第24話
見上げる月は満月になった。その光のせいなのか、てんとう虫がブローチ台から息を吹き返して、のろのろと飛ぶから、追う。
何も現れないまま概ね真っ直ぐに進んで行く。
麻袋からアカリンゴ。
しゃりっ。
そのアカリンゴが芯になってもてんとう虫の飛行は終わらない。
遠くが暗くなる。
徐々に近付くにつれ、それがレンガの壁だと分かる。
「夜の終わり」
てんとう虫はレンガに貼り付く。そっとブローチ台に戻す。
ハートの落書きはない。
右と左を見るけど、迷う意味はないから、左に決めてレンガの壁沿いに歩く。
右側をレンガがずっと抜けてゆく。左側の認識出来ない範囲の向こうには夜のビルがあって、進む先にも同じものが建っている。
同じ景色が続く。
でも段々正面の夜のビルは大きくなる。
もう一個アカリンゴを食べようかな。
あ。人。
レンガの終わりの麓に三人の人がいるのを見付けて麻袋に伸ばした手を引っ込める。
「また試験かな」
黙って近付くとその中の一人が私に気付いて声を張る。
「君も向こう側に行きたい人かい?」
「そうです」
「じゃあここに並んで」
今回はコンロはなくて、あのときと同じ格好の試験官らしき人がいて、その前に今私に声を掛けた男性と、女性が立っている。試験官、女性、男性、私、の順に一列に並ぶ。
「じゃあ今回はこの三人が受験者と言うことで、試験を始める。一人ずつの口頭諮問だから、前の人が終わるまでは今の場所で待っているように」
試験官と女性は、懺悔室のような箱型の小さな建物の中にそれぞれの入り口から入る。
それを私たちは見ていた。
扉が閉められたら、男性がくるりとこっちを向く。
「君はアオアオムシには会ったかい?」
「アオアオムシ?」
「ミドリキャベツが主食の虫だよ。もっともそれは昼の話だけどね。夜にはアオサナギ。次のところでどうなのかは分からないけど」
「虫様なら会いました」
男性はちょっと詰まる。
「ふぅん、そう。なかなかやるね。僕は鉛筆工房にも行ったよ。君は?」
「そこには行ってない」
「そうかそうか。ここは何を訊かれるのか知らないけど、これまでの旅のことが問われるのは間違い無いだろうね。行ったことがないところが多いと、ピンチかもね」
ニヤリと笑ってみせる男性。そっとしておこう。もし経験不足で道が閉ざされるなら、もっと行けばいいだけ。
懺悔室の扉が開いて、二人が出て来る。
試験官はさっきと変わらない顔だけど、女性はイライラした表情。何も言わずに去って行った。
「次の方」
男性が肩を竦めて見せる。
二人は懺悔室に入る。取り残された私。
彼らが話している内容は全く聞こえない。卵に比べたら公正な試験なのかな。
昼を終えて、夜を終える。
次が何かは分からないけど、私は進む。
殆ど待たずに、二人が出て来る。男性は明らかに怒っている。じっと私の方を見て、そのままどこかに行った。
「次の方」
「はい」
懺悔室に入ると奥が長くて、ベンチみたいに幅がある。入り口は二つなのに中は仕切られてなくて、窓を黒く塗り潰された観覧車に乗っているよう。
試験官が私の眼を射抜くように見る。
「君は旅の終わりの後、どうしたい?」
それはまさに朧に見えているもの。でも、朧なんだ。
「大体見えて来てますけど、まだ決め切れてないです」
「大体を言葉にしてみてくれるかな」
言葉に。
言葉に、していいのかな。
まだ固まっていないものを言葉にしたら、死んじゃうんじゃないのかな。
そんな簡単に喋っていいものじゃない。試験だからって私の核を、不安定なまま晒す、それは、やっぱり出来ない。
「どうした?」
試験官はまだ私を見ている。いや観察している。
自然と私の両拳に力が入る。
でも。
でも、売れないものはある。
「話せません」
「どうして? 試験だぞ」
「たとえ試験でも、言葉にしたら失うものを、話せません」
「合格」
試験官はニッと微笑む。
「君で最後だったから、一緒に出て壁の向こう側への扉を開けよう」
懺悔室的観覧車から出て、試験官に着いてレンガ沿いを歩く。扉があって、その前で彼は止まる。
「ここを出たら朝だ。扉を通過したら向こうから閉めてくれ。いいな?」
「分かりました」
試験官が鍵を開け、開いた扉の向こうは眩い光、くらくらする程。
その光の中に入る。
向こう側はすっかり朝で、扉の内側だけが夜のまま。言われた通りに扉を閉める。
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