第138話

 「和、道さん……?」

 「これも運命、それに逆らうことはできないのかもしれない」


 和道は何かを悟ったように呟くと、静かに、それでも強く、斗真を見た。

 その視線が重いものに変わり、斗真は無意識に後ずさる。


 「どういう意味だ? ……まさか、あなたは灯乃を……っ」

 「お前は優しすぎる。だからこその主なのだろうが、それでは灯乃は救えない」


 するとその時、能面をつけたままの陽子が朱飛の体を支えるようにして飛び去っていくのが見えた。

 斗真はしまったと奥歯を噛みしめるが、和道は涼しげな表情で、彼女達を見送る。


 「ようやく動き出せたか。彼女も一番大切な者の為に決断した。……斗真、お前の一番大切な者は誰だ?」

 「え?」


 突然そんなことを訊かれて斗真が戸惑っていると、和道がこれまでにないほど真剣な表情で続ける。


 「お前は、そのたった一人の人の為に、他を黒にすることができるか?」

 「……!」


 なぜそんな問いかけをされたのか分からない。

 だがその問いに、暫くして斗真は――答えた。



 *



 朝になった。

 春明が玄関の扉から姿を出し、晴天の空を眺める。


 ――斗真君は、また戻らなかった


 「朱飛相手に、そんなに手こずるものかしら?」


 チュンチュンと雀たちが元気よく鳴く一方で、春明はぼーっとした様子で、小さくボヤいた。

 斗真が優しいのは重々承知している。

 それが彼の良いところでもあるが、今は仇となっている。


 「でも、こっちも問題が山積みだし、彼がいない方が助かる、か」


 灯乃や雄二のことを考えると好都合なのかもしれない、何となく寂しく思いながらも、春明はフッと静かに笑うと、そんな時。


 「……おはよう、春明さん」


 後ろから躊躇いがちに声をかけられて、振り返るとそこに灯乃の姿があった。


 「あら、灯乃ちゃん。朝の手伝いは終わったの?」

 「うん……」


 前掛けを手に持つ彼女を見て、春明は普段通りに話しかけるが、灯乃はどこかぎこちない表情で少し俯きながら、小さく頷いた。

 きっと昨日の目の暗示で、意識しているのだろう。

 春明はそう思って近づこうとしたが、その時灯乃がキッと顔を上げて、何か決心したような目で口を開いた。


 「春明さん。昨日の話なんだけど、やっぱり私が何とかする。だから春明さんと雄二は手を出さないでほしいの」

 「……え?」


 突然灯乃が女子達の話をし出したことにも驚いたが、それよりも正気に戻っていることの方が、遥かに春明は驚いた。

 

 ――まただ。なぜ、暗示が解けてるの?


 「やっぱり私のせいで巻き込んだんだし、これ以上二人に迷惑かけられない」


 ――どうして?


 春明に対して恥じらう様子もなく、しっかり意思を伝えてくる灯乃は、昨夜とは全く違う。

 すると更に彼女の口から出た言葉で、春明の心に拍車がかかる。


 「雄二にも私から話すから、だから――その、携帯を返してほしい」


 ――携帯……


 灯乃から斗真の姿が重なった気がして、春明の頭の中がぐるぐる回った。


 ――また斗真君と繋がるの? あたしに内緒で? そんなの……そんなのっ……!


 バリーンッと割れた携帯電話の音が、再び春明の全体に響いて、その衝動が彼の理性を吹き飛ばしたのか、灯乃の体を勢いよく扉に押しつけた。


 「はっ春明、さんっ⁉︎」


 彼女の細い両腕をしっかり掴み、前掛けがヒラヒラ落ちていくのも無視して、春明は自身の双眸をこれでもかというくらいに灯乃の顔に近づけた。


 「眼を見てっ。今すぐ斗真君を忘れてっ」

 「えっあのっ」


 彼女の戸惑いと弱々しい抵抗など簡単に払い除けて、春明は魅させることに必死になる。

 血が上り、もう抑えが効かない。

 どうにもならない。



 「忘れろ。あんたは――俺だけ見てればいいんだ」



 その瞬間、二人の目がしっかりとかち合った。

 ドクドクと、灯乃の中を流れるものが熱く高鳴る。


 「あっ……私……春明さんのことだけを、見……」


 しかし、その時。


 「朝っぱらから何してんの?」


 冷めたみつりの声がして、すぐさま灯乃の顔がそちらを向いた。

 そこに彼女の姿を認めると、急にあたふたと慌てふためき始める。


 「えっ、あのっ、これは、ちっ違うんだよ! 何でもないのっ」

 「へぇ」


 呆れ顔のみつりに対して、必死になって言い訳をする灯乃。

 スルッと春明の腕の中から出ていく彼女に、彼は手を引いて止める。


 「待って、灯……」

 「私、行かなくちゃ。携帯、後でちゃんと返してね。雄二に連絡しなきゃだし」

 「……え……」


 灯乃はそう言うと、みつりのあとを追うように去っていった。

 その様子に、春明の表情は驚愕に歪む。


 ――暗示が、消えた!? どうして!?


 そう考えるのと同時に、彼の目がみつりに向いた。


 「あの子――何をした?」

 

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