第17話
雨が降って来たと思って空を見たら、星も月も燻みなく光っている。
スカンクも雨を察知したような様子はないし、私の頭の雨を感じた場所も濡れてない。
スカンクにそのことを言おうとしたら、前の空間が開いて、くっきりとそこから先が雨だった。
「雨だね」
「そうだな」
スカンクが視線で私を誘導した先に、傘立て。黄色い傘を抜き取って差す。スカンクは白。
雨は弱くて霧雨よりは芯があるけど、傘の下に入るとその音でもっと雨を感じる。
ぼやっとした灯りのある方へ向かう。
それは家で、縁側の戸が全部開け放たれていて、そこに人が座っている。だから玄関がありそうな方には向かわず、直接その人の側まで行く。
和服姿のその人は男性で、若いと言うには老けていて、中年と言うには張りがある。
「やあ、いらっしゃい」
「ここはあなたのお家ですか?」
「そうだけど、店もここでやってるんだ。よかったら見ていってくれないかい」
「何を売っているの?」
「長靴だよ」
男性はそう言って立つと、部屋の奥から二組の長靴を持って来た。白に原色の色の差しがふんだんに入った小ぶりと、真っ黒な大ぶり。それを縁側に丁寧に置く。
「お二人にきっと似合いそうなものを選んで来たよ。是非試し履きをして下さい」
「でも私お金を持ってない」
「ああ、お金なんていらない。そもそもない」
「じゃあどうするの?」
「こころが動いたら、それで十分」
「お店にならないよ」
「それでいいんですよ」
そういうことでいいのかな。もしこころが動かなかったら、どうするのかな。
傘を置いて縁側に座って、長靴を履いてみる。ぴったりの大きさ。歩きやすいし、かわいい。スカンクの方も具合がよさそう。
「いい靴。私のために誂えられたみたい」
「それは最高の褒め言葉ですね。男性の方はどうですか?」
「ちょうどいい」
「じゃあ、その二つは二人のものです」
「ありがとう」
声を揃えて感謝したら、男性が雨の向こう側を眺めるような遠い目になる。
「長靴が先か、雨が先か。……どんなに雨が苦手な子でも、長靴を新調したときだけは雨の降ることを待ちます。嫌いだった筈の雨をこころ待ちにするんです。道具の素敵がそこにあります」
私は履いている長靴を見る。
雨は降り続いていて、他の音を封じたみたいに彼の声だけが輪郭を持って聴こえた。
一歩歩く。二歩、三歩、大股で、彼の視線を横切るように。
スカンクは立ったまま動かない。
男性の方を向く。
「やっぱり、しっくり来る。これも道具の素敵、ですよね」
「はい」
男性はにっこり柔和に微笑む。
「じゃあ、雨が上がる前に帰らなきゃ」
「そうですね」
退館票を書いて貰う間は縁側にスカンクと並んで座って、出来上がったそれと一緒に靴袋をくれたから、履いて来た靴を入れてズックに吊るす。
「さようなら」
「はい。さようなら。良い旅を」
雨足は全く変わらず霧雨より半歩強いまま、新しい長靴の感触を確かめるように歩く。
いずれ最初の傘立てに着いて、傘をそこに挿して空間の縁を出たら一面の星空。雨の気配なんて全然ない夜に戻った。三歩進めば雨の国は閉じて、どこも隠れていない月が顔を出す。
「雨ってこの夜にも降るの?」
「降るさ」
「靴袋が大きいのは、長靴を入れるためだよね」
「そうだろうな。早速履き替えよう」
私も元の靴に戻して、長靴を代わりに靴袋に入れて吊るす。
「この世界に入るときにお金を全部渡したのは、お金のない世界だからだったんだね」
「そのせいなのか、金を持ってるとある所から進めなくなる」
「もしお金を出してこの長靴を買ってたら、私の嬉しいの種類が今と違ったものになったと思うんだ」
「どんなだ?」
「今は長靴とこれを作った彼と、その想いとかを全身で受け止めている感じ。でもお金を払ったら、払った分のところがもっと乾いた感じになるような気がする」
「その乾きこそが金の力とも言えるんじゃないか。そこに辛い苦しい悲しいが乗っていても、金が防御する」
どちらからともなく歩き始める。
「きっと無差別に弾くんだよね。生じゃなくすると言うか」
「よくも悪くもある訳だ」
「お金を介さない長靴、歌に似てる」
スカンクは黙る。顔を見たら何かを感傷しているような、さっきの男性と同じで遠くを見るような顔をしている。
声を掛けない方がいいかな。
私も黙って歩く。
なんかお腹減ったし、不思議に疲れた。
「ねえ、スカンク」
「なんだ?」
「今日はもう休まない?」
「賛成。さっきのところで生気を吸われたみたいに疲れがどっと来てる」
「晩御飯は家で食べようよ」
「そうだな」
少し歩いたら空間が歪んで、スカンクの家が出た。昨日と同じように家の中に入って、荷物を置いたら、テーブルに就いて食事を摂る。今日は洗濯をした。スカンクが一人では使い切れないくらいの物干し竿とかハンガーとかを持っていて、明日着る物とパジャマ以外は全部洗って干す。
順番にシャワーを浴びて、部屋に入ったら今日の分の日記を書く。
「歌に似てる」
書き終えたら眠くて、ベッドにすぐに入る。窓から見える空は澄んだ夜。あっと言う間に眠りに落ちる。
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