第41話 新天地、横浜

 四月。


 慣れないスーツに袖を通して参加した入学式が終わるとキャンパス内で部活やサークルの勧誘に揉みくちゃにされた。学園物の映画やドラマでよく見るあれとまんまのお祭りのような騒ぎようで、見ているだけでこちらも浮かれてしまった。


 僕はこの機会に暫くぶりだったバドミントンを再開することにした。足の調子はすっかり良いし、愛用のラケットも長崎から一緒に持ってきているのでバドミントンから遠ざかる理由はない。

 勧誘を受けたのはバドミントン部と三つのサークルだ。大学というのは不思議で、活動趣旨が同じサークルが二つも三つも存在している。僕はその中から『shuttle』というサークルに入会することにした。

 あえてそのサークルに入会した理由だが、僕と同じタイミングで勧誘を受けていた人が旧友で、彼と一緒に入ろうという話になったのだ。

 その人物の名は国塚克人かつと――通称かっちゃん。かっちゃんは一歳年上で、昔住んでいた団地の住人で所謂いわゆる幼馴染だ。中学校に入って学年間の上下関係を意識するようになっても変わらずタメ口で付き合うほどの間柄で、再開するや否やお互い歓声を上げて喜んだ。

 彼が『shuttle』に入る理由だが、一個上の先輩が彼と同級生だったのだという。彼は一浪して経営学部に入ったのだ。それを聞いた僕はサークルを通じて交友関係が再開しそうな予感がし、彼と一緒に入会することを決意した。


 サークルの入会の申込用紙を受け取ると、二人でキャンパスを見て回ることにした。


「ねぇ、かっちゃん。どこか興味ある?」

「あるよ。先輩が所属してるサークルがあるんだ。一緒に行こうぜ!」

「ふぅん、どんなとこ?」

「就活対策サークル『straight』だ」

「えっ、就活対策!?」


 彼のそんな、聞き馴染みのない言葉に思わず尻込みした。受験が終わり、ようやく大学に入ったと思ったらもう就職活動と聞いてげんなりした。思えば高校に入学した時も、学年主任の先生からあっという間に大学受験が来るぞと発破をかけられたものだ。その時もため息をついたものだ。


「大丈夫だって。普段の活動は業界のレクチャーを軽くしたり、グループディスカッションをしてコミュ力を磨いたりするんだ。それ以外の活動だと基本的にランチだったり飲み会だったりでコミュニティ色の強いサークルだよ。いろんな学部の学生が集まってるから交友関係も広がりやすいって先輩が言ってた。一緒に話聞いてみようぜ!」


 飲み会、コミュニティ。かっちゃんの口から飛び出してくる言葉の輝きに僕は訝しみながらも好奇心をそそられた。かくして僕は『straight』の勧誘に顔を出した。『straight』では一週間後に入会希望者向けの説明会を行うのでそれに来てほしいとのことだ。就職活動というそう遠くない未来のイベントに不安を掻き立てられるが、むしろ今から対策出来ると思えば物怪の幸いかもしれない。何より、勧誘してくれた女性の先輩がすごく魅力的だった。

 その人の名は斑目まだらめ藤乃ふじのさんという。


 *


 入学から一週間が過ぎた。その間、一年生は伊豆で行われた新入生オリエンテーションに参加し、学部の垣根を超えてハイキングやグループワークをして交流を深めた。また講義の履修登録や大学の設備に関する説明を受け、いよいよキャンパスライフが始まろうとしていた。


 そんなこんなで迎えた今日、就活対策サークル『straight』のオリエンテーションが開催された。この日は空き教室を借りて入会希望者五〇人を対象にサークルの紹介や活動内容が説明されることになっている。

 開催予定時刻の十分前に教室に入るとかっちゃんの姿を探し、彼の横に座らせてもらった。そしてスタートまでの間、僕は入り口でリーフレットを手渡ししている斑目先輩に目が釘付けになっていた。


 ライトブラウンに染め、ウェーブのかかった髪、綺麗に化粧をした整った顔と愛想の良さそうな微笑みは垢抜けており都会的だ。スタイルは肉感的で出るとこ出て締まるところ締まるなナイスバディ。シフォンブラウスは露出は控え目だが胸元は圧倒的な存在感を誇る隆起を見せている。控え目に言っていい女だ。


