、とベアナックル。自力で立ち、また構えをとる。

 果たして、火柱の中から偉丈夫が姿を現した。おかえり、と言いたいほど、予想通りの光景だ。メジェドはうんざりする。

 そのメジェドめがけマジスターは距離を詰め拳を振るう、メジェドの傘を貫いて振り抜かれた拳は、メジェドの脇腹を打ち吹っ飛ばした。受け身も取れずメジェドは沈黙。

「勇!」

 叫び、しかしマジスターの方を向く。マジスターの拳をいなし報復にワンツーを打つ。それをマジスターは軽々とかわした。天才、団扇でさえそう避けられないワンツーを。

 タイミングを掴まれている!

 ベアナックルの放つ強者の雰囲気は見慣れたもの、珍しくはなかったが、拳の鋭さはそうではないな、と、マジスターは思う。

 これほど研ぎ澄まされた技の心当たりと言えば、ギロチンムーンとアテナくらいか。ヴィランでは思い当たらない。それもこんな子供が達人の領域にいるとは。技の練度と年齢が釣り合っていないようだ。

 俺が公園で助けた頃から、戦い漬けだったのか。マジスターは察する。なんて凄絶な人生なんだ。

 あの日から何年、俺はこの子を助けられなかったんだろう? 俺の魂が本物なら涙したに違いない。

 それでもこの俺は紛い物だ。ヴィランだ。力の解放と戦いを楽しむ男。笑い、マジスターは拳を振るう。ベアナックルの顔面に。

 それを避けてクロスカウンターを狙うベアナックルだが、マジスターの蹴りが邪魔で近づけない。ベアナックルは休みなくマジスターの次の行動を推測する。推測した行動にどう対処すべきか推測、そうして何手も何手も先を思考する。

 マジスターの膝蹴りを後退して回避。

 ベアナックルの脳内で、ベアナックルとマジスターが踊り続ける。その戦いは(脳内で)何時間も、何日間も続いた。いや、何年間もだ。

 そのうち戦闘シミュレーションの中で二人の動作の時間差が小さくなってきた。攻撃に対する防御の反応速度が、回避に対する追撃の反応速度が、早まる。

 その高速化が発生してすぐに、二人の動作の時間差が無くなった。まるで二つの肉体が一つの意思で動いているかのように。もちろんベアナックルのシミュレーションなのでそれは当然だが。

 ベアナックルのアッパーカットを回避しマジスターはパンチを放つ。それを回避してベアナックルは左のブーメランフック。

 シミュレーションの中で、二人のスピードが同じ速度で速くなっている、、、、、、、、、、、、のにベアナックルは気付いた。なんだこれは? ゆっくりとだが足並みを揃えるように同時に速くなる。そしてベアナックルの意識でも見切れない程速くなった。二人は赤と青の光になり、混ざりあって紫色の小さな竜巻に見えるように。

 俺の意識の働きではこんなことはできない。まして今の俺は外界のマジスターとの戦いを戦わなくてはならないのだ。こんな器用な想像できるはずがない。

 無意識の働きがこのシミュレーションを俺に見せている。紫色の竜巻は周囲の部屋と一体化。それに驚く頃にはベアナックルの意識と一つになっていた。無意識か、闘争本能か、何かが暴走して俺の意識を蹂躙している。想像上の存在であるはずの紫色の竜巻が現実のベアナックル、現実のマジスターを巻き込もうとしていた。ベアナックルとマジスターが、内と外が、正義と悪が、現実と想像が、一つになろうとしていた。自己と他者、そこには何の違いも無かった。あらゆる境界線が取り払われ、もはやベアナックルにはマジスターの心中が手に取るように分かった。これなら、マジスターに勝てる。

 しかし、勝利の喜びは無かった。その代わりに湧いてきた憎しみが紫色の竜巻を殴り殺した。竜巻は奇妙な悟りの閃きと共に虚空となった。

 俺と、マジスターが同じだと? 勝つ事と負ける事が同じだと? 強者と弱者が? ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!

 ベアナックルのストレートがマジスターの顔面を捉えて小さな化粧台を粉々にした。

 俺が血を吐いて強くなったのは何の為だ。俺は俺であってこそ意味があるんだ。敵は敵であってこそ戦わなきゃならないんだ。俺と敵が同じなら、意味も戦いもありゃしない。

 俺のヒフの内側にあるこの俺、ベアナックル、果崎春一は断固として、このヒフの外側にある敵を区別し対抗する。ヒフに包まれたこの拳で。

 ベアナックルは己の神を思い出す。その神の名は、戦い。ベアナックルは戦いを求める。

 戦う為に敵を求め、そして自分を求める。

 強さの果てに開く『さとり』など、いらない。

「マジスター、先輩」ベアナックルはもう、肩で息をしている。

 マジスターは立ち上がり、ジャブの嵐をベアナックルに浴びせた。威力は落ちるが、体力を失ったベアナックルには避けようがない。ベアナックルも乱打で対抗するが、戦略も技術ももはや無かった。賢しいさとりで勝つよりはマシだったが。

「あいつとは長い付き合いだからな。ギロチンの狙いがわかった気がするよ」どこか穏やかなマジスターの声。とても殴り合いの最中とは思えない。

「あの子と会って、全てがはっきりした。俺も操られているらしい。これは最終調整なんだ」

 なんのことだ? 最終調整? その単語がインスピレーションを誘った。そういうことか。

「なぜこんな愚かなマネを? 女の子一人の為に命を賭け・・・・・・、いや、捨てるなんて」

 賢そうな子なのに、とマジスターは問いかけ、彼は応える。乱打の中で。

「愚かなマネ? ヒーローってのは愚か者の類義語だと思ってたがね。女一人の為に命を賭ける、とびきりカッコいい人種だ。俺が、俺に、俺であれと命じてそれに応じた結果がこの戦いだ! 他に選択肢はいらないし絶対後悔しない! アンタなら分かるだろ。アンタだって俺の立場ならそうするだろ。先輩!」

