第128話

 「……あれ?」


 灯乃は目を覚ました。

 そこは灯乃とみつりの部屋で、彼女が身体を起こして辺りを見渡すと、机の上にやり残した課題ノートが開けっ放しで置かれていて、灯乃はげんなりと深いため息を吐く。

 外はもう朝だった。

 春明と話をしていた筈なのにどうしてこうなったのか、灯乃が首を傾げていると、丁度みつりが支度を終えて今まさに出て行こうとしている様子が映った。


 「……えっと、あの……おはよう」

 「……」


 灯乃は一応声をかけるが、みつりは当たり前のように無言で出て行く。

 するとそこへ、彼女たちを起こしに来た春明と鉢合わせ、互いの顔を見るなり昨夜の記憶が蘇った。


 “――本気で好きなのね、斗真のこと”


 何となくそう思って呟いたみつりの言葉。

 春明は一瞬顔を強張らせるが、すぐにいつもの涼しい顔でフッと小さく笑みを浮かべる。


 “…………そうね、彼は大事な従兄弟だもの。変なムシがついたら、次期当主の名に傷がつくわ”

 “……”

 “……何かしら?”

 “別に”


 みつりはそう答えると、煩わしくなったのかあの後すぐに眠りについた。


 「おはよう、みつりちゃん」

 「……邪魔なんだけど」

 「挨拶くらいしてくれないの?」


 みつりがどう解釈したのかは分からないが、おそらく興味がなかったのだろう、特に気にした様子もなく通り過ぎていく彼女に、春明は予想をしていながらもどこかで安堵していた。


 「おはよう、灯乃ちゃん」


 襖から覗き込むようにして中に入ると、灯乃がこちらを見てボンっと顔を真っ赤にさせた。


 「おっおはよう、春明さん」


 昨夜のことを思い出したのだろう。

 彼に連れられて斗真の部屋へ入り、そして――


 ――あたしが、逃がすと思う?


 あの時の春明を思い描いて、更に赤面する。

 彼はただ、斗真にかけられた命令がどういうものかを聞き出そうとしてきただけ。

 それだけなのに一方的に灯乃が意識している、春明を――異性として。


 ――でも……


 「灯乃ちゃん。完全にお寝坊さんね」

 「え゛っ」


 灯乃とは対照的に、何事もなかったように春明がニコッとしながら話しかけてくると、灯乃は時計を見るなり顔面蒼白した。

 そういえば朝の清掃や朝食の手伝いをしなければいけなかったのに、もうとっくにその時間を過ぎてしまっている。

 とは言っても、勝手に手伝っているだけなので、誰かに怒られるということはないのだが。


 「課題も済ませてないみたいね?」

 「うっ」

 「手伝ってあげましょうか?」


 すると、彼の手がここぞとばかりに触れようと伸びてきて、灯乃が思わず逃げようとするものの、春明はさせまいとその細腕を掴んだ。


 「あっあのっ、春明さん……っ」


 そのまま彼の顔がどんどん迫ってきて、灯乃の心拍数もどんどん上がる。けれど、


 「早く着替えて頂戴」

 「……へ?」


 急に言葉が淡々としたものに変わると、春明は悪戯っ子が浮かべるような笑みを見せてスッと離れた。


 「残念だけどあたし忙しいし、皆に報告もあるの。……あれ? 何かイヤラシイこと期待してた?」

 「~~~っ! 何もしてません!」


 灯乃がムキになって叫ぶと、春明はクスクスと声を出して笑った。

 昨日の仕返しだろうか、完全にからかわれている。

 けれど昨夜のことを特に怒った様子もないことに、灯乃は内心ホッとしていた。


 「それで、皆に報告って?」

 「斗真君から連絡があったらしいの」

 「えっ!」


 その名前を聞いた途端、灯乃はバッと身を乗り出すように立ち上がった。

 無意識にパァッと明るく目を輝かせる彼女に、春明は密かに眉を歪ませる。


 「斗真から何て? もうすぐ帰ってくるの? 怪我とかしなかったのかな? それから、それから……」

 「ストップ。それは着替えてからね」


 聞きたいことで溢れ返ってしまい、春明の制止する言葉で灯乃はようやくハッとして口を閉じた。

 まずは支度を済ませなければならないし、忙しいというならいつまでも春明をこんなところに足止めさせておく訳にもいかない。

 聞き出したい思いを堪えると、灯乃は彼が退室してすぐ制服に着替え始めた。


 斗真からの連絡は、早朝亜樹にあったそうだ。

 無事三日鷺の欠片を回収できたとの報告だったが、一方でどういう訳か、すぐには帰還できなくなったという。

 それを聞き、灯乃は落胆する。

 どうやら朱飛達の介入が影響しているらしいが、それ以外は何故か亜樹は教えてくれなかった。

 どうしてなのだろうか?

