第25話 魔法をシンデレラに

 *小夜子 side*


 さっきはびっくりしたなぁ……。


 小笠原先輩とバッタリ出会した航太郎くんはピリッと緊張した様子で憎まれ口を叩き合ったと思えば、いきなりあんな宣言をするんだもの。

 その時の航太郎くんの表情は闘争心を剥き出しにして少し怖かったけど、目標を掲げてそれを宣言する姿は堂々としていてすごく格好良かった。


 その後、彼はケロッと顔色を変え、いつもの柔和な笑顔を浮かべて私の我儘に付き合ってくれた。ブティックをウィンドウショッピングしたり、雑貨屋でマーカーや可愛らしい付箋を物色したり、フードコートでたこ焼きを半分こにして食べたりとまるでデートのようだった。


「ねぇ、この後眼鏡屋さんに行ってもいいかな?」


 最後のたこ焼きを頬張る彼に私はそう尋ねた。


「いいよ。買い替え?」

「ううん、デザインを見に行くだけ」


 洋服を散々見て回った後、まだウィンドウショッピングを続けるのかと言いたげに苦笑する航太郎くん。この時私は彼の苦々しげな心中を察することが出来ず、お母さんやお姉ちゃんと遊ぶ感覚でお願いをしてしまった。だが彼は細い笑い声を出しただけでそれ以上言及せず、私の希望通り眼鏡屋さんへ付いてきてくれた。


 赴いたのは最近話題になっているおしゃれな眼鏡屋さんだ。眼鏡というと『真面目』とか『ガリ勉』といったイメージが付き纏うが、このお店は従来のイメージを覆そうと若者向けにおしゃれな眼鏡を販売していると噂になっている。今の赤いフレームの眼鏡も悪くないが、次に買い換えるならもっとお洒落なデザインにしたい。


 お店に入ると壁や陳列用のテーブルにずらりと眼鏡のフレームが並べられていた。色鮮やかなセルフレームに光沢のあるメタルフレーム、お年寄りが掛けていそうなコンビフレームに縁無し眼鏡。昔ながらの古臭いデザインもあればモデルがお洒落で掛けていそうなもの、はたまた難易度高めな丸眼鏡。ありとあらゆるデザインの眼鏡がまるでアクセサリーのように整然と陳列されていた。その中を歩くと、不思議と大観衆の注目を浴びる有名人にでもなったような気分だ。


「冬木さんってさ、目、どれくらい悪いの?」

「両目で〇・五くらいかな。いつもかける必要はないかもだけど、字を読むときにはあった方がいいからずっとかけてる」


 私の視力は小学校五年生くらいから悪くなり始めた。その頃、児童文学にハマりたくさんの本を読むようになり、気がつくと黒板の字が裸眼で読めなくなっていた。お母さんは眼鏡が全く必要がないくらい目が良いのだが、お父さんはが付くほどの近眼なのできっとその遺伝だろう。


「航太郎くんは?」

「両目共々一・五」

「じゃあ眼鏡要らずだね」


 私は薄いオレンジのセルフレームを試着し、航太郎くんに「どうだ」と賢そうな顔を作って見せた。航太郎くんは「似合う似合う」と褒めてくれた。


 眼鏡が要らないというのは少し羨ましい気もするが、一方で損をしていると思わぬもない。眼鏡を使い始めた頃は自分に似合っていないような気がして恥ずかしかったし、容姿を馬鹿にされているのではと不安にもなった。だが中学生になると校則に縛られないアクセサリーと思えるようになり、以来、私の中ではお洒落アイテムと捉えている。しかも眼鏡は『目が悪いから』という理由で堂々と付けられるので日下部さんの取り巻きのような厄介な人から変に睨まれる心配もない。つまり眼鏡は目の悪い人が合法的に身に付けられるお洒落アイテムなのだ。目の良い航太郎くんにはその資格がないと思うと少し可哀想と変な優越感が芽生えた。


「こっちのフレームレスとかはどうだろう?」


 売り場を変え、ポップなセルフレームからちょっとアダルティなフレームレスを試してみる。その名の通りフレームがなく蔓やブリッジをレンズに直接ビスで留め、フレームを廃したデザインは余計な物を削ぎ落としたような無機質さとクールさがある。

