第23話 ジェラシーフライデー

 *小夜子 side*


 この週、私はずっと航太郎くんのことを考えていた気がする。


 朝、始業のチャイムが鳴る直前に登校した私は教室に入る時に仲の良い女の子の友達に向けておはようと挨拶をする。そして返ってきた挨拶はそっちのけにし、さりげなく目配せをして彼が登校していることを毎朝確認した。

 高校生だから学校に来るのは当たり前のことなのに、私には当たり前に登校した彼の姿を見ることに毎日の意味があるように無意識に価値を見出していた。小学生の夏休みの間、スタンプをもらうために毎朝公園でラジオ体操に参加しているようなチグハグな目的意識が芽生えていたのだ。


 だが火曜日のような以心伝心の奇跡はそれきり起こらなかった。


 あの時、確かに私と彼の心は通じ合っていたはずだった。お弁当を食べ終わった彼が図書室へ行くと少し大きな声で言った瞬間、私も丁度お弁当を食べ終わっていた。だから彼の後を追っかけるため、皆を適当にあしらって離席出来たのだった。

 しかし以降はどうも波長が合わない。ランチタイムにたまたま食欲がなかったり、執拗に話を振られて食事どころでなくなったり、座る場所の位置関係で彼の様子が全く分からず、ことごとくチューニングに失敗してしまった。

 不運なことに航太郎くんも昼休みや放課後は仲の良い男の子に捕まったりで抜け出せず、なかなか二人きりの状況を作ってくれなかった。


 まったく、何やってるのよ……。


 不運はそれだけではない。

 金曜日の昼休みのことだ。なんと航太郎くんは赤木くんと女の子二人と机をくっ付け、談笑しながらお昼ご飯を食べ始めたではないか。

 私は心臓が止まるかと思った。制服姿の男女が仲良くお弁当を食べる光景は青春映画なら大層絵になるだろう。普段の私ならそのカットに憧れを抱き、お気に入りのワンシーンとして記憶に留めたに違いない。

 だがそこに航太郎くんがいてはダメだ。航太郎くんが他の女の子に愛想良く笑顔で話しているシーンは絶対にNG。


 だって航太郎くんは私とデュエットして、CDの貸し借りをして、放課後二人きりで下校して、昼休みに教室を抜け出して白昼堂々お喋りをした男の子だ。私が一番仲の良い女子のはずなのに、その私を差し置いて彼に近づく彼女達のことが許せなかった。何より私をほっといて他の女の子とお昼を食べる航太郎くんに腹が立った。そんな人達と時間作るくらいなら私に声をかけなさいよ、この朴念仁!


 腹立たしい気持ちを抱えながら、彼女達の顔を窺うと松本さんのグループの女子だと分かった。そして一度分かると向こうのグループへ理由のない対抗意識のようなものを抱く自分が現れた。


 この教室では演劇部の日下部さんとチアリーディング部の松本さんをトップにした二つのグループが存在している。私は日下部さんのグループだ。

 両者の間には深い溝があり、ここを行き来することは容易ではない。私は正直、このギスギスした女子の社会に嫌気が差していたし、松本さんグループにやたら対抗意識を燃やしたがる日下部さんの取り巻きを内心冷ややかに思っていた(不思議なことに日下部さん自身はさほど競争意識を持ちたがらない様子だ)。


 それなのに今、私は松本さんグループを敵視し、怒りの矛先を向けていた。工作員が鉄のカーテンの向こうに彼を連れ去ってしまうのではないかという被害妄想のために他ならない。


 キャッキャと甲高い声で楽しそうに笑う声が聞こえる度に喉の奥――胸の辺りに何かがつっかえたような気持ちになるし、耳障りで仕方がなかった。彼女達が手に持っているサンドイッチのパンの白さにさえ無性に腹が立つ。


「それで『マーメイズ』の新曲の『渚のナイト様』が神がかった曲なんだ! 赤木くんと航太郎くんはもう聞いた?」


 航太郎くんの真正面に座っている女子が音楽の話題を二人に振った。

『マーメイズ』というのは最近人気の女性アイドルグループだ。メンバー全員私達と同じ高校生で、青を基調としたフリフリの人魚マーメイドのようなコスチュームが特徴だ。どうやら四人はマーメイズの話をしていたらしい。


「聞いた聞いた! 金曜日にテレビでお披露目してたよな!? まみちゃんが可愛いのなんのって!」

「でしょー!?」


 赤木くんが興奮気味に同調した。マーメイズのメンバーは皆可愛く、最近はバラエティ番組などにも出演しており露出が増えた。おかげで男女問わず人気があり、学校でも話題に上がることが珍しくない。


「航太郎くんは? マーメイズだと誰推し?」

「え、あー……僕はあんまりアイドル分からないんだ……」


 航太郎くんは嬉々として水を向けられたが、居た堪れなさそうに眉を八の字にして苦笑した。話を振った女子はちょっぴりつまらなさそうにし、彼をそっちのけにして三人でマーメイズの話を再開してしまった。どうやら彼女は場の空気よりも話題を優先するほどマーメイズにお熱らしい。


 私は所在なさげにお弁当に箸を付ける航太郎くんに同情しつつ、件の女子達に優越感のようなものを感じた。

 航太郎くんは私と同じで正統派な音楽が好きだ。CDのこともそうだが、カラオケの選曲からもそれが察せられる。ルックス重視のアイドルなんか興味が無い。私と同じ。

 モヤモヤを抱えたまま、しかし私は彼女達に教示してやりたい気持ちで心中冷笑していた。


 本当に何も分かってないんだから。


 *


 その日、私はモヤモヤした気持ちを抱えたまま午後の授業を受けた。背後にいる浮気者の視線を感じるような感じないような、甚だ集中力を欠いたメンタルなおかげで古典と物理の授業内容は全く頭に残らない。


 部活動の時間も似たようなものだった。今日は体育館をバレーボール部とバスケ部の練習に割り当てられた日なので、私達バドミントン部は外周を走り込んだり、中庭でストレッチや筋力トレーニングをすることになった。


 その中庭では今、二年生の男子がふざけ半分で筋肉を競い合っている。誰が逆立ちを一番長く出来るかを勝負しているのだ。


 男の子ってどうしてこう競争が好きなんだろう?

 女所帯に生まれた私には全く理解できない。


 私はドライな気持ちになりつつ、ストレッチするふりをして赤木くん相手に競り合う航太郎くんに視線を送って応援していた。といいつつ、実際は逆立ちしてシャツの裾がめくれたために顔を出した彼の可愛いお臍と腹筋をまじまじと見ている。


「もう……無理――ぎゃふん!?」


 だが航太郎くんは力尽き、ふらっとバランスを崩して背中から倒れてしまった。彼の大きな身体が芝生に叩きつけられバフっと大きな音を立てた。


「痛ーい!!」


 そして打ちどころが悪かったらしく、彼はお尻の辺りをさすり大いに悔しがっていた。


「へへーん、俺の勝ちな」


 一方の赤木くんは倒立前転で華麗に立ち上がり、勝利に酔いしれる。……本当になんでそんなことで勝負するの?


 勝負が終わると男子は各々健闘を讃えたり、逆立ちのコツをうんぬんと議論を始めた。その表情には悔しさが滲むも卑屈さは一欠片もなく、ある種の向上心のようなものが表れており、彼らの友情めいたものを感じさせた。下らないけど、少し羨ましい。