「そんな気持ちはもう忘れたよ」ベアナックルを殴りながら王は微笑む。

 その笑顔を見て挑戦者は決意する。あのさとりのようにすぐ失われる決意。

「腑抜けちまって、おいぼれたか。もういい。やっぱりあんたは引退しろ。このベアナックルが後を継いでやる。安心して死に直せ!」

 ベアナックルにとどめを刺そうとした時、力が抜けていくのをマジスターは感じた。体中から? 違う。魂そのものが抜けていく。

 二人のパンチが互いの腹部に突き刺さった。

 マジスターは前のめりに倒れる。顔も上げられない。ベアナックルも床に這いつくばる。

「俺の負けか。これは二代目ギロチンムーンの細工、か」

「その通り。俺たちは囮、この戦いは・・・・・・茶番だ」 

 自分を、ボクシングを、戦いそのものを道具化してしまった。あんなに愛していたのに、裏切ってしまった。

「俺をこの場に引きつけておくだけの、エンバマーから遠ざけておくだけの・・・・・・」 

「結局、あんたに勝つチャンスを、逃した訳だ、俺は」

 マジスターと戦うチャンスを、棒に振った。そんな幸運は誰にでもある訳でないのに。

「生きていれば、もっと強い敵と戦うこともあるさ。ふふ」 

 生きていれば、とマジスターは笑う。

 ベアナックルは立ちあがろうとするが、腕一本動かない。ギロチンムーンを助けに行かなければならないのに。

「あんたより強い奴だって?」そしてベアナックルは尋ねるべき質問を思い出す。

「そうだ。あんたたちを殺したヤツ。何者だよ?」

「男、青年だ。超人だな。ものすごい力を持っていた。ヘイ。俺の仇をとってくれるかい? ベアナックル」

「とって欲しいのか?」

 マジスターは笑おうとして弱々しく咳き込む。

「べつに」

「他に特徴は?」

「すげー美形で、あー・・・・・・。空を飛んでいた」

「超人が? 飛べるなんて話、聞いたことないぞ」

「俺だって飛べないし。でも現に飛んでたんだもん」

「だもんって・・・・・・」

「それと、頼みがある」

「は?」

「俺の敵に『ヒットスパーク』って奴がいる。力能者でさ。なんというべきか、ヴィランだけど悪党ヴィランじゃない」

「悪党、じゃない?」

「そう、放っておけない奴でね。会ったら気にかけてやって欲しい」

 待てよ、とマジスターは思案。こんなバーサーカーに、そんなこと頼むのか? いや、自分の直感を信じよう。それで間違えたこと無かったじゃないか。

「そんな筋合いねーし、できねーよ。人を気にかけるなんて」ベアナックルは狼狽える。それこそ空を飛べと言われるようなものだ。俺にはできない。

「もう、ヒットスパークを助けてやれない。それが心残りだ。お願いだよ。あの子は、ヒットスパークは、俺の宿敵アークエネミーなんだ」

 泣きそうな声で頼み込むマジスターにベアナックルは折れた。内心どうなっても知らねえぞ、と思いつつ。

「わかったよ。ヒットスパーク。覚えておく」

「ありがとうベアナックル」とマジスター。頭上の王冠をベアナックルの方へ転がした。

「それと、受け取ってくれよ、それ」

 なんてヘボい戴冠式。

 頭が真っ白になる、ベアナックル。 

「勝てなかった、はないだろう。俺はすぐに死ぬけど、きみはそうじゃない。俺の故郷では生きてた方が勝ちなんだ。冠はきみにふさわしい」

 チャンピオンベルトじゃないけどね。とマジスターは笑う。

「あ、あんたの故郷の習慣なんか知るか。勝ってもいないのに、んなもん受け取れるか」

「俺が死んだら、断言できる。マジで治安が悪くなる。ヒーローの王が必要なんだよ。王冠乗せたヒーローが。」

「治安などクソ食らえだ。クズが増える方がいい、俺には。このコスプレだけでも冗談なのに、あんたの冠だと?」

「できれば宝珠も受け継いで欲しいがね、手が塞がるのは」

「嫌過ぎる・・・・・・。なぁ、思ったんだが、俺はチャンピオンってガラじゃないよ。俺は、むしろチャレンジャーだ」だから他を当たってくれ、とはベアナックルは言えない。今ここに、他に誰がいる? そばで寝ているメジェドか?

「変なとこカタいね。いや、そこが気に入ったんだけど。なあ、おい、チャレンジャーくん」

 マジスターが座り込み、不敵に微笑むかける。


「マジスターの頼みだ。聞かないで済むわけないぜ」


「・・・・・・ッ!?」

 空気が変わった。目の前にいるのが、まるで無傷のマジスターのような、途方もない威圧感。

 死んでも、負けても、腐っても。

 俺はマジスター・ハイエンドだ。そうした自負がプレッシャーになっている。

 半死人の言葉であっても、無視できない。物理的な脅威に由来する恐怖ではない。

 文字通り王の勅命に反するような忌避感。

 痛む腕で、王冠を掴み頭に載せる。似合わない。妥協。ため息。

「これでいいんだろ。だけど、もしこの先俺が誰かに負けた時は・・・・・・」

「それも、運命か。どのみちその王冠を狙うヴィランも出るかもだし。今から君の名は、ベアナックル・ハイエンドだ」

「称号だったのか、それ。まあ好きにするさ」 

「もともと俺の本名、プロテクテゴのフルネームでもあったんだけど、マジスターの方が覚えやすくてね。ナックルくん、ヒーローの王らしく振る舞うと期待しているよ」

「マジスター、冠を受け取る代わりに、言わせてくれ」

「なんだい?」

 礼をだよ。とベアナックル。

「日ノ笑に会わなきゃ俺はクズの乱暴者のままだった。あんたに会わなきゃ俺は日ノ笑に認められもしなかった。乱暴者にすらなれなかったんだ!」

 助けてくれてありがとう、彼は礼を言う。何年も言えなかった、私的な感謝だ。

 俺の代わりに戦ってくれて。

 俺の為に泣いてくれて。

 あの時、公園で虐められ泣いていた少年の心が再生され、恩人に感謝の言葉をかける。涙を流し。

「・・・・・・ベアナックル、きみを助けて、本当によかった。俺は間違ってなかった。こうして後をきみに託せるんだから」

「え? マジスター・・・・・・?」

 王は満足そうに笑い、この世を去った。

 日が暮れるように一つの時代が、静かに終わった。

「・・・・・・さようなら、グレートシーザーズゴースト」


 時間は少し前後する。

 もう勝っている。と思うのは甘い。勝ち筋が見えただけだ。黒煙の中で二代目ギロチンムーンは考える。一瞬でも気を抜けば、殺される。

 シミターに力を入れる。呼吸を浅く。自分も初代も、音を抑えている。自分の場所を敵に知らせないようにするため、潜水艦の乗員が音を立てないようにするのに似ていた。

 音もなく、黒いカモフラージュも風で晴れないのなら、相手の位置は変わっていないというのは互いに分かっている訳で、だから二人が隠したいのは自身の策謀である事も、ギロチンムーン親子は分かっていた。事実二代目ギロチンムーンは父の策を予測できていない。

 今自分がとるべき戦術は、とギロチンムーンは考える。こちらから攻めるのではない。相手の作戦を見破ることでもない。

 とにかくこちらの作戦を漏らさないようにすることだ。情報を渡さないこと。

 初代ギロチンムーンとの戦闘中、窓が空いているのに気付いて、二代目ギロチンムーンは焦る。これではすぐに煙幕が晴れる。いや、風は無い、それなら勝ち筋は吹き飛ばない。煙幕はまだあるが、それは初代ギロチンムーンも知っている。

 ギロチンムーンの装備をデザインしたのは、勿論父たる初代ギロチンムーンなのだから。

「江戸江蘭貴」エンバマーに声をかける。初代ギロチンムーンの位置からは小さな足音。飛びかかろうとしたのをすんでで堪えたようだ。エンバマーの方からは悲鳴。そこまで怖がるか。

「お前は私を追い詰め過ぎた。だからベアナックルを味方にするしかなかったのよ」口から出まかせ。というよりハッタリか。

「どうして新人を引き入れたのか、教えてやろう。ベアナックルは力能者で、情け容赦がない。奴なら姿を現さずマジスターを倒しお前を捕らえられる。すぐに降伏しろ。奴は拷問もお手のものだ」

