第7話
空と雲のビルに少しだけ近付いたのかな、大きくなったような気がする。道の先は何も見えない、右に大きく曲がる。そっちが道だと言うことが分かる。曲がったところで見えるものは変わらないけど。
歩く。
スカンクと本当に会うのかな。だったらコダマとだって会っていい筈だ。ファンとしてじゃなくて、一人として会うのがいい。
体にzarameの音楽が流れ出す。こころで歌を歌い始める。
「その手を取って。……あーーーあああ!」
サビになったら堪え切れずに唇から歌が漏れる。漏れてない、全開だ。続けて二番も。歩調が曲のリズムに乗って軽やか、駆動力になる。でも曲の最後だけは足を踏み締めて、収める。
「あーーあーー!」
コダマに成り切るつもりなんてない。私は私のzarameを歌う。
歌の余韻が抜けるのを待っていたら、拍手の音。見れば青年が手を叩いている。その後ろに学校によく似た建物がある。
「素晴らしい歌でした」
「ありがとう。でも、この歌は私の歌じゃない」
「ええ。コダマですよね。知ってます。彼女の歌とは違う色味の、素敵な歌でした」
知ってるんだ。
「ここは、何ですか?」
「美術館」
彼はそう言って指を一本立てる。静かにしなきゃいけなかったのかも。私も指を立てて自分の口に当てると、彼は微笑む。
「そう言う意味じゃないですよ。この意味はですね」
立てた指を私に強調するように近付ける。
「美術館は世界にここ一つ。その『一』です。二つは必要ありません」
「どうして?」
「この世界で公開された全ての作品はこの美術館に収蔵されます。ここに全部があるのなら、二つ目は要らないでしょ?」
「全部」
「ええ。実際に見てみませんか?」
扉を潜ると入り口から左右に薄暗い廊下がずーっと伸びている。その廊下から直角にさらに何本もの廊下が走っているらしい。
「この廊下はどこまで続いているんですか?」
「実質無限です。作品の数は有限ですので、それを収蔵出来る範囲までしか廊下はないのですが、時々刻々と新しい作品が公開されるので、伸び続けています。作品を見るなら、公開される速度よりもどうしても遅い、有限の先端に追いつかない。だから、実質無限」
無限の作品。
「そんなにあったら私を撃ち抜く作品に会えるまでに、老衰しちゃう」
「検索は出来ますよ」
「どう検索するの? それに会わなくちゃ、その作品が何であるかは分からないと思います」
「全部の作品と対峙して確かめますか? それは人生を食い潰す程の時間を要求しますね」
「そんな暇はないです」
「でも、素敵な作品には会いたい、ですよね?」
私は大きく頷く。だって、私はzarameに出会えなかったら全く違う人生を歩んでいた。偶然のラジオ、運命と言い捨てるのは簡単だけど、それ以上の何かがあると思いたい。例えば、私こそが探していた、とか。
「キュレーション。有効な出会いの可能性を高めるために私たちはキュレーションシステムを作りました。とは言え、運の要素は消えませんし、ハズレの出会いもかなりあると思います」
「どんなシステムなんですか?」
「シンプルなものです。美術館の内外のキュレーターがお勧めの作品を提示します。キュレーターがそのセンスに賭けて素晴らしいと思う作品を並べるんです。使う人にして貰うのは、キュレーターの中から自分とセンスの近い人を選ぶこと。そのキュレーターのお勧めを見ればヒットする可能性が高いと言う算段です。もちろん、敢えてセンスの合わないキュレーターのを覗いてみてもいいです」
「キュレーターのセンスをどうやって知るの?」
いい質問です、と言葉には出さないけど彼の顔に浮かび上がった。
「既に彼らが選んだ作品を見て、判断して貰います」
「それでも自分を動かす作品に出会えるかは……」
「運です。あとは数」
私にうっと何かが詰まる。
「運の足りない分を、数でカバーするんだ」
「出会いと言うものの仕組みがそうなんだと思います」
恋は手の届く範囲で殆ど発生すると思う。それは妥協じゃなくて、触れられない人とは恋が出来ないのだ。でも芸術は違う。だから労力をかけろ。
「少し、納得出来ない」
「どうしてですか?」
「私が準備を終えたなら、出会うべき作品とはきっと、何をしていても出会う。そうやってzarameと出会ったと信じたい」
「それを運と数の、算術的な結果として扱われたくない、そう言うことですね」
「数打ちゃ当たる、確かにそうなのかも知れないけど」
「あなたの出会いを汚すつもりはないんです。ただ、ここを利用する人が出会い易いようにシステムを作っただけですから。でも、どんな手段を使っても、出会いは出会いだとは思っています」
そこにプレミアムで取っ替えの効かないものがあって、それは出会いの量が増えても希釈されないのだろうか。
他に出会いがあって、zarameのことが薄まった?
そんなことない。
そっか。出会いは出会いなんだ。
「納得がいきました」
青年はニコリと笑う。
「よかったです」
「無限には見れないから、一枚だけ、お兄さんはキュレーターやってるの?」
「してますよ」
「一枚だけ、見て行きたいから、紹介して下さい」
「それならこの部屋に」
通された部屋はベンチが中央にあって、入り口近くにパソコンのようなものがあるだけで、作品はない。
青年がそれを操作したら、壁の中央が開いて、絵が出て来た。
それは額の内側に三角がそれなりの面積を持って積み上げられているような、もしタイトルが「トイレのタイル」だったらそうかと思ってしまうような。ところどころに黄色とか緑とか、ある。
青年は黙って待っていた。
私は五秒くらい集中して、もういいや、後ろを振り向いた。
「ごめんなさい。呼吸が合わない」
「そのようですね。では、終わりにしましょう」
彼は短く操作して、絵が退散して行くのを横目に部屋を出た。
彼は悪くないし、私も悪くない。ただ二人のスイートスポットが違っただけ。だけど目線の揺れとか言葉の隅とかに僅かなだけど強い、影が生まれた。
だからもう出よう。
退館票を書いて貰って、ぎこちなさをそのままに私は外に出た。
一歩、二歩、三歩。
きっと美術館が消えたと振り向いて確認して、いつか詰まっていた、大きく息を吐いた。その振動に三ツ星てんとうが息を吹き返して、私の胸から飛び出す。
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