「ねぇ、かっちゃん。斑目先輩って彼氏いるのかな?」

「さぁ、今はどうなんだろうな?」


 僕は資料に目を落とすかっちゃんにひそひそ声で訊いた。


「今は、って前はいたんだな。てか知ってるの?」

「噂は聞いてる。あの人はうちの学部の先輩で……まぁ、俺とは同い年なんだけど、結構有名人だよ」


 そういうが彼はあまり興味なさげだ。

 ちなみに、かっちゃんはよほど仲の良い相手を除くと二年生は先輩と敬称をつけて呼び、敬語で接している。


「あのルックスだもんね。モテるでしょ?」

「らしいな。だが男タラシって噂もある。手を出すなら注意しろ。てかお前、彼女持ちだろ? 良いのかよ、斑目先輩にうつつを抜かして」

「別に現を抜かしてなんかいないし。聞いただけだよ」


 むすっとして話を打ち切った。僕の気持ちは相変わらず小夜子ちゃんへ向いている。こちらに引っ越してからも定期的に連絡を入れ、声を聞かせてもらっていた。斑目先輩の恋愛事情を尋ねたのは出歯亀精神が出てしまっただけだ。


「ねぇ、隣良いかしら?」


 資料に目を通していると不意に声をかけられた。凛と涼やかで怜悧な声音は聞き覚えがある。その方向を見ると開いた右隣の座席の向こうで切長なつり目が僕を見下ろしていた。


「あ、町村さん。久しぶり。町村さんもこのサークルに入るの?」

「まだ決めてない。取り敢えず話だけ聞こうかと」


 彼女は隣の空席に腰掛けながら答えた。


 町村さん(名は忘れた)は先日の新入生オリエンテーションで知り合った学生だ。かっちゃんと同じ経営学部で、その折りはグループワークで同じ班になった。物言いは刀のようにスパッとすることがあって少しとっつきにくい印象があるものの話してみるといい人だ。


 そんな彼女とは以前どこかであった気がするが全く思い出せないでいた。


「あそこにいるの斑目先輩じゃない……」


 町村さんがボソリと呟いた。


「あの人のこと、知ってるの?」

「えぇ、私の出身校のOGよ。同じ合唱部だったの。あまり絡んでないけど」

「へぇ、合唱か……。あれ、町村さん、資料もらってないじゃん。斑目先輩からもらってきなよ」

「……えぇ、そうするわ」


 どことなく気乗りしない素振りで町村さんは立ち上がり、ツカツカと先輩の元へ行ってリーフレットを受け取る。その際、淡白に会話をしていた。あまり絡んでいないとの言葉通り、再開を喜ぶような間柄ではないらしい。


 *


『straight』は就活対策サークルの名前の通り、就職活動に向けた準備や訓練を主活動に据えた団体だ。活動形態としては、定期的に就職活動の流れや業界のレクチャーなど講義形式だったり、会員同士でグループディスカッションの練習をしたりするらしい。またOB・OGの繋がりが強く、不定期で招待しては入社した企業の特色や就活のノウハウを伝授してくれるのも売りだ。昨年はリーマン・ショックのお陰で就職市場はアルマゲドンであったが、『straight』の学生はそれを乗り越え、例年並みの就職実績を維持したらしい。


「昨年の金融危機で日本経済は深刻なダメージを受けました。回復の目処は立たず、今年の就活生も苦戦は必至です。そしてそれは新入生の皆さんにも対岸の火事ではありません。三年後、この不況が依然として継続していると悲観的に予想し、今から準備をしておくことは合理的です。我々と一緒に胸を張って社会人になりましょう!」


 サークルの代表の先輩は最後にそう締め括った。僕はそれを聞き、またかっちゃんの誘いもあって入会を決断した。


『shuttle』と『straight』。二つのサークルを兼業するのが、僕のキャンパスライフとなったのだ。


 そして『straight』に入会して迎えた最初の土曜日、野島公園で歓迎会の花見が催された。四月も中頃になると桜は散りかけ物悲しさがあるものの、一行にはどこ吹く風だ。


 日が沈みかけた頃、サークルの面々が野島公園に集まり始めた。大学では何事も大抵は現地集合、現地解散が基本だ。高校のように先生が引率してくれるわけではない。

 僕はかっちゃんと金沢八景駅で待ち合わせ、金沢シーサイドラインに乗り継いで現地へ向かった。野島公園ではすでにサークル運営の人先輩方がブルーシートを設営済みで、そこにスーパーマーケットの寿司桶やデリバリーピザ、おつまみ、ソフトドリンクとアルコールが続々と運び込まれていた。

