第72話 幼き日の憧憬

 慌ただしくオリヴィエさんと爺さんが部屋から出て行った。

 結局俺は爺さんに、肝心な事を聞くことが出来なかったんだ。

 俺だけの秘事を知っている人間がいる。ただそれだけの事なのに、爺さんに聞く事が出来なかったんだ。

 そう、俺は逃げたんだ・・・。


 夏の花が咲き乱れている庭園に面したテラスで、一人想いに耽っていると、プロセピナから連れてきた子供たちのうち、最年少の男の子が躊躇いがちに近づいてきて、オズオズと尋ねた。


 「あ、あの〜、おじs・・・」


 「お兄さんだ!お・に・い・さ・ん!」


 子供の誤りを正すのも、年長者の務めだな。


 「えっと、お、お兄さん?・・・つ、強いって、どんな気分なの?」


 少年は俺の前に立って、真摯な瞳で尋ねた。


 「うーん、俺は自分では強いなんて思った事ないぞ。実際何度も紙一重で生き残っているし。

 俺は、この世界には俺より強い奴がゴロゴロいると思ってるんだ。」


 どうやら少年の期待した答えでは無かったようだ。

 少年は不満を隠さずに、噛みついて来た。


 「でも、たった四人でビザーナのセントニア軍をやっつけたじゃないか!

 それに今回だってガルキアの悪党が立てこもっていた砦を粉々に壊して、悪党共を皆殺しにしたってお城の女官さん達が噂してたのを聞いたんだ!

 そんな信じられない位強い人が、負ける訳ないじゃないか!」


 まあ、傍から見ればそう見えるのか。

 でもこのままじゃ良くないよな。


 「セレナ!ちょっとおいで!」


 俺はテラスの前の芝生に降りて、セレナを呼んだ。


 「はーい!ご主人様。」


 セレナは元気に返事をして、俺に掛寄って来た。


 「なあ、少年よ。君とセレナの身長はそんなに変わらないけど、この可愛い女の子が俺を倒せると思うか?」


 少年は、美少女が小首を傾げて自分に注目している事に赤面して、慌てながら答えた。


 「そ、そんなことできる訳ないよ!だってこんな可愛くて、可愛いくて細い腕で、可愛くて小さくて、可愛くて・・・」


 うん、可愛い事は良く分かった。俺も良く知ってるぞ!


 「セレナ!防御しろ!」


 俺はセレナに命令すると、セレナに向かって掴み掛かった!


 するとセレナはその小さな体で俺の左脇をかいくぐりながら、俺の突進の勢いを利用してクルリと俺を一回転させて投げた。合気道の腰投げか!

 

 俺は受け身を取ってすぐさま立ち上がり、再びセレナに襲い掛かる!

 と、またクルっと投げられてしまった。


 傍から見れば、俺が一人で転げまわっているようにみえるだろうな。だがそう何度も同じ技は喰らわんぞ!


 「うおー!」


 俺は立ち上がって叫んだ瞬間、今度はセレナが俺の懐に飛び込んで来て、クルっと体を反転させ、俺の右腕を自分の右肩に巻き付けながら、腰を使って俺を投げ飛ばし、地面にたたきつけた。


 「グへッ!」


 一本背負いか!俺は受け身を取ったが、情けない声が漏れてきた。

 すぐに立ち上がり、セレナに振り向くと・・・


 「えいっ!」「グへッ!」

 「えいっ!」「うげッ!」

 「えいっ!」「グへッ!」

 「えいっ!」「ゔっ!」


 無間地獄か!


 俺は今度は立ち上がらずに、芝生に俯せになって両手で首を守って防御の姿勢を取った。

 それでもセレナは俺の腕を取って関節を決めようと追撃してくる。セレナに一片の容赦なし!


 「ま、参った!セレナ!参ったから!」


 「はい、ご主人様。」


 セレナはニッコリ笑いながらそう言って、立ち上がった。


 「セレナちゃん、すごーい!」「わー!」


 いつの間にか、俺の家族や子供たちがテラスに出てきて、セレナ無双を鑑賞していた。

 セレナは女の子たちに囲まれて、称賛されている。


 「イテテっ!」


 エリクシアが笑いながら、俺の腰にアクアヒールを掛けてくれた。


 「なあ、少年よ。どうだった。こんな小さくて、可愛いくて、美少女でも、大の大人を投げ飛ばせるんだ。容赦なくな。」


 俺はセレナのケモ耳を撫でながら、少年に語った。


 「でも、少年よ。本当に聞きたいのは、そんな事じゃないんだろ?」


 セレナは耳を撫でられて、嬉しそうに目を細めながら微笑んでいる。


 「僕は・・・、俺は、プロセピナの街を出るとき、街の大通りを堂々と胸を張って歩いていた、お、お兄さんがすごく眩しかったんだ。

 たくさんの街の人から声を掛けられて、笑いながら誇らしく歩いているお兄さんが!」


 少年はギュッと手を握り締め、目を涙で潤ませながら続けた。


 「俺は、もう嫌なんだ!惨めに人目を避けて、俯いて、忌み嫌われて、蔑まれて、それでも他人に媚びへつらって・・・全部全部嫌なんだ!

