第60話 たらちねのおもい その2
サーシャ達が買い物から戻って来た時、俺はソファーで仰向けになって、まだ泣いていた。
あまりの悲しさに、心が痛かったんだ・・・。
俺の姿に驚いたサーシャとエリクシアは、俺に抱き着いて一緒に泣いてくれた。
―悲しむことはない。私たちが一緒にいるから。何も悲しむことはない。私達が悲しみを背負うから―
何度も何度もそう繰り返し言って、一緒に泣いてくれた。
ヴァイオラは俺の頭を優しく自分の膝に乗せて、柔らかな手で赤ん坊を撫でるように優しく、いつまでも俺の頭を撫でてくれた。
彼女たちは、結局俺に涙の訳を問うことはなく、ただただ俺の悲しみを分かち合い、癒すことだけに献身してくれた・・・・。
優しい時間が、ゆっくりと過ぎていった。
―・―・―・―
翌朝、旅立ちの朝となった。
身支度を済ませて、朝食を食べ終わった頃、亭主のホルトスとおかみのカテリナが部屋に入って来た。
「支度は出来ましたかな?」
ホルトスは福よかな笑みを浮かべて尋ねた。
全てを知ってしまった俺には、お前さんの顔をまともに見れないよ。
「はい、すっかり。」
代わりにヴァイオラが笑顔で答えた。
すると徐にヴァイオラはソファーから降りて絨毯に跪き、手を絨毯につけて深々と頭を下げた。
「『おやじ』様。『おかみ』様。
これまで大変お世話になりました。お二人の御恩は、一生涯決して忘れません。」
ヴァイオラは額を絨毯にこすり付けて、礼を述べた。
ホルトスは微笑んで、ただ黙って頷いている。
「ヴァイオラさん。ここを出たらどうか私たちの事、廓の事、一切合切はお忘れになってください。
あなたは、ヴァイオラとして生まれ変わったのですよ。
廓の事を振り返って・・」
「出来ません!」
ヴァイオラは目を真っ赤に腫らして顔を上げ、そして強く否定した。
「全てを知っているのですよ、母様。」
ヴァイオラの瞳から、涙が溢れ出た。
「私が貴方の本当の娘である事。
私をガルキアの父上に託した理由。
そしてその後、気を病んでしまった事。
私を奴隷から救うために、どれほどの財貨を失ったか。全部存じていますよ。
母様が手足として使った男衆から全部聞き出しました。」
「やめておくれー!私はあんたの母親だなんて、名乗ることのできない女なのだよ!名乗ってはいけない人で無しなの――!」
カテリナはソファーから床に身を投げうって泣き崩れた。ホルトスがカテリナの脇に膝をついて、カテリナの肩を優しく抱きかかえた。
「母様!そんなことは決してありません!
あなたは性奴隷に落とされた私を救うために、上臈時代に身を売って稼いだお金全てを投げ捨てて、私を救ってくれたではありませんか。
ここへ来てからも、汚れた我身を嘆き、何度も自死しようとした私を、慰め、励まして立ち上がらせてくれたではありませんか。
今、こうしてご主人様の、トーマ様のお手を取っていられるのも、あなたが私を生かし続けてくれたおかげなのです!
