第133話

 ――頭がボーッとする


 春明が去ってからも、灯乃は暫く動くことができず、彼が消えていった方をただ眺めていた。

 ドキドキして、体が熱い。

 けれど――


 「――何してんの?」


 するとその時、いつからか目を覚ましていたみつりが一言呟いた。

 その瞬間、今まで温々と浸っていた甘い夢の膜が、跳んできた石に当たってパーンッと弾けたように灯乃はハッとする。


 「あっ……えっと、何でもない」

 

 今まさにびっくりして飛び起きた時のような感覚で我に返ると、みつりを起こしてしまったことへ謝罪するように、灯乃はそそくさと布団に潜り込んだ。

 暫くしてみつりのため息が聞こえ、布団の擦れる音がする。

 

 ――私、何を考えていたんだろう

 

 みつりが再び眠りにつく一方で、灯乃は春明に何も言えなかったことを今になって悔やみ出した。

 あの女子達は心配ではあるが、春明と雄二を巻き込む訳にはいかない。


 「……斗真。私、どうしたらいいんだろ……」


 不安になるとやっぱり斗真のことを考えてしまうのか、灯乃は手元にない携帯電話を名残惜しく思い、瞼を閉じた。


 ――斗真……会いたい、な……


 次第に眠気が襲ってくると、たまっていた疲れと共に彼女は落ちていく。

 と、その時。


 「…………油断ならぬ奴よの」


 灯乃は眠ったかと思いきや、彼女の唇が静かに動き、体がゆっくりと起き上がった。

 再び双眸が開かれるが、今度はそこに翡翠色の魂が宿る。


 「このみつりという者、ただの小娘かと思っておったが……」


 灯乃の体から現れた三日鷺の意識が、みつりの眠る様子を凝視する。

 灯乃にかけられた、女を虜にする春明のあんじが、彼女の一声であっさり消えた。

 そういえば、今までも何度かそういうことがあったか。

 

 「だとしたら、これは奴の差し金か? 本当に抜け目のない」


 思い当たる人物がいるのか、三日鷺は直感で呟き、挑戦的な笑みを浮かべた。



 「――あんな姉をもつと、下は大変よの?」



 *



 一方で春明は、廊下の壁にもたれたままふぅっと息を吐いた。

 雄二との話は終わったようで、だらんと垂れ下がるだけの手の中に携帯電話が握られている。

 事は上手く春明の思惑通りに進み、雄二を誘導することができたようだ。

 たまたまだったとはいえ、手間が省けた。

 それなのに――

 胸のどこかに潜む痛みに、春明は気づいてそっと押さえる。


 「皆、灯乃ちゃんのことばっか……」


 彼はなぜか消えない灯乃の姿を思った。

 自身の居場所も分からないまま暗闇を彷徨っているのに、どこまでも優しく笑いかけてくる彼女。

 何もできない癖にどこか芯が強くて、消えて欲しい筈なのに放っておけない。


 「なんで皆、あの子のことばかり……でも」


 ――あたしもあの子のこと、考えてる……?


 春明は不愉快な気持ちに眉を歪めた。

 きっと灯乃が皆にもてはやされているのが気に入らなくて意識しているだけなのだろう。

 そう思うのに、何故か納得できていない自分がどこかに潜んでいるような。

 彼は複雑に絡み合った妙なひっかかりを覚えた。


 ――ごめんなさい、春明さん


 そんな時、以前言われた灯乃の言葉が再び浮かび上がってくる。

 するとどういう訳か、落ち着かない。

 あの時、上手くいかなかったからだろうか?

 あれから彼女のことが気になって仕方ないのだ。

 そういえば、灯乃に対して幾度となくあの眼を使ってきた筈なのに、未だに虜にできていないのはなぜなのだろう?

 彼女の様子から、効いていない訳ではない筈なのに。

 そんなことを春明が悶々と考えていると、その時。


 ――ブルブル


 突然、手にしていた灯乃の携帯電話が震え出して、春明は目を移した。

 自然と画面を覗くと、そこに斗真の名前が映し出され、春明は無意識に奥歯を噛み締める。


 「……なんで? なんで斗真君が、あたしじゃなくてあの子にかけてくるの……っ!」


 当たり前のように現れた彼の名前を見て、憎しみにも似た怒りが頭の中の少女に向かってこみ上げた。

 今まで悩ませていた想いが一瞬のうちにかき消される。


 「斗真君の傍にいる為に、今まで苦労してきたのに……それをあの子は、こんな簡単に……っ!」


 怒りが頂点まで達したのか、春明は窓を開けると勢いよく外の岩にむかって灯乃の携帯電話を投げつけ、真っ二つに叩き割った。


 ――バリーーンッ!


 その割れた音と共に、春明の中の何かも激しく割れたような気がした。

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