第19章 ドキドキデュエット

 土曜日の昼下がり、一行は適当なカラオケボックスに入店し、二時間歌うことになった。

 案内されたのは大部屋とのことだったが元々小さな店舗であることから七人の高校生が入ると部屋は満員で、隅に山積みにされた荷物達も窮屈そうであった。


「何歌うかな〜」「PV付きのやつってある?」「俺一番歌って良い?」


 二つしかない電モクを顔を寄せ合って覗き込んで僕は私はと思い思いに曲を選択し、次々に予約が埋まっていく。

 その予約順に一曲目を赤木が、二曲目を佐藤という女子が歌い、次は僕の番になった。僕が予約したのはBUMP OF CHICKENの『天体観測』という、何年か前に大ヒットした曲だ。


「え、嘘!? 次の予約誰!?」


 モニターに次の曲の案内が表示された時、L字型ソファーの端っこに座っていた冬木さんが目の色を変えて一同に尋ねた。


「僕だよ」


 何事かと訝しんだが僕は素直に手を挙げた。


「私もこの曲歌いたかったんだ! 一緒に歌っても良い?」

「うん、もちのろん。歌おう」

「やった!」


 どうやら冬木さんもこの曲が好きらしい。彼女は目を爛々と輝かせ、充電器からマイクを取ってスイッチをオンにする。


「せっかくだからステージで歌えよ、お二人さん!」


 前奏が始まった時、赤木が囃し立てた。他の者も一緒になってステージを指さす。言われた僕は気分が高揚していたおかげか羞恥を感じることはなく、むしろ「気が利く一言だ」と捉え、迷うことなく椅子から立ち上がってステージに上がった。冬木さんは少し驚いたようだが、後に続いて僕の左側に立った。


 イントロが終わり、Aメロが始まる。

 緊張して変に外さないか心配だったが、部活の練習で声出ししていたおかげで喉のウォーミングアップはすでに出来ておりスムーズに歌えた。

 続いてBメロ。曲調が少し変わり、この後に来るサビの盛り上がりを予感させる。Bメロの半分辺りで冬木さんをチラリと窺う。僕より十センチは背が低い彼女も僕を見上げるように目配せしていて、図らずしも目が合った。


 用意はいい?


 彼女の視線は普段通り優しげだが、好きな曲を歌って高揚したおかげでどこか挑戦的で、サビに備えてそう問いかけているようだった。


 もちろん!


 僕はそれに応じるように笑みを強くする。


『見えないものを見ようとして♪』

『『はい!』』

『望遠鏡を覗き込んだ♪』

『『はいはい!!』』


 サビに突入し僕達が歌い上げると他の皆が合いの手を入れる。


『静寂を切り裂いて 幾つもの声が生まれたよ♪』

『『はいはいはいはい!!!!』』


 そこにタンバリンも加わってビートを刻む。僕の鼓動もどんどん速さと強さを増していくようでどんどんテンションが上がった。


『明日が僕らを呼んだって♪』

『『はい!』』

『返事もロクにしなかった♪』

『『はいはい!!』』

『「イマ」というほうき星 君と二人追いかけててた♪』

『『Oh year ah〜♪』』


 最後、僕と冬木さんは皆にマイクを向け、サビの締めを一同に譲ったのであった。


 *


 その後、僕達はプラン通りたっぷり二時間歌い続けた。

 僕と冬木さんがデュエットをしてからはポップスとロックを皆が真似してデュエットして歌い、最後はみんなが知っているバラードを全員一緒になって歌い、今日のカラオケはお開きになった。本当は延長してもっと楽しみたかったが、条例か何かの縛りで保護者のいない未成年は締め出されることになっている。おかげで僕達は名残惜しさを感じながら店を後にしたのだった。


