大予言

原ぺこん

大予言


よくある飲み屋街の小さな居酒屋。

こだわりの一品料理を提供するこの店には仕事終わりのくたびれた中年男性たちがよく集う。

常連の男たちはいつも決まったものを頼みビールを飲み干し、また明日も頑張ろうと気を持ち直すのである。

バイトの大学生と中年男性が他愛のない話をするこの店はいつも温かい空気が流れていた。

「らっしゃっせー!」

「はいはい、バイト君今日もいつものねー」

「あ、こんばんは!はいよー!」

常連の田中さん。

いつもの、というのはビールと枝豆のことである。

この人は1人静かにカウンターで枝豆をつまみにビールを二杯のみ、幸せそうな笑顔で帰っていくとても穏やかな人だ。

週5日、17時30分に決まって訪れるこの人は一番の常連と言ってもいいだろう。

水曜日の17時30分。秋の心地よい空気が流れる夕方。いつも通り田中さんはカウンター席に着いた。

しかし気持ちがいいほど晴れているのに手には傘を持っている。

傘立てなど出しているわけもないので机にかけようとするが手こずっている田中さんを見て店員の青年が声をかけた。

「今日晴れてんのに傘持ってきてるんすか?」

「嗚呼、そうだよ。これからザーッと降るからね。君が帰る時ちょうど土砂降りじゃないかな?」

「今日晴れ予報だった気がしますけどね?」

「おじさんこういうのちょっとわかる人なんだ」

お茶目に笑う田中さんを見て、なーにいってんすか、と冗談っぽく笑い業務に戻る。

雨が降る前に、といつもより早めに帰って行った田中さんを見送り、数時間後自分も帰ろうとすると、おじさんの予報通り雨が降ってきた。

「たまたまかな、すげー…」

おじさんの冗談も捨てたもんじゃない、と青年は少し感心した。


木曜、同じ時間に訪れた田中さんは少し浮かない顔をしていた。

「田中さん雨降りましたねー」などと話しかけても気の抜けた返事しか返ってこなかった。

会社で何かあったのかもしれないが、自分から話すまでは聞かないほうがいい。これは居酒屋で2年間バイトをしている青年の持論だ。

田中さんはいつもより1杯ビールを多く飲んで帰った。

いつも陽気で優しい常連のため少し気になったが、そのうち元気になるだろう、と思いすぐに忘れた。

金曜日、開店前の作業をしていた青年は重大なことに気がついた。

「……ビール切らした…」

前日の発注ミスで居酒屋なのに生樽を切らしてしまったのだ。

慌てて店長に謝ると今度は店長が

「あ、今日枝豆ヤマ(在庫がないこと)ね」

と笑って言った。

瞬時に思い浮かんだのは田中さんの顔。

ただでさえ昨日浮かない顔をしていたのに、いつも頼むものがなかったら…

自分の犯したミスをかなり重く受け止めた青年は心から謝って励まそうと覚悟したが、その日、田中さんが来ることはなかった。

次の日、土曜出勤なのかスーツで訪れた田中さんは何事もなかったかのような顔をしていた。

「今日は、いつものある?」

入って早々ニヤニヤと笑いながら言ってきた田中さんになんで知ってるんすか!と返し、さっきまでモヤモヤと引っかかっていた気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。

その日田中さんは6杯ものビールを飲み、ポテトサラダやだし巻きなど、一度も頼んだことのない一品料理を注文してきた。

「今日めっちゃ飲みますね!なんかいいことでもあったんすか?」

うっかり聞いてしまった青年は、すぐにしまったというような顔をした。最近まで浮かない顔をしていた常連さんになんてことを…そう思った時にはもう遅かった。急に目から笑みが消えた田中さんは、口元にはいつもの優しい笑みを浮かべながらポツリポツリと話し始めた。

「近々よくないことが起こるみたいなんだ…すこーし先のことだから詳しくはまだわからなんだけど…僕たち人類にとってとても恐ろしいことだよ…だから気持ちを少しでもあげておこうと思って」