「おーい、外周行くぞ!」


 その時、中庭の入り口辺りから三年の小笠原先輩の野太い声が響いた。それに呼応し、中庭にいためいめいが気だるそうに先輩の元に向かって歩き始めた。


「あ〜あ、パイセン本当仕切りたがりじゃん」


 気だるげな一団からさらに遅れ気味の航太郎くんの憎々しげなぼやきが聞こえた。私はそれを聞かなかったふりをし、ここぞとばかりに駆け寄って右隣に立った。


「航太郎くん。さっきは残念だったね」

「あ、冬木さん……。見てたんだ。なんだか恥ずいな」


 航太郎くんははにかんで苦笑し、ほっぺたを人差し指で引っ掻いた。悔しそうだけど、無邪気なその笑顔が堪らない。


「ふふ、じゃあ私から『頑張ったで賞』上げちゃいます」

「お、ラッキー! 頑張った甲斐がありました!」


 航太郎くんはいつものカラッとした笑顔で私の冗談に付き合ってくれた。おかげで自分でも分かるほど、一層笑みが深まった。


「走り込みだるいね。外トレの時はメニュー消化してさっさと帰らせてくれればいいものを、パイセンめ……」


 現実に引き戻されたように、彼は白けたような顔でまたぼやいた。私もそれには同意する。体育館を使えない日の外トレは外周を走り、筋トレが終わるとあとはひたすら外周を走らされる。これは木村先生が決めたメニューではなく、部を何かと仕切っている小笠原先輩の方針だ。去年、二個上の先輩達が引退して世代交代した辺りからそんな具合だ。


「おかげで靴もボロボロですよ……」


 とほほ、と言いたげに航太郎くんは立ち止まり、右足をぶらっと前方に上げて私に靴を見せた。確かに、彼の布製のスニーカーは土の汚れが目立つし、小指の付け根の辺りには綻びが見られた。


「本当だ。もう時期買い替えかもね」


 くたくたになったスニーカーは見るに耐えられず、私は同情混じりに言った。


「今度の日曜日に買いに行こうかな。……冬木さん、一緒に行かない?」

「え……ふ、二人で?」

「うん、都合悪い?」


 突然のお誘い。

 あまりにも急なことのため、私は即答出来ず答えに窮してしまった。それから冷静になり、どうしようかと悩む。


 次の日曜日はゴールデンウィークの中日なかびだ。うちの部では木村先生の方針で毎週日曜日は大抵練習はお休みになっている。勉強や親孝行に使いなさいというお達しのためだ。尤も、私は友達と遊びに行くことが多く、航太郎くんのこのお誘いに乗るのはやぶさかではない。むしろ大歓迎だ。

 だが次の日曜日はお母さんと楓と三人で洋服を見に行くことになっていた。夏物の服をねだるつもりだったので都合が悪いと言えば悪いし、何よりお母さんとの約束を破ることになり心がちくりといたんだ。


「じゃあ、一緒に行こうかな」

「え、本当? すっごい嬉しい! 待ち合わせとかどうしよう。あとでメールしていい?」

「いいけど、私航太郎くんのメアド知らないよ」

「そうだった。じゃあ、後で交換でもいい?」


 今度は二つ返事で大きく頷いた。彼はにっこりと満面の笑みを浮かべ、放課後の待ち合わせを一方的に言い残すと校門に向かって走り去ってしまった。残された私もジョギングのスピードで駆け出し、視界前方を遠ざかっていく彼の背中を見つめながら走り続けた。そして彼の背中が見えなくなるほど距離が開く頃にはだらしないにやけ面を抑えられなくなっていた。


 *


 その夜のこと。食後、居間と食卓のある一階が静まったのを見計らい、私はこそこそと階段を降りてキッチンに向かった。そこでは水が絶え間なく流れ、陶器が軽くぶつかる音だけが響いている。お母さんが四人分の食器を洗っているのだ。