 斗真たちは大丈夫なのだろうか?

 灯乃は不安を胸に抱き、思わず空を仰いだ。

 心配だった、斗真はいつだってまわりばかりを優先し、自分自身を後回しにするから。

 けれど一番は、もしかしたら……

 ふと彼にかけられた命令が、灯乃の心にチクチクと痛みを与えた。


 「私が我慢できないほどの感情に襲われた時は、いつだって斗真のところへ……か」


 彼にだけは、いつも何処かで都合の良い期待をしている。

 紅蓮の三日鷺である自分は、彼の特別なんだと。

 三日鷺の欠片を回収し終えたら、真っ先に斗真は自分のもとへ帰ってくるだろうと。

 でも。


 「そんな訳、ないのに……」


 灯乃は酷く寂しさと虚しさを覚えた。


 *


 「灯乃ちゃんに教えてあげないの?」


 亜樹の部屋へ向かった春明は、彼女の傍で呟く。

 

 「今はまだ、話しても混乱するだけでしょ? 灯乃ちゃんの中では、母親は《トキ子》なのだから」

 「灯乃ちゃんがハトコだと聞いて、もしかしてとは思ってたけど。でも朱緒様のこと、隠す必要があるの?」

 「私が隠したいだけよ。本当のことを打ち明けたら、彼女はもっと色んな事実を知ってしまうわ――あなたみたいにね」

 「……」

 「……」


 するとその時、途端に何故か二人ともが黙り込んだ。

 春明が亜樹の顔を訝しく見る。


 「叔母様。楓に雄二君の家を燃やさせたのはどうして?」

 「それについては斗真さん達が戻ってから話すと聞かなかったかしら? だいたい、あなたならもうおおよその見当はついているのではなくて?」

 「道薛とトキ子の所在に心当たりは?」

 「ないわ」

 「唯朝陽子については?」

 「黙秘。特に、丈之助兄様の息子であるあなたにはね」

 「何それ。あたしが父と繋がっているとでも?」


 二人の間で、淀んだ沈黙が流れた。

 互いを疑うような視線、仲間として共にいる訳ではないと言わんばかりの空気。

 どうして急にそうなったのか。

 そんな時、朝食の準備が整ったことを伝えに使用人がやって来た。


 「亜樹様、春明様」

 「えぇ、今行くわ」


 春明が亜樹との会話に嫌気がさして、促されるまま部屋を出ようとすると、亜樹が引き止めるように小さくポツリと告げる。


 「春明ちゃん、別にあなたを疑っている訳ではないの。ただ――灯乃ちゃんを見るあなたの目が、あまりに兄様に似ていたものだから、つい」

 「……あの人と一緒にされるのは、ホント気分が悪いわね」


 春明は口角を吊り上げるも、ピリピリとした空気を醸し出してその場をあとにした。

 明らかに機嫌が悪くなっている。

 そんな彼に亜樹は安心したように胸をなで下ろした。


 「あなたが兄様につかなくて、本当に良かった」


 ――このまま変な気を起こさなければ良いのだけれど


 春明の姿が小さくなっていく中そんなことを思っていると、彼が見えなくなった頃にスーッと奥の襖が開いた。

 そこから現れたのは、真っ白な犬と左肩に傷を負った般若面の女。


 「心配ない。奴が斗真にとっての最初の三日鷺。主と一番繋がりが強いのだ、裏切ることはできまい」

 「だからこそよ。灯乃ちゃんに何をするか分からないわ」

 「それでもだ。今は奴に構っている暇はない」

 「そう?」


 表情が面の下に隠されて何を考えているのか分らない女に、亜樹は困ったように薄笑みを浮かべた。


 「いったいあなたは、誰を救おうとしているのかしらね?」

 「……知れたこと」


 ――灯乃を死なせはしない。それだけだ


 般若面の女は、白犬と共に姿を消した。

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