第47話 国境の街プロセピナ

 俺は国境の街プロセピナの上流10キロメートルで岸に上がり、街へと向かう街道の上を軽装甲機動車ラブで走っていた。


 夕方だったし、本来ならどこかで野営して、翌日街を目指すんだろうが、何故か街へ行かなければならない気がして、俺は野営せずに街を目指す事にしたんだ。


 野外入浴セットよ、湯煙天国よ!しばし待たれよ!


 「トーマ様がお風呂より他のことを優先するなんて、珍しいですね。」サーシャの無邪気な言葉が、胸に突き刺さる・・・。クリティカルです、サーシャさん。


 「何かあったのですか?旦那様。」エリクシアが運転席から心配そうに尋ねて来る。

 今のローテーションはエリクシア→運転席、サーシャ→抱っこな。


 「いやね、なんか今日中にプロセピナの街に行かなきゃならない気がするんだ。

 こう言うの『虫の息』って言うんだっけ?」


 そう言うと、俺の頭で器用に寝そべってるベルちゃんが答えた。


 「『虫の知らせ』の事ですか?悪い予感がすると言う意味の?」


 「そう、それ!」俺が答えると、ベルちゃんは俺の額を、ベシベシ叩きながら「何、未来予知なんて高度な機能、実装してるんですか!マスターのくせに!」とディスってくる。イ、イタイから!

 俺は悲しくなって、サーシャのケモ耳をパクパク甘噛みした。


 「あん、トーマ様〜♡」サーシャが甘い吐息を吐いた。


 そんな事をしてると、大きな荷物を背負った男が一人、道端で手を振って俺達に合図して来た。


 エリクシアにラブを停車させると、サーシャは素早く銃座に立って周囲を警戒した。

 手にはいつの間にかキューちゃんFN P90が召喚されていた。

 もはやキミタチには、音声コマンドすら要らないのね?

 

 俺が車長席の防弾窓を跳ね上げて開けると、商人風の男が尋ねてきた。


 「アンタがカビール川の魔晶石の人かい?もしそうだったら、一目見せちゃあくださらんか?」


 俺は黙ってカグファ爺さんから貰った魔晶石の首飾りを戦闘服の襟元から出して見せた。


 「おお、確かに!お手間を取らせた。

 儂はこのプロセピナに住んどる『まつろわぬ民』の者だよ。名をモラードと言う。

 儂らは、何処の街にでもおって、『まつろわぬ民』の恩人たるあなた様には、便宜を図らねばならないんだ。長老様からのお達しなのさ。」


 男は左右を見ながら人目を気にして、先を続けた。


 「セントニアでの一件は聞いている。アルビンツェからの追っ手はプロセピナには未だ来てはいない。

 だが、昨日アルビンツェからの冒険者が、街にやって来て滞在しておる。五人組のパーティーなんだが、恐らくアンタを追ってきた密偵だと思って間違いないだろう。注意してくれ。

 プロセピナで俺達の支援が必要になったら、いつでも俺の店に尋ねて来てくれ。港坂のモラード穀物商と尋ねれば分かるだろうて。

 それと、奴隷商のスティバノ殿も尋ねるといい。あの方はナグルトのバルガーム・パシャ殿と昵懇にしているので、何かバルガーム・パシャ殿からの連絡が入っているやもしれん。」


 モラードはそれだけ告げると、ラブから離れていった。慎重な男だ。必要になるまで、俺との関りは極力知られない方がいいからな。

 俺達はラブをプロセピナの街に進ませた。


◇◇◇◇◇


 プロセピナの街は、国境の街らしく街の周囲を立派な城壁で守られていた。魔獣の脅威にさらされているナグルトの街よりも高くて立派な城壁だ。


 この街は、ロナー川を使った水運で栄えた街で、セントニアの穀物やホーラントの鉱石をロナー川の河口の街ヴェスタに運ぶ拠点として栄えてきたそうだ。

 俺はその城門にラブを止めて、街に入る為の審査を受けたが、門衛達は俺達のラブに驚きはしたものの、俺達の通過は許可してくれた。だがラブの乗り入れは許可されなかった。


 プロセピナの街はナグルトの街より洗練された雰囲気で、夕暮れの通りを急ぐ住人たちも、ナグルトより上等な服装をしている。

 

 俺はそんな街並みに気を配る余裕もなく、プロセピナの目貫通りを川港の方へ急いだ。何かが俺を急かすんだ、急げ!と。

 川港に近づくと、家路を急ぐ港湾労働者達と行き違いになって歩きにくかったが、港近くの運河橋に近づいた時、女性の叫び声が聞こえてきた。


 「セレナ!しっかりなさい!ねえ、返事をしておくれよ、セレナ!」


 俺は小さなぼろきれの塊をゆすっている女性を押しのけ、ぼろきれに包まれた子供の頸動脈に指をあてて脈を計った。


 「脈が弱い!ベルちゃん!1 1/2t救急車アンビは使えないか?」急いでベルちゃんにお願いした。


 「装備リストに加えました。使用可能です。」


 「エリクシア!1 1/2t救急車アンビを出してくれ!

 サーシャはこの子の纏ってるぼろきれを外して、俺達の毛布で包んでくれ!」俺がそう指示すると、この子を抱えていた派手な服装の女性が驚いてエリクシアを見つめた。


 「エリクシア様!どうして・・・?」


 「この子の知り合いか?なら一緒に付いてきてくれ!」


 俺達は、倒れた子供と女性を連れて橋を離れて運河沿いの小道に入ろうとした。


 「ちょっとお待ちなさい!アネモネをどこに連れて行こうって言うんだね?