 帰り道、男二人が寄り道すると言い残して別れ、残り五人は路面電車に乗ってゆるゆると運ばれた。

 その車内、女男女男女と交互に座り、今日の練習やカラオケについてあれやこれやと話していた。赤木は二人の女子に挟まれ満更でもなさそうにデレデレしている。赤木は僕より背が高いし顔も格好良いので部でもクラスでも女子から人気があるのでこうなると予想出来た。


「ねぇねぇ、航太郎くんもバンプ好きなの!?」


 一方で僕はもう一方隣に座った冬木さんからそう尋ねられた。薄々気付いていたことだが、一緒に天体観測を歌ってから彼女は僕の方をそわそわと観察していて、いつ話しかけようかとタイミングを窺っていた様子だった。そして落ち着いて話せる状況になってようやく切り出したようだ。


「うーん、特に好きってほどでもないかな。実は天体観測以外ほとんど知らないんだ」


 僕は少し申し訳ない思いで苦笑しつつ頬を掻いた。彼女の熱量からして相当なファンであるらしいことが窺える。その彼女の話に乗ってあげられず苦々しい心持ちだ。


「そうなんだ。良かったらCD貸すから聞いてみない? どれも素敵な曲ばかりだから絶対気にいるよ!」


 しかし冬木さんはそれを気にする素振りもなく、むしろなぜか嬉しそうにそう申し出た。


 その言葉にドキリと胸が高鳴った。音楽を勧められたことというよりも、女の子と私物の貸し借りをするという未だかつて無い経験に期待し、嬉しさと恥ずかしさが入り混じった気分になって思わず頬が緩む。


「ふふ、月曜日に学校に持っていくね」


 その表情から僕の答えを先読みしたらしく、冬木さんは一方的に約束を取り付けてしまった。


「うん、ありがとう」


 されど強引さを感じたり嫌な気持ちになることなど全くない。旋毛つむじから足の裏に至るまでの肌という肌のむず痒さを感じ居た堪れないが、不思議とこの気持ちを手放したくなかった。


 それから冬木さんはずっと音楽の話をし続けた。彼女はBUMP OF CHICKENだけでなく流行りのポップスが好きなようで時折ライブにも足を運ぶらしい。


「航太郎くんはライブとか行かないの?」

「昔、一度だけ、父親にカウントダウンジャパンに連れてってもらったくらいかな。自分では行ったことない」


 それは中学二年生の年末のことだ。両親が離婚届に判子を押し、長崎への引っ越しが確定し準備に追われる頃、カメラマンをしている父が芸能関係者のツテを辿りチケットを手に入れたため参加出来た。曰く、僕と会えなくなるからせめてもの思い出作りにと方々に聞いて回ったらしい。楽しいライブだったが、同時に父と親子らしく過ごす最後のイベントでもあった。


「カウントダウンジャパン!? 幕張メッセの!?」

「うん、それそれ」


 そんな僕の郷愁を知らぬ冬木さんはまた目を輝かせ、食い入るように僕の顔を見つめてきた。


「わー、良いな! 私も行ってみたいな!」


 どうやら関東の大規模なイベントの名前を聞き心底羨んでいるらしい。経験上、彼女のように横浜や東京での話に食いつく人は少なくない。少し前までの僕はこうした反応をされると得意になり、よく昔話を自慢げにしたものだ。


「あ、私もう降りないと。じゃあ、月曜日にCD持っていくね」


 路面電車が車道の真ん中に陣取る駅にゆっくり進入し、プシューッとコンプレッサーの音を立てて扉を開けた。冬木さんは僕にそう言い残し、他の三人に別れの挨拶をして軽快な足取りで下車していった。


 今日ほど冬木さんとまともに話をしたのは初めてのことだ。これまでは真面目そうな女子部員としか思っていなかったが、話してみると意外と打ち解けやすく、音楽の趣味も良いことが分かった。


