第22話 逢瀬を重ねて...
翌日の昼休み。
僕と冬木さんはグループでそれぞれランチを済ませると抜け出し、中庭の花壇に腰掛けて話し込んでいた。
抜け出そうと示し合わせたわけではない。
昨夜は曲を聴きながら転寝してしまったがどれも印象に残る素晴らしい曲ばかりで、僕はすぐにでも彼女に感想を伝えたかった。何よりもっと冬木さんと話がしたかった。そのせいか今朝からずっと冬木さんの様子を窺うように視線をチラチラと向けてしまっていた。
そしてお昼休み、僕は赤木を含む男子グループで、冬木さんはまーちゃんとみぽりんと他数名のグループで教室にて昼食を摂っていた。その間、視線の先に冬木さんがいたのだが、奇跡的に彼女と目が合ったのだ!
生憎その時冬木さんは恥ずかしそうにしてすぐに目を背けてしまったが、僕は何か予感めいたものを感じ、弁当箱を空にすると気持ち大きな声で図書室に行くと赤城達に告げ、グループを抜け出した。彼らは別段不審がる様子はなく、僕は憂なく彼女に一瞬目配せして教室を後にした。その瞬間、彼女は箸を止め、会話をすることもなくピタリと硬直していた。まるで聞き耳を立てているようであった。
そして教室から図書室へのルートにあたる廊下で待つこと三分。トテトテと可愛らしい足音を立て、冬木さんが現れた。彼女は僕の姿を認めると眉を八の字にした
その後どこか場所はと話し合い、結果教室から離れている中庭に行こうと相成ったのだ。
「なんだかこうして教室を抜け出すと悪いことしてる気がするね」
ぽつりと冬木さんがつぶやく。
悪いことをしている、と冬木さんは罪悪感を示唆するような言い方をするが、しかして表情は朗らかで浮ついてさえいた。かくいう僕も誰かに見られるとまずいのではないかと不安を抱える一方、この場から逃げ出したいなどとは微塵も思わない。むしろこの時間がずっと続きますようにと願うところだ。
二人の距離は腕二本分と言ったところ。僕はその距離の向こう側にいる冬木さんの存在を息遣いを感じながら、どうしてわざわざ教室を抜け出したのかと自問した。だが尤もらしい答えは得られない。
「素直に教室で話せれば良いのにね」
彼女の感想に僕は苦し紛れな同意を示した。それにさらに同意の声が帰ってくる。
「いっそコーヒーでも買って、今から戻って教室で話す?」
僕は苦笑混じりに冗談を言う。
「む、無理無理! 絶対皆に揶揄われるよ〜」
案の定、冬木さんは顔を赤くして
教室から逃れて中庭に来た僕達だが、中庭は教室とはまた違った賑わいを見せている。特に今日のような晴天に恵まれた
二人で教室で話すことが悪いことなはずはない。同じクラスの一員だし、部活動では去年から一緒に練習している仲間同士だ。会話を楽しむのは自然なこと。
しかし如何せん、教室で女の子と二人きりで話している男子は他にいないし、ましてや私物の貸し借りなど前代未聞だ。知られれば赤木辺りに揶揄われることは間違いない。
そんな羞恥心を持つがために教室では礼の一つも言えない自分がひどく矮小に思え、苦々しく、また
だが冬木さんが自分の跡を追って抜け出し、こうして並んで話していると一転してスリルを感じるようになった自分がいる。
昼休みに教室を抜け出し、女の子と二人きりで話し込むのは背徳的なのに妙に心地良く、異次元の興奮を僕に感じさせた。今、こうしている間も心臓の音がうるさいくらいに体内で響き渡っていた。
その興奮と緊張も相まって僕は何も話せなかった。CDの感想だけでなく、友達のことや勉強のこと、部活のこと等々、話したいことはたくさんあるはずなのに、何から切り出せば良いのか決めあぐね、沈黙を作ってしまった。
その沈黙を破ったのは冬木さんだった。
「あ、木村先生だ」
視線の先を辿ると、確かにそこにはバドミントン部顧問の木村先生の姿があった。白髪混じりの木村先生はいつも通り、眠たげに目を細め真っ直ぐ前を見ながら廊下を進み、僕達の目の前を横切っていった。
「こっちに気づいたかな?」
冬木さんが何気なく訊く。
「その様子はないけど……」
僕は半信半疑な気持ちで返した。木村先生とは部活動で一年生の頃からお世話になっているから僕達の顔が目に入ればすぐに分かるはずだ。でも先生は顔色ひとつ変えることなく過ぎ去っていった。
「木村先生とうちのお父さんって仲良いんだよ」
さらりとどこか自慢げな明るい声で冬木さんはそう小さな声で教えてくれた。僕は驚き半分面白半分で笑みを浮かべた。
「木村先生って私達が入学する少し前は
「へぇ、それは知らなかった」
西陵館高校というのは学区内トップの進学実績を誇る県立の進学校だ。長崎の地理に疎い僕でも一等地にどでかい敷地を持つ西陵館のことは知っている。というか中三の時に学校見学で訪問した。そして一度は志望校に設定したも偏差値がどうしても届かず、ワンランク下げてこの長崎肥前高校に入学したという苦い思い出が伴う学校でもあった。
「バドミントン部に入った時、木村先生に教えられたし、お父さんからも驚かれたんだ。あ、それでね、うちのお父さん、西陵館の生徒からは『おじき』って呼ばれてるんだって。私知らなかった」
「おじき?」
冬木さんは「ふふ」と可愛らしく笑いを堪え、それでも
「うん、
どんな親父さんだよ。
「あ、でもお姉ちゃんは知ってたんだ。お姉ちゃんね、西陵館のOGで、現役の頃はお父さんとずっと一緒に過ごしてたんだよ。流石に受け持ちにはならなかったみたいだけど」
「え、それって大丈夫なの? その……癒着的な意味で」
「私もよく分かんない。お父さんってずっと西陵館の先生だから」
「ふぅん。おじさん、すごいんだね」
冬木さんは座ったまま足をぶらぶら上下させ、つま先を見ながら大人の事情に思いを馳せている様子だ。
僕も分かったふうな言い方をするが、ちっとも分かってない。なんとなく県内きっての進学校で長らく教鞭を取っているというからきっと優秀な教師なんだと想像するばかりだった。
「うん、お父さんはすごい人だよ。お姉ちゃんもすごく綺麗で、私の憧れ」
「お姉さんか……どんな人?」
「……なんか妙に食いつきいいね」
ジトっと非難がましく細めためで僕を睨む冬木さん。理由はよく分からないがどうやらヘマをしたらしい。僕は慌てて取り繕い、彼女の機嫌を取ろうとするがその前に昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ってしまった。
バタバタと他の生徒が教室へ急ぐ最中、図書室から一緒に戻ったということにしようと口裏合わせを求められ、僕はこれ以上彼女の機嫌を損ねないよう言われるがままに頷いた。
しかし教室に入る間際、僕の前を歩く冬木さんはくるりと身を翻らせて僕にこう言った。
「CDの感想はまた今度聞かせてね」
くしゃっとした笑顔とはいかないものの、野に咲く小さな花のような微笑みを浮かべる表情には先ほどの不機嫌さは微塵もなく、僕はほっと一安心した。
余談だが、この日僕は女性と話している時に他の女性に関心を持っているような素振りをしてはいけないと終世の知恵を獲得したのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます