第21話 初めての密会

 練習後、体操着から制服に着替えると僕はそそくさと部室を後にした。いつもなら赤木や他の部員とくっちゃべって時間を浪費するところだが、今日は大事な用事がある。僕は早る気持ちを抑え、しかし出来るだけ人に見咎められないよう体育館の正面口に赴き、スニーカーを履いた。いつもならこのまま真っ直ぐ校門を出て帰路に就くところだが、僕はそれとは真逆――昇降口へと赴いた。


 冬木さんは着替えたら昇降口の下駄箱で待ち合わせようと提案し、僕も訝ることなくそれを了承した。同じ部の女の子と二人で話して私物を貸し借りしているところを見られるのは恥ずかしいし、向こうもきっと同じ気持ちだろう。


 それから待つこと五分。その間、何人かの運動部員が自分と同じように練習を終え下校する姿を見送ると、トテトテと可愛らしい足音の小走りで冬木さんがやって来た。


「お待たせー!」


 その姿を見て僕は頬が緩むのを自覚し、慌ててシャキッと真顔を浮かべた

 柔らかい癒し系の声だが、部活で疲れている上に急いで駆けつけたためか慌ただしさを感じさせた。呼吸を乱し、肩を少し上下させるものの表情にはふにゃっとした可愛らしい笑顔を浮かべていた。


「ご、ごめんね。待たせちゃったよね?」


 僕の顔を見て、冬木さんは再度そう詫びを入れてきた。顔は少し不安そう。僕はすぐに、自分の顔色が真剣みを帯びて不機嫌に思わせているのだとあたりをつけた。我ながら良い推理だ。


「待った待った。三秒遅刻ね、冬木さん。朝も遅刻して夕方も遅刻ですなぁ」


 と、僕は頬の筋肉を緩め、そんな冗談を言ってみた。


「け、今朝は遅刻してないよ〜」


 冬木さんは今朝の疑惑の判定を蒸し返され、顔を赤くしてあたふたと抗議をした。その様子がいじらしく、僕はケラケラと抑えきれずに笑ってしまった。これがまた冬木さんはかんに障ったらしく、唸りながら唇を尖らせた。


「もう、そんな意地悪するならCD貸さないもん!」


 プイッとそっぽを向いてダンマリを決め込む冬木さん。座り込みで徹底抗戦の覚悟だと言わんばかりだが、ちっとも怖くない。言葉とは裏腹に冬木さんは本気で臍を曲げたわけではないだろうが、きっとこちらが折れないことには機嫌を戻してくれないだろう。仕方なしだ。


「あはは、ごめんごめん。ちょっとはしゃいで調子に乗り過ぎた。機嫌直してよ」

「分かればよろしい。歩きながらで良いよね?」


 冬木さんは視線をこちらに戻し、メガネの奥でどこか勝ち誇ったような微笑みを浮かべ、校門の方向へ促した。僕は降参の意味も含めて苦笑して頷き、彼女の左隣に並んで歩き出す。


 頭上には夜天が敷かれぽつぽつと星々が光を放っていた。満点の星空とはいかないが、都会ように人の明かりが少ない分輝く星の数は多い。天頂の獅子座も伸び伸びとしているような気がした。


「はい、これ約束のCD」


 校門を出て少し経った頃、冬木さんは学校指定の通学カバンから白いビニール袋を取り出した。何処かのお土産屋さんのものと思われる袋はツルツルとして触り心地が良く、彼女の気遣いを肌を通じて一層感じるような思いだった。


