第2話

(少尉殿…彼を頼みます)


(中尉、彼を頼む!私の部下を…戦友をこれ以上死なせる訳には…!)


(ノルデンの大尉さん、アンタにコイツを渡しておく。俺が戻らなかった時は…そうだな、ダミアン少佐に渡してくれ。そうだ、あのグレキア軍の大隊長だ。宜しく頼んだぞ)


(ノルデンの人間も、ブルボンの人間も大して変わらんのよ。上は知らんだろうが、俺らは知ってる。アンタは命の恩人だ。ウチの物で悪いが、このメダルを受け取っちゃくれねぇか?)


(フン、来たか。噂には聞いているぞ?ランベルト・フォン・アルテンブルク。叩き上げの将校にして、軍大学の野戦課程主席卒業者、とな。貴官には私の副官を任せる。せいぜい、衛生兵を率いてついて来い)


(エルマー閣下は戦死なさいました。申し上げにくいことですが、今現在、貴方がこの師団の再先任将校です。…どうか、指揮権を継承してください、大佐殿)


(ランベルト卿、今よりわたくし、ウィルヘルミーナ・フォン・ノルデンの名において貴公をノルデン軍准将に任命し、参謀総長代理として第一混成軍を率いることを許可する。…これで、よし。せいぜい、私をこき使うことだな)


(ランベルト准将、ブランデンブルク条約と戦時国際法に基づき、オーデルハイム軍事裁判により………)



「ハッ、ハッ、ハ…クッソ、またあの夢か…」


 翌日朝、帝都官庁街外縁部


 半年ぶりの休暇とはいえ、年がら年中働き続いてついた癖は抜けるわけでもなく、目覚ましもないのにランベルトは悪夢にうなされながら6時きっかりに目を覚ます。

 布団から起き上がった彼は暫しぼんやりと焦点の合わない目で窓の外を見ていたが、やがて思い立ったようにベッドを這い出し、階下へと降りて行った。

 3階建ての参謀総長公邸の中で、水回りの設備は2階に集中している。1番広い1階部分が公的な空間だった頃の名残だが、事実上彼の私邸になっている現状では、ただ単にキッチンとバスが同じフロアにある使いづらい家になってしまっていた。


 いつか改修しようとは彼も思ってはいるのだが、そのいつかがいつになるかわからない。大半の人間がバラック住まいの今のノルデンで、家を建て直せる余裕も、ましてや彼の持ちあわせる時間も足りないことを彼は知っていた。



「…ありゃ、入ってきちまったのか。しっかり戸締りはしたはずなんだがなぁ」


 チコリコーヒーを淹れようとキッチンのドアを開けた男の目に飛び込んできたのは、意外な先客だった。


 スラリとした長い尻尾と、ピコピコ揺れ動く耳が特徴的な客人の名は野良猫。、今の帝都では珍しくもない客だった。


「ったく、しゃーねーな。今飯を作ってやるからちょっと待ってろ。確か鯖缶は…」


 そういって男はキッチンの横に併設された貯蔵庫に入り、十分ほどして数本の缶と乾パンの袋を引っ張り出してきた。


「結構古い缶だが…まぁ大丈夫だろ。消費期限もまだ先だしな。さーてと、そんじゃ人の飯を準備しにかかるとしますか」


 鯖の水煮を適当な小皿に開け、男自身は乾パンの袋とマッシュドポテト、それにトマトソースの瓶から適当な量を取り出し、乾パンとコーヒーと一緒にもそもそと味気ない朝食を流し込む。


 朝日の差し込むキッチンに、しばし一人と一匹の食事する音が響いていた。





 多民族の代わりに多種族主義が存在しているあたりお察しだとは思うが、この世界、ファンタジー譲りの種族が世界全体の人口の半分を占めている。犬猫熊牛の獣人はもちろん、長命な(記録された最高記録は享年1068歳の女帝)エルフ族やドワーフ族も健在。大陸で絶滅が危惧される動物の中には、魔狼や一角獣、果ては竜まで混ざっているのがこの世界だ。

 多種族と人類は時に手を取り合い、時には争いあいながら、現在のように国家ごとに主義を変える方向で進んでいる。

 特にノルデンは多種族協調主義が顕著な国だった。道を歩けば獣耳や尻尾がそこかしこで動き回り、鉱山会社ではヒトとドワーフが酒を片手に何やら話し込んでいる。教会では猫人と犬人が式を上げ、大学ではドワーフとエルフが計算式と万年筆を手に激論を交わす。人口の三分の二が亜人族のこの国ならではの光景だった。

 男の古巣である軍でも多種族主義は変わらなかった。歩兵と戦車兵は人間、斥候兵は犬人、砲兵はドワーフ、狙撃兵はエルフと、多少の例外はありつつも大まかに決まっていた。

 空軍なら整備兵は人間、パイロットは猫人だし、海軍は犬人と人間がバランスよく混ざり合いながら運営していた。


「これからノルデンに軍事組織ができたとして、どうなるんだろうな、編成は」


 人類至上主義のブルボンが軍事組織に多種族の介入を許すとは思えないが、そうなった場合多種族前提で作られているノルデン軍のドクトリン軍事教範は根底から瓦解する。大陸のどの国家でも重砲扱いの155mmを『軽野砲』として運用するふざけたドクトリンはノルデン軍の構造体系が可能としたものだし、203mm野戦重砲を製造、運用する方法だってドワーフ砲兵頼みなのだ。


「見渡す限り人間だらけだったブルボン軍がドワーフ砲兵やエルフ狙撃兵を許容するわけがないもんなぁ…そうなるとノルデン軍が完全崩壊するんだが」


 ブルボン側の手腕次第だなとつぶやきながら彼はすぐ横でつぶらな瞳を向ける猫に振り返り、



「お前もそろそろ本性を現したらどうだ?もう分かってるんだよ。俺の師団の斥候部隊には何人も猫人がいたからな」


 と、胡散臭げな目を向けたのだった。


「え、あ、えと、ばれてました?あっ、じゃなくて…ニャン」

「もうさすがに遅せぇよ。




 それに、銀色の猫は流石に無理があるだろ」


「しょうがないか、騙せたと思ったんだけどなぁ」


 唐突に水を向けられた、くすんだ銀色の毛を持つ猫はあっさりとボロを出し、「うにゃっ」という間抜けな掛け声とともに液体のように体を溶かしたかと思うと、そこにはボロボロのドレスを纏った女性が立っていた。


「戦争が終わってから今まではバレなかったんだけどなぁ…何で分かったんですか?




 第6歩兵師団の、ランベルト大尉サン?」


 床をかするほど長い尻尾をゆらゆらと揺らし、銀色の耳をピクピクと震わせ、イタズラっぽく笑う彼女の首には、赤いルビーを嵌め込んだ黒革紐のペンダントが付けられていた。


 そして、それを目にしたランベルトは驚愕に思わず声を上げた。


「んなっ、お前…なんで生きて…!オーデル川で死んだはずじゃ…!」


 オーデルハイムの宝飾店だけが作れるその銀と宝石を組み合わせたペンダントは、今は亡きはずの猫人族の少女に渡したプレゼントだったからだ。

 

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