第121話
「なっ!? どうなってんだ!?」
仁内は困惑したまま呆けていると、ついに朱緒の刃が斗真を撥ね除け、襲いかかってきた。
それは凄まじく速く、彼が慌てて避けるも切っ先が肩肘を掠める。
「ちぃっ!」
――何だ、これ。速すぎて見えねぇ
それでも仁内は容赦なく繰り出される朱緒の攻撃を必死に躱していると、斗真が転がっていた半月斧に気づいて急いでそれを投げ寄こした。
仁内のその手に戻った斧は、ギリギリのところで双剣の攻撃を止める。
だがその衝撃は重く、踏ん張っていた足が地面にめり込んだ。
「くっ、さすがてめぇの師匠。化物だぜ」
「無駄口を叩いていると死ぬぞっ」
そう言って斗真が滑るように二人の間へ入り込むと、朱緒から双剣を抜き取ろうと手を伸ばすが、それを読んでいたかのように彼女の体は綺麗に宙を舞い、仁内の背後に回り込んだ。
その瞬間に殺気が背筋を流れ、仁内の動きが僅かに鈍る。
それを狙って朱緒が再び刃を振り下ろした。
――――!
だが、斗真もそれを見越していたのか、仁内の腕を引き自身が彼女の前に出ると、すんでのところで攻撃が止まる。
斗真に当たることを危惧したのだろうか。
するとその隙をついて、仁内が斧で彼女の脇腹を狙おうとするが、それも朱緒の速さには及ばなかったのか、軽やかに飛び退かれ、簡単に躱された。
二人がかりなのに、彼女の呼吸一つ乱すことができない。
平静な表情のまますぐに次の攻撃に構える朱緒を見て、二人も焦って構えさせられる羽目になった。
「くっそ、どうすんだよ? てか、どういう状況なんだよ、これはっ」
目の前の彼女を警戒しながら、仁内は斗真に訊ねた。
目覚めたばかりの彼には、分かるはずもないこの状況。
自分は見限られたのではなかったのか?
質問したいことが山ほどあったが、そんな時、同じように朱緒に目を凝らしていた斗真が口を開いた。
「見たままだ。お前が師匠の攻撃対象になっている」
「…………て、それだけかよっ!?」
あまりに簡略化しすぎて説明になっていない斗真の言葉に、思わず鼻息を荒くしてツッコミを入れる仁内。
するとその瞬間に朱緒が突進してきて、仁内は押し負けそうになりながらも半月斧でそれを受け止めると、斗真も彼に加勢しに動く。
だが、そもそも攻撃できない身体の上に彼女の素早い動きでは、斗真であってもすぐに直接仁内が狙われ、それをかろうじて回避するのが二人の精一杯だった。
「ちっ、俺が攻撃対象ってどういうことなんだよっ」
仁内が舌打ちする。
斗真の言った通り、標的は彼だけだった。
斗真は狙われないどころか、危害さえ加えないよう気遣われている始末だ。
彼も同じように攻撃されるなら、仁内が三日鷺の力を発揮できていたというのに。
「三日鷺の主である俺はここに入ることを認められている。だが、それ以外の者はたとえ俺と一緒でも攻撃対象になるらしい」
「なんだとぉ!?」
朱緒の攻撃を避けることにだんだん疲れてきた仁内の耳に、衝撃的な話が届いた。
三日鷺の主以外の者は朱緒の攻撃対象になる。
斗真は洞窟に入る前からそれを知っていて、仁内をここへ連れてきたというのか。
「……っ、そうかよ」
なぜ?という言葉はなく、仁内はすぐに納得した。
そんなことだろうとは思っていたのだ。
きっと斗真は仁内をこの洞窟に連れ込んで、その罠に嵌めたかったのだろう。
それが分かると彼は途端に覇気がなくなり、気持ちが沈んだ。
すると朱緒への警戒も薄れてしまい、彼女の蹴りが見事に仁内の腹に入る。
「うぐっ!」
「仁内っ」
油断したせいか、彼の体が壁まで吹き飛び崩れ落ちた。
ダメージが大きく、起き上がってこない。
そんな仁内に朱緒がトドメを刺そうと双剣の先を向けると、そんな時、斗真が間に立ちはだかってそれを阻止した。
「しっかりしろっ。灯乃のところへ帰るんだろ? 倒れている暇はないぞ」
「……てめぇが、何言ってんだよ……俺を嵌めた癖に」
「嵌めてはいない、試しただけだ」
「……は……?」
蹴られた痛みと思ってもみない斗真の答えに、仁内は思考がうまく回らずポカンと固まる。
「お前が三日鷺の欠片を手に入れられるか、試しただけだ。だがやはり師匠は強い。いったん退いて体勢を立て直した方が良さそうだな」
