第71話 城の老人

 ヴェスタの街は大河ロナー川の河口に位置する大きな街だった。

 七つの丘を中心に発展した街で、風車を利用した灌漑技術の発達により丘と丘の間の低湿地部も今では埋め立てられ、街の色々な施設が建てられているそうだ。


 それでも、年に何回かの大潮の日には冠水するそうであるが、このヴェスタの街の住人はそれすらもお祭り騒ぎに変えてしまうそうである。

 

 街の建物はティアナと同じく白亜の石材で作られており、オレンジの屋根瓦が美しい街であった。


 街の南西には大きな港が作られており、大きく帆を拡げた大小様々な帆船が出入りしているのが見えた。


 ヴェスタの街も、高く分厚い城壁に囲まれてはいるが、街が発展しすぎて城壁の外側にも建物が作られ、街が広がっている。


 オキシデンテの真珠、交易都市ヴェスタの姿がそこにあった。


 俺達を乗せたCH-47J/JAチヌークは、ヴェスタの街の中央にある最大の丘パラティノそびえる、海神の名を冠するオライオン城に向かい高度を下げて行った。

 

 オライオン城内東側に設けられている、騎士団の修練場に着陸する様ガウロが指定したので、エリクシアは修練場に機首を向けて着陸態勢に入った。


 修練場にいた騎士たちは、突然飛来したチヌークに驚き、迎撃態勢を取ろうとしたが、ガウロがチヌーク側面のドアから身を乗り出して騎士たちに攻撃中止を命じた。


 ジョバンニのおじさんと同じことをしているな、ガウロ。


 修練場にチヌークを着陸させ、後部ハッチが開くと同時にガウロは飛び出して行って、修練場にいた騎士たちに矢継ぎ早に指示を出していった。

 

 すると、オリヴィエさんが俺に寄って来て、そっと耳打ちした。


 「また夜にお会いしましょう。ナナセ様。」


 オリヴィエさんはそのまま俺の頬に軽く唇を当てて、後部ハッチから降りていった。


 「トーマ!何をニヤけているんだ?気持ち悪いぞ!

 すぐに使いの者を寄こすので、手配した離宮で休んでいてくれ!また夕食に会おう!」


 チヌークの貨物室に戻って来たガウロは、俺にそう言ってからオリヴィエさんを追って駆け出して行った。

 ティアナで見たガウロと雰囲気が違うな。もう休暇は終わりって事か?ガウロ。


 子供たちと貨物室から外に出て、チヌークを回収していると、文官風の男が駆けてきて俺に告げた。


 「ナナセ閣下!お泊り頂く離宮へご案内いたします。皆さまもどうか小官とご一緒ください。」


 ヴェスタのオライオン城は、ティアナのイケロン城とは違って、見る者を圧倒する巨大さは無かったが、至る所に緑を配したり、日陰にベンチが設置されていたりと、居心地が良くなるよう気配りされた、生活感のある城であった。


 ティアナの街より南に位置しているヴェスタであったが、オライオン城内を行きかう人の服装は、ティアナの様に露出が多い訳ではなく、薄手のシルクのゆったりとした衣装を皆が纏っている。

