第120話

 「灯乃の母親って、この人が……!?」


 斗真の言葉を聞いて、仁内は驚いた。

 彼女の母親といえば、今は行方の知れないトキ子の筈。

 灯乃もトキ子が母親だと言っていた、それなのに。


 「トキ子という女性は、叔母上達が用意した偽の親だそうだ。本当の母親はこの人だった――もう亡くなられているが」

 「……じゃあこれは……」

 「三日鷺によって奪われた彼女の魂が反映されたものらしい。……人身御供に、されたそうだ。俺が十を迎え、師匠が突然いなくなったと知らされたあの時に」

 「……」


 斗真の声が低く弱々しく吐き出され、一方でそれほどまでに彼を苦しめる彼女のことを、仁内は自身の記憶の中から引っ張り起こした。

 斗真の師匠の名は、山城 朱緒しゅお


 幼い頃、本家でたまに見かける斗真の稽古でしか、仁内は彼女を見たことがない。

 そのせいか、彼女は冷静沈着であまり表情を変えない、何を考えているか分からない人というイメージが彼にはついていた。

 そして、山城家で誰よりも腕が立つ人、そう聞かされてもいた。


 なぜなら彼女は――


 斗真はそっと朱緒に近づいた。

 彼女を敬愛していたのであろうか、見つめる彼の顔が悲愴に歪む。


 「刀を砕き、その欠片と赤子だった灯乃を隠し続けた罪、それを叔母上達ではなく師匠がずっとたった一人で背負い続けていたらしい。そして、俺の師として俺を鍛え上げてくれたのも……その罰だった」

 「斗真……」


 彼の顔がいっそう陰りを増したような気がして、仁内には《罰》という単語が妙に重く響いた。


 ――もしかして斗真、てめぇも今俺たちと同じ思いを感じているのか?


 だがそれでも雄々しく振る舞おうとしているのか、次にこちらを振り返った斗真の表情は強さを取り戻していて、そんな彼に仁内は密かに衝撃を受けた。


 「斗真……その……」

 「とにかく、詳しい話は後だ――話せるのなら、な」

 「?」


 その瞬間、朱緒の背にある祠の中心が一段と輝き、徐々にその個体を現した。

 それは薄ピンクに光り、二人が求めていた姿を見せる。


 「あれは、三日鷺の欠片……!」

 「あぁ。主と認められた者が訪れた時、こうやって現れる仕組みになっているらしい。だが――」


 途端に斗真の双眸が、向かい合う彼に鋭く、そして冷たく映った。

 仁内の心臓が、急に警報を知らせるようにざわつき始める。


 「斗真……?」

 「それ以外の者は、たとえ主と一緒にいたとしても……」



 ――え……?



 唐突に、仁内の目の前が真っ黒に染まった。

 急に視界が閉ざされ、彼は暗闇に落とされる。


 「なっなんだ、これ……!? おい、斗真!」


 何も見えない。

 どこをどう見回しても同じ黒の世界。

 心臓がバクバクと騒ぐ。

 いったい何が起こったのか。

 斗真は知っているような口ぶりだったから、きっと三日鷺の欠片と関係していることなのだろう。

 だが、いくら待っても返ってこない気配に、仁内はただ立ち尽くす。


 ――もしかして俺、嵌められたのか?


 すぐにその考えがよぎった。

 そうでないのなら、事前に何か伝えてくれていてもいい筈。

 なのに全くなかったということは、そういうことなのだろうか?

 朱飛に加担しようとしていたことがバレていたのか、そうでなくとも嵌めるつもりだったのか。

 仁内の思考がぐるぐると嫌な方向へ忙しなく動く。


 「……」


 するとその途端、なぜか彼は酷く無力感に襲われた。

 足が覚束なくなって、ふらついて尻餅をつく。

 何なんだ、これは。

 体の中心が軋んで痛い。


 「まさかショック受けてんのか、俺。あいつに見限られて」


 直接本人から信用していないと言われていた。

 仁内自身も分かっていた、だからこんな風に傷つく筈がないのに。


 「そうだ、灯乃のせいだ。俺があいつの三日鷺だから、だからあいつの感情が……」


 ――俺の中に入ってきて……俺は……俺は……



 ――俺は……?



 仁内の中で、一瞬何かが止まった。

 そして途端に分からなくなる。


 「俺は――何をしているんだ?」


 斗真と共に洞窟に入り、罠に嵌められた。

 状況は分かっている、分かっている筈なのに、何かが分からない。

 そういえば、いつからこんなに考えるようになった?


 仁内の中で何かが新たに動き出す。

 いつもは己が一人で騒いで、気の向くまま好き勝手にやっていた。

 そんな己を、周りはいつも白い目で見てきてて。

 でも今は、灯乃と出会って色んな出来事に振り回されて、色んなことを考えるようになった。

 それこそ自分自身のことよりもずっと。

 そういえば、誰かと真っ向から話したことなんて、久しぶりだったような気がする。

 春明となんて特に避けてさえいたかもしれない。

 山城の者達とは?


 “――味方の顔すら覚えないお前が、それを言うのか?”


 目下の者にいたっては、まともに名前も顔も覚えようとはしなかった。

 きちんと話を聞いていたかも、今となってはあやしい。

 だが灯乃や斗真、春明は身分に関係なく相手を見極めようときちんと向き合っていたように思う。


 「俺は……俺は……」


 仁内はハッとした。

 分かってしまったのだ、己の稚拙さに。

 そして己の本当の想いに。


 “似てるね、私と仁ちゃん”


 彼は、以前灯乃に言われたことを思い出すと、小さく苦笑いした。


 「やっぱ似てねぇよ、灯乃」


 彼は大きな後悔に襲われた。

 斗真の示す《信頼》の意味がようやく理解できたのだ。

 でももう遅い、もう見限られた。


 ――俺は斗真に、ただ己の存在を認めさせようとしていた。斗真が次期当主だったから。だから、あいつに認められれば他の奴らにも認められると思っていたんだ

 

 仁内は拳を握り締める。


 ――そんな訳ねぇのに。俺が周りを見ていないのに。斗真にだって、俺はあいつの肩書きだけしか見てなかった。そんな俺をあいつが認める訳なかったんだ


 ――信頼なんて、してくれる筈もなかったんだ


 彼はようやく気づいた。

 己が認めてもらう為には、己も相手のことを考え、向き合わなければならないことを。

 そして、そんなことも分からなかった幼稚な己を、斗真がしっかり見極めようとしてくれていたことがどういうことなのかを。


 「……気づくのが遅ぇよな、俺」

 「――まったくだ」

 「…………へ?」


 その時、急に斗真の声が聞こえて、仁内は驚くままにバッと目を覚ました。

 辺りが明るく広がり、ゴツゴツした岩だらけの天井が瞬時に視界に入る。

 彼は地面に倒れていたのだろう。

 すぐさま体を起こすと、仁内は斗真を探した。


 「え? 斗真? 俺、今まで何を?」

 「さっさと立て! 寝ぼけている場合じゃないぞ!」


 斗真にしては余裕のない口調で発せられ、それが仁内の耳に届く。

 すると次の瞬間、朱緒の魂がこちらに刃を向け、それを必死に斗真が抑えている姿が目に映った。

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