第22話
前に前に進んでいたら、果実の甘い香りがした。呼応するようにお腹がすく。
香りがあるからお腹が鳴ったのか、お腹が減ったから香りに敏感になったのか分からない。だけど、もう私は空腹者だ。
香りの方に行く。
いつ境界を越えたのか認識出来ないままにさっきと違う景色の中に立っていた。
背の低い木が縦横に七歩くらいの間隔で生えている。いや、植えられている。
「果樹園?」
低木の間を歩きながら生っている果実を見ると、リンゴ?
もいで食べるのは簡単だけど、しない。
誰かがいる筈、探したらすぐに収穫中のおばちゃんを見付けた。農家らしい姿。
「こんにちは。ここは果樹園ですか?」
「そうだよ。いいでしょ、みんなプリプリに生ってるでしょ」
「リンゴ?」
「惜しい。アカリンゴだよ」
「アカリンゴ」
「そうだよ、一個食べてみるかい?」
おばちゃんはカゴから一つ取ると、満面の笑みで私に勧める。
「食べます」
受け取った私はでも、困る。
「皮はどうするの?」
「お上品さんだったんだね。じゃあ、ちょっと貸してごらん。すぐに剥いてあげるから」
おばちゃんは私のアカリンゴを取ると、ナイフを出してするするすると皮を剥く。剥かれた皮が地面に優雅に落ちる。
「ほら、食べな」
「ありがとう」
アカリンゴも実は白くて、味もリンゴによく似ているけど、もっと甘い。私をここに連れて来たのと同じ香りが鼻に踊る。
「美味しい」
「でしょ? うちのアカリンゴは世界一だからね。他のところのなんて食べられなくなっちゃうから」
私は頷きながらアカリンゴを食べ切る。それを待っていたようにおばちゃんが続ける。
「育てるってのは目的があるんだよ。世界一美味しくなれってね」
「目的」
「でも、育つ側はそんなの知ったこっちゃない。どのアカリンゴも目標なんて持たずに育ってる。もしかしたら自分が育っていることにすら気付いていないかもね」
「育てられてることにも」
「そう。その通り。気が付いたら大きく甘くなってて、収穫されちゃう。アカリンゴの幸せなんて分からないけど、私はそれが幸せだよ」
まだ木に生っているアカリンゴを見る。
艶やかで大きくて、魅力的。それは食べたらなくなる魅力。
おばちゃんも同じアカリンゴを見て、それをもぐ。
おばちゃんのカゴに入るまで私はそのアカリンゴを目で追う。
「あの。もっと貰えませんか」
「え? ああ。いいよ、好きなだけ持って行きな」
「ありがとう」
「袋もあげるよ。ほら」
渡された麻袋にアカリンゴを入れてゆく。さっきのもぎたてから始まって、八、九、十個。
「こんなに」
「美味しいって、こころが動いたからね」
おばちゃんはウインクをするけど、反対の眼も半分瞑ってしまっていた。
「大事に食べます」
「いや、どんどん食べな」
「はい。じゃあ、行きます」
「ちょっと、退館票はいらないのかい?」
あるんだ。
「あ、いります。下さい」
「大事だからね」
おばちゃんは器用にカゴの縁で退館票を記入する。
「またおいで。そのときもアカリンゴをたっぷり食べさせてあげるから」
「ありがとう」
退館票を財布にしまって、おばちゃんの元を後にする。
しばらく歩けば果樹園は消えて、また月と星と道だけの世界。
アカリンゴを一つ出して皮の上からかぶり付く。甘味。夜に蜜を垂らしたみたい。
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