第84話

 「春明様、灯乃様。お待たせしました」

 「ありがとう」


 廊下を歩いていて出会した使用人に、春明は飲み物を頼み、窓を開けて庭の景色を眺めながら灯乃と待っていると、暫くしてそれが届いた。

 灯乃が休憩室の冷蔵庫にオレンジジュースが入っていたのを思い出し、それを頼んだからなのか、思っていたよりも早く現れ、春明は僅かに目を丸くする。


 「春明さん?」

 「何でもない。頂くわ」


 春明がグラスに手を伸ばすと注がれていたジュースが揺れ、中の氷がカランと音を立てた。

 刺してあったストローで吸い上げ飲めば、ふぅと一息もれ、力が抜けたように両肩が下がる。


 「悪くないわね。斗真君にも何か持って行ってあげて」


 彼のその言葉に使用人はホッとすると、安心したように頭を下げ去っていった。

 おそらく普段はこんな簡易的なものを出すようなことはしないのだろう。

 ましてや使用人たちが集まる部屋の冷蔵庫にあったものだ。

 来客は勿論、春明に出すなんてことは絶対にあり得ない。

 けれどそんなことなど知らない灯乃は、それを満足そうに飲んでいた。

 そんなゆったりとした様子の彼女を春明は眺める。


 「灯乃ちゃん、具合はどう? 何処か痛いとこはある?」

 「ううん、大丈夫。起きたばかりでボーっとしてるだけ」

 「そう……」


 特に異変は見当たらず、とりあえず警戒を緩める。

 先程、斗真を主と呼んだ灯乃を思い起こし、もしもの場合を考えもしていたが、どうやらその必要はないようだ、今は。

 

 「ねぇ、春明さん」


 するとそんな時、手元のグラスに目を落としながら、灯乃はそっと呟いた。


 「――雄二は?」

 「……」

 「雄二は大丈夫なの、かな?」


 ふと春明の顔色を伺うようにチラチラと瞳を動かしながら、恐る恐るといった様子で彼女は訊ねる。

 そういえば、別のことに意識が傾いていて、春明の中で雄二のことは頭から離れていた――忘れていた訳ではないが。

 そんなことを密かに春明は思っていると、灯乃が懸命に思考を働かせながら言葉を紡ぐ。


 「斗真が私に命令したのは覚えてるの。紅蓮の三日鷺を呼んだんでしょ? でもその後のことはよく分からなくて、何だか……雄二が何処か遠くにいっちゃうような夢をみた気がして」

 「……」


 どうやらあの時の三日鷺の記憶は灯乃の中にはないようだ。

 それで彼女が目覚めた瞬間の出来事が、夢なのか現実なのか分からなくなっているのだ。

 確かに他に訊ねたいことは山ほどあるだろうが、まずはそれが夢であってほしいと願っているのか、灯乃は祈るように目を瞑り、グラスを包む手に力を込めると春明の言葉を待った。

 しかしそんな彼女を見た春明は、途端に冷めていく気持ちと共に双眸をつり上げる。


 「雄二君は……いなくなったわ、朱飛と一緒に」

 「……っ!」

 「あたし達よりも朱飛の言葉を信じてしまったの。止めることができなかったわ」


 冷静に応える春明とは反対に、灯乃は悲しみに目を見開き、そして苦しそうに眉を歪ませ身体を縮こませるようにして俯いた。

 その様子に、ますます春明の眉間にしわが寄る。


 ――何故かしら、見ていて苛々する


 灯乃にとって、斗真や仁内よりも雄二が一番の特別なのだろうか?

 いや、違う。

 雄二でなくこれが斗真達であっても、灯乃は間違いなく同じ反応をしていただろう。

 彼女にとっては皆が大切なのだ、平等に。


 ――まるでおつむの中がお花畑。皆、仲良しこよしってこと?



 ――ふざけた糞思考

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