第59話 たらちねのおもい その1

 のんびり遅目の朝食を家族で楽しんでいると、通りには早くも浮かれた人々が繰り出している。


 どうやら、昨日と今日を戦勝記念の祝日とするとプロセピナ侯爵が決めたそうだ。


 それで、何処に仕舞ってたんだよと聞きたくなる程沢山の酒樽が、軍の荷馬車に引かれて来て、領軍兵士の手で街角に次々と下ろされ積まれて行った。


 また、無料の振る舞い料理も昨日に引き続き用意され、昼からの提供に向けて、金貨の入った袋と沢山の書類を抱えた官吏達が、今日もゼイゼイ息を切らしながら街中を駆け回っているそうだ。


 ソファーに座って寛いでいたカテリナ婆さんが、紅茶を飲みながらそう教えてくれた。って、おい!何時からそこにいたんだ、婆さん!

 そして、なに家族に溶け込んでいるんだよ!俺の扶養家族は二十五歳以下限定ですが!


 「そうだ、婆さん。俺達明日の朝、このプロセピナを旅立つよ。世話になったな。」


 俺は、昨夜家族で話し合った結果を伝えた。

 「ガチャン」婆さんのティーカップが音を立てた。珍しいな。


 「き、急じゃないかい。もっとゆっくりして貰って構わないんだよ。廓や街の連中だっ・・・」


 「婆さん。分かっているんだろ?

 俺は完全にセントニアの敵となった。そんな俺がいつまでもセントニアとの国境近くにいる訳にはいかないんだ。」


 「・・・」


 婆さんは、膝に手を置き黙っている。


 「婆さん、すまないが、スティバノを呼んでくれないか?この人出の中、祭り騒ぎの張本人が、街を出歩く訳には行かないからな。」


 「分かったよ。」


 元気のない声で婆さんは答えて、部屋から出て行った。


―・―・―・―


 暫く部屋から街の賑わいを眺めていると、カテリナ婆さんがスティバノを連れて部屋に入って来た。


 俺は嫁ちゃんずとセレナを呼んで伝えた。


 「俺はこれからスティバノや婆さんと話があるから、皆は街へ買い物にでも行って来てくれないか?ずっと部屋にいるのも退屈だろ?

