第29話
未来の分からなさを今に全部押し付けていた。
だからそれをやめる。未来は未来でそのときの私が何とかするから。私が信じていなかったのは未来でも情熱でもなくて、私だった。あとの全ては私の中にもう準備出来ている。
そして、私が私を信じることだけが、私が私を信じることを生む。命の循環のように。信じていない私と信じる私の極めて僅かで決定的な差異がそこで、それぞれの輪は交わらない。だから最初だけは飛ばなくてはならない。飛ぶまではその飛んだ先のことは分からない。
それが信じたときに、飛んだときに初めて分かる。
飛ぶと決めたときにはもう飛んでいる。
「私は、歌を歌って生きる」
目の前には誰もいない。私は私だけに宣言したのか。違う。その宣言は世界に、こっち側も向こう側も、そして私自身に対してもしたもので、つまり全てにしたものだ。
たくさんの迷いがもう過去のもので、宣言をしてみれば、そうでなかったときの自分との違いがよく分かる。
「十分になったよ」
私は目の前の空間をノックする。ノックしたところが扉になる。
ドアノブを掴んで開けると、そこに老青桜のところで会った赤いベレー帽と赤い服に空色の丸模様の男性が、一人掛けのソファに座っている。シックな部屋。
「やあ。来たね」
「来た」
「才能を手に入れたね」
「手に入れた」
じっと彼が私を見る。ほのかに喜んでいるような眼。
「じゃあ、一曲歌って貰おうか」
望むところだ。
構えると男性が、違う違う、と制する。
「ここじゃない。場面は用意されてるって言ったろ?」
男性は立ち上がって、彼の後ろにあるドアの前に行く。
「ここから出れば、ステージがある。そこで歌うんだ」
「どうして」
「君の培って来たものと、踏み出す勇気の交点。それがここだからさ」
男性はドアを開ける。
私は口許を引き結んで一歩を踏み出す。彼の前を通るときに、ありがとう、と言ったけど、彼は何も言わなかった。
ドアの向こうは廊下がしばらく続いて、そこから上りの階段。熱気の気配がする。
上り切ったらそこはライヴをするステージそのもので、バンドがいて、観客もいる。私がズックを置くと、バンドの一人が悠然と近付いて来た。
「何を演る?」
「オリジナルはないから、zarameの歌を歌いたい」
「どの曲でもいけるよ」
ちょっと考えれば今に必要な歌はすぐに決まった。
「『blazing』をお願いします」
「最高だね」
彼は他のメンバーを回って演目を伝え、その間に私はマイクを確認する。
これが私の最初のマイク。あ、そうだ、リボン。
ズックの中からカセットテープを出す。でも髪の長さが足りないから、お尻のポッケに入れた。そして、メンバーの一人一人に、よろしくお願いします、と言って回る。客席はざわざわとし続けている。
「いつでもいいぜ」
最初の彼の声が届いて、私はマイクをスタンドから外して左手に握る。
観客席が徐々に静かになる。
「こんにちは。アカネです。一曲聴いて下さい。zarameで『blazing』」
わー、と観客の歓声が一瞬上がり、バンドの音がそれに被さるように始まる。
上手く歌おうとか、無難にやろうとか、全然思わなくて、今の私に宿っているものを全部ぶつける。違う。私の命を全部吐き出そう。聴く人の頬を打ちたいという願望はある。だけど、それは結果で私がするのは私を打ち出すこと。何も矛盾しない。私はこうだ。私はこうがいい。私の命はこうなんだ。
私が想うこと、しようとしていることと、歌詞とmusicは完全に一致していて、歌の始まりとともに私のハートはどんどん燃えて、間奏の間に一度自分にそれが戻って来て、その後の歌でさらに爆発した、強烈な痺れの中で歌は終わった。
バンドの後奏を聴く。
私が今、強い。口許に笑みが出る。
私は、私になった。
曲が終わる。
観客が歓声を上げる。
私はマイクを高く掲げて応える。
ゆっくり掻き消えるように歓声が落ち着くと同時に、目の前にいたはずの観客が消えた。
振り向くと後ろにいたバンドもいなくて、私はステージではなく道の上に立っている。
もう一度前を向くと、たった一人残っている。
「スカンク!」
駆け寄って、正面に立つ。
「アカネ。いい歌だったぜ」
「私、自分が何か決めたんだ」
「そうか。歌を歌うんだな」
「うん。スカンク、また一緒に旅をしよう」
スカンクは、ん、と何かを考える顔をする。
「それは出来ないだろ」
「どうして」
「これから歌うんだろ?」
「歌う」
「俺は旅人だからな。でもきっと、お前に会いに行くよ。どっちの世界にいようとも、な」
「どうやって?」
「お前が歌ってれば俺に聴こえる。だから簡単だろ?」
スカンクはにっこりと微笑む。今までで一番優しい顔。
その顔を見ていたら、熱い熱い涙がはらはらと溢れて来た。
スカンクは何も言わない。
私は涙越しにスカンクを見る。スカンクは表情を変えない。
目の端で太陽が昇るのを感じる。ゆっくりと陽が射し始める。
スカンクは優しい顔のままで、だから今度は涙が止まって、それを拭ってスカンクの眼を見る。
「スカンク」
「何だ?」
「きっと会いに来て」
「約束する」
「だから名前の由来は訊かない」
「ああ、もちろんだ」
朝焼けに二人の影が伸びる。
「行かなくちゃ」
「またな」
「うん。またね」
私は向こうに転がっているズックを背負って、振り返るとスカンクはまだそこにいて、何の動きもしないで私を見ている。
私はちょっとだけ笑んで、手を振らずにスカンクと反対方向に進む。
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