第30話

 「――お母、さん……?」


 灯乃は火事の方向と身体の感覚で、発せられている危険信号がトキ子のものだと直感した。

 ゆっくりと門の方へ歩いていったかと思うと、突然彼女は走り出す。


 「待て、灯乃!」

 「お母さん! あそこにお母さんがいるの! 助けに行かなきゃ!」


 灯乃は斗真の言葉も聞かず、飛び出していこうとした。

 しかし直前で足が言うことをきかず、ピタリと止まる。

 斗真が許可していないのだ、命令が彼女を外へは出さない。


 「くっ、なんでよ! なんで動かないの! 早く行かなきゃお母さんが!」

 「落ち着け、灯乃。まだそうと決まった訳じゃない」

 「絶対そうよ! 間違いないわ! 斗真、私を行かせてお願い!」

 「駄目だ! 外に出れば奴らに見つかる。あの火事だ、すぐに消防隊が駆けつける。野次馬だっているだろう。そんな所へ出て行って、関係のない人たちをお前は巻き込むのか?」

 「でも!」


 灯乃と斗真がもめていると、そこへ火事の爆音を聞きつけた仁内と道薛も出てくる。


 「何の騒ぎだ!?」

 「火事、ですか?」

 「灯乃の家が燃えているようなんだ」

 「え!?」


 斗真の言葉と灯乃の動揺を見て、二人とも理解する。

 しかしだからといってどうすることも出来ず、ただ唖然と火事の光を見ていると、灯乃が力尽きたのかヘタッと両手を地についた。

 見かねた斗真が近付き、彼女の肩に手を乗せる。


 「三日鷺の命令は絶対だ。標的がいれば、たとえ人目についたとしても容赦なく襲いかかる。そのせいで周りが巻き込まれ、お前の母親の救助が遅れたらどうするんだ? それこそ助けられない」

 「そうだけど……」

 「道薛」


 灯乃を優しく宥めると、斗真は道薛を呼ぶ。


 「命令されていた内容は分かるか?」

 「はい。三日鷺の回収と、若と春明様、仁内様、そして灯乃殿の捕獲。そして邪魔する者がいるなら、その者の排除も命じられていました」

 「なら、お前は動けるな。頼む、行ってくれ」

 「勿論、御意に」


 道薛ははっきりそう言うと、灯乃にニコッとして素早く出て行った。

 その笑みで灯乃は少し落ち着きを取り戻すが、心配する気持ちは消えず、ただトキ子の無事を祈る。

 悔しいけれど斗真の言う通り、関係のない人たちを巻き込む訳にはいかない。


 「お願い、お母さん。無事でいて……」


 そんな願いを必死に込める彼女の横顔を、斗真は傍で見ながら密かに拳を握り締めていた。


 ――何かしてやりたいのに、偵察を向かわせることしか出来ない。

 いつも他人のことばかり考えている彼女だから、助けてあげたい


 ――灯乃の力になってやりたい


 それなのに……。

 そんな切ない気持ちが彼の中で流れ始めていた。

 するとその時、ふと仁内の姿が目に入り斗真はハッとする。


 ――彼に、唯朝 陽子の話をさせなければ


 斗真はそう思ったが、今の灯乃の様子を見て思い止まり、口には出せなかった。

 果たして今の不安定な状態で、聞かせて良いのだろうか。

 彼女の心情を気にして斗真が何も出来ずにいると、そこへ仁内が近づいてくる。

 彼自らが切り出すのだろうか?

 しかし、その時。


 「あれは……!」


 仁内の目が門の外を見ていて、小さく呟いた。

 斗真と灯乃もその声にそちらへ顔を向けると、そこには一匹の白い大型犬がこちらをじっと見ている。


 「あの犬、確か陽子の……」

 「え?」


 仁内が真っ白の犬を凝視しながらゆっくり近寄っていくと、その犬も静かに彼の方へ向かってやって来た。

 そして目の前まで来ると、その犬は大人しく座り、顎をあげて首元を見せる。

 するとそこには、雄二が持っていたのと同じくチェーンに付けられた三日鷺の欠片が光り輝いていた。


 「どうしてこれが……!?」


 雄二が落としてしまったのだろうか?

 一瞬そんなことを考えたが、どうも彼が持っていたものとは大きさも形も違う。

 また別の欠片だと知って、仁内はそれを犬の首から外し取った。

 すると犬はスッと立ち上がり、やって来た方へと引き返していく。


 「あっおい」


 ――どうしてこの犬が三日鷺の欠片を持ってここに……?


 仁内が引き止めようとするが、結局姿を消し見えなくなった。

 あの犬はよく覚えている。

 仁内が陽子に出会う時、いつも彼女の側にくっついていた犬だ。


 「おい灯乃。あの犬、間違いねぇよな?」


 仁内が灯乃に訊ねた。

 しかし彼女は何を訊かれているのか分からず、首を傾げる。


 「え? 何のこと?」

 「はぁ!? 陽子がいつも連れてた犬だろ、お前んちで飼ってた犬とかじゃねぇのかよ?」

 「うちでは、犬なんて飼ってないよ」

 「え……けど、いつもあいつが……」


 灯乃の返答に仁内が戸惑っていると、斗真が真剣な表情で彼へ近づく。


 「彼女はいつもあの犬を連れていたんだな?」

 「あぁ、あの犬だ。間違いねぇ」

 「それじゃ唯朝 陽子は、三日鷺の欠片を少なくとも二つは所持していたかもしれない。ということだな?」

 「……!」


 斗真の問いかけに、二人はハッとした。

 陽子は三日鷺の欠片を幾つか持っていた。

 もしかして彼女の事故死の原因は、それに関わりがあるのではないだろうか。


 「お姉ちゃんが、なんで……?」


 灯乃は驚きで目を見開き、硬直する。

 確かに、大人っぽくて賢く面倒見の良い姉が、道路に突然飛び出して亡くなってしまうなんて、何か理由があると思っていた。

 しかしそれがまさか三日鷺と繋がるなんて。

 ただでさえ母のことで頭がいっぱいなのに、更に姉のことまで乗り掛かり、灯乃は頭痛を覚えた。

 仁内はそんな彼女に気づきながらも、三日鷺の欠片を握り締め、側に寄る。


 「……お前。陽子のこと、聞きてぇか?」

 「えっ」

 「俺が知ってることなんて大してねぇけど、もしかしたら何か分かるかもしれねぇし」


 灯乃の心配をしているのか、仁内が多少気を遣いながら訊ねると、灯乃は眉をつり上げ、はっきりと頷いた。

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