医者と化け猫

舞葉

第1話

 つい1年ほど前に、広大な大陸の一角でとある戦争が終結した。

 後世『南方戦役』とシンプルに呼ばれることになるその戦争は、矢面に立ったブルボン共和国とノルデン帝国の双方だけでなく、大陸に属する全国家に影響を及ぼすほどの大規模な戦争となった。


 ブルボン陸海空軍総死者数、67万5千人。


 ノルデン陸海空軍総死者数、15万4千人。


 両国の同盟国からの総死者数、25万6千人。



 民間人を含めた戦役全体の死者、負傷者、行方不明者

 合計、250万以上。


 獣人族やエルフ族、あるいはドワーフ族などさまざまな種族が住むこの世界において、人類至上主義を掲げるブルボンと、多種族の平等を掲げるノルデンが激突したこの戦争は、大陸諸国を巻き込んだ大規模なものとなった


 40万人のブルボン兵が命を散らし、3年間に渡って帝国側が4倍の戦力相手に戦い続けたオーデル川攻防戦に始まり、西大内海の制海権をめぐって両軍合わせて25隻の戦艦と18隻の空母、そして200隻以上の巡洋艦と駆逐艦が激突したマルセーヌ沖海戦、ノルデン側最大の犠牲者を出した『オーデルの護り』作戦などを経て、ノルデン残存軍中の精鋭6万とブルボン軍20万が激突した2年間に及ぶ帝都ブランデンブルク攻防戦の結果と、それに連なる第二の大河、ライン川防衛線の決壊により、ノルデン政府の生き残りと参謀本部の残党は、今となってはかつて寄せられた美麗字句など見る影もない帝都、その中央広場跡地で、降伏文書にサインをした。


『ブランデンブルク条約』の履行により、ノルデン陸軍は全軍がブルボン軍に投降。参謀総長の独断により、海上封鎖を試みるブルボン海軍を鎧袖一触して隣国に亡命した海軍や、大戦中一度も制空権を手放さず、数多くのエースと技術力にモノを言わせて悠々と同盟諸国に着陸した空軍など例外はあれど、将軍クラスが数多く元帥に名を連ね、閣僚級の政府高官や皇帝その人すらも帝都攻防戦で銃を片手に戦死した今とあっては焼け石に水。

 降伏文書のサインがそれぞれ外務大臣付き秘書補佐と陸軍准将であったことが、攻防戦の苛烈さを物語る。


 ざっと900年以上もの間、エルフ出身の女帝ウィルヘルミーナ・フォン・ノルデンの元、大陸の南方で栄華を極めた多種族国家ノルデン帝国は、大陸歴1946年に滅亡した。




 さて、ここに一人の男がいる。


 不健康なほどに細い体や大きく削げた頬が目立つ彼は、貧相な体に見合わぬくらいに立派なカーキ色の軍用のオーバーコートを羽織っていた。


 鈍い輝きを放つ樫の葉をあしらった肩章と、金メッキの鷹の羽をあしらった襟章は、この貧相な男がそれなりの地位にいたことを指し示す。

 敗戦後の今となっては意味のない階級だが、旧ノルデン領内では未だにそれなりの価値は有している。行き交う軍人崩れらしき男たちが、皆彼が通り過ぎるたびに背中や顔に向かって敬礼や会釈をしているのがその証拠だ。

 本人にしてみれば、それしか出勤用の上着がないと言う切羽詰まった状況ではあるのだが。


 サクサク、サクサクと、雪の降り頻る白い大通りを雑踏に紛れて彼は進む。同じように大通りを歩む8割型の人が南、すなわちブランデンブルク中央駅を目指す中、その流れに逆らって帝都中央部へと歩みを進める人は多くない。


 横転し、錆の浮くままになっているブランデンブルク市電の車両や、白い雪の降り積もった戦車の残骸を横目に、フラフラと男は進み続ける。

 官庁街跡地を抜け、5キロほど行ったところで彼は立ち止まり、攻防戦を生き残った数少ない建物である旧参謀総長公邸の前で、徐に鍵を取り出し、重厚な鉄門を少しだけ開けて、中へと歩き出した。


「……ん?なんだ、こりゃ」


 公邸の正面入り口の鍵を開けようとして、ふと足元を見た彼の眼に映ったのは灰色のもこもことした何か。


 何気なくその黒い何かに伸ばされた男の手は、


「いっでぇ!?」


 紅い線を引きながら派手に引っかかれることとなった。


 とっさに手を振って毛玉を追い払い、フーフーと手に息を吹きかけながらオーク材のドアを開ける彼の名はランベルト・フォン・アルテンブルク。


 ノルデンに生まれ、ノルデンの為に生き、






 ノルデンの為に死ぬ男である。

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