第18話

「よく寝た」

 目覚めてみても夜なのは変わらないけど、体には力が充溢している。

 スカンクは既に食料の調達に出たと書き置きにあった。

 洗濯物は十分に乾いていて、それらを取り込んで、部屋の棚に入れようかと少し考えたけど、やっぱり自分の荷物は全部自分で持ち歩く方がいい。

 でもそのときに棚を覗いたら、奥の方に何かがあるのを見付けた。スカンクの身長だと屈まなければ死角になる位置だ。影の奥に手を伸ばす。

 金属。

 引っ張り出された物は、指輪だった。

 銀色のシンプルな輪っかで、内側にKと彫られている。女の子のサイズ。

「ただいま。手伝って!」

 スカンクの声がしてその指輪を咄嗟にポケットに入れてテーブルに向かう。

「今日も大漁だね」

「おうよ。昨日より多いぜ。昨日はちょっと足りなかったからな」

 食材を仕分けて、すぐに料理に取り掛かる。

 三食分を作ったら昼夜をお弁当にして、朝の分をテーブルで食べる。

「ねえ、スカンク」

「なんだ」

「さっき部屋の棚の奥の方から出て来たんだけど、これ誰かのだよね?」

 ポケットから指輪を出してスカンクに渡す。

「これどこにあったんだ?」

「私の部屋の棚の一番下の段の右奥」

「あいつめ」

 スカンクの眼は嬉しそうに輝いている。

「忘れ物かな?」

「それはない。意図的にそこに置いたんだ」

「意図的に」

 スカンクが指で指輪をつまんで裏に表にそれを眺める。

「お前、この指輪の話聞きたいか?」

「スカンクが話したいなら」

 スカンクはうーん、と腕を組んで、天井を一回見て、テーブルを見て、私を見る。

「俺の趣味とかじゃなく、アカネには話した方がいい話のように思うから、話すわ」

 スカンクはそこから猛烈な勢いで残りの朝食を食べた。私も負けないくらいのスピードで食べる。空の皿を前にして、スカンクが指輪を右手で弄ぶ。

「この指輪の内側にKって彫ってあるだろ? これはイニシャルで、そいつはKから始まる名前だった。まあ、Kと呼ぼうか。俺はスカンクだからS、ユキはYの刻印された指輪を持っていた」

「ユキも」

「俺たちは三人でこっちの世界に来たんだ。仲間の印としてお揃いの指輪を嵌めたんだ。でも道中でユキが進めなくなって、俺はKと二人だけで夜に入った。夜を彷徨っている間に、Kだけが入れる場所が出てそれが増えた。それで、今度は俺が置いていかれる形でKと別れたんだ」