 掛けて鏡を見て確認すると、実年齢より幼く見られる丸っこい私の顔にはどうにも不釣り合いに思えた。


「ちょっと素っ気無い気がするなぁ」


 航太郎くんもあまりお気に召さないらしい。


「冬木さんには今のみたいな鮮やか系な色が良いんじゃない?」


 そう進言され、私は外していた自分の眼鏡を見下ろした。赤いセルフレームのデザインだ。色は気に入っているがフレームや蔓などが太く、大柄なシルエットを最近はいかがなものかと眉を顰めている。眼鏡自体のデザインは有り体にいえば子供っぽく思えた。

 だが言われて装着し鏡を見れば有りな気がしてくるから不思議だ。私のような薄い塩顔にはこういうクッキリしたデザインがアクセントになると自信が湧いてくる。なるほど、航太郎くんはこういうルックスが好きなのか。良いこと聞いた気がする。


 鏡の中の私は上機嫌に微笑みながら上下左右、色々な角度の顔を見せてくれた。真正面、斜め前、限りなく真横に近い横顔。

 しかし突然、鏡の中の彼女の顔から笑みが消える。その表情は凍りついたように真っ青だ。


「っ!?」

「どうしたの?」


 息を呑んで驚きを露わにした私を航太郎くんが怪訝そうに窺う。私はさっと彼から顔を背け、浅い呼吸をしながらなんとか平静を装った。


「な、なんでもないよ。ちょっと手に汚れがついてたから洗ってくるね」

「分かった。ここで待ってるから」


 なおも訝しげだが詮索する様子はない。その彼を置き去りにし、私は焦燥を胸に化粧室へ駆け出した。

 すれ違う人々の視線が怖い。いや、私の勘違いかもしれない。誰も私の顔を見ていないし、見ていたとしても小走りの私を変に思っているだけかも。でも一度気が付いてしまうと皆が私を好奇の目で見て笑っている恐怖に取り憑かれてしまった。これほど人の視線を恐ろしく思ったのは初めてだった。


 トイレに駆け込むと個室には入らず、洗面台の鏡に向かった。そして自分の顔の目の当たりをしっかり観察し、異様な状態をはっきりと認識する。


 勘違いではなかった。化粧が崩れている。

 お店をたくさん回って汗を掻いたか、あるいは航太郎くんと話してたくさん笑ったおかげか、あるいはその両方が原因か、ファンデーションが浮いて崩れ、目尻辺りのアイラインが滲んでいるような気がした。いや、一度気になり始めると私は半ば確信していた。うーん、下瞼の辺りも滲んで所謂パンダ目になっているような気がする。


「どうしよう……」


 冷静さを欠いた私は右目の目尻をうっかり人差し指で撫でてしまった。


「げ」


 するとまるで生乾きの絵の具のように滲んで延びてしまった。化粧崩れで変になっていた私の顔はさらに無様になる。まるで見よう見真似の歌舞伎役者だ。


「どどどどうしよう……」


 私はますます冷静さを失い、青ざめた顔で立ち尽くして鏡の中の自分を凝視した。折角お母さんに御粧おめかししてもらって航太郎くんと遊びに来たのに、とても男の子の前に出られない顔になってしまった。まるで魔法が解けたシンデレラのような気分だ。


 こういう時、大人の女性なら化粧品を持ち歩いて、タイミングを見計らって化粧を直すと聞いたことがある。だが生憎と私は化粧道具など持ち歩いていないし、そもそも自分で治す技術もない。完全に手詰まりだ。


 そう考えるとまるで足元に水が浸水してきたかのような冷たい絶望が迫り上がってきた。同時に化粧などせず普段通り、自然体の私のまま今日という日を迎えればピンチに陥ることはなかったのにと後悔に苛まれた。そしてそんなネガティブな感情を一度抱くと目から涙が滲み、額に脂汗が滲み出てきた。


 あぁ、まずい。

 自分の身体が全く制御出来ない。こんなの、私じゃない。


 私はそれ以上鏡を見られず、結局状況を変えられないまま化粧室を後にした。ヘアピンを外して前髪を流したのはせめてもの抵抗に顔を隠したかったからだった。


 *


 トボトボと思い足取りで眼鏡屋さんに戻ると、店先に航太郎くんが所在なさげに立って私の帰りを待っていた。そして戻った私の顔を見るとどこか安心したような表情でこちらに手を振った。