 もっともっと彼女のことを知りたい。僕のことも知ってほしい。


 そう強く願いながら、僕は車窓の向こうに消えた冬木さんの可愛らしい二つ結びの頭を首を伸ばして探していた。


 *小夜子 side*


 路面電車を降りて自宅方面に歩道をてくてくと歩いていた。今日は朝から他校の生徒と合同練習で、練習試合もした。その後カラオケにも行って歌い通しだったので一日中声を張り上げていた気がする。見知らぬ他校生との練習とハイテンションなカラオケのおかげで気力体力を使い果たしたはずなのに、私の足取りは自覚するほど軽い。


 路面電車の走る大通りから路地に折れ、しばらく歩くと段々と坂が増え住宅が目につき始めた。

 長崎は坂の町。私の家もこの坂がちなこの住宅街に位置しており、毎朝毎夕、登下校の度に登ったり降りたりを日常的に繰り返している。長崎の町は大好きだけど、部活でヘトヘトな時はこの坂が恨めしい。だが今の私はそんなドロっとした感情を抱くことがないほど浮かれていて、上り坂を進む歩調は全く衰えなかった。


 十五分ばかり歩くとやがてある一軒家が目に入る。土壁と瓦の屋根という昔ながらの和風建築のこの家が私のお家だ。


「ただいま!」


 引き戸を開け靴を脱ぎ、帰宅を告げると私は真っ先に二階に上がり、自室に飛び込んだ。そして練習着の入ったリュックサックとラケットのケースをベッドに放り出すと、着替えもシャワーも後回しにして本棚の足元二段を占めるCDのスペースに目を通した。


 そこには私がこれまで集めてきたお気に入りのCDのケースがずらりと並んでいる。何度も聞いたものもあれば一度聞いて失敗したと見限ったものなどまさに玉石混交のコレクションだ。


 そのコレクションの一角――バンプのスペースにまっすぐ視線を注ぎ、航太郎くんにどれを貸すか、一人でにやけながら吟味した。


 まさか航太郎くんが天体観測を真っ先に歌うとは思ってもみなかった。

 天体観測はバンプのメジャーデビュー初期のシングルに収録されている曲で、一気に人気に火が着くことになった一曲だ。バンプをよく知らない人でも一度は聞いたことがあるくらいな定番と言える。航太郎くんもその口だったらしく、他の曲やメンバーのエピソードについて話しても頭に疑問符を浮かべられてしまった。

 まぁ、他の曲は明後日CDを貸すことになっているのでそれを聞いてもらうとして、今の私は彼と話す切っ掛けが出来て上機嫌なのだ。


 航太郎くんは自覚がないようだが彼は部内の女子からは赤木くんに次ぐ人気者で、クラス内外でもちょっとした注目を集めている。

 さっぱりとした顔と髪型、爽やかな笑顔が親しみやすく、誰が話しかけても穏やかに応じてくれる明るくて優しい性格が女子から好まれている。身長は高すぎず低すぎずな一六〇センチ後半で、見下ろされる怖さがないのも好印象の要因だ。

 ノリも良いので人目を引く存在だが、クラスの中ではバリバリ体育会系の赤木くんやサッカー部の青葉くんと戸塚くんほどは目立たない存在なので彼らと比べると控えめな感じは否めない。しかし、彼は二年ほど前まで横浜で暮らしていたお陰か九州男児にはない都会的メトロポリタンな雰囲気があり、標準語や関東っぽい方言がかえって異国風エキゾチックだと話題にする女子は少なくない。


 別に彼を恋愛対象と見ているわけではないが、それでも人気者の男子と音楽の趣味が似ているというのはどこか嬉しく、皆に自慢出来るような気がしていた。しかも彼は特に贔屓にしているアーティストはいないとのこと。この機会を逃さず布教してしまおう。


 そんな計画を内心で立てていると、コンコンと部屋の戸がノックされた。そして私の返事を待たず、ガチャリと開かれた。


「さっちゃん、数学の宿題あるから教えて」


 声の主は妹の楓。二歳年下で今は中学三年生。楓は心底困った様子の声で私に宿題を手伝うようお願いしてきた。


「今忙しいからダメ」


 だが私はあっさりと断る。楓は昔から甘えん坊でことあるごとに私や大学生の姉を頼りにしてくる。取り分けこの春から大学に進学した姉が一人暮らしを始めてからは私にあれこれ頼み事をする頻度が増えた。私はそれを煩わしく思っており、この頃は大抵突っぱねる。


