第2話
階段を降りてくる足音で目が覚めた。どれだけ慎重になったところで、義足の金属音は耳につく。それは外へ出て行き、しばらくしてから帰ってきた。
「なんだ、そんなところで寝てたのか?」
苦笑した声とカーテンを開ける音がして、まだ明けきらない空の光が部屋に差し込んだ。
「いい朝だぜ、見てみろよ。お前の髪みたいな色だ」
窓の外を見ているらしい肩は、輪郭を赤く照らされている。初めて会った頃よりも体格がよくなったように思う。義足ができて、よく出歩くようになったからだろう。
「マリア」
と名前を呼ぶと振り向いた。長い髪が陽に透けている。
「“聖母”なんて人間に名付けられるのはどんな気分だ?教えろよ」
奴は眉尻を下げて困ったように笑った。
「ふっ、寝起きの可愛げもねーやつ。どうもこうもねーよ。お前と同じ、他者と区別するためのただの記号だ。でも、そうだな。もしも、俺がそんなに高尚な人間だったなら……」
奴はそこで言葉を切って、俺の目を見た。そして続きを言わないまま窓から離れ、「腹が減った」と呟いた。鳥の死骸を埋めてきたらしいその手は綺麗に洗われ、淀みのない手つきで卵を割る。
じゃりっと音がした。
同僚達が一斉に俺を見る。仕方ないのでそのまま飲み下し、あの野郎、と思った。
「愛妻弁当に何か盛られたのか?」
場がどっと沸く。俺は舌打ちをして茶を飲んだ。マリアは卵の殻を料理に混ぜるほど不器用ではない。故意に入れたと考えるのが妥当だ。
「でもいいよなあ、飯作ってくれる人がいるってよ」
「だよなあ。俺なんかカミさんに先立たれてから碌なもん食ってねえよ」
殻入りのサンドイッチも碌なもんじゃねえぞ。という台詞は言わないでおいた。食い物なんて腹に溜まり、かつ腹を壊さなければなんでもいいと言ってしまった手前、文句は言えない。
「しかし、お前たちほんとどういう関係なんだ?兄弟じゃないし、まさか恋人ってわけでもないんだろ?」
「役に立つから利用してる」
方々から冷やかしの口笛がきこえた。今の発言をどう聞いたら「ヒューウ!」と言いたくなるのかわからない。
その時鐘がけたたましく鳴った。昼休憩は終わりだ。同僚達は嘆息しながら残りの昼飯を口に突っ込み、立ち上がる。俺も後に続いた。
帰宅すると、家の前にマリアと、知らない奴が二人いた。女とガキだ。
「おう、おかえり。昼飯どうだった?」
マリアはガキを抱き上げて、にやりと笑いながら俺の方を見た。頭になぜか花の冠が載っている。
「そんな怒んなよ、次はもっとうまく作るからさ。紹介するよ、隣町のトンプソンさんと、エイミーちゃん。服が仕上がったんで、受け取りに来てくれたんだ」
「こんにちは」と女がにこやかに言い、ガキもそれに倣った。
「どうも」
さっさと家に入ろうとすると、行く手を花で塞がれた。
「おにいちゃんにもあげる」
小さい手に、マリアの頭に載っているのと同じような花冠が握られている。
「いや、俺はいらない」
「あげる!」
ずいっと差し出され、思わず仰け反った。なぜだか無性に腹が立った。
「いらねえって言ってんだろ」
低い声で怒鳴ると、怯えたように手が引っ込んだ。ドアを開けて中に入る。扉の向こうから、「スミマセン、あの子、シャイなもので……」という余計なフォローがきこえた。
「前から思ってたんだけどさあ」
しばらくして家に入ってきたマリアは、愛用の椅子に腰かけて言った。
「ヴァルは花が苦手?」
てっきり説教を垂れるとばかり思っていたので、多少面食らった。
「別に」
「そうか?いつも視界に入らないように避けてんじゃん」
目聡いやつだ。
「馬鹿らしい。花なんてどこにでもある。いちいち避けてられるか」
部屋を出ようと立ち上がった瞬間、さっきの要領で目の前に花の環っかが突きつけられ、反射的に顔を背けた。うんざりする。
「おい、いい加減に……」
奴は軽く手首を捻った。花冠が宙を浮いて、暖炉に落ちた。火の影が不規則になり、生花の焼ける匂いがする。一瞬言葉が出てこなかった。
「……何がしたいんだよ、お前」
マリアは答えない。頬杖をついたまま、挑むような笑みで俺を見た。
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