 アネモネは今晩私が揚げてるんだ。勝手されたら困るねえ。」


 アネモネと呼ばれた女性の腕をとって、太った中年の男がこの女性を引き止めた。

 この若い女性は、辛そうに顔を逸らしている。


 「エリーゼ様、なの?」エリクシアが辛そうに顔を逸らしている女性に尋ねた。


 エリーゼと呼ばれた女性は、驚愕の表情でエリクシアに振り向き、そして地面に身を投げ出して泣き崩れてしまった。

 エリクシアはその女性に近づき、やさしく背中を撫でている。


 「いくらだ?」俺はぶっきらぼうに、中年男に尋ねたが、どうやら伝わらなかったようだ。


 「だから、この女の人を一晩いくらで買ったかって聞いてるんだ!」


 「はあ、何を聞くかと思えば。買うだなんて無粋な!

 いいでしょう。あなたには一生縁のない金額でしょうが、後学のために教えて差し上げます。

 そのアネモネの揚げ代は一晩金貨五枚もするのです!

 ほんらいんっ・・・ぅおっと!」


 俺は倉庫から大金貨一枚を取り出して男に放ってやった。中年男が慌てて大金貨を捕まえた。


 「これで違う女でも買いな。失せろ!」言いたいことを言って、俺は中年男に背を向けた。


 「ふ、ふざけるな!い、いくら大金貨・・ひぃ!」俺は一瞬で中年男の後ろに回り、奴の脂肪でたるんだ喉元にコンバットナイフをヒタヒタ当てながら、やさしく諭した。そう、優しくね。


 「大金貨と自分の命、どちらを選ぶ?俺はどっちでもいいんだぞ!」中年男はガタガタ震えながら、でもしっかりと大金貨を握り締めて、逃げて行った。


 「よし、とんだ邪魔が入ったが、急いで1 1/2t救急車アンビを出そう!」そう言って俺は人目に付かない路地裏にアンビを出した。


 俺はアンビの後方扉を開いて子供を毛布に包んで抱いているサーシャを先に乗せて、子供にバイタルサインモニタを付けさせた。

 続いて俺も乗車し、最後に未だ泣き崩れているエリーゼを連れてエリクシアが乗車してきて扉を閉めた。。


 「ベルちゃんの所見は?明らかに摂食障害(飢餓)に見えるが。」あばらの浮いた胸部が痛々しい。


 ベルちゃんは子供の上を飛び回りながら、視診している。視診・・だよね?


 「マスター。この子は摂食障害と外傷による合併症を起こしています。

 長期飢餓による著しいグリコーゲンの減少とインスリンレベルの低下、カテコールアミンの上昇が確認できます。極めて危険な状態です。」


 「分かった。とにかく急いでブドウ糖とチアミンを輸液しよう。サーシャ輸液準備だ。」俺はサーシャに緊急処置を頼んだ。


 「エリクシア、この子は長期に渡る摂食障害が疑われる。重要臓器、特に肝臓と心臓のダメージが疑われるので、重点的に内臓にアクアヒールを掛けてくれ。」エリクシアに聖騎士の魔法的治療をお願いした。


 「エリーゼさんだったね?君はこの子の知り合いなんだろ?」俺がそう女性に尋ねると、彼女は未だ涙を流しながら、でもしっかりと俺に頷いた。


 「だったら、君にしかできないお願いがある。どうかこの子の手を握って、そして呼び掛けてくれ。

 家族、特に母親の愛情が、医療を越えた奇跡をもたらす事があるんだ。

 この子の家族じゃないだろうが、この子にとっては一番家族に近しい存在なんじゃないかな、君は?」


 俺がそうお願いすると、エリーゼさんはしっかりと決意を固めた表情で俺に頷き、ベッドの脇に跪いて子供の右手を両手で握りしめて呼びかけた。


 「セレナ!しっかりなさい!あきらめちゃダメ!生きる事を諦めないで!セレナ!・・・」

 エリーゼはセレナと呼ばれた子の深い獣の爪痕が残る頬に片手を当てて更に語りかけた。


 「あなたはこの小さな体で、世の中の不条理に対して、気高い心でずっと立ち向かってきたじゃない!だから、病気になんか負けちゃダメ!立ち向かいなさい、セレナ!

 命を諦めないで!セレナ!あなたが必要なの!セレナ戻って来て―――!」


 エリーゼさんの叫びは俺の心を震わせた。


 「ベルちゃん。この子の身体欠損と合併症、何とかできないかな?頼む。」俺はそう言ってベルちゃんに頭を下げた。


 「イエス、マイ・マスター」


 ベルちゃんは子供の胸の上で静止し、祈る様に両手を胸の前で組んで、全身光始めた。

 ベルちゃんの暖かな光は、やがて子供の全身をも覆い始めた。そして、子供の欠損部位に金色の鱗粉の様な光の粉が集まった!


 子供の耳に、顔や両目に刻まれた爪痕に、左腕に、左肩に、そして尻尾に・・・。


 光の粉は彼女の失った体を形作り、そして光が収まるとそこには彼女の失われた部位が再生していた。


 「・・きせき・・・」エリーゼは途切れがちなか細い声でそうつぶやいた。

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