 参加者はざっと見た限り四〇人くらい。そのうちほとんどは一、二年生で三年生はまばら、四年生は片手で数える程度ではないかとのことだ。つまりここにいるのはサークルメンバーのごく一部で、総勢はもっと膨れ上がることかと思うと改めて大学の規模感の大きさに驚かされる。


 会場に到着するとまず先輩から名前確認をされ、次いでガムテープに名前を書いて胸元に貼るよう指示された。名前を覚えてもらうための措置らしい。フルネームでも良いが、大抵は名かニックネームを書くとのことなので迷わず『航太郎』と書いた。かっちゃんも躊躇いなく『かっちゃん』とニックネームを書いて胸に貼る。


「皆胸に貼るならおっぱい見ても怒られないね」

「確かに!」


 僕のいやらしい発想にかっちゃんが同意した。やっぱりかっちゃんといると楽しい。


 徐々に日が暮れるにつれ人が集まってくる。間も無く夜会が開かれると期待に胸が躍った。そして参加者があらかた揃うとドリンクが適当に配られ、いよいよ皆そわそわし始めた。かくいう僕もかっちゃんから受け取った缶ドリンクを見てギョッとした。


「かっちゃん!? これって――」

「細かいこたぁ良いんだよ!」


 彼はにししと悪い笑顔を浮かべる。彼の隣にいる西野という三年生(かっちゃんの高校時代の先輩だ)もニヤニヤしている。噂には聞いていたが、これが大学の新歓か、と固唾を飲んだ。いけないことをしている自覚はあるが、かえって興味をそそられる。

 ドリンクが行き渡ったところで会長がビール片手に立ち上がり、新入生への歓迎の挨拶と新学期の祝いの言葉を述べ、乾杯と相成った。皆手に持った缶のプルトップを開封し、近くに座る新たな仲間達と乾杯をした。

 そして僕はいよいよ決心して飲み物を口につけた。突き抜けるような炭酸と嫌な苦味が口中を刺激し、思わず戻しそうになる。それをグッと堪えて飲み込んだ。


「航太郎、どうだよビールの味は?」

「うげぇ……あんまり美味しくない。これが大人の味なのかな」


 顔を顰める僕と、ゲラゲラと笑いつつも同意を示すかっちゃん。彼は学生になるまでは酒はお預けにしていたため、今日が同じく初めての飲酒だ。その隣では西野先輩がグビグビと僕と同じ生ビールをあっという間に飲み干してしまった。彼は相当酒に慣れていることが窺える。


 今日の新歓では新入生の自己紹介と先輩から大学生活のいろはを伝授してもらうことが中心となっていた。単位を取りやすい講義や教授を教えてもらい、計画的な履修の重要性を説かれ、過去問を融通してもらう約束を取り付ける。サークルに入った理由の一つはこうした人間関係を構築してみたかったためなのでその甲斐があったというものだ。


 散りかけの桜には目もくれず、ビールとご馳走を掻き込む。その他の面々も大差ない。そこかしこでメンバーが車座になってグループを作り、寿司とジャンクフードに舌鼓を打ちながら酒に酔いしれ、どんちゃん騒ぎをする。まさに花より団子の宴会だ。

 缶ビールをやっとのことで空にすると、あることが気になって辺りを見渡した。


 一つは斑目先輩だ。あの美人で魅力溢れる先輩はさっきからお酒を片手にグループを渡り歩き、様々な人達と交流を深めている。彼女が加わったグループは決まって一際賑やかになっているので、彼女の存在感が異彩を放っていることが窺えた。お陰で僕は先ほどから早くここに来ないかとソワソワしっぱなしだ。


 もう一つはあの切長な目が印象的な女の子だ。町村さんはこの新歓に姿を見せてない。先日の説明会の折、あまり気乗りしてない様子だったので入会は見送ったのかもしれない。折角新入生オリエンテーションで知り合えただけに残念だ。


「こんばんは、お隣良いかしら?」


 と、お花畑を撫でる春風のような優しい声を掛けられる。お待ちかねの斑目先輩が缶カクテルを片手に車座に入ってきた。僕とかっちゃんの間に入ってきた彼女は、公園の照明だけが心もとなく照らす会場においてもすでにほろ酔いになっていることが見て取れる。シースルーなシフォンブラウスとタイトなデニムスカートというフェミニンな服装も相俟あいまってすごく色っぽい。


「航太郎くんにかっちゃんっていうのね! 斑目藤乃です。このサークルで副代表を務めてます。改めてよろしくね」

「よろしくお願いします、斑目先輩!」


 かんぱーい!