 俺が外へ行くと大きな騒ぎになるだろうからさ、みんなだけで行ってきて欲しいんだ。

 はい、これ。みんなのお小遣い。」


 俺はそう言って一人に金貨二枚づつ手渡して、送り出した。

 さすがにエリクシアは何か言いたげだったが、セレナが大はしゃぎしているのに引きずられて、部屋を出て行った。


 「ふう、お待たせ。で、スティバノは俺に何の用があったんだい?」


 俺はソファーに深く座り直して尋ねた。


 「ナナセ様。この度はあなた様に私のお願い、というか依頼をお引き受け頂きたいのです。」


 「依頼の内容とは?」


 俺は短く尋ねた。


 「南隣のアントナレオ小王国の小王都ヴェスタまで、子供の奴隷を十名連れて行っていただきたいのです。」


 そう言ってスティバノは、深々と頭を下げた。


 「どうして俺に頼む?」


 俺はじっとスティバノを見つめながら尋ねた。


 「ナナセ様は、『ワタリ』に関してこのお婆からお聞きになったでしょうか?」


 俺が黙って頷くと、スティバノは頷いて続けた。 


 「私も『ワタリ』の一人なのですよ。ずっと幼い時分、もう記憶も定かでない位前に、親元を出されました。

 それ以来、方々の色町で才を磨きました。

 幸い、私には商売の才覚が有ったので、この街の先代奴隷商、彼も同じ『ワタリ』でしたが、彼に引き取られ、それから二十余年みっちりと商売を仕込まれました。」


 「俺が連れてく奴隷の子供も『ワタリ』だと?」


 「一部だと申し上げましょう。名は明かせませんが。他は定人です。」


 すると、今まで黙っていたカテリナ婆さんが口を開いた。


 「その子らは、アルマーナ王国のとある街にある色町から連れて来られた子で、この街で二年間芸を仕込んだのさ。他の定人の子らと一緒にね。

 そして、最後の仕上げとしてヴェスタの街の遊郭で見世の禿かむろなり丁稚としてみっちりと仕込まれて、本人の才を試されるのさ。

 ヴェスタの街での努力次第で、女はもしかしたら中臈、上臈になれるかもしれないし、男はスティバノの様に大店を任される商人になれるかもしれない。

 みな本人達しだいさね。」


 「何故自分たちで連れて行かないんだ?いつもは自分たちで連れて行くんだろ?」


 スティバノは、眉間に皺を寄せながら答えた。


 「それは、最近急激にこのアラン連合王国の、特に北部の治安が悪化している為です。

 内乱の続くガルキアから、軍閥崩れの傭兵共がこの王国の北部に密かに侵入し、方々で商人や旅人達を襲っては悪事の限りを尽くしておるのです。

 中には村ごと襲われた事件も起こってしまいました。

 もはや一介の奴隷商人では、手の余る事態となっておるのです。


 ですから、黒き森の黒竜を倒し、またセントニアの軍勢をも打ち破った貴方様に、子供達を安全に小王都ヴェスタまで連れて行って欲しいのです。」


 そう言ってスティバノは、また深く頭を下げて俺に懇願した。


 「分かった。まかせろ。どうせアルマーナ王国に行かなければならないんだ。ヴェスタは通り道だし、連れて行ってやるよ。子供達を。」


 するとカテリナ婆さんは呆れた口調で俺を叱った。


 「依頼の達成報酬を確認しないで、依頼を引き受けるバカがどこにいるのさ!まったくどこのお貴族様だよ!

 いいかい、依頼を引き受ける前には、必ず報酬と達成条件を確認するもんさ!でないと、いざこざの元だよ!

 スティバノ!あんたもあんただよ!こんな世間知らずなに依頼をするなら、きちんと条件と報酬を伝えなきゃダメじゃないか!」


 スティバノばかりか、何故か俺までこっぴどく叱られたよ。

 ナゼカ?ふっ、『坊やだからさ』!


 そして俺は、一月後の月末までに、子供十人を無事ヴェスタの街の奴隷商ホルイに送り届ける事。その報酬として大金貨五枚。それとは別に、子供たちの食費として大銀貨六枚で契約した。

 それで大金貨二枚を前金として渡され、残りは交わした契約書を相手の奴隷商ホルイに渡せばもらえる事になった。


 そして、俺は明日の朝スティバノの店に迎えに行くと約束し、スティバノは店に帰って行った。


 そして、俺とカテリナ婆さんだけが、この広くて豪華な広間に残された。


 婆さんは、人が変わったように生気が無く、黙ってソファーに腰を下ろしたまま、俺を見つめていた。


 「それで婆さん。黙ったままで別れるのかい?」


 俺は温くなった紅茶で、口の渇きを潤して言った。


 「な、何の話だい?」


 婆さんが強く反応した。出会った当初の強かさは見る影もなく、酷く狼狽えている。


 「ヴァイオラの事だよ。母親だって名乗ってあげないのか?」


 俺は少しいら立って、強い語気で婆さんに尋ねた。


 「・・・・・・どうして・・・・」


 婆さんはやっとそう声を絞り出した。


 「はじめは分からなかったさ。

 でも、セレナが教えてくれた。ヴァイオラの髪もをしているって事をね。あんたの髪も蒲色だ。

 そしたらすべてが繋がったよ。

 あんたが必死でヴァイオラの自殺を思いとどまらせた訳。

 ――だたの娼館のおかみの態度を越えていたよ。

 ヴァイオラの身請け金額を決めた時のやり取り。

 ――身請け金の半分が本人の取り分になるそうだな?

 新しい名前に拘った理由。そして、俺とヴァイオラが添い遂げた朝の様子。

 まだ、説明が必要かい?」

 

 「そこまでお見通しなら、どうかこのままで見送らせて・・・」


 今にも消えてしまいそうな声だよ。


 「何でだ!明日別れたら、今度いつ会えるかもわからないんだぞ!明日が今生の別れにだってなるかもしれな・・」


 「だからさ!今更私に何と言って名乗れと言うんだい!

 幼いお前を、たった三つの可愛い盛りのお前を、捨てた薄情な母だと名乗れとでもいうのかい!私がその人で無しだと!」


 この細い体から信じられない程の叫び声で、俺を詰った。

 カタリナは滂沱と流れる涙を拭おうともせず、ただ俺を睨みつけた。


 「私がどんな思いであの子を産み、そしてどんな思いで愛しいあの方に託したかお分かりか!