カウンター内で調理をしていた店長と青年は一瞬顔を見合わせ、てっきり会社で何かあったと思っていたため予想していなかった返答に戸惑った。

しかしそんな空気も束の間、2人の間に爆笑が起こった。

「ちょっと!飲み過ぎっすよ田中さん!」

「田中さん今日は一段とおもしろいっすね!」

楽しそうな2人をよそに、そうだといいねえ…と呟き、いつもの優しい笑みを浮かべた。

それから田中さんはいつもより早い時間に来るようになった。

いつも着ていた高そうなスーツも身につけず、毎日毎日店に来てはたくさんの酒と料理を注文していく。

その額は日に日に6千円、9千円、と増えていった。

使う額とは反対に、日に日に元気をなくし、やつれていく田中さんを見かねて青年は声をかけた。

「田中さん…最近どうしたんすか。店側の僕が言うのもなんなんすけど、飲みすぎだし…元気もないし…ほんとに心配っすよ。」

目の周りが窪むほどやつれた田中さんは声を出すのもしんどそうに話し始めた。

「お金なんてねえ、あってもしょうがないんだよ。こんなものあったってね、世界はもうすぐ終わるんだから!ふざけんなよ!こんなに長い間一生懸命働いてきたのに…」

声を荒げる田中さんを初めてみた青年は驚き、話の内容に頭が追いつくまでに数秒を要した。

「え、いや終わるって何言ってるんですか…」

やっとの思いで絞り出した言葉も田中さんの真剣な表情に気圧され飲み込まれていく。

「前に少し話したよくないこと。あれがようやく解ったんだ。近々ニュースにもなるだろう。もう仕方ない…諦めなきゃいけない…私は最後まで好きなことをして生きると決めたんだ…」

今にも泣き出しそうな田中さんになんと声をかけていいかわからず「今日はもう帰りましょう」と促した。大学生の彼にはこれが精一杯だった。

青年はそれから毎日考えた。

2年間、とても優しく楽しく接してくれた常連さんの狂った表情。

突然の散財。以前、勤続35年なんだと自慢げに話していた会社もあっさり辞めた。

とても嘘だとは思えない。

それから4日間、田中さんは毎日やってきた。

初めは暗い顔をしていた彼も日に日に落ち着きを取り戻し、4日目の夜、静かにお酒を飲みながら語った。

「僕は独り身だからね、ここに来るのが毎日の、唯一の楽しみだったんだ。君がいると息子がいるような感覚になって、勝手に楽しませてもらってたんだよ。でももうそんな生活も2日しかない。明日明後日は来ないつもりなんだ。だから君にだけ伝えておく。」

そう言うと財布から5万円と、一錠の薬を取り出した。

戸惑う青年に真剣な顔をして話す。

「明後日ね、隕石が落ちて世界は滅亡する。過去に類を見ない巨大な隕石が世界各地に落ちる。私はね、もう覚悟もできたし、昔から痛いのも苦しいのも嫌だからね、先にこの薬を服用して死のうと思っている。君には本当に世話になった。この事実が見えてしまった時本当に辛かったがね、君が心配そうに僕のことを見てくれているのに気づいて嬉しかったんだ。おかげで気持ちも落ち着いた。だからね、余った薬と、このお金をあげよう。気にしないで受け取って、明日明後日、存分に遊んだほうがいい。バイト君、本当にありがとうね。」

そう言った田中さんはいつもの優しい表情をしていた。

青年は何度も何度も頷きお金と薬を受け取った。

「嗚呼やっぱり、死ぬのは怖いね。とても怖いよ…」

そう言って堪えていた涙をこぼした。

青年はその日にバイトを辞めた。

家族に会いに行き、二日間、家の近くの居酒屋で思う存分食べ、記憶が飛ぶまで飲んだ。

しかしその日はあっという間にきてしまう。

青年は田中さんの話を聞いてからニュースを見なくなったが、友人づてに隕石が落ちる事はニュースになっていることを聞いた。


最後の日、青年は海を見にきていた。

周りには同じことを思ったのかカップルや家族連れがたくさんいるように見えた。

考える事に疲れた青年はそのまましばらく海を眺めていた。

次第に周りで隕石が落ちつカウントダウンが始まる。

「3、2、1…」

青年は田中さんにもらった薬を見つめ、ぐっと飲み込んだ。

隕石は大きな音を立て、海へ落ちた。

薄れゆく意識の中でテレビ中継に来ていたリポーターの声が聞こえた。

「ただいま化学班が隕石の回収に向かいました!いやぁー、大きかったですねぇ!」


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大予言 原ぺこん @harapeco8pekon

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