第5話
「辛気臭い話はここまでにして、ひとまず外に出よう」
ランベルトの提案をセシリアは快諾し、ひとまず着替えようということになった。
「なんなんですか、こんな量の女物の服…」
「文句は先代の参謀総長に言ってくれ。あのジジイ、相当な嫁バカだったらしくてな…まぁ、今じゃ二人ともあの世に行ってるわけなんだが」
通算一年半湿気るままにしていた衣裳部屋にセシリアを放り込んで、ランベルト自身は久しく着ていなかった普通の冬用コートを手に玄関へと向かった。
「合う服があると良いんだが。なんせ身長高いからなぁ」
オーデルハイムの頃はそうでもなかったのだが、今のセシリアの身長は170cm弱で、176cmとやや大柄のランベルトと並んでもあまり遜色がない。
その上、ボロボロとはいえゆったりとした作りのドレス越しからでもわかるくらいには出るとこはしっかり出ているので、正直ランベルト的にはサイズが合うものがあるのかは半信半疑である。
「あのジジイの奥さんに会ったことはないが、まぁ…なるようになれか」
「こ、こんなんでどうでしょうか。そこそこ似合うとは思うのですけれど」
「ん、ああ。良いんじゃ…ない、の、か?」
15分ほどして、トコトコと足音を立てながらセシリアは二階から降りてきた。
黒のすねまで届くロングスカートと白いシャツを基調に、セーターをシャツの上から被り、ランベルトが居間に放置していた軍用の黒いオーバーコートを羽織った彼女は、可憐さと軍人臭さが程よくまじりあっている。今のノルデンではよく見かける格好だ。
「意外と似合うな、軍用コート。ま、体格も似てるし当然っちゃ当然か」
「それもそうですね。せっかくなら、制帽でもかぶりましょうか?」
調子に乗ってジョークを飛ばしたセシリアに、
「流石に制帽の予備はないが、その代わりこれ被っとけ」
ランベルトはセシリアに何やらモコモコとした白い物を放り投げた。
「わ、わっと。…ルルシア帽ですか?これ」
「ああ、ノルデン軍制式冬季戦装備の一つだ。少しデカいかもしれんが、暖かさは保証するぞ」
軍用とあって頑丈ながら見た目もしっかりしており、セシリアの銀髪に白い帽子は意外と似合う。何より、耳を隠せる上に防寒性能は折り紙付きだった。
どうせもう使うこともないし、お古で悪いが使いたかったら使いな、という言葉のままにありがたく頂戴し、「ぽすっ」と言う音とともに彼女は帽子を被った。
ランベルトは当然のように将官用の制帽を被り――彼曰く軍の規定で義務付けられているのだとか――、比較的穏やかな空の下、コート姿の2人は並んで歩き出した。
「本当に全部焼け野原なんですね」
「ああ。住宅街も政府官庁街も、宮殿や参謀本部だって瓦礫の山だ。特に宮殿は手ひどくやられたよ。なんせ、ブランデンブルク攻防戦最後の戦場だったからな」
ザクザクと雪を踏みながら歩く二人の眼前には、帝都攻防戦のクライマックスの舞台であり、当時帝都に残った最後の将官だったランベルト自身が指揮をとり防衛を試みた、半壊してなおかつての威容を保つ皇宮ことブランデンブルク皇帝宮殿が鎮座していた。15cm野砲の直撃弾をあっさり弾き返したと言う伝説を持つ中央ドームのてっぺんには、かつて翻っていた銀色の鷹をあしらったノルデン皇帝旗が引き摺り下ろされ、代わりに高々とブルボン陸軍の大軍旗が掲げられている。
「ここを通ると毎回思うんだよ、あぁ、負けたんだって。俺みたいな軍人が言うのも何だが、敗北の象徴だからな」
「…答えにくい話題振らないでくださいよ。そんな話ばっかだと彼女できた時嫌われますよ?」
「バッカお前、俺は恋人は仕事一筋だぞ?…それに、時間も圧倒的に足りないしな」
「またまた〜、准将さんなら引く手数多なんじゃ無いですか?よく見れば結構顔イケてますし」
「よく見ればとは何だよく見ればとは」
実際、荒れ放題の顎や髪が台無しにしているだけでランベルトの顔面偏差値は割と高い方である。少なくとも、むさ苦しい男が集まりがちである軍の中では貴重な美青年であり、容姿を理由にプロパガンダに引っ張り出されることも多かった。