 僕は二本目の缶ビールを開栓し、先輩と飲み物をぶつけ合った。その拍子におっぱいがぷるんと揺れた気がした。うぅむ。


「あらあら、航太郎くんったら良い飲みっぷり! さてはいける口だな?」

「いやいや、今日が初めての飲酒ですよ! まだ未成年なのに」

「うふふ。私だってまだ二十歳じゃないからおあいこね。はい、かんぱーい!」


 すっかり彼女に乗せられ、僕はぐいぐいとお酒を飲み込んだ。先ほどまで苦いと思っていたビールが不思議と美味しく感じられる。またほっぺたが熱く、頭もぼんやりしてきた。なるほど、これが酔うということか。


「二人は何か他にサークルには入るの?」

「はい、二人で『shuttle』というバドミントンサークルに」

「えっ、嘘!? 私も今年から『shuttle』に入れてもらうことになったんだ! じゃあ明日のレクリエーションと新歓来るの?」


 先輩は口元に手を添え、パッと花のような笑顔で驚いてみせた。

 明日の日曜日は市が運営する体育館を貸し切って『shuttle』のレクリエーションが開催される。メンバー紹介と軽い練習と試合形式のミニゲームをするとのことだ。そしてそれが終われば焼肉屋さんで歓迎会の予定だ。


「はい、もちろんです! ね、かっちゃん!」

「えぇ、そのつもりっす」


 水を向けると少し緊張した様子で彼は答える。斑目先輩のフレンドリーな絡みに少し圧倒されているご様子だ。ビールもまだ一本目なのであまり酔ってない。


「航太郎はバドミントン経験者なんで気合が入ってますよ」


 かっちゃんが情報を付け足した。先輩はまたもや笑顔を浮かべ僕に視線を向けた。


「へぇ、経験者なんだね。大会とか出たことあるの?」

「はい! 学校から代表として地区大会に出場して、その後インハイにも出場しました」

「インハイ!? すごいね! 全国大会でしょ?」


 僕はここぞとばかりに昔取った杵柄をアピールした。先輩は感情豊かな人だからきっと食いつくだろうと予想していたが、案の定べた褒めだ。


「うふふ、じゃあ明日のレクリエーションが楽しみ。二人ともよろしくね!」


 と明日の話で盛り上がったところで先輩が腰を上げようとする。もう行ってしまうのかと名残惜しさを感じた僕は何か話題はないかと思案し、町村さんの話を持ち出すことにした。


「先輩、町村さんは今日は来られてないんですか? 高校時代の後輩と聞きましたが」

「えぇ、朱莉あかりちゃんは今年の入会は見送るそうよ」


 先輩は残念そうな沈んだ顔で答えた。僕もそれを聞き、少し残念に思った。同時に町村さんの名が『朱莉』であることを思い出したのだった。


「朱莉ちゃんって私と同じ合唱部で真面目に練習してた良い子だったから、入ってほしかったなぁ。まぁ、このサークルには二年次と三年次に入ってくる人もいるから、また来年誘ってみるわね」

「じゃあ、来年に期待ということで。先輩は町村さんと仲が良いんですか?」

「うん、仲良しな先輩と後輩だよ! 学校であったらちゃんと挨拶してくれるし、部活でも一緒にたくさん練習した仲だもの」


 大切な思い出を幸せいっぱいに語る先輩。でもなんだかちょっとズレてる気がする。不思議系というか天真爛漫というか。でもそんな先輩に僕は確かに魅力を感じてしまう。


 斑目先輩にしろ、かっちゃんにしろ、新天地で出会った人々との日々に僕の胸は高鳴りっぱなしだ。


 *


 こうして僕の大学生活はスタートした。


 大学で講義を受け、サークルに顔を出して交流を深め、新鮮な気持ちを日々高まらせながら帰宅する。五月も中旬になると書店でアルバイトを始め、ますます刺激的な新しい生活に変容した。


 難しい講義、和気藹々としながらも一生懸命に汗を流す『shuttle』、小難しい就活対策を行うがメンバーに一体感のある『straight』、書店でのアルバイト、幼馴染のかっちゃん、魅力溢れる斑目先輩。


 生まれ故郷だったはずの横浜では未経験の出来事ばかりが僕を迎え、まさに新天地そのものだった。

 だがその新天地での生活に目を向けるあまり、僕は小夜子ちゃんのことを考え、連絡を取る頻度が少しずつ減っていた。

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