「騙されるな! ハッタリだ、エンバマー」初代ギロチンムーンの声。

「姿を現さずに戦えるならさっきそうしたはずだし、拷問など論外だ。俺たちギロチンムーンはヒーローだ。目的の為なら手段は選ばない、などという悪手は取らない」

 その通り。

「そ、そうか!」エンバマーの声。その声のするほうにシミターを投げてやりたいが、そうしても無駄だろう。必ず初代ギロチンムーンが防ぐ。

 こちらがそう考えているのを初代ギロチンムーンも分かっている。だから動けない。

 こちらが動けないから、初代ギロチンムーンもまた動かない。

 下の階から派手な音がする。三人が大暴れしている。爆音もする。

「そこまで分かっているとは、流石ギロチンムーンだ! 早速そのコスプレ女を殺しちまえ!」とエンバマー。

「それはできない」と応えるギロチンムーンの声は硬い。

「何故だ!」

「あちらから攻めてきたということは何か考えがあるということだ。これは絶対確実だ。しかし現時点でお前が逮捕されてない以上、敵の作戦、その前提条件が満たされていない。これも確実。今俺がすべきは動かず戦わず、二代目ギロチンムーンの作戦を考察し妨害することだ」

 そう、考察しなければ。なぜか娘の作戦が読めない。しかしおそらく、二代目ギロチンムーンが攻勢に出ない点から察するに、あちらも俺の思考を読めないらしい。この情報的拮抗状態の中では、一つでも手掛かりを手にした方が勝つ、はずだ。

 不利な点があるとすれば、エンバマーか。あの小心者は視界ゼロの部屋の中で二代目ギロチンムーンと共にいる状況に長くは耐えられない。精神的恐慌をきたせば、王笏の魔道が解かれかねない。

「父さん」二代目ギロチンムーンは、初めて第三者の前で初代ギロチンムーンを父と呼んだ。

「私は、まだ信じている」嘘だった。もう信じていない。

「エンバマーを倒して、デンデラ王笏を取り返せば父さんは生き返れる。だから今はーー」

「戯言だ。ただでさえ国立大学の所有物であるデンデラ王笏をヒーローが持っているんだ。無許可でな。それを私的利用すれば世論はどうなるか、世間のヒーロー観がどれだけ傷つくか分からないお前ではあるまい」だからこそお前はデンデラ王笏を使えないんだ。初代ギロチンムーンはそう断じた。

 大当たり。と渋面する二代目ギロチンムーン。

「それであなたはいいの、父さん? まだ遺した仕事があるでしょう? 人々があなたを待っている」

「俺の死はすなわち、俺の仕事の死、だ。それに死体を待つほど人々は暇ではない。俺を待っているのが誰か、お前は知っているだろう」

 暗闇の中で二代目ギロチンムーンは頷く。それは、私。

「無論お前は俺を待つべきではない、、、、、、、、、、。俺を蘇らせるバカではないというのは、指摘した通りだ」

 煙幕が晴れ始める。手の中の煙幕ボールに意識がいく。投げてはいけない。繰り返せばこちらの狙いが時間稼ぎと気付かれる。

 うっすらと初代ギロチンムーンの姿が見えてくる。煙幕のために正体不明さが普段より際立つ。実の父でありながら、かなり不吉だ。煙幕ボールをしまい、シミターを構える。

「俺の仕事は全て終わっている。俺は生前のギロチンムーン、その残響に過ぎない」よく通る美声、初代ギロチンムーンは言う。仕事を全て、済ませている?

「ここで死ぬなら、ギロチンムーンはそれまでのヒーローだったというだけだ」

 娘がシミターを構えるのを見て、娘の狙いは自分であり、先の煙幕ボールは体勢を立て直すためだったと判断した。それなら応えてやるまでだ。

 初代ギロチンムーンはギロチン刃剣を下段に構える。

 注文通り。二代目ギロチンムーンは内心で笑い、仮面の下で渋面した。剣の訓練で勝てたことはない。

 時間稼ぎとバレてはいけなくてそのために後ろに引けず、さりとて正面切っての戦いに勝ち目なし。 

 一見して詰んでいる。しかし、と二代目ギロチンムーンは思う。二人もの仲間が私を信じて命を賭けたのだ、負ける訳にはいかない。父は死んで身軽になったろうが、私は背負っているものがある。

「その様子だと、どうも俺が手を抜いてくれる、と思ってるようだな」

 いや、そんな事は・・・・・・。

「自分の弟子を甘やかすほど、間抜けではないさ。貴様には二種類の道しかない。俺に勝ち、真にギロチンムーンとなるか、俺に殺されるか、二つに一つ一つだ。それでお前の全てが決まると言っていい。これは最終調整なのだよ。二代目」

 最終調整? 二代目ギロチンムーンはその言葉で父の本意を察する。

 高揚感。

 父はペテンを働いている、私と同様。それがわかった。迫真の演技もそうとわかれば、可愛いものだ。

 それで状況が良くなったわけではないが。負ければ死ぬ。いや、死ねば負けか。

 動揺するな。

 動揺するな動揺するな動揺するな。

 私に動揺するような心の持ち合わせがあったなんて。シミターを握る手に力が入る。

 それなら、目前の父も私を敵にして動揺している、という説が説得力を帯びてくる。そう、さっきはこちらの心境を測り損ねていたではないか。手を抜いてくれるなど思っていない。

 大丈夫。

 恐れるな。

 臆するな。

 二代目ギロチンムーンは前方に足を上げる。

「明精臨電流なまず

 二代目ギロチンムーンの声を聞き、初代ギロチンムーンは距離を空ける、鯰は歩法と攻撃の中間のような技、日ノ笑は一気に近づこうとしている。屈んで返し技の構えをとる。明精臨電流すねこすり。

 震脚による激震をやり過ごす。煙幕の中から低姿勢で二代目ギロチンムーンが飛び出す。鯰の一足飛び。初代ギロチンムーンの膝よりも低く、下から拳を振り上げる。

 屈んだ姿勢から背を反らして拳をかわし、その腕を掴み上へ投げる。

 怯まず、二代目ギロチンムーンは空中でシミターを振り下ろす。それをギロチン刃剣で防ぐ初代ギロチンムーン。ギロチンも重いが、娘の体重もまた、重い。

「この、明精臨電流ーー!」空中で二代目ギロチンムーンは蹴りを放つが、受けられる。着地。

「死ねい、未熟者! 明精臨電流終伝果ついでんか!」

 終伝果、臨電流最強の技がくる。膝を「内側から蹴られ、股関節に貫手。バランスが崩れる。下半身全体に冷感と熱感が飽和する。だめだ、死ぬ!