 俺は、お兄さんみたいに、堂々と胸を張って、上を向いて歩きたいんだよ!」


 ああ、この子がそうなんだな。スティバノやカテリナ婆さんが託した子は。


 「なあ、少年よ、男には負けると分かっていても戦わなければならない時が必ず来る。

 そんな時、どうすればいいか分かるか?」


 俺はエグエグ泣いている少年の頭に手を置いて尋ねた。

 少年は鼻を啜りながら、首を大きく横に振った。


 「いいかよく聞けよ。

 男はな、負けると分かっている敵に立ち向かう時、心の刃を握り締めて立ち向かうんだ。


 刃が折れたら、素手で立ち向かい。

 手が折れたら、足で立ち向かい。

 足が折れたら、地面を這って、這って、這いつくばって、己の歯で相手の喉笛を噛み千切る!

 これが男の戦い方だ!」


 俺は、芝生に膝をついて、少年の泣きはらした目を真っすぐに見つめて、少年の胸に拳を当てながら言った。


 「なあ、少年よ。お前のこの心にしまってある刃は何だ?


 人それぞれの刃は違うんだ。


 ある人にとって、それは算術かもしれない。

 誰よりも早く、正確に計算できる!そんな刃だ。


 ある人にとって、それは優しさかもしれない。

 誰よりも相手の事を思いやって、その人が苦しい時、傷ついている時、一緒になって寄り添い泣いてあげられる!そんな刃だ。


 少年よ。お前の刃はどんな刃だ?」


 「私のとと様が言っておりました。己の『牙』を磨け!と。」


 セレナが少年に語りだした。


 「私達白虎は、この世に生れ落ちる際、胸に『牙』を抱いて生まれてくるのだそうです。そして、白虎は自分が死ぬその瞬間まで己の『牙』を磨き続けなければならないと。」


 実に白虎らしい教えだな。


 「少年よ。白虎の教えも同じだ。

 お前のこの刃は、天から与えられた世界でたった一つ、お前だけの刃だ!だから、早くお前自身の手で見つけてあげないとな。」


 「・・・刃・・・」


 少年は俺の言葉を噛みしめるように、胸に手を当てたままテラスが夕日に染まるまで佇んでいた。


―◇―◇―◇―◇―◇―


統一大帝国正史ヒストーリアヤイバ列伝」より抜粋:


 聖武帝が西方文明圏オキシデンテ諸国に与えた影響の大きさは、近代歴史学の主流となっているティアナ・ベル学派の徒にあらずとも、認めぬ者はいないだろう。


 そんな聖武帝に心酔し、帝の覇業を支えた者は星の数ほど居ったが、その中でも異彩を放ったのがヴェスタの儀商ヤイバであった。


 ヤイバは奴隷の身分から身を立て、ヴェスタで自由市民となり自分の店を持つと、広くオキシデンテの大航海路を一代で切り開き、オキシデンテに大航海時代をもたらした。


 ヤイバは少年時代に聖武帝と邂逅し、その折にその後の人生に大きな影響を与える教えを受けたと後年家族や知人に供述している。

 また、彼の「ヤイバ」という名も、彼が自由市民の権利を買い取った際、聖武帝の教えを元に自分で命名した。

 その事は彼の残した日記「ヴェスタ商人の日々」に記されている。


 彼の生涯は戦いの一生でもあった。

 決して武勇に優れておらぬにも関わらず、大航海路を開拓するにあたって勃発した、海獣や海賊、または土地の有力者達との戦いは、生涯四十二回にも及んだ。彼はその戦いに於いて、常に先頭に立って指揮を振るい、味方を鼓舞して勝利に導いた。

 彼の戦いの歴史は、勝利の歴史でもあった。


 ヤイバは彼の四十二度の戦いの中で、右腕と左目を欠損しており、全身に傷の無いところが無かったと、彼の死後、彼の遺族が語っていたほど苛烈な戦いを生き延びてきた。


 ヤイバの功績は、先述の大航海路の開拓以外にも多岐にわたる。

 ・プロセピナ川港の浚渫しゅんせつ工事

 ・ヴェスタ新港(通称南港)開港

 ・アルマーナ王国サバナ港拡張

 ・ブリトン王国ポルトマス新港(通称ヤイバ港)開港

 ・地母の家事業(聖武帝との共同事業)

 ・貸倉庫事業

 ・港湾労働者組合事業

 ・港湾労働者組員住宅建設事業


 ヤイバは大航海路交易によって得た利益の大半を、これらの公共事業を行う事によって、広く市民に還元しする事を目指していた事が、彼の死後ティアナ・ベル学派の歴史・経済学者の合同調査によって明らかにされている。

 

 苛烈な人生を送ったヤイバであったが、彼は終生聖武帝の利益に反する事は行わず、また看過せず、聖武帝に忠節を尽くしたことは有名な話である。


 ヤイバは後年、彼の知己を得た少年少女に対して、必ずその胸に拳を当てながら「己の刃を磨き続けなさい」との言葉を送っている。

 それは彼が少年の日に、聖武帝から授かった教えであった。

 

 統一歴32年、ヤイバは生涯彼の愛したヴェスタの街で、多くの家族に見守られてその生涯を閉じた。享年不明。

 彼の最後の言葉は「ヴァルハラの航路を開いてお待ちしてます。お兄さん。」であった。


 統一歴八十二年、ヤイバ没後五十周年を記念し、地母の家事業により救われた子供達とその家族、及び統一帝国港湾労働者組合員とその家族が中心となって集めた百万人の署名により、ヤイバは帝都ハイベリオンの聖武帝廟に列聖され、彼が生涯敬愛した聖武帝と今は一緒の眠りに付いている。

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