マリアは裁きを下さない

絵空こそら

第1話

 ごみか何かだと思った。

「鳥だ」

 言われてからもう一度視線を落とすと、確かにそれは鳥だった。羽が折れて、腹を上に向けたまま雨に打たれている。マリアはしゃがんで、それに手を伸ばそうとした。

「止せ」

 声で制すと、手は止まった。傘からはみ出た指が手持無沙汰に濡れる。

「キラーバードって呼ばれてる害獣だ。獰猛で、人間の子どもも食う。助けたところで誰も喜ばないし、人の手に触れたら自然では生きていけない。そもそも、もう死ぬだろ、それ。拾うだけ時間の無駄……」

 人が話している最中だと言うのに、奴は再度手を伸ばした。今度は躊躇いなく。

「おい、話きいてたかよ」

「きいてたきいてた。つまりこういうこと。どうせ死んじまうなら、雨の中より暖かいとこのほうがいいだろ」

 奴は手を胸に引き寄せて鳥の頭を撫で、チュチュチュ、と鳥の鳴きまねをした。偽善者め。こういう時のこいつを見ると、ぶん殴ってやりたくなる。

「というわけだから、荷物よろしく!」

 そう言って買った日用品が詰まったバッグを投げて寄越す。くそったれ。毒づくと、奴は愉快そうに笑った。立ち上がった時、義足が小さく飛沫を上げた。


「なるほどねえ、事情はわかったよ。たんと持ってお行き!」

「さすがベリンダさん、美人は気前がいいね」

「おほほほ!あんたに言われると嫌味にしか思えないねえ」

「なぜ?俺が美人なこととベリンダさんが美人なことは、それぞれ独立している事象じゃん」

「まあ!口が達者だこと。何言ってっかわかんないけど」

 おほほほほほ!隣家のばばあと同時に高笑いをして、奴は鳥の餌を一掬い小瓶に取った。

「ヴァル、あんたも手伝ってやるんだよ」

「断る。そいつの独断だ。最後まで手前でやれ」

「まーア、可愛くないね!ちっとはマリアを見習って愛想よくしな」

 愛想がいい?くそビッチなだけだ。と思ったが、口に出したら延々と説教を食らいそうだったので無視する。

「ありがとうベリンダさん。また明日ね」

「ああ、よろしく頼むよ」

 奴はばばあの仕事を手伝っている。服の縫製だ。足が悪い分、手先は器用らしい。駄賃は雀の涙だが、俺の日銭もそんなによくはないので助かってはいる。


 家に着くなり、奴は気に入りのタオルで鳥を拭き、暖炉の前に連れて行った。餌と水を混ぜ、指につけて鳥の口元へ持っていくと、嘴が微かに開いて、弱弱しくも美味そうに啄んだ。鳥が満足して眠りに落ちると、奴の指は鳥の頭をそっと撫でた。その手つきは、俺にある記憶を呼び起こさせる。



「いい腕だな」

と、奴は言った。

 間髪入れずにナイフを向けたはずだったが、目測を誤った。地震のせいだ。激しい地鳴りがし、屋敷全体が崩れそうなほど強い揺れだった。首すれすれを刃が通過したにも関わらず、奴はベッドの血だまりの中で男の亡骸を抱えて、微動だにしなかった。

「こりゃ、術が発動したな。前に大儀そうな魔法使いに頼んでたやつ。俺は構わないけど、あんたどうする?」

「術?」

 再度首を狙っていた手を止めてきいた。その間も轟音は止むことなく続いていた。奴は薄暗い中でにやりと笑った。

「俺の旦那様は強欲でね。手に入れたものを誰にも渡したくないのさ。たとえ自分が死んだ後でもね。ってわけで、出口はない。こいつの全財産が詰まったこの屋敷はもうすぐ消えちまうんだけど、あんた俺たちと心中してくれる?」

「冗談じゃない」

「だよなあ」

 妙な奴だと思った。すぐ隣で人が殺されているのに、悲鳴を上げるでもなく、下手人の俺に憎しみの目を向けるでもない。もともと、依頼主から屋敷には標的ともう一人、飼われている人間がいるとの情報が入っていたが、そっちのほうの生死は問わないとのことだった。下手に生かして復讐でもされると困るから、手っ取り早く殺してしまおうと思っていた。

「ひとつだけ脱出方法がある」

「なんだ」

「俺を殺さないって誓ってくれる?俺の魔法は弱いから、契約しないと使えないんだ」

「待て。お前は魔法使いか?」

「そう」

 奴は男の死体を抱えながら微笑む。

「信用できない。なぜ今まで逃げなかった?」

「御覧の通り、こんな脚でね」

 奴は左脚をちょいと持ち上げた。その膝から下はなかった。

「その傷、生まれつきじゃないだろ。そいつに切られたんじゃないのか」

「そうだよ。旦那様は俺が魔法使いだって知らなかったからなあ。こんなもんで逃げられなくなるとでも思ったんだろう」

 わけがわからない。魔法使いには物理法則が通用しない。だから、魔法使い絡みの依頼は断るようにしていたのに。

「なおさらだ。逃げられたはずだろう」

「わかってないなあ」

 言いながら、奴は男の身体を再度床に寝かしつけた。静かな手つきで、男の瞼を閉じる。

「愛していたからだよ」


 暖炉の火が音を立てた。

 火の明かりが届くところに、鳥がいる。その隣で先ほどまで仕事をしていたマリアも、今は道具を片付けて、愛用の椅子で寝息を立てている。

 鳥の呼吸はずいぶんと不規則になったが、苦しそうな様子はなく、むしろひどく幸福そうに見えた。鳥に触れる。柔らかい羽毛の感触が伝わる。まだ生きている。首元をぐっと押すと鳥は微かに身じろぎをしたが、もう抵抗する力もないようだった。そのまま力を込めていく。

「自己投影は勝手だけど」

 声がした。

「そいつはお前じゃないよ」

 俺は振り向かなかった。鳥は一度身を固くした後、大きく息を吐くようにして萎んだ。それきり動かなかった。暖炉の火だけが、鳥の上に揺れる影を落とした。

 がちゃり、がちゃりと音がして、手が伸びてくる気配がする。

 マリアは俺の首に手を回した。そして一度、強く抱擁した。

「可哀想に」

 振り払うよりも一瞬早く奴は腕を離し、鳥の死骸を静かに包むと、義足の金属音を響かせながら部屋を出て行った。


 火の爆ぜる音だけがする。火掻き棒を掴んで暖炉の薪を崩す。赤赤と熱を発したそれは、やがて白く変色してただ煙を吐き出すばかりになった。

 指先と背中に感触と温度が残っていて、早く冷めてほしかった。

 目を閉じると静寂の中、再度雨音が響いてきた。

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