 そして、手離しても忘れられないあの子の鳴き声!私のこのお乳を吸った感触!あの子を抱いた手の重み!

 全てよ、全て!あの子への想いの全てが私を苛むの!今でも!


 ・・・ホルトスが私を支えてくれなかったら、とっくに気が狂っておりました!

 いえ、半分狂っていたのです。ガルキアが崩壊して、あの子が奴隷に身を落としたと知るまでは!」


 細い体を掻き抱きながら、カテリナは叫び続けた。心の奥に押し込めた狂気を解き放つように・・・。


 「それから私は病床を蹴って、あの子を取り戻す為に奔走しました。

 それはそれは気が遠くなる程莫大なお金を使って、やっとあの子を私の手元に取り戻すことが出来ました。

 でも、やっと取り戻したあの子は、現実に翻弄され、生きる気力を失っておりました。

 私は何とかあの子を立ち直らせようと手を尽くしましたが、私にできたのは、且つて自分が通ってきた道。『ワタリ』の女郎の蛹孵さなぎがえしだけでした。

 私はこの娼館で、我が子を自分の手で女郎にしたんです。

 これまで『ワタリ』が数多の子の過去を消し去り、真っ当な人生を歩ませるために繰り返してきた、唯一の方法に縋るために。

 私にはあの子の救う道を、これしか知らないんです!


 これは本当に千万に一の勝ち目もない掛けでした。

 なのにあの子は、自分の才覚だけでこの大見世の上臈にまで上り詰め、そしてお前様という強大な運命をつかみ取りました。

 あとは、他の『ワタリ』の女と同じように、忌まわしい記憶と名はこの地獄に捨てて、真っ新な名と身分で世間に羽ばたいて行けば良いのです。

 飛び立った胡蝶は、毛虫の昔を振り返らないものなのですよ。」


 「でも、それは!・・・でも、それじゃあ・・・ッ!」


 俺はこの怒りを言葉にする事が出来なかった。

 

 「私はあの子にとって過去の女。思い出の中にさえ、住むことを許されぬ足かせに過ぎないのさ。」


 カテリナは消えてしまいそうなほど寂し気な声で続けた。


 「ただ、ホルトスには言葉では言い表せないくらい感謝しておるんですよ。

 私たちは同じ『ワタリ』の隠れ里の生まれなんですよ。

 長じて私はこの大見世で上臈になり、そしてこの大見世をホルトスが引き継ぎました。同じ隠里の子供が一緒に大人になるなんて、よっぽどの奇跡なんです。

 でも、わたしにはホルトスの子を産んでやることが出来ませんでした。ホルトスの気持ちに気付きながら。

 私は、あの子の父親。ファブリス・ガルシウス様に恋してしまったから。

 遊女の恋は身の破滅を意味します。それを一番知っていた私が、よもや恋に落ちようとは・・・。

 私はあの子を産み、それでもこの色町で上臈の看板を背負い続けました。ホルトスの気持ちを知りながら。ひどい女・・・。

 そして、あの子が三つになった時です。ガルキアに戻って家督を継がれたファブリス様から手紙が届いたのは。

 体の弱い妻に子を産ませるわけには行かないので、私との間に生まれた子が欲しいと・・・・。

 バカな女です。私は己の半身を惚れた男に渡してしまったんです。二度と会う事の叶わぬ男なのに。」


 カテリナの悲しみが、俺の心を掻き毟る・・・。


 「私はね、上臈時代に稼いだお金全てを投げうって、あの子を取り戻すために使ったんですよ。戦乱のガルキアからあの子を救うために。でもそれだけでは足りなかったんです。

 ホルトスは黙って自分が受け継いだこの娼館の株を他の『ワタリ』に売って、そのお金の殆どをあの子を取り戻す為に使ってくれたんですよ。

 私とホルトスは、あの子の年季が明ける十年後、この見世から出て行かなければならないんです。」


 俺は、この世の理不尽さに泣いた。

 何故、この世にはこんなにも悲しみが溢れているんだ!

 人の想いは?愛情は?尊厳は?憧れは?願いは?親とは?子とは?男とは?

 俺は、俺は、それでも俺は!


 「・・・納得できねぇ・・・」


 俺は泣いていた。涙が止まらず天を仰いで泣いていた。


 いつの間にか、カテリナ婆さんは席を離れて部屋から消えていた。

 

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