第4話

 つま先にコツリと塊が当たって、歩みを止める。視線でなぞるとそれは段になっていて、階段だ、その先を上るように目で追うと、追った分だけ階段が現れる。石段。

「これまでずっと平坦だったことの方が不思議かも」

 一歩ずつ上がってゆく。階段の両端は認識出来なくて、どこまでも平行に段があるようでもあるし、木々に遮られているようでもある。一段、一段、足の下には確かな手応え。

 踊り場はなくて、五十段は超えて、一息つく。

 どこまで階段が続くのかは見える範囲にはなくて、どれくらい時間がかかるのだろう。横を見たら、小さな家が階段の脇に建っている。

「見てみようっと」

 近付けば全景が視界に入る。二階建てで階上のベランダの柵にアカネコが丸く座っていた。尻尾を揺らしながら睥睨するエメラルドの眼が光る。

「アカネコ」

 今度こそ撫でよう。

 アカネコの視線に何度も目を向けながら、逃げるな、建物の入り口のドアの前に立つ。いや、そこにドアはなくて、あれ、さっきまであったよね、ドアの枠だけが上五分の一をアーチ状に曲げて外と中を区切っている。

 中に入ると、巨大な振り子が部屋の中心で振れていた。ゆっくりと牛のあくびのようなペースで揺れる振り子の先端は鈍い金色の球で、それを吊るすロープを上に追っていくと塔くらいの高さがある。

「外からは上まで、捉えられてなかったんだ」

 振り子の動きを目で追う。触れてはいけない気がした。

「こんにちは。振り子に興味がありますか? それとも、時に興味がありますか?」

 声の主は振り子の右側に座っていて、白衣のようなものを着ている。

「この振り子は何なんですか?」

「これは時計ですよ。振り子がね、時間と共に回るんです」

「だから時なんですね。ここは何をしているんですか?」

「時を刻んでるんですよ」

「それだけ?」

「そう。それだけ。でも時を刻むことってのは重要なんです。刻まなければ時は時間じゃありません。時間ってのは人工物なんですよ」

 なるほど。

「これ一回で何秒なんですか?」

「一往復で六秒ですね」

 ふーん、振り子を目で追う。

「どっかで見たことがあるような気がする」

「時計自体はありふれてますからね」

 あっちの世界では時計は身につけるか家の壁に据えるかする、もっとずっとインスタントなものだった。でも彼の言う、ありふれている、は、この振り子の時計がそこいらにあると言うこと。私が見たのはそっちじゃないけど、いいや。

「あの、二階に行ってもいいですか? 知り合いのネコがいたから」

「いいですよ。でも、何にも触れないで下さい、時間が狂ってしまうから」

「ありがとう」

 壁沿いに螺旋階段があって、それをそおっと上る。彼が言うような触ってしまいそうなものなど何もなくて、あるのは壁と手すりだけ。でも念のためにその両方にも触れずに二階に到着した。

 ベランダは開け放たれていて、白いカーテンが風に揺れていた。風は時間に影響しないのかな。

 中から覗くと、アカネコはまだベランダの柵に乗ったままだった。くるりとこっちを見る。

 ささ、おいで、ゴロゴロしちゃうよ。

 下心が透けて見えたのか、アカネコはプイっと向こうを向いて、柵から飛び降りてしまった。

 ああ、あ。

 アカネコの消えた空間の跡を見詰める。

 まあ、今回は仕方ない。

 周りを見ると、その部屋は資料室のようで、テーブルに置きっぱなしの大きな紙には天体のことが書いてある。世界のこっちでもあっちでも、星を見るのは同じなのだ。用はもうないから、階下に降りる。

「どうでしたか? ネコは」

「逃げられちゃった」

「まあいつか会えますよ」

 彼の横では振り子が一定のリズムで揺れている。

「この振り子で時間を刻む以外にどんなことが出来るの?」

「特に何も」

「ってことはお兄さんって、この振り子を守るだけのためにここにいるの?」

「そうですよ」

「退屈じゃない?」

「僕の一族は三つのものを守っています。時間、場所、人。これらの基礎を守る、誇りある仕事です」

 誇らしさと退屈は両立出来そうだけど。そうなんだ、言ってまた振り子を見る。

 時間以外にもあと二つ同じようなところがあるのか、そこにも行くのかな。

「ねえ、振り子を止めたらどうなるの?」

「時間の歪みが世界中を駆け巡ります。時間の振動で、時振と言うのですが、ここからの距離が遠くなればなる程、干渉の繰り返しで時振の揺れは大きくなります」

「遠い方が強いの?」

「普通の波動とは逆ですね。だからこの場所は最も何も起きません」

 彼が守っているのは永久に会うこともない遠い遠い人たちを含んでいる。そんな遠くに誰かがいることを想像したことはなかった。彼は時間の世界の中心にいる。あっちの世界にも世界の中心があって、だから、中心もたくさんあるのかも知れない。

「大事な仕事なんだ」

「誇りと釣り合います」

「ここに来た証になるようなものって、ありますか?」

「退館票ならありますよ」

「それ、貰えますか?」

「身分証か通行証を、そうそれです、ちょっと待って下さいね」

 棚に積まれていた紙を一枚、傍らのテーブルで記す。

「はい」

 そこには「時計台、アカネ、退館」と書かれている。

「数字はないんですか?」

「ここ以外の全ての時計台には数字がありますけど、ここだけはないです」

 身分証と退館票を財布にしまう。横ではずっと振り子が揺れている。

「ありがとう。じゃあね」

「さようなら」

 出入り口を抜けてすぐに振り返って上を見てみれば、そこには塔が立っている。見上げた振り子の長さと同じくらい、十階建てはあるかな。あの中に時間が詰まっている。その大元は振り子が殆どだけど、残りの少しを彼が埋めている、きっとその少しは大切な少し。

「がんばれ」

 呟いたら三歩退がる。塔は消えなくて、もう少し眺めてから後ろに向き直って石段まで出て、振り向いたら塔はなくなっていた。

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