第83話

 仁内は、荒々しく足音を立てながら廊下を歩いていた。

 ……苛々する。

 これ以上あの場所に居たくなくて、怒りで暴れてしまいそうで、半ば逃げ出してきた気がしていた。

 彼の頭の中で繰り返されるのは先程聞いた残酷な話と、それとは裏腹に、優しい声音で語りかけてくる彼女のあの言葉。


 ――ありがとう、側にいてくれて。仁ちゃんを見てると、私も頑張らなきゃって思える。これって、仁ちゃんは私にとって、必要な人ってことだよね?


 「……なんでなんだよ」


 仁内は思わず近くの壁を殴り、煮えくり返る思いの苦しみをぶつける。


 「なんで俺を必要としてくれた奴はいつも……いつも……っ」


 まるで先が真っ暗になるようで何も見えなくなる。

 悔しい。

 必要だと言ってくれたのに、何もできないなんて。

 あの時も、2年前もそうだった――陽子がいなくなった、あの時。

 暫く彼女の姿を見ないと思っていた矢先の知らせだった。

 彼女が死んだことを朱飛の口から聞かされるまで、仁内は全く気づきもしなかったのだ。


 ――必要な人だと、言ってくれたのに。今まで出来損ないだと言われ続けてきた自分が、少しは誇らしく思えていたのに


 「またなのかよ……」


 あの時味わった喪失感と後悔、そして孤独が再び蘇る。

 暗闇の迷路に囚われ、彷徨い続けたあの日々。


 ――そういえば、いつからあの苦しみを忘れていた……?


 「仁」


 そんな時、すぐ目の前の部屋から亜樹が顔を出して声をかけてきた。

 気づけば仁内は、無意識に亜樹の部屋へとたどり着いていたのだ。

 目覚めたばかりなのか少し覚束ない足取りで、亜樹は襖に手を添えると、身体を支えるようにして立つ。

 すると中から、彼女の世話をしていたのだろう二人の使用人が亜樹を労わるようにしてパタパタと小走りで寄って来る。

 亜樹は席を外すよう目配せするとすぐに察したのか、使用人達は黙って亜樹と仁内に一礼して去っていった。

 その気配がなくなるのを確認すると、亜樹は仁内の様子を窺い、そして少し悲しげに目を細める。

 

 「色々と聞いたようね」

 「……ばばあ。随分勝手なこと、してくれたみてぇじゃねぇか」


 由々しき空気が間に流れ、仁内は拳を強く握り締める。


 「灯乃のこと、いつから知ってやがった? 相当前から知ってたんだろ? あいつはマジでもう……間に合わねぇのか?」

 「……」

 「何とか言えよ!」


 仁内は思い切り部屋の襖を蹴り飛ばした。

 途端に支えがなくなり亜樹はふらつくが、何とか自力で立て直し、仕方なくその場に腰を下ろす。


 「あの子が紅蓮の三日鷺に姿を変えた時点で、契約は済されたの。その後でいくら斗真さんがあの子を解放しようとしても出来ぬこと。三日鷺の器として同化が完了するのを待つか、三日鷺を増やして黒となり散るか。灯乃ちゃんにはどちらかしかないわ」


 そうなれば、いずれアンタも一緒に……亜樹はそう続けるが、仁内には聞く気もなかったのか、灯乃のことだけで頭に血が上ったような形相を浮かべ、奥歯を噛み締めた。

 もう手遅れ。灯乃はこのままどちらかの末路を進むしかない。

 どちらを選んだとしても――彼女は消える。


 「くそっ……」

 「――そうならない為に、あの子を逃がした筈だったのにね」

 「……え?」


 そんな時、ぽそっと亜樹が小さく呟き、仁内が顔をあげた。

 逃がした? その言葉に目を見張る。


 「何だよ……どういうことだよ、それ」

 「アンタの言う通り、私は、山城家は灯乃ちゃんをずっと前から知っていたわ。それこそ、あの子が生まれた時から」

 「…………は?」

 「だって灯乃ちゃんは――山城家の子だもの」


 *


 「――山城一族の子……!? 灯乃が……?」


 同じ頃、斗真と春明も主将の口からそれを聞き、大きく目を見開いた。


 「灯乃様は本来、前山城家当主の弟君の孫に当たられる方。つまり前山城家当主の孫に当たられる斗真様方とは、はとこの関係となります」

 「は、とこ……?」

 「灯乃ちゃんが、あたし達と……」


 何とも信じ難いという表情で茫然とする二人。

 無理もなかった。

 それだけ近い関係だったにも関わらず、十数年もその存在を知らなかったのだから。


 「なぜ、今まで秘密にしていたんだ? 灯乃は、唯朝と姓を名乗っている。どういうことなんだ?」

 「それは――」


 斗真の問いかけに主将が答えようとしたその時、部屋の中から布の擦れるような音がして、側にいた春明が一番にそれに気づいた。


 「灯乃ちゃん、起きたの?」

 「……ここは?」


 布団から上半身を起こして、灯乃はぼんやりとした様子で目覚めた。

 斗真もそれに気づき、逸早く彼女のもとに歩み寄る。


 「灯乃、大丈夫か?」

 「ん――主?」

 「……え……?」


 斗真の顔を見るなり、そう呟いた灯乃。

 無意識なのだろうが、そのたった一言に斗真はサーッと凍りつく。

 灯乃は彼のことを主とは呼ばない。

 主と呼ぶのは――紅蓮の三日鷺。


 「灯、乃……?」

 「え……斗真? あれ……私、どうして……?」

 「……」


 ざわざわと斗真に嫌な胸騒ぎがした。

 三日鷺と同化が進んでいるという証拠か?


 「灯……」

 「灯乃ちゃん」


 そんな時、動揺が顔に表れている斗真を見てなのか、声をかけようとする彼の言葉をかき消すように春明が上から灯乃の名を被せた。


 「目が覚めたなら、ちょっと外の空気吸いに行かない?」

 「え」

 「春明?」

 「あたしちょっと疲れたわ。斗真君の分も何か飲み物もらって来るから、話は後で聞かせて頂戴」

 「え、おい」

 

 斗真が止めようとする声を遮って、さあ行こうと春明が灯乃の腕を引き、されるがまま灯乃は引っ張り上げられ、共に部屋を出ていてく。

 灯乃が居たのでは斗真が平静を保てないと思ったのだろう。

 それにこれから聞く話は、灯乃にとっても決して穏やかではいられない。

 何らかの理由をつけて春明が彼女を連れ出すのが一番いいと、考えたのだった。

 実際、二人が去った後の斗真は少し気が紛れたようで、はぁとひと呼吸おく余裕ができた。


 「……俺はまたあいつに気を使わせてしまったか」

 「しかし春明様は、以前とは比べ物にならないくらい表情が柔らかくなられたのでは?」


 斗真が少し罰が悪そうにしていると、主将がどこか嬉しそうに笑みを浮かべる。


 「以前の春明様は、誰も近づけさせないような、そんな冷たい感じのお方だったと記憶にございます。だいぶお変わりになられたようで」

 「そうかもな」

 「今のあの方ならば、かつて灯乃様の許嫁だったとしても誰も反対はしないでしょう」

 「――え……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る