「お帰り。次、どうしようか?」


 手を洗うにしては随分長かった、など野暮なことは言わず、かといって待たされたことに不平を漏らすこともない。男性経験なんてない私でも良く出来た対応術だと唸らせられる彼の優しさが、今はとても心苦しかった。


「次、どうしよっか……」

「? 冬木さん、ヘアピン落とした?」


 心ここに在らずの様子の私を訝しく思った彼は、私の前髪の変化にもう気づいてしまった。男性というのは女が髪を切ったことに全く気付かないくせに、こんな時ばかり変に勘が鋭い。


「う、うん。うっかり排水溝に落としちゃった。でも安物だから平気だよ」

「そう、残念だったね。結構綺麗だったのに」


 面差しに陰を浮かべて彼は呟いた。

 どうして今そんなことを言うのだろう。待ち合わせの時にルックスをたくさん褒めてくれれば良いものを、顔を見せたくない時に限って。


「航太郎くん、今日はもう解散しよっか……?」

「え……?」


 虚を突かれた声が上がる。行き交う人の視線が彼に向いた気がした。

 航太郎くんは何も言わなかった。その心中は容易に察せられる。先ほどまで良い雰囲気で会話出来ていたのに、急に私が沈んだ声で解散などと言うからさぞ驚いているに違いない。消えてしまいたいくらい申し訳なかったが、一体どんな顔をして彼に説明すべきか検討もつかない。


「冬木さん……その、この後またお茶でもと思ってたけど……嫌かな?」


 声が微かに震えているのが感じられた。怒りではない。悲しみがノイズとなっている。


 お茶か……。そう言われると誤魔化せないな。今日は疲れちゃったからもう帰りたいとの逃げ道を塞がれた。

 きっと神様が正直に申し開きしろと言っているのだ。一方的に帰るなどと無礼な発言をしたのだから、筋を通せとの思し召なのだ。


「あ、あのね、航太郎くん……私、お化粧がちょっと崩れちゃったの。それで、恥ずかしいからもうお買い物って気分じゃなくなったの……」


 意を決し申し開きの言葉を口にした。だがそれは頼りなく、辿々しい口調で我が事ながら情けない思いでいっぱいだった。


 ごめんね、ごめんね。

 それ以上は何も言えず、ただ消え入りそうな心持ちで念仏のように繰り返し、ついに声を出すことさえできなくなった。せめて彼の目を見てきちんと謝りたい。でも目を合わせれば崩れてしまった醜い顔を晒すことになる。

 笑われ、気持ち悪がられ、嫌われる。

 恐怖と罪悪感が背中にずしりとのしかかり、私は背を丸めて縮こまっていた。


「そうなんだ……ふぅん。じゃあ、仕方ないね。今日は帰ろうか」


 航太郎くんはどこか腑に落ちない様子だ。顔色こそ分からないが、声色が少しつれなというか、冷たいというか。まぁ、仕方ないのかな。化粧が崩れて恥ずかしいなんて気持ち、男の子には分からないよね。


 勝手に化粧してきたのは私だし、直せなかったのは私のせいだけど、でも、それもこれも全ては航太郎くんと楽しい時間を過ごすためだったんだよ? だからもう少しだけ優しくしてほしいな……。


 私の細やかな願いは、もちろん口にすることなど叶わず胸のうろに残響さえ無く溶けていった。


 航太郎くんが行こうかと声を掛けて歩くのを促した。何か思うところがあるようだが、それを察するのは恐ろしく、私はなるべく彼の心中に目を向けないよう意識し、思い足取りで彼の横にぴたりと並び続けた。


 あぁ、折角の日曜日が台無しだ。そう思った時だ。


「あ、そうだ! 良いこと考えた!」


 ポーンと、高音の鍵盤を叩いたような声が私の隣から響いた。俯かせていた顔を少しあげ、御簾のような前髪の隙間から彼の顔を窺った。思いがけず目が合った。妙案来たりと顔にばっちりと書いてある。