 ダイニングと併設のキッチンにいるのはお母さんだけ。居間ではお酒を飲んだお父さんがうたた寝をしている。妹の楓は自分の部屋にいることは確認済み。


 今こそ絶好の好機。


「お母さぁん」


 母の背後から私は声を掛ける。無自覚に声が少し高くなっていた。


「あら、さっちゃん。どうしたの?」


 普段着のお母さんはスポンジを持った手を休め頭だけでこちらを振り返った。

 お姉ちゃんと似てすらっとしているが痩せ細った印象のないお母さんは少し驚いたふうな顔をしたが、微笑みを浮かべていた。


「あ、あのね、日曜日のお買い物なんだけど、楓と二人で行ってくれない?」

「あら、どうして? さっちゃんは行かないの?」

「日曜日は友達と靴屋さんに行く約束しちゃったんだ。だから一緒に行けない」

「あらそう、残念ね。じゃあ楓と一緒に行ってくるわね」


 お母さんは真横に並び立った私の顔を横目にお茶碗についた洗剤を洗い流す。その声には約束を破ったことを咎める気配はなく、いつもの優しいお母さんのままだ。

 怒られることはないと分かっていたが、罪悪感を抱いていた分内心安堵した。


「それとね、もう一つお願いがあるの」

「何かしら、お小遣い?」


 お母さんは今度こそ怪訝そうな顔をして私を見やった。私は楓と違ってお小遣いをねだることがほとんど無いからそんな反応をするのだろう。


「お小遣いじゃないよ」


 私はそう前置きをすると、リビングとキッチンと階段を結ぶ廊下の方をチラリと窺った。お父さんと楓には聞かれたくない。


「日曜日、私にお化粧してほしいの」

「え、化粧!?」

「しー! 声が大きいよ!」


 母の素っ頓狂な声に、私は声を押し殺して静寂を求める。それから恐る恐るリビングの方を再び観察する。良かった、お父さんが起きた気配はない。


「どうしてお化粧なの? 靴屋さんに行くのよね?」

「そ、そうだけど、日曜日は絶対化粧して出かけたいんだ。だからお願い!」


 私はすがる思いで母に懇願した。


 航太郎くんと出かけるからにはみっともない格好はしていけない。そう思った私は帰宅直後と夕食後、洋服箪笥から服を引っ張り出しては明後日のコーディネートを考えた。その最中、化粧が必要だと閃いたのだ。

 しかし生憎と私には化粧の知識がない。高校の校則では化粧して登校することは禁止されているから普段化粧をすることがない。お陰で勝手が分からない。なのでこうしてお母さんに変身させてもらおうと考えた。


「靴屋さんにお化粧がいるのかしら?」


 ふふ、と笑みを漏らしながらそう問うお母さんに、私はどこか見透かされた気分になった。きっと全部分かってて意地悪している。


「い、いるの! その日だけは絶対に!」


 私は顔が熱くなるのを自覚しながら訴えた。お姉ちゃんが一人暮らしを始めてしまった今、頼りになるのはお母さんだけだから必死だ。


「はいはい、じゃあ出かける前にお化粧して上げるね」


 お母さんは私の顔を見て笑いながら約束してくれた。安堵した私は礼を言い、足早にキッチンをさった。「そっかぁ、さっちゃんもそんな歳かぁ……」とお母さんが明るい声でどこか寂しげに呟く声が私の耳に入ってきたが、聞こえなかったふりをした。


 *航太郎 side*


 冬木さんと日曜日に出かける約束をした後、帰宅すると玄関にまで醤油っぽいいい香りが満ちていた。今日の夕食は煮物らしい。

 ダイニングに入ると母がぐつぐつと煮える鍋を見つめ、小皿で味見をしているところだった。


「ただいま!」

「おかえり。機嫌良いわね。何か良いことでもあったの?」


 怪訝そうな顔をして振り返り、そう尋ねる母。僕より少し背が低いくらいの、女にしては長身の体型はスリムで崩れておらず、肩甲骨に掛かるくらいの黒髪は艶やかで、同輩の母親に比べてせがれながら若く見える。実際、年齢は四十歳手前なので他所様に比べればやや若いだろう。


