第56話
「おや、灯乃殿?」
灯乃が朱飛について廊下を歩いていると、前から見知った顔が現れ、彼女達は足を止めた。
それは何人かの使用人と共にいた道薛で、気を引き締めた様子ながらも、優しく灯乃に話し掛ける。
「道薛さん。ここで何を?」
「私は邸内の警備中です」
「警備中?」
「道薛殿は、私の班とは交代となる班のリーダーとして邸宅の警備も任されているのです」
朱飛は道薛の言葉に付け足すように、そっと灯乃に告げた。
確かに、斗真の側近がただの下働きに徹している筈はない。
皆頑張ってるんだなぁと、灯乃はつくづく思いながら、そういえばとふと道薛を見上げた。
「道薛さんって、さっきも思ったんですけど、バンダナするようになったんですね?」
「!!?!」
キョトンとした表情で何の悪気もなく訊ねてくる灯乃に、道薛は全身を固まらせた。
そういえば、昨日から彼の様子がおかしかったような気がすると、彼女は今になって思い起こす。
灯乃は、彼の髪に起こった悲劇を知らないのだ。
勿論バンダナは、その悲劇を隠すため。
道薛は流しそうになる涙を堪えながらも、必死で笑顔を作った。
「いやぁ……何となく、ですかね。似合いませんか?」
「似合いますよ、とても。でも、あんまりしてるとハゲちゃいますよ?」
「!!!!!?!」
あくまで良かれと思って灯乃は言ったのだが、道薛には当然大打撃であり、絶句する他なかった。
内情を密かに掴んでいた朱飛は、憐れみの目で見る。
「それはそうと道薛殿、そろそろ交代の時間です。準備の方は終えておられるのですか?」
「あぁ、いつでも構わぬよ」
「準備?」
朱飛の放った言葉に灯乃は首を傾げると、道薛がそれに答える。
「私はこれから班の幾人かを連れて、情報収集へ向かうのです。朱飛殿は、若のお側を離れることができませんので」
「あ……そっか」
灯乃はそれを聞いて少し俯いた。
自身の命令が朱飛を縛り付けているのだ。
すぐにでもそれは解除できるが、斗真に確認もなしですることはできないし、許可されるとも思えなかった。
それを朱飛は勿論、道薛も理解しているのか、わざわざ灯乃に解除を申し出はしない。
「道薛さん、気をつけて」
「御意に」
せめて労りの言葉だけでも灯乃はかけると、道薛は静かに頭を下げ、数人と共に去っていった。
「凄いなぁ、皆」
「何を他人事みたいに。あなたも働くのでしょ?」
「もっ勿論!」
朱飛の呆れ返った口調に、灯乃は慌てて気を引き締め直すと、歩き出した彼女についていく。
少し足早で、忙しいと言わんばかりに朱飛は、灯乃に強めの声で言った。
「特にあなたには覚えて頂くことが多いのですから、しっかりついてきて頂かないと」
「え? 覚えるって?」
「まずは使用人全員の顔と名前、そしてその一人一人の仕事内容と作業時間、警備に至っては各時間のメンバーとその配置全てです」
「…………え。なんで?」
*
その頃。春明を乗せた車は、何とか部活を終えた雄二達と合流し、無事に邸宅へとまっすぐ帰っていた。
「春明さん、無理しなくて良かったのに」
「いいの。気にしないで」
雄二は春明の足を気遣い、共に後部座席に並んで座っている。
一方で仁内は、主将に組み手の相手を散々させられたせいか、助手席で気絶したようにぐったりとしていた。
この様子じゃ騒ぐこともないだろう。
ようやく落ち着けそうだと、雄二は肩の力を抜こうとしたが、ふとした春明の問いかけにそれが叶わなくなる。
「あの子達のことは何とかなったの?」
「うっ」
灯乃を虐めていた6人の女子達のこと。
その後始末を自ら名乗り出て仁内と残った雄二だったが、果たしてきちんと対処できたのか、春明は気になっていたのだ。
しかし、そんな彼から雄二は、何故か気まずそうに顔をそらすと、そのまま外の景色を眺める。
「あ、あぁ……まあな。多分もう大丈夫だ」
「?」
あまりに頼りなさそうに答える雄二。
本当に対処できたのか疑ってしまうが、それでも春明は追求しなかった。
そもそも虐めの始末など簡単につけられるものではないし、仮にそれができたとしても、その手段といえば手荒いものがほとんどである。
