第26話
前を向いて歩く。髪だけじゃない、私に力が漲っている。
空、道、私。歌がこころの底から沸き上がる。体の中に流れる前奏は「リボン」のそれだ。
大きく息を吸ったら全開の声で歌う。周りには誰かがいるかも知れない、いないかも知れない、どっちでもいい。
鳥肌が立つ。歩みを止める。
私が歌で、歌が私。
いずれ曲は終わって、余韻の中、鳥のさえずりに気付く。耳を澄まして、それはメロディー、「リボン」の旋律。
惹き寄せられるままに歩いて行くと、空間が開いて一本の樹木が遠景に見える。
青桜。あの木とは別の、でも、この木も青桜の葉桜だ。ずっと大きくて、少し老いている。
鳥の「リボン」は続く。
老青桜の枝から大振りの鳥カゴが下がっていて、歌はそこから聞こえる。近付くにつれて囲われているのはライムグリーンに紫の横縞のフクロウ、カゴの隙間を縫って流れるフクロウの歌声。
眼が合うとフクロウの歌が止まる。
木肌の近くまで寄って、カゴとフクロウを眺める。フクロウは焦点の定まらない顔で私が来た方をそのまま見ている。
「君はもう歌わないの?」
フクロウは返事も反応もしない。
じっと見ても、こちらを見もしない。
「もうちょっと君の歌が聴きたいな」
フクロウは微動だにしない。
黙って待つ。
一枚絵のようにフクロウは、カゴと同じくらい動かない。
「君の歌を聴きに来たんだよ」
動かない。
聞こえてないのかな。ただ無視しているだけなのかな。
「いいや。じゃあ私が歌う」
フクロウの首がぐりんと回って再び眼が合う。透視されるような眼。
じっと見返す。
そのままの態勢で、こころの中で曲を始める。zarameの「earth climber」。
フクロウがただ一人の聴衆だから、彼に向けて歌う。私をじっと見たまま身じろぎもしないで、でも私の歌を聴いている。黙って聴いている。
曲が終わり、自分の中がじんじんして、もっと強くフクロウを見る。
バサバサ、と小さく羽ばたいたら、フクロウは歌を始める。でも「earth climber」じゃない、知らない歌。
フクロウが朗々としているのに集中していたら、急に男性がその横に立っていた。大きな真っ赤なベレー帽を目深に被ったその男性の方向にフクロウは首を回す。男性が右手の指を一本立てて見せるとフクロウは黙った。男性は歌が終わったことを確認するように頷いたら、私の方に体ごと向く。服も赤くて、空色の丸がところどころにあしらわれている。
「いい歌だったね」
「私の歌じゃない」
「それは分かるよ。君はどうして歌うんだい?」
「歌いたいから」
「歌手なのかい?」
「そうなるかも知れない」
「歌手になったら、歌手だから歌うの?」
私は首を振る。一瞬フクロウを視線で捉えた後に男性を見る。
「歌うから歌う。そのフクロウみたいに、鳥だから歌う訳でも、歌うから鳥な訳でもないです」
男性は目を細める。
「君は才能があるね」
え。
「でも少し弱い」
私は眉を顰める。男性はさっきフクロウにしたのと同じように人差し指を立てる。
「才能ってのはね、意志だよ」
「意志」
「十分になったらノック出来るから。場面はいつだって用意されてる」
男性はそう言うとくるりと後ろを向いて歩き出す。追っても追い付けない、そう直感したから追わない。フクロウは男性を見るでもなく、私を見るでもなく、もう歌う気もなさそう。
私は青桜の老木を背に、来た道とも男性が行った方とも別の向きに進む。もしフクロウが歌うならもう一曲やり合おう、背中で待ちながら歩くけど、胸に生まれ始めた染みの方に意識は向いている。それを見透かしているのかフクロウは歌うことなく、空間の外に出たら木も鳥も消えた。
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