「『八百万やおよろずーー!?」 

 終伝果、八百万は下段から眉間まで創覚法による連撃を加える連続技。創覚法による偽造感覚を複数与えて神経系を攻撃するのだが、この連携には管狐も含まれる。単発でも激痛でショック死する管狐がだ。胸部の管狐まで食らってしまえば死は免れない。必殺の奥義、なのだが。

 倒れ込む左手二代目ギロチンムーンに、腹部への打撃が加えられない。右手が重い。

 いや、重すぎる。力がかからない。

「これはーー!」

 父の驚愕に二代目ギロチンムーンは勝利を確信する。 

「体が何かに・・・・・・蝕まれている!」

 初代ギロチンムーンは片膝をつく、もう立っていられない。全身を、食べられている。感覚がないので気付けなかった。二代目ギロチンムーンは立とうとする。両足が冷たく、熱い。下半身の感覚を瞬間的な瞑想と筋肉操作で鈍らせる。明精臨電流の技術とヒンドゥー苦行の技術をミックスした二代目ギロチンムーンのオリジナル創覚法。

「最近西東京で発見された新種の微生物。スカベンジャーバクテリアよ。常識離れした速度で増えるが、限定条件下でしか活動できない。免疫力に弱く、人の体温程度で死滅する」

 煙幕が晴れ始める。

「生体には影響がないけれど、体温を失った死体なら猛スピードで食い荒らす。生態系のバランスを崩しかねないので谷山研究所が確保保存していた。それを利用させてもらったわ」

 ギロチンムーンの投げたシミターがエンバマーの腕に当たる、斬れはしなかったが激痛で王笏をとり落とした。痛みで集中が途切れ、エンバマーの魔導が解除される。下の階ではマジスターが倒れているだろう。

「不覚。あの煙幕弾に、バクテリアを仕込んでいたのか」

「その通り。マジスターの前で使えば、絶対に失敗したでしようね」

 超人の視力なら、空中に散布されたバクテリアすら確認しかねない。露見すれば逃げられ、二度と同じ手は通じなくなる。

「それに、スカベンジャーバクテリアでも超人の体を分解できない」

「その為の分断か? 俺が考えた通り・・・・・・」

「御明察よ、師匠。私たちの勝利条件はあなたを倒すこと」

「それは、わかる。マジスターを遠ざけなければ勝ち目がなく、俺を倒さなければエンバマーに手を出せない、からな。しかし、何故、お前の目論みを見破れなかった? 俺は」

「私と戦うというイレギュラーが師匠、あなたを鈍らせたのでしょう。でも、見破りたかった?」

 私を殺したかった? 二代目ギロチンムーンの問いに、初代ギロチンムーンは小さく笑う。

「仲間を大急ぎで作ったのは、なんのことはない、マジスターの相手が必要だからだな」

「ふ、とんでもない。仲間は必要よ、これからも。決して急場凌ぎの面子ではない」

 そう言って、ギロチン刃剣を拾う。

「ある意味、私は初めから勝っていた。そう見破られない限りは」

「俺の敗因は・・・・・・」

 初代ギロチンムーンは黙り込む。

 敗因は、はっきりした。しかし、それをエンバマーに聞かれるのは上手くない。

 そのエンバマーは激痛で泡を吹いて倒れているが、念の為だ。それに生前は無駄口を叩かなかった。そう思い出した。

 この時、初代ギロチンムーンはヒーローだった。

 二代目ギロチンムーン、日ノ笑もその沈黙から父の気持ちを汲み取った。

 やっぱり私たちは非凡だ。通じ合っているのに、マスクや沈黙で遮られている親子。

 思えば父と個人的な話などしなかった。話題は犯罪についてのみ。それでも今、父のことを何も知らない、とは言えなかった。

 仮面の下で笑う。私、まるでベアナックルだ。 

 言葉はいらない。

「ギロチンムーン、よく俺を乗り越えた」

 バクテリアが繁殖して腐臭が漂う。 

「そんな、乗り越えてなんかいない。あなたがゾンビでなかったら勝てなかった。正面から戦うことを私は諦めたのよ!」

 馬鹿め、と初代ギロチンムーンは罵る。

「ゾンビでなかったら戦う理由などない。しかし現にお前は犯罪を止めた。己の拘りを捨てて。それがヒーローだ。それが基本だ。忘れるな」

「はい」

「これでお前は一人前だ。だが一人でいる必要はない。仲間を集めたのはいい判断だ。正しい。ギロチンムーン、勝て。勝ち続けろ。その責任が俺たちには、お前にはある」

「はい」

「手段を選ぶな。突出しろ。必要なら仲間を頼れ、操ってもいい」

「はい。私はギロチンムーン。全てを操る」

「それでいい。その刃剣、『打首姫』の譲与をもって、俺は引退する。お別れだ」

 腐臭が強くなり四肢が崩れていく。作り物の魂も、もう留まっていられない。

 それが、二代目ギロチンムーンにもわかった。 

「さようなら、師匠。愛していました」

「お、れ、も・・・・・・」

 下半身の異常感覚が完全に癒えた。

 これが、最も暗い夜明け前だ。

 倒れ伏した初代ギロチンムーンの骸を離れ、失神しているエンバマーに手錠をかけ、ソファに座り顔を手で覆った。

 やっと終わった。 


 マジスターを残してベアナックルはギロチンムーンを追う。死んでいるのを思い出したかのように彼の肉体は腐り始めた。普通では考えられない速さ、バクテリアが働いている。

 体に鞭打ち、ベアナックルは階段を上がる。ギロチンムーンの心配をしていると、心なしか痛みが鈍くなる。

 人の気配を感じる。部屋に入るとギロチンムーンがソファに座りながらこちらを見ていた。立ち上がりこちらに駆け寄る。

「ベアナックル!」

「お前、生きてたならそう言えや・・・・・・」

「ごめん、メジェドは?」

「生きてる。下で寝てるよ。外に出ないか? 風にあたりたい」

「そうね。バクテリアも低温で殺さないといけないし」 

「ああ、寒くても駄目なのか。弱いな」

 屋外で戦わなくて正解だったと思いながらテラス戸を開け、ベアナックルと共にバルコニーへ。

 風がある、街の灯りは小さく、人の声はまばら。雪でも降りそうだ。車のエンジン音が遠い。暗い。

「ベアナックル、王冠を貰ったの?」

「称号もな。ベアナックル・ハイエンドだと。煩わしい」

「その煩わしさは王の重責よ。勝者の責任と思って耐えるのね」

 ベアナックルは舌打ち。チャンピオンになるなど俺らしくない。だが俺らしくないのは今に始まったことじゃない。チンドン屋みたいな全身タイツをつけた時からそうだった。もう一人の自分。アルターエゴ。王冠の重みはベアナックルのもので果崎春一のものじゃない。そう思おう。