「Kはどうなったの?」

「進んだ。連絡は取ってない」

「思い出の染み込んだ指輪なんだ。貸して、元に戻して来るから」

「いや、いいよ。もう、出て来たものだから俺が保管する」

 スカンクは立ち上がり、朝食の片付けを始める。私も。

「アカネ」

「何?」

「俺はあいつが指輪を置いて行ったなんて思ってなかった」

「そっか」

「見付けてくれて、ありがとうな」

「うん」

 スカンクの顔は寂しいとか辛いとか全然なくて、透明な力強さを携えている。流し場でそこだけ朝陽が射しているような。

「よし、じゃあ準備して出発しよう」

 部屋に戻って荷物を入れたズックを背負い、さっきの棚をもう一度覗き込む。影はあるけどそれ以外は何もない。

「ずっと見付けて貰えるのを待ってた」

 呟いて、部屋を後にする。

「お待たせ」

「出発」


 夜の道は殆ど変わらない。月が昨日よりももう少し大きくなっている。それだけ。

 中間的距離の認識は出来ないまま、月の方へ歩く。

「スカンク、指輪は連れて来たの?」

「いや。部屋だ」

「そっか」

 また黙って歩く。

 階段に行き当たる。また上りだ。

 黙々と上る。視線が足許に集中する。

 踊り場に出る。でも、何も現れない。続きを上って行く。

 見上げればちゃんと月の方向を向いている。

 汗が出る。

 頂上が見えて来た、もう少し。

 到着。そこにもさっきと同じような道が続いている。

 ちょっとだけ休んで、前に進む。

「スカンク」

「何だ?」

「どうしてなのかな、指輪のことが私引っ掛かるんだ」

 スカンクは返事をしない。

 沈黙を二人の間に挟んだまま、歩く。

 その沈黙の理由が距離に希釈され切ってしまいそうなくらい歩いたところでスカンクが口を開く。

「お前とあいつは似てもないし、代わりでもない」

 今度は私が黙る。スカンクが続ける。

「一緒に旅をしてみたい、そう思ったから声を掛けたんだ」

 どうしてだろう、胸がぐしゅってなる。予感がする。

「スカンク」

「何だ?」

「私も一緒に旅をしようと思った。そう言うことじゃないんだ」

 スカンクは応えない。

「誰かの代わりだなんて思ってない。違うよスカンク、あなたはそんな風に私を見たことなんて一度もない」

 私は立ち止まる。スカンクも呼応して止まる。

「Kの話が、私に予感をさせるんだ。それは」

「ああ、分かった」

 スカンクが私の言葉を遮る。

「アカネ。その予感はきっと正しい。だけど、二人が旅をする人間である以上は受け止めなくちゃならない」

 スカンクの目が澄んでいて、これまでもこういうことがあって、全てを一度も逃げることなく受け止めて来たのだと分かる。それは自分の生命に根差しているから、運命よりも能動的で、宿命よりも諦めがない。

 私はスカンクの目をもっと見て、そこに反射している自分を見て、理解する。

「私も、旅をする人間」

「そうだ」

 旅人ではない。

 スカンクの真剣に私の真剣を鍔迫つばぜらわせる。かけた圧力にスカンクが頬を緩める。

「だから」

 スカンクが小さく頷く。

「だから、私も受け止める」

 スカンクの緩んだ頬が笑みになる。

「よし」

 私は口を引き結ぶ。

 そして頷く。

「行こう、スカンク」

「そうだな」

 進むとすぐに空間が揺らぐ。

 私はそのまま入って行く。煙突から煙を出す建物にすぐに至る。入り口が二つ、「男」「女」と書かれているから、私は女の方に向かう。

 スカンクは男だよねと言おうとして振り向いたら、スカンクはいなかった。もう「男」の方に入った、ってことはない。

「予感が、すぐに来た」

 駆けて戻りたい衝動。でも、来た場所のことはやらなきゃ。

「女」のドアを潜ると、少し高いところにおじさんが座っている。「男」との境目の場所。

「ここは何をするところですか?」

「銭湯だよ」

「分かりました。今はお風呂はいいから、退館票だけ貰えますか?」

「ちょっと覗いただけじゃ出せないよ」

「じゃあ、また来ます」

「ん。待ってるよ」

 私は踵を返して来た場所に走る。

 道との境目を通過したら、スカンクが立っていた。

「スカンク!」

「お、帰って来たな」

「入れなかった……?」

 スカンクはゆっくりと頷く。

「俺には、見えなかった」

「じゃあ」

「そうだな。ここまでだな」

 旅をする人間だから。

 私は唇を噛む。

 スカンクの顔をじっと見る。さっき約束したばかりだ。

「さよなら、スカンク」

「じゃあな、アカネ」

「そうだ、スカンクって名前の由来は?」

「それはまだ早い」

「……そっか。じゃあ、私、行くね」

「おう。俺も出発するよ、じゃあな」

「さよなら」

 振り向かないで行かなくちゃ。胸がじんじんする。

 空間が開く。ここに入ればもう、引き返すことは出来ない。

「さよなら、スカンク」

 私はその中に飛び込んだ。

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