「べ、別に何も。飯は?」

「もう出来るわよ。仏間行っておじいちゃんに挨拶して、おばあちゃん呼んできなさい」


 へーい、と返事をするが、僕は根を張ったようにその場を動かない。母に言うことがある。


「ねぇ、母さん。小遣い頂戴」

「……あんた、帰って早々意地汚いわよ」


 母はため息をこぼし、元々つり目がちな双眸を細めて僕を睨んだ。怖い。


「靴がボロになったから買い替えたいんだよ」

「来月まで待ちなさい」

「それ先月も言ってたじゃん!」


 にべもない母に僕は抗議した。その僕に母はやれやれと面倒臭そうなため息をついた。


「航ちゃん、うちはギリギリの生活なの。お父さんがお金送ってくれないからお母さんはパートして、その上おばあちゃんの年金を分けてもらってるのよ?」


 だから我慢なさい、とピシャリと僕の要求を跳ね除けた。余談だが、僕は家の中では『航ちゃん』と愛称で呼ばれている。

 うちが金にゆとりがないことは薄々気付いている。離婚し祖母も加えての三人暮らしの我が家では稼ぎ頭がおらず、生命線は亡き祖父の遺産と祖母の年金というなんともひもじい有様だ。というのも以前立ち聞きしたが父親の養育費の支払いは滞り気味で、母がパートに出て補っている状況だ。それを知ると毎月の小遣いとは別にねだるのは後ろめたいのだが、いるものはいるのだから仕方がない。


「大体、あんたは毎食二人分も食べてるくせにその上小遣いまで寄越せとは……。お陰様でうちの家計は火の車じゃない。お母さん、またノイローゼになっちゃうわよ」


 母はわざと渋面を作って頭を抱え「よよよ」とふらつく演技をして見せた。演技と分かっていてもそれをされると僕は弱い。


 母は二年前に離婚したのだが、その前後のゴタゴタで心身に相当な負担を抱えたらしく、自律神経失調症という病気に罹り、不眠や慢性的な体調不良に悩まされていた。その間、僕は治療に協力したり励ますどころか夜歩きなど素行不良を重ね、母の病状の悪化を招いてしまった。その後反省して大人しくしたことで多少回復し、半年ほど前に治療が終わった。そんな経緯があるから僕は母に無体な態度を取ったり、強くお願い事が出来ない。


「ちぇ、つまんないの。ばあちゃん呼んでくる」


 僕は荷物を床に放り出してキッチンを後にし、仏間にいる祖母の元へ赴く。母がダメなら祖母だ。ばあちゃんにお願いしよう。


「ばあちゃ〜ん、ただいま!」


 ニコニコ笑顔の可愛らしい孫を演じ、高い声で祖母に帰宅を告げた。


「あら、航ちゃん。おかえんなさい。おじいちゃんに挨拶して」

「はぁい」


 ちょうどお供物を取り替え終えた祖母は蝋燭に火を灯し、線香を上げるところだった。座布団に正座した祖母の斜め後ろに正座し、祖母がお鈴を鳴らして拝むのに倣って手を合わせ、目を瞑った。

 チーン、という心地の良いお鈴の響きが仏間に溶けてしまうと、僕は早速要件を伝えた。


「ねぇねぇ、ばあちゃん。お小遣い頂戴!」

「あんれえ、この前上げたような気がするけどねぇ」


 祖母はくつくつと小さく笑い、こちらを振り返った。


「あはは……この前のは友達とファミレスに行ったりカラオケに行ったりして使っちゃった」


 僕は目を泳がせながら言い訳した。カラオケは本当だがファミレスは嘘だ。本当は友達とトランプで賭けをしてスった。


「靴がボロになったからどうしても必要なんだよね。お願い、ばあちゃん!」


 祖母を拝み、満面の笑みを浮かべて甘える。尤も視線は先ほどから仏壇の下の左の引き出しにチラチラと惹きつけられる。そこにばあちゃんのヘソクリがあることを僕は知っていた。卑しい孫だと我ながら思う。


 ばあちゃんはそんな僕を蔑むどころか愛おしそうに笑って見つめ、なぜか嬉しそうに引き出しに手を伸ばす。祖母の子どもは母しかおらず、必然的に孫も僕一人しかいない。一人きりの孫のため、僕は祖母から猫っ可愛がりされている。お陰でこうして臨時のお小遣いの五千円を入手した。


「全くあんたって子は。台所の荷物、部屋に持って行きなさい!」


 中々戻ってこない僕達の様子を見に来た母が呆れた様子で呟き、そう言いつけた。僕は上機嫌なまま尻に火をつけられたように仏間を後にし、命じられた通り打ち捨てた鞄やらを担いで部屋に退散した。


 靴を買う金、日曜日の予定、冬木さんのメールアドレス。


 今日は得る物の多い金曜日だった。

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