「冬木さん、ちょっと寄り道しようよ」

「え……、寄り道ってどこに?」

「へへ、良いから良いから!」


 喜色満面な理由が全く分からず、私は呆然と立ち尽くした。その私の手を彼は取って半ば強引に連れて歩き出した。さながら大型犬に引っ張られる飼い主にでもなったような気分だ。


 エスカレーターで二階分くらい降り、通路をぐんぐん進んでいく。私はその間ずっと俯き、擦れ違う人達が決して私の顔を見ないようにと祈っていた。もしこの中にご近所さんが混ざっていてみっともない顔に気づかれたら、私はもう表を出歩けない。遠い外国ならこんな羞恥心を感じることもないのに。


 やがて彼の足が止まり、私もそれに倣う。なんだろう、花のような良い香りが漂っている。


「さぁ、着いた」


 彼の柔らかな声が風のように耳を撫でる。釣られ、私は顎を少しだけ上げて目の前の景色を観察した。そこはコスメショップだった。色鮮やかなチークや口紅、優しい色のファンデーション、名前も使い方も分からないその他多数。お母さんのドレッサーの上に並んでいるような可愛らしい外見の品々がコレクションのように整然と並んでいた。


 航太郎くんはまた私の手を引き、お店の中に入っていく。……いやいやいや、まさかここで化粧品を買ってトイレで直すの?

 そんな私の不安を他所にすいすいと通路を進み、やがて店員と思しき女性に遭遇した。


「あ、あの……すみません」


 その人に航太郎くんは上擦った声で呼びかけた。陳列棚の整理をしていた女性は私より一回りくらい上の外見の綺麗なお姉さんだった。さすがコスメショップの店員さんと言うべきか、(私と違って)整った化粧を上品にしていた。


 お姉さんはなんでしょうか、と優しい微笑みを浮かべてこちらを向く。でも男の子から声を掛けられ、少し不思議そうな色が浮かんでいた。


「彼女の化粧を直して上げてもらえませんか?」


 お願いします、と彼は勢いよくお辞儀をしたのだった。


 その奇妙な申し出に私は虚をつかれ、頭を垂れる彼の姿を呆然と眺めていた。自分の目線よりも下にある黒々とした頭髪に覆われた頭はよく実った稲穂のよう。

 対するお姉さんは、当然だが戸惑っていたが、すぐに私の方に目を向け、顔に手を伸ばしてきた。白魚のような細くて白い指が、柳の枝を避けるように前髪を掻き分け、目がばっちりと合った。


「あら、お化粧が崩れとおね」


 ため息のようなお姉さんの声。それは私の心情を汲むような、温かく頼もしささえ感じさせる。

 彼女は航太郎くんに待っているよう伝えると、私の肩を優しく抱いて店の奥へ促した。やがて案内されたのは接客用のカウンターのようなテーブルだった。私はそこに座るように言われ、お姉さんはどこかへ行ってしまったが、間も無く戻ってきた。

 彼女は商品のテスターと、多分私物と思しき化粧ポーチをテーブルに置き、私の真横の丸椅子に座った。


「すぐに綺麗にして上げますよ」


 お姉さんが微笑み、ポーチから何やらプラスチックの容器や小包装の袋などを取り出す。私は蚊の羽ばたきの様な声で返事をするので精一杯だった。


「彼氏、優しいのね」


 テキパキと目元の古いファンデーションを落としながら、お姉さんは我が事のように弾んだ声で航太郎くんを褒めた。私は喋って良いのか分からなかったが、返事をしないのは失礼だと思って口を微かに開いた。


「彼氏じゃありません」

「そうなの? 手を繋いでたから彼氏かと」


 思い出し、胸がどきりと弾む。


「部活は一緒なんですけど、これまではあまり話したことがなくて。でも今年から同じクラスなんです。音楽の趣味が似てたから話すようになって」

「まぁ、青春ねぇ! 付き合いたいとか思わないの?」


 ファンデーションを塗り直しながら嬉々として尋ねてくる。昼休みのランチタイムのようなノリで、私は遠慮の無い問いに答えを窮した。


「ふふ。じゃあ、彼って好きな女の子とかいるのかしらね?」

「っ!?」


 これまた意地悪な質問だ。そんなの知るわけがないし、すごく知りたい。


 ねぇ……あなたに、恋焦がれるほどの想い人はいるの?