「教えてよ。暇なんでしょ」

「暇じゃない。今日はお姉ちゃんが来るけんお姉ちゃんに見てもらい」


 今日はお姉ちゃんが夕食を食べに来ることになっていたはずだ。お姉ちゃんは文系だが、センター試験を受けて国立の長崎大学に進学したので中学校の数学くらいはお茶の子さいさいだ。


 なので楓のことはお姉ちゃんに任せるとして、私はバンプのアルバムを棚から抜き取ってはジャケットの裏面を見て、プレイリストの内容を検めてはこれじゃない、これでもないと元の位置に戻していった。航太郎くんに貸すのは天体観測のようなロックな曲が入ったアルバムにしようと決めていたのだ。


「今日、お姉ちゃん来ないよ」

「え、なんで?」


 楓の言葉に私は吟味の手を止め振り返った。楓は不服と心細さを混ぜ合わせたように唇を尖らせて顔をして立っていた。


「知らない。お友達とご飯食べに行くって」

「ふーん。合コンでもするのかな?」

「ご、合コン!? お姉ちゃんが!?」


 合コンという色気のある言葉に楓は顔を赤らめ、金魚のように口をパクパクと開閉して唖然としていた。中学生の楓にはまだ刺激の強い単語だったようだ。


 ちなみに私達は三姉妹で、長女は柑奈かんな、次女は私小夜子、三女はこの楓という構成だ。


「お姉ちゃん来ないならお父さんに見てもらいなよ」

「えー、やだよぉ……」


 私の勧めに楓はあからさまに難色を示した。

 父は高校の数学教師で、私達が住む地区の中でトップ校で教鞭を取っている(ちなみに私達が通う長崎肥前高校は偏差値的には上から二番目)。なので宿題の質問はお父さんに聞くのが一番手っ取り早い。お父さんは部活動の指導もしているので今日も学校に出かけているが、仕事でどんなに疲れていても勉強の質問は絶対に拒まない人だ。

 反面、答えやそれに直結するヒントは絶対に教えてくれないし、基礎の甘さを見抜くと復習を言い渡したり、課題を出してきたりするので油断ならない。楓が嫌がるのはそのためだ。


 しかし甘えん坊の楓にはいい薬だ。それに今年は受験生だからお父さんにしっかり指導してもらえばいい。


 私はいい気味だとほくそ笑みながら去年発売されたアルバム『orbital period』を取り、裏面を見る。そして曲目を見てこれが良いと一瞬で決めた。収録曲には私のお気に入りの『メーデー』と有名なゲームのオープニング曲に起用された『カルマ』がある。航太郎くんは絶対気に入るはずだ。私はそのCDケースの中を開き、ディスクがちゃんと入っているか確認してから机に置いた。後でお土産屋さんの可愛い袋に入れよう。


「お姉ちゃーん。お願いだから教えてよー」


 背後からはまだ退出していなかった楓が焦れたような声で懇願してきた。楓は普段は長女の柑奈を『お姉ちゃん』と呼び、私は『さっちゃん』と呼ぶ。だがここぞという時だけは私のことも『お姉ちゃん』と呼ぶ。それは本当に困っている時にだけ出てくる楓の救難信号メーデーだ。


「分かった分かった。私シャワー浴びてくるから、ご飯食べてからね」

「それじゃダメ! ご飯食べたらドラマ見るから今すぐにして!」

「もう、自分勝手なんだから……見せてごらん」

「やった! さっちゃん大好き!」


 楓を部屋に招き入れ、丸テーブルにワークブックとノートを広げさせた。その後、お母さんから夕食に呼ばれるまでの間、私は航太郎くんのことを考えながら楓の勉強を見てあげたのだった。

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