「ありがとう! 土曜日の夜からずっと楽しみにしてたんだ」

「そうなの? じゃあ帰ったら早速聞いてみて!」

「うん、聞く聞く!」

「私のおすすめは『メーデー』と『カルマ』って曲。どっちもロックで格好良いよ!」


 先ほどまでの不機嫌さはどこ吹く風といった様子で冬木さんは満面の笑みを浮かべてお勧めのトラックを紹介してくれた。それから曲やバンドについても熱く語った。


 この曲のテーマはとか、歌詞に隠された意味はとか、発表された時のファンの反響はとか。


 女の子らしい高い声でひっきりなしに話すものだから僕は内容についていくのがやっとでもっぱら聞き役に徹した。

 だが聞き役というのも悪くない。話題に注ぐ意識を半分にしておけば、もう半分を彼女の顔や声に向けられるから。


 奥二重の目元や高い鼻梁、薄い唇。


 男の自分とはかけ離れた女の子らしいパーツを見ていると僕は否応なく彼女が異性であると無意識に感じていた。


 同時に彼女に対する印象がガラリと変わった。部活動での彼女は先輩達の言いなりになってひたむきに練習し、あまり主張らしいことをしている姿を見ることはなかった。クラスでも主張の強い女子の側で相槌を打ち、特に仲の良い友達とはそれなりに発言をしている印象がある。おかげで僕にとっての冬木小夜子さんは『地味で大人しい眼鏡っ子』というものだった。

 だが今隣を歩いているのはしっかりと趣味を持ち、それを活き活きと語る明るく朗らかな女の子。


 それから冬木さんは趣味の話から今日あった出来事について話題を変えていった。僕はやはり聞き役のまま、彼女の隣で相槌を打ちながらくねくね坂の通学路を下っていく。


「みぽりん、好きな人が出来たんだって!」


 友達の話になった時、冬木さんはすごく嬉しそうに言う。まるで我が事のように。僕はこれまで「へぇ」とか「うんうん」とか相槌を打ちに留めていたが、恋バナになって急に興味をくすぐられ相手は誰かと具体的な質問を初めてした。


「バスケ部の一年生の子。背の高いイケメンだって!」


 冬木さんの提供情報をもとに記憶を手繰るがピンと来ない。バスケ部とバドミントン部は体育館をセンターのネットで区切ったり、ローテーションして譲り合いで活動する間柄で同居人のようなものだ。部員同士に交流はあるが僕はさほど関わりを持たないためそのイケメンくんの顔が思い浮かばない。今度ツラくらい拝んでおこう。


「あっ!! 今の言っちゃいけなかったんだ……」


 ハワワ、と口をあんぐり開けてあたふたする冬木さん。どうやらみぽりんから口止めされていたらしいが、饒舌になるあまり口を滑らせたようだ。


「航太郎くん! お願い、今のは誰にも言わないで! 言ったのがバレたらみぽりんに怒られる」


 僕を見上げ、慌てた様子でそう懇願してきた。みぽりんがよほど怖いのか、それとも友情を大切にするのか、あるいは両方か。もとより言いふらす気などさらさら無いが、その気持ちを察するとなおのこと嫌とは言えない。


「大丈夫。僕は聞き専だから誰にも言わないよ」


 と、借りたCDの袋を掲げ、苦笑混じりな顔で秘密を約束した。冬木さんはほっと一安心した様子でため息をつくも、はたと何かに思い至った様子で目に力を入れた。


「秘密は聞き専でいいけど、バンプは聞いて良し、歌って良し、ライブに参加しても良しだよ!」

「あはは、抜け目ないなぁ。よっぽど好きなんだね。ライブにも行ったことあるの?」

「え……ら、ライブはまだ無いなぁ……」


 バツが悪そうに目を泳がせながら、先ほどとは打って変わって小さな声で答えた。


「あ、そうなんだ。意外」

「うん、ライブ行きたいけど長崎まで来てくれないから福岡まで出て行かないと。チケットも高いけど、往復の交通費だけでお小遣い足りなくなっちゃうよ」

「だよね。うちの学校、バイト禁止だし」


 冬木さんはとほほな様子でため息をつき空を仰ぐ。先ほどまで西の空がほのかに明るかったが今ではすっかり暗くなり、彼女のため息は夜闇にじわりと溶けていった。


「ま、僕ら再来年には大学生だし、上京すればライブでもフェスでもコミケでも好きなだけ参加出来るからそれまでの辛抱だよ」

「え〜、上京? なんだか怖いなぁ……」


 僕はそんな彼女の悩みを吹き飛ばそうと明るい未来の話をしてみた。だが反応は予想に反して渋く、彼女は尻すぼみした。


「しないの、上京?」

「まだ考えたこともない。進学するなら長崎大学か福岡大学、頑張って九州大学かな……」

「MARCHとか日大とかは?」

「それも東京の大学だよね? なんだか怖いな……」


 冬木さんは表情をどんどん沈ませ、俯いてしまった。歩く速度も先ほどより緩やかになっている。


 上京が怖い。その感覚は分からないようで分かる。

 横浜生まれの僕にとって東京はすぐ隣の街だ。一口に東京といっても広いが大抵の場所は電車に揺られて行けるし、家族や友達と遊びに行ったことは何度もある。東京が行動範囲だった僕にとって、たかが東京に引っ越しのに尻込みするというのは理解出来ない感覚だ。

