第7話

 エーベルハルト・アデナウアーは、ノルデン西方にあるライン川沿いの大都市ケーニヒ出身の、60代の元貧乏エルフ青年である。


 時は1939年、当時18歳だった彼は、ブルボン共和国との本格的な決戦を見越し、同年に政府によって公布された臨時徴兵法――帝国内全域の18歳から45歳(ヒト族・獣人族)、及び50歳から150歳(エルフ族)の男性を10人に1人の割合で徴兵する動員法――に運悪く引っ掛かり、一年間の訓練ののち、開戦の数日前に中央軍第2歩兵師団の二等狙撃兵として、オーデル川に送られた。


 最初は徴兵されたことにぶつぶつと文句を垂れていたエーベルハルトだったが、オーデル川攻防戦が開始して数か月が経つうちに、意外と軍隊生活も悪くないなと思い始めたのである。


 まず、飯がやたらと美味い。さすがに最前線では湯気の立つ飯には滅多にお目にかかれないが、レーションひとつとっても他国の軍隊のものより格段に味がいい。


 機銃陣地で齧るためのチョコレートバーにしてもしっかりと甘みがある上に供給は潤沢。非番の日にはライ麦パンや野菜スープ、熱々の肉にすらありつけるのだ。


 そして、仕事も非常に楽であった。


「なぁ、その機銃最後に撃ったの何日前だ?」

「しらね。忘れた」

「迫撃砲に至ってはここ1週間弾込めてすらいねぇぞ」


「「「「暇だなぁ…」」」」


 第一次総攻撃と渡河作戦が大失敗して以来、ブルボン軍の軍事行動は待てど暮せどからっきし。

 10万人単位の犠牲者を出した以上当然といえば当然なのだが、やたらと戦果を過小評価していたノルデン軍は、いつまた次の大攻勢が来るかと戦々恐々としており、大量の軍をオーデル川の岸に貼り付けていたのだ。


 しかし、ライン川攻防戦末期of末期時ならともかく当時は開戦直後、すなわちノルデン軍栄光の時代。戦時昇進であっという間に上等兵になったエーベルハルトのような歩兵たちにとっては、たまにやってくる小規模部隊に機銃弾を撒き散らすだけの簡単な仕事だった。


「それも最近はめっきり来ねぇし、本当に戦争してんのかって感じだよなぁ」

「死ななくて済むんだから、暇でいいじゃねぇか。俺らは川を眺めながら優雅にチョコバー齧ってりゃ良いんだよ」

「でもよぉ、お袋への手紙に『秋晴れが綺麗です』しか書くことがねぇんだよ」


 当時の兵士たちが直面した最大の困難が『手紙のネタの無さ』であったことが、呑気さを象徴していた。




 そんなこんなでだらだらと3年が過ぎたある日、変化は突然に訪れた。


「だ、第11軍より緊急電!橋が、お、陥とされました!」


 1943年7月15日、オーデル川防衛線の東側、第2機甲師団と歩兵7個師団が守るケムニッツ橋が、ブルボン軍によって突破されたのである。


 200年前、ドワーフの名工ケムニッツ卿が気まぐれに作った頑丈すぎる邪魔オブジェクト、もとい『不壊の建築』に名を連ねるケムニッツ橋は、現代技術で開発されたどのような兵器でも、掠り傷1つ付けることの叶わなかったオーパーツのごとき巨大な石橋であり、オーデル川に架かる橋と言う橋が片っ端から落とされた今となっては、ノルデン、ブルボン双方にとっての攻勢発起点だった。

 故に、ノルデン軍はこの橋に貴重な機甲戦力と8万人の歩兵を24時間体制で張り付け、ブルボン軍はこの橋の付近に攻勢用の予備戦力を常時一定数集めていた。


 そして今、この橋が破られたことによって、オーデル川防衛線は決壊した。南方戦役の第2幕、短いアルテこと『バイエルン平野攻防戦』の幕が切って落とされた瞬間である。


 とんとん拍子に大尉にまで昇進していたエーベルハルトと、なんだかんだ中佐になって以来昇進が頭打ちになっていたランベルトが出会ったのがこの頃だ。ノルデン軍第1機甲師団のボス、エルマー少将の副官に任命されたランベルトの、そのまた補佐として配属されたのがエーベルハルトだった。