母様!私を産んでくれて、ありがとう。
私を生かし続けてくれて、ありがとう。
私には、あなたへの感謝しかありません!」
ヴァイオラはカテリナに語りかけながら、滂沱の涙を流し続けた。
「許しておくれ――!私の愛し子よ――!許しておくれ――!」
カテリナは、そう叫びながらヴァイオラににじり寄って抱きしめた。
「母様―――!」
二人は抱き合いながら、大声で泣いた。
二人が別れてからの月日を取り戻すかの様に、互いに強く抱きしめながら。
二人は泣き続けた。
俺はそんな二人を温かく見守っているホルトスに近づき、ホルトスの立派なお腹に拳を当てて語った。
「俺は、男としてあんたを尊敬するよ!」
ホルトスは驚いた表情を見せたが、すがすがしい男の笑顔で俺に答えた。
「私にできる事をやったまでですよ。
ナナセ様も私の立場だったら、きっと同じことをやったでしょう。
好きな
私にとっては、村でいつも私の後ろを追いかけてきた、ちっちゃな『ソフィーラ』のままなのですよ。いつまでたってもね。」
何て気持ちの良い
「あんたに誇れるよう、頑張るよ!」
それでいいと言って、またホルトスは静かに笑った。
サーシャもエリクシアもこの様子を見て、貰い泣きに泣いていた。セレナもシロを抱えて、エグエグ泣いている。
ベルちゃんは、天井近くに浮いて、俺達みんなをじっと見ていた。
せっかくの旅立ちなのにと言って、カテリナはヴァイオラの涙をハンカチで拭ってやった。
ヴァイオラは泣き笑いしながら、カテリナに昨晩ホルトスから受け取った身請け代金、白金貨二千枚を手渡した。
「私にはお金はもう必要ないの。トーマ様とセレナとエリクシア様とサーシャ様、家族がいればもう十分なの。だから、このお金は、母様たちの為に使って。」
「結納代わりだ。プロセピナの領主にでも売ってくれ。」
俺はそう言ってヴァイオラの白金貨の袋の横に、黒竜ヴァリトラの爪を一本取り出して、ドンと置いた。
「ははは、これは過分な結納を頂きましたな。では孫の顔を見せに参られた時には、たんともてなして差し上げるとしましょうか。なあ、カタリナ。」
「そうだね、ホルトス。五人でも十人でも、孫たちが何人来ても大丈夫なくらい広い孫部屋を用意しなきゃね。」
そう言って二人は幸せそうに笑いあった。
そして、俺達はニュクスの宴亭を後にした。
ニュクスの宴亭の去り際、カーシアが泣きながら「きっとまた来て下さいね。主様」と言って、俺に口づけして来た。
俺はさんざん嫁達につねられてしまった。
これで心置きなく、旅立てる。
◇◇◇◇◇
俺達は大勢の廓の人々に見送られて、歓楽街の南門を後にした。
また見返り柳で振り返って手を振った俺は、どうやら通の遊び人には成れそうもない。
行きかう人々に挨拶されながら、通りを進んだ。
街はすっかり日常を取り戻していた。
スティバノの奴隷商館はプロセピナの南門地区にあった。
店に入ると、スティバノは既に俺達を待ち構えていて、早速奥から十人の子供が連れて来られた。
子供たちはみんな緊張した顔をしているが、みな良い目をしている。幼いが、明日のその先を見定めたそんな目だ。
「それではナナセ様。どうかこの子達をよろしくお願いいたします。
年は八歳から十歳までの、男五人に女五人となります。この子たちを、お預け致します。」
スティバノはこれまでにないほど真剣な眼差しで俺を見つめ、そして深く頭を下げた。
「分かった。任せろ。じゃ、元気でな!スティバノ!」
そう言って、俺達はスティバノの店を後にした。
俺達は一塊になって、城門まで進み、南門の多くの衛士達に声を掛けられながらプロセピナの街を出立した。
短い間だったが、たくさんの出会いと別れを経験した。
俺はこれからもこんな風に旅を続けていくのだろう。それも悪くない!
俺はヴァイオラの腰を抱き寄せて、彼女に尋ねた。
「ヴァイオラは何がしたい?君の幸せって何だい?」
ヴァイオラは俺の肩に頭を預けながら答えた。
「私の望み、それはご主人様のおそばにいる事。・・・それから、私にいっぱい子供を産ませてくださいね。五人でも十人でも!それが私の幸せです!」
「トーマ様!それは私もですよー!」
そう言ってサーシャが反対側の手に抱き着いてきた。
「私もー!私もー!」
セレナとシロとベルちゃんがはしゃいで俺達の周りを駆け回る。
子供たちの最後尾を楽しそうに笑いながら、エリクシアが歩いてくる。
俺達は高機動車に乗り込んで、一路南を目指して出発した。
次の目的地はガルバオイ小王国の小王都ティアナの街だ。
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