どんな手を使ったかは知らないが、雄二が大丈夫と言うならそれでいいと、春明は思った。
「……それであなたは?」
「え?」
そんな時、春明がふと話を切り替える。
「大丈夫なの? 落ち込んでない?」
その優しい言葉に、雄二はつい彼の方を向くと、まるで全て見透かされていたかのような目で見つめられていたことに気づく。
「……春明さんには、敵わねぇな」
「あの時、朱飛が震えていたの。あたし達はすぐに灯乃ちゃんに影響してるんだって気づいたわ。でも……雄二君はそうじゃなかったのね?」
朱飛の震えがあまりに長く止まらなかったことを思い出し、春明は静かに話した。
図星を突かれ、雄二は顔を歪めて俯くと、そっと三日鷺の欠片を握る。
「……もう同じヘマはしないつもりだったんだけどな。部活中は外してんだ、これ」
その言葉に春明はまさかと驚くが、彼の悲痛を受ける様子を見ると問い詰める気にもなれず、どうしようもなかったことなのだと察した。
「そう……それで合点がいったわ。灯乃ちゃんが三日鷺で刺された時や初めて紅蓮の三日鷺になった時、あなたが何故現れなかったのか」
「俺、大会前でみっちりメニュー組まれててさ。終わった後も疲れてそのまま付けずに寝ちまうことも多かったんだ。……灯乃が大変な目にあってるなんて、知りもしないで」
雄二は、灯乃が三日鷺にされた時のことをずっと悔やみ続けていた。
彼女が大変な時に限って、それに気づかない。
そしてそれが気づく術を持っていながらにしてだということにも。
それほどまでに灯乃のことで苦悩している雄二を見て、春明はそっと呟いた。
「ねぇ、そんなに大会って大事?」
「え?」
「灯乃ちゃんのことそんなに心配してるのに、あの子を危険な目にあわせた今でもまだ出場したい?」
彼の目が雄二のそれとかち合う。
春明からすれば当然の疑問だった。
灯乃の身を人一倍案じている彼が、何故そこまでして出場したいのか。
すると雄二は、少し言いにくそうに困惑しながらも、おずおずと答えた。
「……実は俺、最初から大会なんてどうでも良かったりするんだ」
「……え? えぇっ!?」
その爆弾発言に、さすがの春明も衝撃を受けた。
口があんぐりと開き、塞がらない。
「灯乃が危険になるなら、別に学校だって通えなくても良かったし」
「じゃあ、どうして……?」
春明はかろうじてパクパクと口を動かし訊ねた。
確かに大会に出場させたいと言ってきたのは灯乃であって、雄二の口から本心を聞いた訳ではない。
しかしそれならそうと、話し合いの場で言って欲しかったと思う。
もしかして周りに流され、言い出せなかったというのだろうか。
しかしそうではないことを、春明はすぐに知る。
雄二の様子が少し変わり、遠くを見るような視線を窓の外に向けた。
「灯乃が、きっと落ち込むから。俺が大会に出れなくなったら、自分のせいだって絶対自分を責めるから。だからあいつが危険を承知で行こうって言うなら、俺もそうしようと思ったんだ」
「雄二君……」
「俺飽きっぽくてさ、何やってもなかなか続かなかったんだ。そんな中で空手は唯一長く続いてて、灯乃もそれを知ってるからさ。あいつ、俺が傷ついて帰って来る度泣きそうな顔しやがるのに、いつも頑張れって凄ぇ応援してくれるんだ。そんなあいつ見てたら、何かやる気出てきて辞められねぇんだよ」
雄二は窓の向こうに灯乃の姿を思い描いているのか、気恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに頰を緩ませた。
春明は思う。
――あの子の居場所、ちゃんとあるじゃない
「ありがとな、春明さん」
「……え?」
そんな時、ふと雄二の声が春明に届いた。
とても穏やかで、温かい声。
「話聞いてくれて、何かスッキリした。春明さんが来てくれて良かったよ」
「!……そう。どういたしまして」
にっこりと朗らかに笑う雄二に、春明は頰をピンク色に染めて微笑み返した。
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