 俺にとっては、少しエキゾチックな感じのする意匠だった。


 俺達は案内された離宮の大きなリビングで寛いでいる。

 広いリビングにはたくさんのソファーセットが置いてあり、柔らかなクッションが沢山置いてあった。


 ヴァイオラとエリクシアはプロセピナから連れてきた子供たちに、美味しいお茶の入れ方を教えている。

 この子たちとはこの街でお別れだが、ヴァイオラたちから教わった一流の技は、きっとこの子たちの人生で役に立ってくれることだと信じたい。


 俺はセレナを膝の上に座らせて、髪にブラシをかけてあげている。

 いや、これといってすることもなかったので、セレナとのスキンシップさ。

 セレナは目を細めて、ゴロゴロとご機嫌に喉を鳴らしている。


 海が近いせいか、この城の離宮にいても潮の香が感じられる。

 尻尾のブラッシングの手を止めて、風が運んできた潮の香に想いを馳せていると、入り口から一人の老人が入って来た。


 老人は日に焼けた顔に皺が深く刻み込まれ、白くなった頭髪と口髭は短く切り揃えられており、老いの中にも瞳は鋭い眼光をたたえていた。


 老人は杖をつきながら近づいてきて、俺の前に腰を下ろした。


 「そこな娘よ、アモン茶を所望する。」


 爺さんは座るなり、いきなり俺の嫁に茶を要求した。


 「エリクシア、カグファ爺さんに貰った茶葉にしてくれ。」


 「最後の茶葉になりますが、よろいのですか?旦那様♡」


 エリクシアはいつも歌うように『旦那様』と呼びかけてくれる。そんな些細なことが幸せだと感じる。


 「ああ、構わないさ。最後なら尚更この客人と楽しもう。」


 エリクシアが最後のアモン茶を入れている間、爺さんは鋭い眼光でじっと俺を値踏みしていた。


 「頂き物のアモン茶ですが、どうぞ。」


 そう言って、エリクシアは優雅な仕草でお茶を老人に勧めた。

 老人はエリクシアの所作に片眉をピクリとさせたが、黙ったままでアモン茶を一口飲んだ。


 「天狼山脈はディーンのアモン茶か。うまいな。

 それに茶を入れた娘も一廉の者。

 見事である。礼を言おう。」


 老人は、じっと俺の目を見つめてそう礼を言った。


 「なに、エリクシアも言った通り、貰い物のお茶の最後の一服に付き合ってもらったまでさ。礼には及ばんよ。」


 「うむ、イシュミルびとが三賢者、カグファとも知己の仲か。」


 「イシュミル人?」


 「自ら『まつろわぬ民』と称している、古代大魔導王国が末裔の秘密の名だ。

 この名を知る者は、この世に一握りしか居らぬ。」


 「そうか。貴重な話を聞かせてくれて感謝する。

 ところで、そろそろ名乗ろうか。

 俺はトーマ・ナナセ。ただの旅人だ。」


 老人はアモン茶を飲み干して、ゆっくりとティーカップを置き名乗った。


 「儂はしがない越後屋のィ・・・」


 「ぅおい!どこでそれを!」


 俺は驚愕の余りセレナの耳元で、大声を出して老人に詰問した!

 セレナが「キャ!」と小さく悲鳴を上げて、両耳を押さえている。


 だがしかし、これは俺がこの世界に転生する前に、天界で創造神様が言ったボケネタ!

 この世界の人間が、決して知りようのない話しなのだから!何故だ?どうして?


 「フッ、ジョバンニの鼻垂れが申した通りの男であるの。

 

 『ナグルトの狂犬』『ビザーナの英雄』『理不尽をもたらす者の天敵』『アレアート』『七瀬冬馬』


 一体どれが本当のお主であるかの?」


 家族達は、俺のただならぬ雰囲気を感じ取って、みなこの老人を警戒している。


 「一面的な人間なんて、いてたまるか!

 爺さんの言った、どれもが俺の名!俺自身だ!

 俺に仇なす者には狂犬となり。

 俺に真心で接する者の為には、英雄となりアレアートとなろう。

 そして人に悲しみを振りまく者には天敵となる!

 それが七瀬冬馬だ!」

 

 「青臭いが・・・小気味良い。

 合格じゃ、トーマ・ナナセ。

 若者はそれくらいでなければならん!

 儂はオリヴィエの祖父、オベレリオだ。

 

 儂はジョバンニとは違って、筋肉で目利きできんから、問わせてもらった。すまんかったの。」


 急に爺さんの纏っていた雰囲気が和らいだ。だが、これだけは問い質さねば!


 「一体どu・・・」


 「お祖父様!」


 バンと扉を開いて、オリヴィエさんが入室してきた。


 「ふふん!やりましたわ!あの忌々しいガウロに、この半月で溜まりに溜まった仕事を押し付けてきましたわ!

 ふふふふ!これでやっとティアナでの仕返しができたっ!

 うーん!素敵な気分!


 と言う訳でお祖父様、ただ今戻りました。」


 とオリヴィエさんは一気に捲し立て、ソファーに腰を下ろしたままの爺さんにキスをした。

 

 「あら、ナナセ様、ごきげんよう♡」


 取って付けたような挨拶だった。

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