「バクテリアとハサミはなんとやら、か?」

 そう言うベアナックルの口は笑っている。

 しらばっくれようか、などと彼女は迷わない。本心を打ち明けてもベアナックルは沈黙を守るだろう。

 一方のベアナックルはといえば、この時間を楽しんでいた。自分でも意外な程に。

 演技もそうとわかれば可愛いじゃないか。恐らくギロチンムーンを可愛いと感じれる機会はもうないだろう、この瞬間をベアナックルは楽しむ。

「きみの考えている通り。本件の対策、その全体像は大まかに決まっていた。きみに会う前からね」

「なんだ? 俺と会って作戦を構築したんじゃないのか? 俺を、メジェドを、見事に操ったろう」

 俺の全ては二代目ギロチンムーンに操られていた。マジスターの「最終調整」という言葉で閃いた推測だったが、少し違うようだ。

 仮面の下でにこり、とギロチンムーンが笑う。それがベアナックルにはわかる。

「ヒーローは、少なくともギロチンムーン親子は偶然に運命を任せはしない。必要な人材を探し続け、そしてきみを見つけた。こんなに早く見つかるとは思わなかったけど。それにメジェドの登場も幸運だったわ。もちろんバクテリアも偶然見つけたのではない。意志を強くもってことに当たれば道は開ける」

「意志を強く持って。お前が見せたあの涙も演技だな」

 ギロチンムーンは頷く。目薬などいらない。あの慟哭のような告白も、よりベアナックルとメジェドを事件に引き込む手段だ。

「私はギロチンムーン」

「全てを操る。ふ。俺を引き入れたのは、裏の意味があったんだろ?」

「敵になった父さん達を見て気付いたのね」 

 今度はベアナックルが頷く。

「私と会わなければ君は遅かれ早かれヴィランになっていた。コスチュームをつけなくとも、例えば、暴力団に入っていたりとか。でも善悪に囚われない今の君なら」

「簡単に靡いた。俺の価値観は勝敗と美醜だけ。善悪は関係ない。つまり未来の敵を味方にしたか。効率がいいな」

 心地よい風がバクテリアとベアナックルのため息を吹き流した。

「日ノ・・・・・・」

「ベアナックル! ・・・・・・何?」

「お前の操り人形も、ヒーローも今日限りだ。俺は、ヒーローなんかじゃない」

 もとよりヒーローになれる男だとは思っていない。ギロチンムーンはベアナックルの言葉を待つ。

「お前を助け、マジスターと戦って、よく分かった。俺はお前らヒーローとは違う」

「どこが?」

「ギロチンムーン、お前は親父と決着をつけるチャンスを捨てて、親父に勝った。そうだろ。お前は納得していない筈だ」

 静かにギロチンムーンは頷いた。父を超えたと断言できない。父の死体を跨いだだけ、という思いを捨てられないのだ。

「その個人的な拘りを捨てて事に当たった。簡単に俺たちに頼った。人に頼れるのは強い、それは分かる。それでもそんな事、俺にはできない。そんな自分を裏切るような真似は。かっこ悪い真似は。煽ってるんじゃないぜ」

「ふ。続けなさい」でも、と彼は続けるだろう、そうギロチンムーンは予想する。

「でも、俺も自分を裏切った。俺の神だったボクシングと戦いを裏切って茶番にした。最悪の気分だよ。小学生の頃の様に生きながら死んだ気分だ。もう何も残されていない。そう思った時、気付いたんだ」

「初めから何も残されていない、と」ギロチンムーンはベアナックルの心を読んだ。

 その言葉は刃物になってベアナックルに突き立てられた。ただし、もともとあった傷に。

「俺は結局、自分の強さと見た目にしか関心がないんだ。人より強く、カッコよく。それだけ。信念も哲学もない。正義感も。何も持ってない。ベアナックル素手とはよく言ったもんだな。自分以外に握るモノがないんだ。力と技と肉体からだが全て。要するに」

 自身を傷付ける真実を、彼は口にする。


「俺には心が無い。からっぽなんだ」


「お、俺はヒーローじゃない、人間ですらないんだ。そんな俺がお前についていくなんて・・・・・・」

 力が無意味なら、無意味な力を追った自分もまた。振り出しに戻った気分だが、むしろもう終わっている。果崎春一は。

 ギロチンムーンは優しく声をかける。

「ただのカッコつけでマジスター・ハイエンドと戦える? 戦えるでしょうね、それがきみなら、、、、、、、。前にきみは非凡だって言ったよね。カッコつけるために命をかける。強くなる為に全てを捧げる。からっぽの殻だときみは言うけどそんなこと、そんなことは一目見ればわかる。わかって誘ったのよ」

 私はギロチンムーン。観察眼は確かよ。嘯くように言う。

「心が無いというのは少し違う。きみの心、信念と哲学はその肉体とファッションにのみ向けられている。きみの信念は肉と骨でできている。本当、見事に鍛え上げたものだわ。雑念一つ混じらない暴力装置。最強の戦闘技術。君は得難い味方で、絶対敵に回してはいけなかった。今日限りだ? きみの真価を理解できるのは私だけなのに?」

 ベアナックルとの距離を詰める。追い詰めるように。ギロチン刃剣が、ベアナックルの視界、その隅で光る。

「きみの力の意味は私が作り出す。きみを導く。だから考え直しなさい。ベアナックル・ハイエンド!」

「はい!」ギロチンムーンの言葉もまた雑念一つないそれだった。彼女の戦闘スタイルも、ヒトの雑念が混じらない。そこに魅かれた、その美しさに彼は服従した。

 そう、強さと美しさが俺の全てなら、ギロチンムーンを拒むのはナンセンス。

「よろしい。小賢しく悩むことはないのよ。それでこそベアナックル・・・・・・」

 いきなりギロチンムーンはベアナックルの胸に飛び込んだ。押し倒した言うべきか、ニ本の包丁が窓の外から飛んできて壁に刺さった。

 見れば、ベランダに二人の男女がいた。どちらも仮面をつけていない。

 ギロチンムーン、ベアナックルは即座に立ち上がり構える。

 構え、衝撃を受けた。

「あら? ギロチンムーン? 死んだというのはやっぱりウソだったのね」

 白いワンピースにガーリーなコートを羽織り、滑らかな髪の長髪、片手に包丁。スレンダーで背が高い。

 その美女の目。雰囲気。それはギロチンムーンの知識にあり、ベアナックルが初めて目にする種類のそれだ。だがベアナックルにもわかる、直感すら必要なく。この女は何人も殺している。

 二人は初めてサイコキラーを相手にしていた。しかし異質なのはむしろ男のほう。

「よく見たまえ、かなめ嬢。体格が全く違う。少女の匂いもする。二代目ギロチンムーンであるな」

 白人。精悍な顔つき。茶色の瞳。色の薄いブロンド。マジスターに近い立派な体格。スーツは時代がかったデザイン。洒落たネクタイ。艶に輝く黒のケープ。柔らかい笑顔。

 その男は、鉄火場においてリラックスしている。まるでこの屋敷が彼の家であるかのように。暴力のある場においては誰でも少しは緊張する。ベアナックルであっても。

 しかし彼は悪徳の乳を吸って育ったかのようにその場に馴染んだいる。

 これほど自然体でいられるのは、とベアナックルはギロチンムーンを連想する。

 その時、男が腕を一振り。その手にはデンデラ王笏が握られていた。

「え? あ!」ギロチンムーンは己の手を見て驚愕。

「これでよい。目的は果たしたというもの」品性と野卑が同居したような声で男は言う。

「かなめ嬢、デンデラ王笏は手に入れた。これで良いな?」 

 かなめと呼ばれた女は満足そうに頷く。

「エンバマーにも会いたかったが、寝ているな。残念だ」

「閣下。どうしてエンバマーと?」と女。

「彼奴ほど小物でいじりがいのある小悪党は珍しいからだ」爽やかに男は笑う。

 ギロチンムーンは打首姫を男に振り下ろす。女は男から離れる。閃光。

 ベアナックルが目を開くと、男の前でギロチンムーンが跪いていた。立てないらしい。体から煙が上がっている。

「大変結構。少女は元気が一番。先代に劣らぬその正義感、天晴れよ。時が許せば話もできようが、我輩ら、用命を受けている身の上。ヒーローと歓談もできぬ雇われ。さあれ、かなめ嬢、いざ帰ろう。我らが悪徳の巣へ」