 一方でその僕は二年前にこの長崎へ親の離婚のため引っ越してきた。今は母の実家で祖母と三人で暮らしてる。その生活にもだいぶ慣れたものの、引っ越し前は不安がいっぱいで、直後も学校の校則の厳しさや学友が口にする九州地方の方言が馴染まず、四六時中居心地の悪さを感じ、母に何度も横浜に帰りたいと漏らしたものだ。そして二年経った現在でも未だ長崎市内の地理にも不案内で友達との話題についていけないこともある。

 もっとも今となっては不便はあっても不安はない。方言が耳に馴染まなくても人々の優しさや人情は心に染みてくるし、校則が厳しくても学校生活は楽しい。住めば都という諺は馬鹿に出来ないものだ。

 そしてきっと冬木さんは僕が感じた不安を東京に感じているのだろう。


「航太郎くんはどうするの?」

「僕は横浜に戻るよ。横浜国立大学か市立大。情報系の学部にしようと思ってる」

「すごい、もう決めてるんだ」

「まぁね」


 僕は少し得意な気分で答えた。

 何かしらの形で横浜に戻るか上京すると決意したのは中学三年生の秋頃。その頃、長崎の街に馴染んだが一生を過ごす場所ではないと見切りをつけ、出来るだけ早く帰郷するため高校卒業後の進路を決めた。親はもちろん学校の先生にも三者面談の時にすでに通達済みだ。


「長崎は嫌い?」


 冬木さんは不安と寂しさを混ぜたような顔をして僕を見上げていた。

 そんな顔はしないでほしい。なんだか罪悪感のようなものを感じてしまうから。


「嫌いじゃないよ。いい所だと思う。でも……まぁ、僕の故郷はここじゃないしね」

「そっか、やっぱり地元が恋しいよね」

「まぁね。それに長崎は坂が多すぎて疲れるし」

「むぅ、聞き捨てならないなぁ。長崎は山がちだけど、おかげで夜景が綺麗なんだよ? グラバー園からの夜景、見たことある?」


 冬木さんは僕の軽口に敏感に反応し、唇を尖らせ、すかさず長崎の良い所をアピールした。なかなかどうして、地元愛の強い人だなと感心した。


「いや、見たことない。そもそもグラバー園? に行ったことがない」

「えぇ!? 勿体無い。長崎に来たならグラバー園に行かないと。修学旅行生も皆行くんだよ」

「ふぅん。じゃあ、横浜に戻る前くらいに一度は行ってみようかな」

「そうしなよ! 夜に行くと夜景がすごく綺麗だから!」


 夜の長崎港と街並みの灯りが綺麗なんだ、と恍惚気味に呟く冬木さん。一方の僕は、女の子は花とか夜景が本当に好きだなと感心しつつ、情緒的な話なため置いてきぼりを食らった。


 そうしているうちに分かれ道に丁字路に差し掛かり、僕達は別々の方向へ別れた。


 私こっちやけん、さようなら。

 さようなら。夜道に気をつけてね。


 お互い手を振り、背を向けてそれぞれの家に向かって歩を進める。十歩くらい歩いて背中が気になり振り向くと、遠く闇夜の向こうで彼女の影がぴたりと止まっているのが見えた。その様子は暗がりのため窺い知れないが、心が通じ合っていれば今彼女も僕と同じように振り返り、こちらを見つめているのではないかと切なく想うのであった。


 *


 その夜、僕は珍しく夜更かしをして彼女から借りたCDをコンポにセットし、ヘッドフォンで鑑賞した。特に彼女が勧めてくれた二曲を繰り返し聴き、どのように胸打たれたのかと心中を想像した。ベッドに横になりながら歌詞の意味と彼女の心を考えているうちに転寝うたたねして、気がつくと朝になっていた。

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