第48話 アネモネの花

 エリーゼの願いが届いたからの奇跡なのか、セレナのバイタルは安定した。

 しかし、この1 1/2t救急車アンビの中では看護もままならない。


 「一旦街を出て、看護の為の拠点を設営しよう。」 


 サーシャとエリーゼを後部に残してセレナの看護に当たらせ、俺とエリクシアは車輛前部に車の中を通って移動し、エリクシアが運転席に着いた。

 エンジンを始動させ、ライトを点灯した瞬間、ベルちゃんが警告を発した。


 「マスター、隠密・隠蔽のスキルを使用して我々を監視してる者がいます。前方に2名、後方に1名。敵性勢力と判断し、赤でマーキングします。」


 前方の二人は、フロントガラス越しに左目の戦術ディスプレイで赤のマーキングを確認した。


 「ベルちゃん。泳がせて敵の勢力を確認したい。このまま接触せずに追跡できるね?そいつらが、誰と接触したか監視してくれ。」


 「了解しました。ン?別の男が三人、後方から接近します。」


 俺はテールライトの光で赤く浮かび上がった男をバックミラーで確認して、ドアから外に出た。


 「あんたがナグルトの狂犬かい?俺達はニュクスの宴亭の者だ。アネモネの娼館と言った方が分かるかい?」


 三人とも大きな体躯をしており、皆荒事に慣れた雰囲気を醸している。


 「ナグルトの狂犬と呼ばれるのは心外だが、まあ、恐らく俺の事であってるだろう。それでその夜の神様ニュクスが何の用だい?」俺が少し圧を込めて尋ねると、そいつらは慌ててこう言った。


 「待て待て!俺らは何もあんたと事を構えるつもりはねえんだ。ただ、そこのアネモネの件で、亭主であるおやじ様があんたと話がしたいそうなので、迎えに来たんだ。

 一緒に付いて来ちゃくれないかい?」


 「分かった。付いていこう。ただ、俺はコイツから離れるわけには行かないんで、こいつに乗って後を付いていくから、先導してくれ。」

 

 俺はそう答えて、アンビに乗り込んだ。

 男たちは驚きつつも、後ろに続くアンビを何度も振り返りながら、俺達を神様の宴へ先導した。


 俺達を監視していた者たちは、既に消えていた。


◇◇◇◇◇


 ニュクスの宴亭は川港地区からほど近い、運河から分かれた水路に囲まれた場所にあった。この水路で囲まれた一帯全てが歓楽街となっているそうで、ニュクスの宴亭はその中でも大店の一つだそうだ。夜の神様ニュクスもなかなか繁盛しているようだな。


 俺は店の裏手の路地にアンビを止めて、エリクシアとエリーゼとベルちゃんを連れて、裏口から店の中に案内された。サーシャには残ってもらい、セレナの看護を任せた。

 俺達が案内されたのは、豪奢な応接室だった。


 大きなソファーに俺、エリクシア、エリーゼの順番で腰を下ろしていると、恰幅の良い男と、長い綺麗な蒲色の髪を結い上げた、これも四十過ぎの女が奥の入り口から入って来た。

 若かりし頃は、さぞ美しかったと偲ばせる痩せた女だった。

 二人は俺達の前のソファーに腰を下ろした。

 

 「私がこのニュクスの宴亭の主、ホルトスと申します。店の者共からは『おやじ』と呼ばれております。」


 恰幅の良い男はホルトスと名乗り、ふくよかな笑顔を浮かべた。


 「私はこの店のおかみをしております、カテリナと申します。以後お見知りおきを。」


 痩せたおかみのカテリナは、硬い表情で強い視線を俺に投げかけている。


 「トーマ・ナナセだ。で、用件と言うのは?」俺はソファーに深く座って二人に尋ねた。


 「はい。まず私はこの店の主とは言っても、店の外向の用事にしか責任を負えません。店の中の事は一切合切が、このおかみの責任となります。さあ、おかみ。」ホルストはふくよかな笑みを収めて語った。


 「ナナセ様。あなた様は本日アネモネをお揚げになったディビチ様から、強引にアネモネをお取り上げなされました。」


 「十分な代価は渡したんだがな・・」「お金の問題ではございません!それはこの廓のしきたりで許されぬ事なのです。」


 おかみのカテリナが、声を荒げて俺の言葉を遮った。それを聞いて、エリーゼがビクンと肩を震わせた。


 「ナナセ様はよそからいらした方の為、この廓の法度にお詳しくないと存じます故申し上げます。

 この店は、郭内にある三十二の娼館の内、たった三軒しか名乗る事を許されぬ神の名を冠した大店でございます。

 ですから、この店にお越しになるお客様は、この店の娼妓の体だけを目当てに通われるのではございません。

 性欲の処理目当てでしたら、この廓中に数多とある他の娼館に参ればよろしいのです。

 この廓で大店を名乗る大見世おおみせの娼妓は、皆が一芸に秀でております。もちろん性技も他の娼妓の追従を許すものではございません。」


 そう言ってからおかみは、エリーゼとその肩をやさしく抱きしめているエリクシアを、鋭い目線で見つめてから話しを続けた。


 「アネモネはガルキア王国の王都にあった貴族子女専門の名門王立女学園で、武術を除いた学術の面で秀才の誉れを得ていた者です。しかも元ガルキア王国の財務官僚貴族の娘だけあって、商いの道にも明るうございます。

