第8話

 てんとう虫にいざなわれて歩くと、レンガの壁に行き当たった。三ツ星がその壁に止まって、でもそれじゃあここでサヨナラになってしまうから、指でつまんでブローチに戻す。抵抗しなかった。

 壁だ。右も左もレンガの壁が続いている。

 高さも見えなくなるくらいまであって、登れるとはとても思えない。

 これは行き止まりなのかな。

 それとも三歩退がれば消えるのかな。

 一、二、三。振り向く、消えない。

 じゃあ、右か左かに壁に沿って進もう。てんとう虫を見てみるけど音沙汰ない。

「どちらかが正解で、どちらかがハズレ、それともどっちに行っても結果は同じ?」

 全然分からない。これまで一本道だった、多分、迷わずに来た。それは先にあるものが何か分からないからとにかく進むしか考えていなくて、あ、そっか、今だって先にあるものは全く分からないのだから、どっちに進んでもいいんだ。

 左側に気配。

 いつからいたのか、アカネコがレンガの壁の前に座っている。

「決まり」

 アカネコの方へ歩いてゆく。体の右側をレンガの壁が流れてゆく。左側は見えないからまるで無限で、空を飛んでいるみたい。今度こそ撫でる。

 でもやっぱりアカネコは近付くと逃げる。けれど今回は平地だから、私も走れる。

 アカネコが接近する私に気付いて、速度を上げる。私だって。

 壁をレールにした追い駆けっこ、アカネコ、負けない。

 速い。ネコってこんな速度で走るの? 引き離されて、アカネコは見えなくなった。

 肩で息をしながら、取り残された自分がいる場所を見回す。何もさっきと変わらない。でも、遠くだけが違う。

「ビルが、近い」

 空と雲のビルまでどれくらいだろう、きっと歩ける距離だ。私はそっちに進むことに改めて決めて、右側にレンガの壁を見ながらずんずん歩く。

 ビルがどんどん大きくなる。左側には見える範囲でずっとビルは続いている。自分のいた世界にあった濃緑のビルと同じように、実体があるのかな。でもここから見るととっても平面。

 アカネコは進んでみてもいなくて、どこかに逸れたのだろう。

 歩く。

 遠くに、人が何人か集まっているのが見える。

 ビルと壁の交差する辺り。

 ビルの正体が見えて来る。

 ビルは平面だ。ビルというよりも、ビル型に切り取られた空だった。じゃあ空の上にある空間は何?

 人は三人。そのすぐ横にはコンロ? フライパン? 何で?

 その三人の顔が見分けられる距離になったら、いっそうビル型の空が平面でだけどそこには空があって、レンガの壁がその空のところで交わってそこまでで終わっているのが明確になる。

「すいません、そこで何をやってるんですか?」

 三人が一度に私を見る。何かの制服を着ているおじさんと、短髪のお兄さん、ロングヘアーにスカートのお姉さん。制服のおじさんが右手に持っているフライ返しを大きく振る。

「君も志願者じゃないのかい? とにかくこっちに来なさい」

 三人に見守られながらコンロの近くまで来ると、おじさんが続ける。

「ここは昼の終わりだよ。私の後ろに扉があるだろう? そこから入れば夜。彼らは夜に行きたいと言う志願者で、私は試験官。君も夜に行きたいのなら、ここで試験を受けて貰わないといけない」

「試験って、何をするんですか?」

「卵よ」

 女が割って入る。

「卵を調理するの」

「それだけ?」

「それだけよ」

 いや、と男も入って来る。

「それだけってことはないよ。だって卵だぜ?」

「卵ですよね」

「だって卵だぜ?」

 失敗したら爆発でもするのかな。

 眉を顰めた私を見て、試験官のおじさんが、ふーむ、と唸る。

「卵が怖くないのかい?」

「全然」

「じゃあ、やってみるかい?」

「料理は何でもいいの?」

「何でもいい」

 コンロの火の点け方、油があること、蓋があること、水もあること、卵が私の知っている卵であることを確認したら、調理に取り掛かる。三人の熱の込もった視線を浴びながら。

 フライパンをコンロにかけて、油を引く。卵をコンコンして、ヒビが入ったらフライパンの上に持って来て、割る。普通の黄身と白身のある卵だ。徐々に卵白に色が付いて来たら、水をフライパンの中にかけて、蓋をする。数分待ってから蓋を取って、出来上がった卵を皿に乗せる。

「出来ました」

 試験官はじっとそれを見て、匂いを嗅ぐ。他の二人も固唾を飲んで見守っている。

 上手に出来たと思う。これでダメなら、次はゆで卵だ。

 試験官が私を見る。合否かな?

「食べていい?」

「もちろん」

 試験官は美味しそうに食べて、しばらく余韻に浸っていた。合否はどうなのかな。

「この料理は、何という料理だろうか?」

「目玉焼きです」

 試験官は感極まった表情で遠くを見て、何度も一人で頷いて、口を引き結ぶ。

「合格だ」

「ありがとうございます」

「じゃあ、この扉を潜って、夜に行きなさい」

「はい」

 扉は普通の家にあるくらいの扉で、特別な修飾はされてない。後ろから、俺も続くぞ、私もよ、と聞こえる。

 グッとノブを握る、開ける。

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