第136話

 「娘……? 灯乃の、親父ぃっ!?」


 斗真の口からさらっと言われた言葉に、仁内は吃驚して思わず声をあげた。

 確か以前に灯乃から聞いた話で、父親は単身赴任していると聞いていたが、まさかこんな形で会うことになろうとは。

 どう気持ちを整理して良いのか分からず、仁内は戸惑い、そして何となく焦りだした。


 「へっへぇ……灯乃の、親父さん……」

 「和道かずみちという。何だ? 不満か?」

 「い、いやっ別にっ! どうってことねぇし!」


 そう誤魔化しながらも、明らかに仁内の様子が挙動不審になっている。

 けれどもそんなことはどうでも良いのか、灯乃の父・和道は斗真へと意識を傾けた。


 「雄二か……あの子供も随分大きくなったようだな?」

 「やはりただの幼馴染み、ではないんだな?」

 「いや、ただの幼馴染みだ。我らや三日鷺とはまったく関係のない、ただの子供……だったのだがな」


 和道が心苦しそうにそっと呟く。

 

 「巻き込んでしまったのか?」

 「あぁ。まだ灯乃が小さな頃、山城の者に見つかり連れ去られそうになったことがあってな。そんな時、たまたま一緒に遊んでいた子供たちが危険を察して共に逃げてくれたんだが、その中で身体能力に秀でていた雄二は特に灯乃に近い存在になって、あの子が外へ出る時はほとんど一緒にいてくれるようになった。それを見て、陽子が彼を選んだ」

 「陽子が、選んだ?」

 「いつの日か雄二に三日鷺の欠片を与え、灯乃を護らせると。たとえ三日鷺になったとしても、雄二の存在があれば依代を回避できるかもしれないと。だがどうやらその賭けには負けてしまったようだがな」


 やはりそうだったかと、斗真は思った。

 陽子は本当に灯乃を護るつもりで、雄二を側に置いていたんだ。

 そして事故死した。

 だが、本当にただの事故死だったのかも怪しくなってきた。

 もしかしたら、事故死に見せかけて殺されたのかもしれない――山城の人間に。


 そう斗真が考えた時、ふと仁内と目が合った。

 どうやら同じことを考えていたようだ。

 彼の表情が悲痛と憎しみに歪み、奥歯を噛み締めていた口が小さく開く。


 「……見つかってたなら、なんでそこから離れなかった?」

 「どうせすぐに見つかる。それに灯乃に無理強いすれば、三日鷺にしたところで依代にすることは叶わなくなるんだ、奴らに手荒な真似はできない」

 「けど灯乃は、何度か襲われたって言ってたぞ?」

 「本気ではなかった筈だ。そうやって灯乃が何者かに狙われている危険な子だと周りに印象付けておけば、誰も寄ってこなくなる上、あの子を簡単に孤独に追い込むことができる」

 「それで今のあの性格に……」


 話を聞いて、斗真は影をもつ灯乃を思い起こした。

 孤独に追い込まれた彼女は、誰かに必要とされたくて必死になった。

 それは、依代にし易くする為だけに仕組まれた感情。

 三日鷺のことなど一切知らないまま、彼女はずっと苦しめられていたのだ。

 その事実に、斗真は眩暈を覚えて視線を落とす。

 そんな一方で、仁内がキッとした目で和道を睨みつけた。


 「だが陽子はっ、あいつだけは逃してやるべきだったんじゃねぇのかよっ。そうすりゃあ死なずに済んだかもしれねぇのに」

 「彼女は灯乃を護る立場にある。灯乃を置いて逃げることはできなかっただろう。それに、死因は事故死と聞いているが?」

 「事故死に見せかけて、奴らに殺されたに決まってる!」


 仁内は苛立ちながらもグッと拳を握って堪えるように言った。

 陽子は自ら飛び出して事故死する程幼い訳ではなかったし、何より聡明な子だった。

 絶対に何かあった筈だ、仁内はそう思い、怒りを拳に込めた。

 だがそんな彼とは反対に、斗真は落ち着きながらも怪訝な目を和道に向ける。


 「確かに、唯朝 陽子はただの事故死ではないかもしれない。だが和道さん、なぜ彼女が事故死したことを知っている?」


 斗真の目が闇夜の中で光った。


 「あなたは俺の顔すら知らされていない程情報が閉ざされていた筈。陽子のことはいったい誰から?」

 「……それは……」

 「それにあなたはまだ何かを隠している。雄二にはまだ何かある筈だ。そうでなければ叔母上があいつの家を放火させた理由がない」

 「放火、だと……!?」

 「叔母上はここから戻ったら、俺たちにその理由を聞かさせてくれると言った。それはつまりあなたから何らかの話を聞いてからということを示唆しているのではないだろうか?」

 

 斗真の問いかけに、和道は少し驚きながらもゆっくり口を開こうとすると、その時。


 ――彼の背から一つの人影がぬぅっと、何の前触れもなく突然現れた。


 月を背にしていたせいで、まるで闇の魔物のように出て来たそれは、般若の面をつけた黒マントの女。

 いつも白い犬を連れ、斗真達を襲ったあの女だった。


 「てめぇは……!」


 急に現れた女に、仁内は即座に戦斧を構える。

 しかし女の肩に手当てのあとはもうなかった。

 さすがにそのまま見せびらかすようなこともしないだろうから、上手く隠したのだろうが、何となく前と気配が違うような、そんな感覚を斗真は覚えていると、和道が何処か納得したように平静のまま彼女に目を向けた。


 「久しいな。ここへは何年ぶりだったろうか?」


 まるで独り言のように呟かれたそれは、彼女の面を振り向かせ、マントを翻させるには十分だった。

 女が軽く会釈すると、和道は斗真たちに口を開く。


 「雄二の両親は、裏で山城と手を組んでいたのだ。おそらく雄二の身の安全を条件に、逆らえなかったのだろう。密かに灯乃の情報を流していた。――そうだったな?」

 「ええ」


 和道の声に、そっと女は答えた。

 そんな会話のやりとりから、彼に情報を伝えていたのはこの女だったのだろう。

 報告するように、彼女は淡々と話し出す。

 

 「放火はやむを得ないことだった。それまでずっと灯乃のことをかぎ回っていたのだ、唯朝 トキ子のことも、陽子のことも。こちらとしても野放しにはできなかった」

 「だからといって燃やすなんて」


 やり過ぎではないかと、斗真は思った。

 一歩間違えれば、両親は亡くなっていたかもしれないのだ。

 そんな軽い考えでできることではないのにと、斗真は同意を求めるように仁内の方を見た。

 が、


 「仁内……?」


 いつも煩い筈の仁内が、なぜか呆然と立ち尽くしている。

 酷く驚いた様子で、ただ般若面の女を見て。


 「その声……なんで……」


 ブルブルと戦斧を握る手が震えた。

 止まらない。

 その声はもう、聞ける筈がないと思っていた声だったから。



 ――でも、この俺が絶対に聞き間違える筈のねぇ声……!


 


 「お前――陽子、なのか?」


 


 仁内の言葉に、般若面の奥に隠れている瞳が一瞬揺らいだ。

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