第90話

 斗真のその目に見つめられただけで、途端にトクトクと脈打ち、灯乃の鼓動は高鳴っていく。

 胸が締め付けられるくらいに切なくなって、溢れて、熱くて。

 この感じ、何処かで感じたことがあるだろうか――春明のあの目に見つめられたあの時……?


 ――いや、違う。この気持ちは、彼のとは違う。もっと温かくて、苦しいくらいに優しくて

 

 「斗真……」


 そんな時、斗真が灯乃の手に触れた。

 簡単に覆われてしまうほど大きな彼の手が熱い。

 まるで三日鷺の炎をあてられているかのようで、全身が火照ってボーっとする。

 反対に灯乃のそれは思った以上に冷たく、まるで雪を掴んでいるのではないかという程に色白くひんやりしていた。

 だからなのか、すぐにでも消えてしまいそうな気がして、斗真は逃がすまいと思わず握り締める。


 ――失いはしない。何とかしてみせる……だがその為には……


 やり切れない事実が再び思い知らせるように、彼の脳内をかき回す。

 灯乃を助けるのなら、代わりに星花の身体を三日鷺に差し出さなければならない。

 勿論、そんなことも斗真にはできない。


 ――どうすればいい? いい方法が思いつかない。けれど……


 斗真は灯乃から目が離せなかった。

 分かっているから。

 今一番、不安で怯えているのは、この少女だということを。

 

 「心配するな。せめて、俺の前でだけは我慢しなくていい」

 「……」

 「怖いんだろ?」


 すべて見透かされているのを知って、灯乃はつい気が緩んだ。

 握り締めてくれるその手が、温めてくれるその熱が、彼女の強がりを崩す。

 本当に必要としてくれていることを知り、そんな彼に手を差し伸べられれば、もう拒めない。

 縋ってしまう――縋りたい、斗真になら。

 

 灯乃はたくさんの涙の粒をこぼしながら、ついに斗真へ抱きついた。


 「……怖い、怖いよ斗真。いなくなるのは、嫌。嫌だよぉっ!」

 「大丈夫だ、灯乃。大丈夫だから」

 「消えたくないっ。助けて、斗真……っ」

 「ああ、必ず助けてやる。護ってやるから」


 泣きじゃくる灯乃を宥めるように、斗真の手がそっと彼女の頭を撫でた。

 とても優しく、労わるように。

 本当なら斗真自身も彼女を強く抱きしめたかった。

 それこそ気持ちが伝わるように、きつく。

 けれど、これ以上困惑させれば壊れてしまいそうで怖かった。

 腕の中で震えるこの少女を、すぐにでも安心させてやりたかったのだ。

 けれど、彼女に棲みつく恐怖そのものを払い除けてやりたいと斗真が思ったその時、ふと亜樹の顔がよぎった。


 ――三日鷺の同化を遅らせる方法


 「灯乃。本当ならお前のその怖さを、ただ消し去ってやればいいんだろうけどな」

 「……?」


 斗真は灯乃の耳に唇を近づけると、小さく苦笑した。

 亜樹から聞いた方法を思い出す。

 

 ――それは《命令》

 

 “主であるあなたが、紅蓮の三日鷺ではなく、灯乃ちゃんを必要とした命令を出すの。何でもいいわ、話し相手をさせるだけも構わない。ただし、その命令は必ずあなたの為だけの命令であること”

 “俺の為だけの?”

 “誰かの為の命令じゃ、彼女の意識は繋ぎ止めておけないわ。主の欲をもって灯乃ちゃんを必要としなければ。けれど、忘れないで。命令は僅かでも黒に近づくことを”


 斗真は亜樹とのやりとりを思い出すと、抱きしめる腕に変な力が入った。


 “特に紅蓮の三日鷺ではなく、灯乃ちゃんを繋ぎ止めておく命令は、他の命令とは違って強い毒になることを”


 己の欲望の為だけに、灯乃に命令する。

 本来ならそれは彼女を想う男として決して許されないところであったが、今はしたくて仕方がなかった。

 彼の唇が彼女を求めて動く。


 「灯乃、命令だ――何でもいい、お前が我慢できないほどの感情に襲われた時は、いつだろうと必ず俺のところに来い。他の奴のところへは、絶対行くな」


 灯乃を自身のもとに留めておくチャンスだと斗真は思った。

 命令するだけなら、恐怖をただ忘れさせる命令で済んだ。

 けれどそれは彼女の為であって、斗真の為にはならない。

 もし恐怖を感じなければ、きっと灯乃は斗真に頼りはしない、縋ろうとはしないからだ。


 ――俺を求めろ、俺の側にいろ


 それが斗真の欲。

 この命令で、たとえ灯乃に斗真ではない他に想い人がいたとしても、もう行けない。

 彼女が辛い時、苦しい時に、一番近くにいるのは、斗真ただ一人。


 「……御意」


 灯乃は斗真の胸に顔を埋めて、嬉しそうに小さく呟いた。

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