 いるなら、それは誰?

 私は、もういるよ。


 悶々と彼の心の内に想いを馳せる私にお姉さんはそれ以上は何も言わず、不細工になっていた目元を綺麗に直し、それが終わるとテーブル上の卓上ミラーをこちらに向け、仕上がりを見せてくれた。


 そこに写っていたのは見たこともない美少女……とは言い過ぎか。でも冬木小夜子の人生の中で一番綺麗な冬木小夜子だ。肌は透明感のある色合いに直され、薄くチークを塗って血色が良く見栄えが良い。目元はアイラインを綺麗に直されただけでなく、涙袋を作られふっくらしている。


「これが、私?」

「えぇ、そうよ。彼、きっとびっくりするんじゃないかしら?」


 お姉さんが言うや、私はハッとなってジャケットのポケットから外していたヘアピンを取り出し、前髪を綺麗に留めた。折角お色直しをしたのだから、それをすすで汚すような真似は出来ない。


 航太郎くんに顔をお披露目する準備は整った。しかも待ち合わせした時以上の顔で。しかしこの出来栄えを思うとかえって緊張する。彼は一体どんな反応をするだろう。驚くかな、それとも喜ぶ?


 お姉さんが行きましょうかとエスコートする。私はこっくり頷き、彼女の後ろを静々と付き従った。


 航太郎くんは陳列棚に並べられた化粧品を関心の薄そうな目でぼんやり眺めているところだった。


「彼氏さん、お待たせしました」


 その彼にお姉さんは弾んだ声で呼びかける。だから彼氏じゃないですよ!?


 航太郎くんははっきりと否定はしなかったものの、肩を跳ねて驚いたり苦笑を浮かべている様子からして私と同じことを考えているようだ。それはそれでもやもやするなぁ。


「さぁ、こちらに」


 そう道を譲られ、私はお姉さんの身体をすり抜け航太郎くんに対峙した。先ほどとは違った意味で顔を見せるのが躊躇われたが、でもお姉さんが魔法をかけてくれたお陰で奮い立ち、彼の顔を見上げることが出来た。


「どう、かな?」


 羞恥を感じつつも奮起し、変身ぶりについて尋ねた。


「えっと……うん、良いと思うよ……」


 しどろもどろな口振りで彼は返した。落ち着きなく目を泳がせる彼は、気のせいかもしれないが頬に朱が差していた。


 そっか、良いと思うのか。うん、それが聞けただけでも嬉しいよ。


「ちょっと、もっときちんと褒めてあげないといかんよ!」


 でもお姉さんは不満なご様子。後ろから私の肩を抱きすくめ、ぷりぷりした声で航太郎くんを叱ってしまった。その彼は、意外な所から一喝入れらたお陰で肝を潰したらしく、背筋をピシッと伸ばして謝った。そして、


「ふ、冬木さん」

「はい!」

「……すごく綺麗だよ」


 私の目を真っ直ぐ見てそう賛辞を送ってくれた。

 その瞬間、私は心臓が一際大きく鼓動し、そして早鐘を打つのを確かに感じた。胸の前で拳を握り、心臓に止まってくれと命じるが全く言うことを聞かない。


「ふふ、じゃあ後はお二人でごゆっくり」


 背後のお姉さんはそう言い残し、私の側から去っていく。その時、まだお礼を言えていないことを思い出し、慌ててお姉さんの元へ駆け寄った。


「あの、本当にありがとうございました! 私、大学生になったら絶対ここの化粧品使います!」

「あら、本当? 嬉しいわ。渡しそびれてたけど、これうちの乳液の試供品。パンフレットも入ってるから楽しんでくださいね」


 お姉さんはそう言って手に下げていたぺったんこのビニール袋を差し出した。お礼を言いながらそれを受け取る。最後にガッツリ営業してきたけど、なんて優しい店員さんなんだろう。


 去る前にもう一度お礼を述べ、航太郎くんの元へ駆け寄った。彼はまだ照れ臭そうな笑顔を浮かべている。


「お待たせしてごめんね」

「ううん、待ってなんかないよ」


 上擦った声を出しながら、彼ははにかむ。


 あぁ、今日は何て素敵な日曜日なんだろうか。

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