「ちょ、待て!」呼び止めたが、闖入者たちの引き起こした事態を飲み込めない。

 ベアナックルの声に反応してかなめと呼ばれた女が構えた。壁に刺さったのと同じ包丁、両手にしている。殺気の渦。俺が人を殺そうとするならこんな殺気を放つだろう。そうベアナックルは思った。

「てめえら、何者だ?」

 ベアナックルが戦いを挑まないことを予想していなかったようでかなめは、構えを解いた。そして男の方を見る。どうする?

 きまりの悪そうな顔をして、男は答える。

「やんぬるかな! 無法裏社会の住人たる我ら、裏の掟に従うべし。それを名も名乗らず仕事にかかるは掟破り。悪党とて誇りあるならば、我輩らがそうなのだが、誇りに見合った振る舞いを心掛けねばな!」

 ケープを手で翻し、男は見栄を切る。演出過剰だ。

「我輩、ルシアン・オブライエン・ハーレムルート男爵である。親しい者はサー・ルーシーと呼ぶ。幼い英雄、我輩をどう呼ぶか、自分で決めると良い。そしてこちらにおわすいと麗しき令嬢は」とサー・ルーシーは頭を下げ、恭しくかなめを紹介する。

「墓石はかいしかなめ嬢。新進気鋭のシリアルキラー、その手口は例えるなら、骸の腹に咲く彼岸花。花も恥じらう乙女ゆえ、手荒く扱わぬよう。君も男なれば婦女子を傷付けるような真似は避けよ」

 かなめはベアナックルの目を見、軽く会釈する。殺気は失せていた。刃物もしまっている。ところで王冠少年、君の名は?

 と、サー・ルーシーが問う。「ベアナックル・ハイエンド」 

 端的に答えたのは虚勢からだ。こんなコンディション、ギロチンムーンもダウンしていてはハッタリに頼りたくもなる。クソッタレめ。メジェドならそう言うだろう。

 にっ、とサー・ルーシーは笑う。地獄の門が歪めばこんな口になるだろう。

「勇気に男気、ブリキにタヌキにポンキッキ。見るにその王冠、かのマジスターに認められた証か! これはいいものが見れた。我輩満足。さて我ら、さる組織のメンバーなり。詳しくは語れぬこの集まり、いずれ君たちの知るところとなる為に、我輩らもまたお目にかかろう、君たちに。さあ、時が時計を気にしている。さらば、ベアナックル氏。そろそろ帰ろう、かなめ嬢」

 サー・ルーシーがケープをば、と広げる、明らかにケープは巨大化した。部屋を覆わんばかりで、かなめはそこに飛び込む。直感でベアナックルはギロチンムーンを抱えてサー・ルーシーから離れた。

 ケープは二人を包む、次の瞬間、黒いケープは蝙蝠の群れに変化して部屋から出ていった。

「打首姫のお嬢さんによろしく伝えてくれ!」サー・ルーシーの声が響く。

「なんだ、こりゃ?」その声に振り返れば、メジェド。

 わからん。と言うのもなんだか悔しく、消化不良の気分をベアナックルはメジェドと分け合った。

 とにかく、とにかく終わった。

 

 ベッドの上でとった食事は味気ない。清潔なベッド。静かな時間。個室。

 病院だった。

 意識を取り戻したギロチンムーンが最初に聞いたのは何が起こったか。そしてギロチンムーンが口にしたのは今夜のアリバイ。春一と勇はチンピラに絡まれて怪我をしたという事になった。日ノ笑はその場に居合わせもしなかった。

 そんな言い訳を春一たちは医師に話した。ギロチンムーンが語った物語はすんなりと受け入れられた。家族は特に簡単にだ。

 怪我も喧嘩も日常茶飯事の春一は全く怪しまれなかったというわけだ。知り合いの医師に「また君か」と言われただけ。

 現場の痕跡はギロチンムーンとメジェドによって消され、エンバマーは逮捕された。後顧の憂いはない。

 流石は手加減の権威。と春一は思う。俺も勇も酷い怪我はなかった。骨一本折れていなかった。マジスター・ハイエンド。

 窓の外を鳥が飛んでいった。それを反射的に目で追う。意味はない。ノック。

「どうぞ」

 入ってきたのは日ノ笑だった。地味な私服。所々に絆創膏や包帯が巻かれている。

「ハイ、春一」 

「よう。お前も来てたのか」流石に自宅での手当だは済まなかったか。

 日ノ笑は懐から黒い何かを取り出した。テレビのリモコンのようなもの。いや、テレビのリモコンだ。電源ボタンを押すと、周囲が少しだけ静かになった。

「日ノ笑、そりゃなんだ?」

「マスターコン。ドクター・ストゥピッドがくれたステッキの一種でコンピュータの電源を切ることができる。どんなコンピュータでもね」

「いや、なんで電源を切る?」

「盗聴対策よ。ま、念の為ね」

椅子を見つけて座り、日ノ笑は切り出した。

「戸籍を変えなければならないかもしれないわ」

「戸籍だと?」

「父さんがエンバマーに情報を流したと思う。そうなると、もう柔草日ノ笑ではいられない。ということ」

 新しく人生を作ると日ノ笑が言っていることに春一は驚いた。

「お、お前、本名はなんなんだよ?」

「馬鹿ね、私は柔草日ノ笑よ。いつでも柔草日ノ笑をやめられるだけ」

 小さなため息、それで日ノ笑が落ち込んでいるのに気付いた。

「落ち込んでるんじゃないの。ちょっと緊張してるだけ。戸籍の操作は初めてだから・・・・・・」

「その程度でビビるお前か?」

「・・・・・・認めるわ。私は父さんを失って動揺してる。いきなり一人ぼっちになったんだから、仕方ないよね」

 なんと言ってやればいいのか、春一は答えられない。

「いつこの場に警察が雪崩れ込んでくるか知れたもんじゃないし」

 俺を巻き込むんじゃねえ。そんな言葉を飲み込む。格好悪いし既に首までどっぷり巻き込まれている。抜け出すことはできない。

 お前は一人じゃない。そう言えればいいのだが、たった一人の家族を失った少女にそんなことは言えない春一だった。

「は。そん時は俺が警察をボコってやるよ」

 春一のジョークで大笑いする。

「ときどき面白いね、きみ。ヒーローがお巡りさん殴ってどうするの」

 日ノ笑は息を整える。楽しそうだ。

「ありがとう。元気が出たよ」

「気にすんな。それより一晩考えたんだが」と春一。

「俺たちは何故生きてるんだろうな?」

「哲学的ね・・・・・・」

「俺が何を言いたいか、読心術でわかるだろ。俺、お前、勇。誰一人死んでねえ。骨の一本も折られてねえ。おかしいだろ。絶対おかしい」

 そして春一は何がおかしいのか答を出している、と日ノ笑は思う。

「マジスターもギロチンムーンも手加減してたんだ。俺たちが勝てるように」

「それな違う」日ノ笑が遮る。

「違う? 茶番だったろ。どうやってか知らんがエンバマーの制御から二人は解放されてた」

 解放どころか、おそらく父はエンバマーを誘導し、コントロールしていたろう。

「それでも春一、私たちが死ぬ可能性は十分あった。父さんの真意は私が実戦に耐えられるか、ギロチンムーンを名乗るに足るか試すこと。最終調整をクリアしなければ全員殺されていた」