それもそのはずで、今でこそストレスで白髪が混じっていたり、瞳が
軍大学を経て中佐になり、オーデル川防衛線で衛生兵として働いている間は、本人が気付いていないだけで後方の女性職員たちの憧れだったりしたのである。
まぁ、連日の激務とブランデンブルク攻防戦のお陰で生まれ持った美貌も台無しになってしまったのだが。
「…まぁいいか。とりあえず闇市に行くぞ」
「わかりましたぁ」
宮殿の残骸とブルボン軍旗に背を向け、2人は大通りを歩きだした。
「闇市の闇ってなんでしたっけ」
「非合法ならそれは闇市なんだよ」
「仮にも将軍閣下がそんなとこに行っていいんですか?」
「准将になったのは戦時特進だから実質的には大佐なんだよ」
「屁理屈にもほどがありません?」
世界に名だたる廃墟なだけあり、帝都の闇市はそれはそれは大きいものだった。
一キロ四方はある焼け野原に掘っ立て小屋や露店が無秩序に並び立ち、その中を雑踏がガヤガヤと動き回る。
周囲が焼け野原でなければ普通の市場に勘違いするほどの規模と人手であり、実際に数年後に再建されることになる帝都の中央市場の基盤になるのだが、それはまだ先の話。
今はまだ、時折ぶっ飛んだ価格でモノが売買されている太陽の下のデカすぎる闇市である。
「オイオイ、流石にこれは吹っ掛けすぎだろ爺さんよ。何だよ、パン一斤が37000ルネラって」
「うるせぇ、これでもだいぶまけてやってんだよ!隣の店なんか45000だからな?」
「45000ルネラ!?どうなってるんですか、ここのレートは…」
「ッチ、分かったよ…はぁ、いつになったらこのインフレは終わるんだか」
「あれ?オイ、あそこにいるの准将閣下じゃ無いか?」
「どれどれ…お、ホントだ。珍しいな、休暇に家の外に出てくるなんて。…しかも誰か女連れてるぞ!」
「はぁ?あの仕事が恋人の参謀総長(代理)閣下がぁ!?」
「閣下に女がいる訳ないだろ。どうせ親戚かなんかだ、気にするな」
「いやでも閣下に兄弟はいないし、親戚もほとんど戦死したか亡命したかって言ってたぞ?」
たとえ雑踏の中であっても、軍関係者の人口が比較的にせよ多いブランデンブルクでは、将官用の制帽はよく目立つ。
ましてや現在の帝都でほとんど唯一と言っていい将軍であるランベルトとそのツレが、人々の目に止まるのは時間の問題だった。
周囲のささやきは当然2人の耳にも入っており、傍らの男の姿勢での評判を耳にしたセシリアは憐憫の目を向け、ランベルトは憮然とした顔で懐から財布を取り出しながらそれに答えた。
「あんの部下共、放置しておけば好き勝手言いやがって…」
「事実だからどうしようもないのでは?」
「うるせぇなぁ…ホラ爺さん、きっかり37000ルネラだ。もうちっとばかし下げてくれれば、これからも来てやるよ」
「おーおーまた来い。びた一文とも下げてやる気はねぇが、嬢ちゃんにならオマケぐらいはつけてやるよ」
「わかってますねぇ。ありがとうございました!」
模様の描かれた紙屑9枚を手渡し、2人は再び雑踏に紛れていく。
当たり前のように談笑しながら隣り合って歩く2人の光景を、大半の人間が薬指をチラ見しながら首を傾げる中、過去を知る者たち、すなわち数少ない第6師団の生き残りたちだけは、穏やかな微笑を浮かべ、邪魔をするまいと目を背けるのだった。
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蛇足ですが、日本円=ノルデンルネラのレートは現在設定上では、1円=100ルネラ
となっております。ドルに直すと1ドル=10000ルネラになりますね。
発展途上国のようなレートですが、これでも
『一次大戦 ドイツ インフレ』
とでもググってみてください。1ドル=4,000,000,000,000(四兆)マルクとかいうふざけた数値が出てきます。
なおノルデンは敗戦からまだ一年後の上、シャハトのような魔術師はいない模様。大丈夫なのかなぁ(オイ作者)
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