「ようこそ第1機甲師団へ。歓迎するぞ、ランベルト中佐、そしてエーベルハルト大尉。早速だが本題に入ろうか」


 ノルデントップクラスの戦術家であるエルマー少将の補佐官として、2人はバイエルン平野を縦横無尽に駆け巡り、ランベルトを戦略家として、そしてエーベルハルトを野戦指揮官として大きく成長させた。


「エーベルハルト大尉、入室します!お隣さんのディーター師団より支援要請が入りました。カッセル市外郭への反転攻勢の為の、装甲打撃戦力を寄越せとの事です」

「ふむ…貴様はどう見る?」

「多少のリスクはありますが、やる価値はあるかと。何より、ここら一帯の鉄道拠点であるカッセル全域を奪還できれば、補給状況は大きく改善するでしょう」

「妥当な判断だな。貴様は第2大隊を率いて急行しろ。私はこのまま東側をブチ抜く。カッセル郊外でエスカルゴどもを両翼包囲だ。ディーター准将にも伝えてくれ」

「拝命しました。中佐ァ!指揮戦車貸してください!」


 エルマー師団長の元で副官兼野戦執刀医として働くランベルトの代わりに、実働部隊を率いて経験と功績を積み上げたエーベルハルトは、いつしかエルマーと並び称されるほどの名将になっていた。


「エーベルハルト中佐、貴様は戦後のことは考えているのか?」

「はい、いいえ。何分実家も貧乏ですので、特にこれといったことはございません」

「そうか。ならば、戦後もこのまま軍に残る気は無いか?まだまだ荒削りだが、貴様の戦術眼は確かな物だ。ゆくゆくは、将軍クラスも夢ではないと思うぞ?」

「…考えておきます」


 舞台をバイエルン平野に移してからもノルデン軍優勢の状況は変わらず、適度に殴っては撤退するというプロセスを繰り返しながら、平野中部のドレズデン市〜ライプツィヒ市〜デュッセルドルフ市を結ぶラインを順調に守り通していた。



 しかし、別れは突然にやってきた。



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『ノルデン陸軍、大敗す!』

 本日未明、ノルデン・アウグスライヒ・グレキア連合軍統合参謀総長フランツ・パスカル・フォン・デュルカー元帥は、1週間前より連合軍が遂行していた計画が失敗に終わったと公式に発表した。正確な損害は不明ながら、おおよそ連合軍全体で10万人以上が戦死、あるいは捕虜になったと回答している。これを受け、ウィルヘルミーナ陛下は『国家防衛計画』を発動。ライン川以北に住むすべてのノルデン人の疎開と、大規模徴兵体制への移行を宣言した。


(ライヒス・タイムズ1944年10月4日号外)

 ―――――――――――――――――――――――


 ノルデン帝国降伏の実質的な原因である『オーデルの護り』作戦に於いて、最先鋒としてエルマー少将とともに暴れていたエーベルハルトは、ブルボン軍の重囲下に取り残された。


 将官クラスが軍団長を残して全滅し、遮二無二な突破を試みるランベルトの為に、エーベルハルトは死兵を率いて懸命に時間を稼ぎ――


「貴様が生き残りか、ノルデン軍の中佐。まぁ安心しろ。ブルボン軍とて文明人の端くれだ。グレキア陸戦条約に基づいた待遇は保証してやる」


 ――包囲北部、彼の隷下7個連隊8400人のうち、たった1人だけ生き残った。


 両手を上げて後ろに回し、言われるがままにトラックに乗り込めば、立派にブルボン軍の捕虜の出来上がりである。


ランベルトが大佐から准将になり、更には最後の参謀総長として絶望的な攻防戦を戦い抜いた2年間、エーベルハルトはオーデルハイム市の臨時捕虜収容所で強制労働に勤しんだ。



そして、戦後から半年の歳月が流れる。


焼け野原の帝都に戻ったエーベルハルトは、帝都12街のうち、唯一全てが灰燼に帰した7番街の一角に掘っ建て小屋を建て、陸軍時代のツテを頼ってバーを始めた。


これが、のちに帝都一と謳われるバー『シュバルツ』の始まりである。

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医者と化け猫 マイハル @Maiharu10

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