 日ノ笑の断言に春一は真実味を感じる。

「私たちがヒーローのなりそこないなら父さんは容赦しなかった筈。私が同じ立場なら、そうする」

 なんという苛烈な物言い。しかしその言葉は不思議と春一の腑に落ちた。

「それでもわからない事がある。そもそも父さんたちはどうしてエンバマーの制御から抜け出せたのか」

「それならわかる気がする」

 それは日ノ笑が予想していない言葉。

「蘇った肉体には頭脳も含まれていたろう。人格と記憶もアクティブ化した筈だ」

「ああ・・・・・・」

「精神の残りカスが紛い物の魂を凌駕した。ということじゃないのか」

「そう。そうね。きみが、正しい」

 精神と魂の対比。春一が答を出せたのは当然だ、と日ノ笑は思う。

 魂というよくわからないものより自身を鍛える、鍛えようとする意思、即ち精神を重んじる春一の人生観が如実に顕れた解釈だ。なるほど。日ノ笑は微笑む。

「昨日の後始末があるから私はもう行かなきゃ。その前にハル、きみには特に世話になったから私も誠意を見せないと。そう思って来たの」

 誠意?

 日ノ笑は下を向いて両目に手を。日ノ笑の頭頂部が見える。

 日ノ笑のつむじ、髪の根本がアニメで見るような珍しい色。勇が大好きなアニメのヒロインと同種の色だ。それを黒に染めている。

 日ノ笑の手には黒いカラーコンタクト。日ノ笑は微笑んで春一の顔を見据える。

 左右の色が違う瞳で。

「いつでもやめられるの。必要ならね」

「・・・・・・・・・・・・」

「果崎春一。勿論、誰にも話しちゃ駄目だよ。って、言うまでもないよね」

 日ノ笑は立ち上がり、見舞い品のフルーツを置く。

「『トゥモローパイオニア』。それが新しいチームの名前。人々の明日を、私たちは開拓する」そう言って出口に向かう。

「そうそう。マジスターの王冠は私が預かっておいてあげる。病院の中じゃ隠すのも一苦労でしょ。コスチュームも整備しといてあげるから」

 お大事に、手を振って日ノ笑は姿を消した。

 『首無し仮面』デュラハンマスク。ギロチンムーンの二つ名。

 俺が信じているのは間違いない。だが俺は誰を信じているんだ?

 顔は? 本名は? そんなもの、無いのか?

 日ノ笑がいなくなり環境音が戻っていた。

 入れ替わるように勇が入ってきた。

「チョリーッス。ハリー調子どう?」元気そうだ。命懸けでマジスターと戦ったのに。しかし、表情が固い。

「お前、そこで日ノ笑に会わなかったか?」

「え? 日ノ笑ちゃん?」

 変な空気が流れる。存在感の希薄な女の子だ。キャラは濃いのに。

「あれ? 顔色悪いじゃん。お客様の中にお医者さまは・・・・・・」

「そういうジョークはいいから・・・・・・」声がかすれている。

「見舞いに来てくれたのか?」と春一。

「あーね。お前が調べろって言ってたルシアン・オブライエン・ハーレムルートと墓石かなめの情報が手に入ったからよ」

「何者だった?」

 勇は周囲を見渡す。

「ここ、盗聴されてねえ?」勇も盗聴が気になるらしい。

「日ノ笑も気にしてたな。何故だ?」

「日ノ笑ちゃんも? 何か盗聴対策をしたか?」

「周囲の機械の電源を切るガジェットを使ってたな。今はこの通り機械が動いてる。盗聴器があるとしたら用心しなきゃだな」

 日ノ笑が病室に入ったところを勇は想像する。彼女が盗聴器を置いていったという可能性はありそうだ。ベアナックルとギロチンムーンに協力しろという砂絵の言葉を思い出す。もはやギロチンムーンから距離を置くことはできない。

 いっそ盗聴器を通してこちらの情報を流して牽制してやるか。

「まあ日ノ笑ちゃんの用心がその程度なら盗聴器なんてないだろ」努めて明るく振る舞う。

「まずかなめから。こいつは全然情報が出てこない。富山県南会みなえ村生まれ」

「見ない村?」

「みなえむら。墓石かなめは、聞いて驚け、中学生の頃に村人の大半を殺したらしい」

「ガキの頃に? マジかよ!」

「精神鑑定は真っ黒け。反社会性パーソナリティ障害と診断されて入院した。退院した後の記録は無い。昨夜久しぶりに表舞台に出たわけだ。いや、裏社会に」

 昨晩のかなめの、殺気の渦。あれが殺人者の殺気か。ふと、戦ってみたいと春一は思った。

「で、ルシアンの方。こっちはなんだろうな?」

「どうした?」

「なんでもね。ルシアン・オブライエン・ハーレムルートは二百四十年前にイギリスで産まれる。三十六歳の時に日本で行方不明に・・・・・・」

「ま、待てや!?」

「ワケわかんねーよな。何歳だよって話。たぶん本人じゃないんだろ。メジェドみたいに」

「ニセモノかよ」

「当時の日本政府がルシアンの情報を隠していたよ。何かの研究者だったらしい」

 勇は写真を取り出して春一に渡した。

「でも顔写真は簡単に手に入ったよ。昨夜会ったのはこいつ?」

 その写真には愉快そうに笑う白人が写っている。

「・・・・・・・・・・・・」

「大当たりか。ニセモノの線は消えて、長生きサンジェルマンの登場か」

「ルシアンの熱烈なファンで、顔を整形した変態の可能性もあるだろ」

「確かにその方がまだマシだけど、それも十分怖くてキモいからな?」

 勇はため息、肩を大袈裟に落とした。ヒーローってこんな奴も相手にしなきゃなの?

「で、だ。ついでに柔草家も調べてみた。柔草靖臣は、百年前の体操選手だったぜ。オリンピックにも出ている」

 春一は衝撃を受ける。

 これが盗聴器を通して伝えたい情報だ。日ノ笑ちゃん、あまりメジェドを舐めるなよ。

「当時の戸籍を調べても日ノ笑の名前は無かった。現在はあるけれど、改竄の痕跡もある。俺の上司はそこまでわかってりゃいい、泳がせとけって言ってたけどね」

 謎の日ノ笑。何者なんだ?