「……は? ……はぁあっ!?」
斗真はそう言うと、荒っぽく仁内の体を担ぎ上げ、朱緒から逃げるように出口へと走り去っていった。
*
「……ちゃんと説明しろよ、てめぇ」
洞窟の外へ出る頃には、朱緒の姿は消えていた。
どうやら欠片を護るだけの彼女の魂は、外へ出るまではしないのだろう。
二人は洞窟の大岩にもたれかかって、ぐったりとした体を休めた。
「言葉通りの意味だ。お前に欠片を回収させたかった、それだけだ」
「だーかーら! それが意味分かんねぇんだよ!」
仁内は早く答えが知りたくて、蹴られた痛みも忘れたかのように叫ぶ。
嵌めたのではなく試したと言い換えられては、期待してしまう。
そんな有り余る元気をまき散らす彼に、斗真は余計疲れて、ため息を漏らした。
「俺たちの目的は、三日鷺の欠片の回収だけだ。だから俺が回収するより、お前が回収した方が都合がよかったんだ」
「……まだ分かんねぇ」
「叔母上から聞いていたが、欠片の回収は、やはり俺が欠片を手にすることで自動的に刀へと吸収されるそうだ。つまり、俺が欠片に触れると」
「勝手に欠片が刀に戻って、灯乃が白に近づくってことか? 駄目じゃねぇかよ!」
「だから、お前に取らせようとしたんだろ」
「……何だよ……そういうことなら、先に言えよなぁ」
途端に力が抜けて、仁内は天を仰いだ。
あからさまにホッとしている。
どこかで斗真を信じていたのかもしれない。
自分は見限られてはいないと。
そして彼は、誰かを陥れるような人ではないと。
安堵して気が抜けてしまったのか、無意識に仁内の口角が上がった。
だが、そんなすっきりとした彼とは対照的に、斗真の表情は静かに曇る。
「……言える訳がないだろ、俺はお前を信じていなかったんだから」
「え……?」
「試した、と言っただろ? あの場所は、主に対して悪意を持った者かどうかが分かる場所でもあるんだ。お前が俺を裏切ろうとしているのなら、暗闇に落とされ、そのまま目覚めることはなかっただろう」
斗真は事前に聞かされていたことを話すと、視線を仁内へ向けた。
あの場で目覚めなかったから、そのまま見捨てていたと。
言葉ではそういう意味を示していたが、しかし仁内は天を見上げたまま、落ち着いて苦笑するだけだった。
斗真の目を見なくても分かってしまったから――彼の心情はそうではないと。
「……やってくれるぜ」
「怒らないのか?」
「怒る気力もねぇよ――信じてねぇ割に、ずっと俺を庇い続けてたんだからな」
仁内の一言に、斗真はハッとした。
彼は気づいていた。
あの場には朱緒の魂がいて、暗闇に落ちた者を瞬殺していただろうことに。
つまり斗真が本当に見捨てていたら、仁内は暗闇に落ちた時点で命を奪われていた筈なのだ。
仁内が図星だろうと言わんばかりにニヤッと勝ち誇った顔をすると、斗真は困ったように、けれど少し嬉しそうに薄笑みを浮かべた。
「お前、変わったな」
「あ?」
「いや……あの洞窟の中で目覚めることができたのなら、やっと俺はお前を信じられそうだ」
「何だそれ」
斗真は皮肉を加えながら呟くと、ゆっくりと立ち上がる。
本当は仁内を疑っていた。
だがそれでも庇った理由は、彼に以前とは違う変化が見られたからだった。
今まで自分のことしか考えていなかった彼が、周りを気にかけるようになった。
人を人として見るようになった、だからだ。
そして――そんな彼に変えたのは、灯乃だから。
「そろそろ動くぞ」
「作戦はあるのか?」
「いや、ない」
「あ゛ぁ!?」
斗真にしては投げやりな言葉に仁内が大袈裟に反応すると、その相変わらずな態度に斗真の表情が僅かに柔らかくなった。
だが、すぐに切り替えるように気鋭の目を向けると、スッと仁内に手を伸ばす。
「だが――お前も山城の血が流れているなら、上手く立ち回れるよな?」
「は?」
「足を引っ張るなよ?」
「フッ、そっちこそ」
斗真の気迫に負けまいと、仁内も溌剌と言葉を返すと、迷うことなく彼の手を力強く取った。
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