 よございますか。この廓の大見世に高級娼妓、即ち上臈をお求めに訪れるお客様方は、皆その道で成功を収めた方々でございます。

 それらの方々に、生半可な芸は通用いたしません。すぐに馬脚を現してしまいます。

 ですから、それらの旦那様方のお相手をする上臈は皆、詩歌や書画、政経や哲理、詞章に奏楽 とそれぞれの道での一流の才、即ち芸を持っておるのです。

 このアネモネもしかり。そちらに居られる、ファブリスの黄金と称えられたエリクシア嬢と、並び称される程の存在なのです。」


 カテリナがそう語った時、突然エリーゼが激しくカテリナの言葉を遮った。


 「おやめください!おかみ様!エリクシア様と並び称するなど、それだけはおやめ下さい!」

 エリーゼは膝の上の両手でハンカチをキツク握り、険しい表情でカテリナにそう叫んだ。

 エリーゼはその大きな瞳から、涙をボロボロ零しながら続けた。


 「エリクシア様は、私達学園の乙女達全ての憧れ、偶像でした。

 汚れを知らなかった頃の憧憬と、こんなにも汚れてしまった私を並べないで下さいまし・・・。自分が惨めになってしまいます。


 ・・・王都陥落のあの日、私は我が家へ押入って来た賊共に純潔を散らされました。何人もの男達に力づくで。

 両親や可愛かった妹ベティーの亡骸の隣りで、何度も何度も何度も何度も。

 気が狂って仕舞えばどんなに楽だった事か。

 その後、奴隷商に売られてからも同じでした。

 そして今も、こうして春をひさいで身過ぎの苦悩を偽っております。

 いえ、違うわね。セレナに比べて贅沢させてもらってるわ。

 ・・・私には、自裁する勇気すらない・・・」


 「アネモネ!あんたまだそんな事を!いいかい、あんたは春をひさいでいるんじゃない!芸を売っているn」


 「同じじゃない!どんなに言葉で飾っても、男が最後に求めるのは私の体!外店そとみせの遊女達と何が違うって言うの!」


 エリーゼはソファーに身を投げ出し、泣き叫んだ!


 「こんな汚れた私の姿を、エリクシア様にだけは見せたくなかった。憧れのお姉様にさえこの姿を見られなければ、今晩めぐり合いさえしなければ、私はまだアネモネでいられたの!笑って知らない男に抱かれる事ができた!

 でももうダメー!もう元のアネモネには戻れないの!

 心が、私の心が、純粋だった頃の、汚れを知らなかった頃の想いを思い出しちゃったからー!」


 エリーゼは慟哭した。

 俺は今、人の本当の悲しみの姿を知った。


 「おばさんよ、エリーゼを身請けする。いくらだ?」


 カテリアと、エリクシアまでが俺に驚きの表情を見せている。


 「同情かい?」カテリアは苛立ちを見せて尋ねてきた。


 「う〜ん、同情じゃぁないな。エリーゼは俺に人の慟哭の姿を見せてくれた。それは本当の人の悲しみの姿だったんだ。

 俺にはそれが、とても尊いものにおもえるんだ。

 だから、俺にそんな尊いものを教えてくれたエリーゼに、お返ししたいんだ。

 俺がエリーゼの自由を買い取って、エリーゼに尊い教えのお返しとして自由を贈る。」


 「よく言った!男だね〜。私があと十若かったら、惚れてたよ!

 でも、アネモネの自由はお安くないよ!

 アネモネの花代は金貨三枚さ。年に百日は店に上がってもらうとして、年に金貨三百枚。年季が明けるのが十年後なので、色々込みでアネモネの身請けのお代は、締めて金貨三千五百枚だよ!

 どうだい、あんたに払えるかね?」


 だんだん湯◯婆に似て来たぞこいつ!


 「ベルちゃん!黒竜ヴァリトラの鱗はいくらで売れる?」


 「かつて四色竜が人間に討伐された事はありません。なので相場はありませんが、四色竜より下等な地竜が討伐された時、地竜の鱗は白金貨一枚で売れました。

 黒竜ヴァリトラの鱗は、地竜の鱗より十倍は大きく比べ物にならぬほど強力な魔力を纏っておりますので、鱗一枚は白金貨十五枚、金貨千五百枚が妥当でしょう。オークションにかけたらその五倍は硬いですね。」


 「それじゃ、エリーゼは黒竜ヴァリトラの鱗三枚で身請けする!

 儲けたな、湯婆◯!

 でも、本当に儲けたのは俺だと思ってるよ。」

 

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