「ま、メジェ友(メジェド仲間の意)が引き続き調べてるし、多分敵じゃないだろうけど、秘密の多い娘だよな」肩をすくめる勇。

「・・・・・・信じよう」

 本当にハリーは変わった。と勇は思う。戦いしか信じない春一が、誰かを信じるようになるとは。それもあんな胡散臭い女をだ。俺がメジェドだという事実よりも強烈な衝撃をこいつは味わったわけだ。面白くなってきた。

「おい、なににやけてる? 俺が他人を信じるのが面白いか?」

「親友に当たりが強い・・・・・・。日ノ笑ちゃんは味方、俺たちのコンセンサスはそれでいいよな?」

「そうだ」簡潔な返答。これこそ春一らしい。

 思考は最低限。

「ほいじゃあ、俺は検査があるから」

「またな。メロス」と春一。

「お大事に。セリヌンティウス」

 にっこり笑って勇は出ていった。

 入れ替わりに、聡、断子、外郎、接子が入ってくる。

「具合はどうだね、春一」と聡。

「まずまずだよ」と答える。

 接子がコーヒーを差し入れてくれる。その顔は母の機嫌を伺う時のようだ。

「これで懲りたろう」と外郎。

 懲りるわけねえだろ。そう言おうとした時、断子が息子の胸に抱きつき、大声で泣き出した。全員動揺する。

「まあ、母さんが一番ビビってたからな」聡が言う。春一たちは口もきけず母を見る。

 本当は、と春一は思う。

 母も俺たちを愛していたのだ。それを表に出さないだけで。

 逆に俺も心のどこかで家族を愛し、信じている筈だ。

 そして春一は、日ノ笑に恋している自分を自覚した。


 だが、それがどうした?


 外郎、懲りるわけねえだろ。断子が俺を愛しているとはっきりしたのは俺が戦ったからだ。戦うことで断子の仮面を剥がした、からだ。

 そうか、これが、と春一は戦う理由を悟る。ヒーローが戦う理由の一つ。真実が明らかになること。勝利し、敗者の仮面を剥ぐことで真実が見えてくる。

 真実とは正義か。

 それなら俺はやはり、真実に興味はない。ひたすら戦いを追うだけ。

 しかし理解はできた。正義の追求にはきっと価値があるのだろう。

 何を犠牲にしてでも。

 己の人生の半分を仮面で覆うことになっても。

 ここにはないベアナックル・ハイエンドのコスチューム。仮面。それは今や春一の一部。半分。

 日ノ笑についていこうと、春一は決めた。


 時間は前後する。真夜中。春一の入院している病院からそう遠くない。その前身であった廃病院に、かなめとサー・ルシアンは戻っていた。府中病院跡。 

 清潔に保たれているが、照明は最低限で薄暗い。

「ふむ? 誰もいないか?」とルシアン。

「機械音も、音楽も聴こえないですね。みんなお留守みたい」周りを見回すかなめ。

「戻ったか。ルシアン。かなめちゃん、おかえり」

 待合室のソファに座っていた革ジャンの男が出迎えた。

「おお、親親おやちかか。我らの主、邪悪の王子、アクセス殿はおられるか? 随分人がいないようだが」

「そういう日もあるだろ。誰にも都合っつーものがあるからな」

「金閣寺さん、びっくりしますよ。ギロチンムーンが生きていたんです」

「いやかなめくん、彼女は二代目だ」

「どうでもいいさ。ヒーローなんて」金閣寺親親はタバコに火をつけた。

「あ、灰皿・・・・・・」灰皿は別室に置いたままなのを思い出す。

 ルシアンがガラスの灰皿を渡してやる。

「使いたまえ」

「どうも。いや、今どこから・・・・・・?」

「親親、アクセス殿は院長室か?」

「さっき検査棟にいたぜ」

「ありがとう。では我らはこれで」慇懃に礼をし、ルシアンは検査棟へ。かなめも後を追う。


 検査棟の受付室でその少年は、机に向かい物を書いていた。十代半ばといった姿なので宿題をしているようだ。勿論、十代の少年が廃病院の奥で宿題をする筈はないが。

 ノックの音。「どうぞ」

「入るぞ、アクセス殿!」

「ただいま、アクセスくん」

「ルシアン、かなめ!」

 アクセスと呼ばれる少年は立ち上がり顔を綻ばせた。

「はっ」我に帰り、アクセスは難しい顔をし威厳を演出する。

「遅かったな。犬でももっと早く棒切れ取ってくるぜ」言いながら二人の部下に茶を淹れてやる。

「遅くなって心配をかけたかな、アクセス殿?」

「ばか、心配なんてしてねえよ! 死ねルシアン!」

「傷つくわー」

「アクセスくんアクセスくん。聞いてくださいよ。ヒーローが生きていたんですよ」

「へえ?」

 改めて椅子に座り、屋敷での経緯についてアクセスに話をする。

「ってわけなんですよ。どうします?」語り終え、かなめはアクセスの判断を仰ぐ。かなめ自身は正式なメンバーではないとはいえ、この少年は組織のリーダーなのだ。

「実はギロチンムーンに跡継ぎがいるのはわかっていた」その言葉は二人にとって意外だ。

 ルシアンは顎を撫でながら何事か考える。

「これでしばらく退屈せずにすむな」

「まさしく」アクセスの不敵な言にルシアンが和する。

「アクセスくんもルシアン閣下も強気ですねえ」感心するかなめ、そういえば親親も動じていなかった。

 そうか、これがスーパーヴィランか。単なる人殺しの私とは違う。

「前から不思議だったんですけど、閣下もアクセスくんもプロテクテゴは何というんですか? 私、二人のコスチューム姿を知らないわ」

「我輩はこれがコスチュームだ」とルシアン。高そうなスーツを撫でる。

「近い将来、我が故郷より我輩に刺客が放たれると占いに出た。彼女はこの国でヒーローとなり我輩の前に立ち塞がると」

「それで俺に接触したのか」とアクセス。「正しく」とルシアン。

「して、アクセス殿。貴殿のプロテクテゴは如何に?」

「いつか明らかになるよ、ルシアン。俺の敵は、ギロチンムーンだ」

「ふむ」

「あら。ギロチンムーンの宿敵アークエネミーといえばブラックウォッチでは」

「彼奴めが我らに与する道理がなかろう、かなめ嬢。法を犯す者はヒーローヴィラン問わず彼奴には敵なのだから」

「そういうこと」とアクセス。

「むしろ俺たちの方をブラックウォッチは憎んでるだろうよ。何せ俺たち、『アークエネミーオーケストラ』は名前通り、宿敵アークエネミーの集まりなんだから。

「そうでしたね、アクセスくん。アクセスくんはギロチンムーンにどんな恨みがあるのかしら?」

 それもいつか明らかになる。とアクセス。少年は笑う。子供がとっておきの悪戯を打ち明けるように。

「一つだけ。二代目ギロチンムーンは俺の妹に当たる」

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