第20話

 床の間に灯乃の母親を寝かせ、斗真は灯乃を見た。

 彼女は刀を収め、元の姿で俯いたまま、口を閉ざしている。雄二に三日鷺の姿をさらしたことで更に隠し通す事が困難になってしまったのだ、仕方がない。


 「私、どうしたらいいのかな……」

 「三日鷺の存在を知られる訳にはいかない。あの男にも、お前の母親にも」


 斗真の言葉に、彼女は母を見る。

 ずっと陽子と呼び、灯乃として見てくれなかった人。


 「私ね、お姉ちゃんがいたの。事故で死んじゃったけど」

 「……そうか」

 「うん……お姉ちゃんは何でも出来て凄い人だったから、私がお姉ちゃんの代わりになろうって思っても全然で。でもお母さんは、それでも陽子って呼んでくれるの。お姉ちゃんの名前で、呼んでくれるの」


 彼女は眠る母親の顔を眺めながら、寂しそうに笑った。

 灯乃にとって姉の名前で呼ばれることは嬉しいことだったのか、それとも悲しいことだったのか。

 どちらにしろ今にも崩れてしまいそうな彼女を見て、斗真はこのままではいけないとどこかでそんなことを思った。


 ――お互い、姉には苦労するな……


 「灯乃は、どこにいるんだ?」

 「え?」

 「今のお前は、陽子なのか? 俺がお前の名前を訊ねた時、はっきり唯朝 灯乃と聞いたんだが?」

 「それは……」

 「灯乃」


 斗真は彼女に近づくと、軽くポンと頭に手を置いた。


 「中途半端なんだよ、お前は。ただ背伸びしたって代わりになれる訳じゃない」

 「斗真……」

 「やるなら、徹底的に陽子を名乗れ。それが出来ないなら、代わりになんてなってやるな。灯乃は灯乃で何が悪い」


 斗真ははっきりとそう言うと、まっすぐ彼女の眼を見る。

 灯乃は灯乃、それが当たり前だと思ってくれる。その言葉が嬉しくて灯乃はつい涙を溢れさせ、本音を吐き出した。


 「だって怖いんだもん。お母さんに、いらないって言われるのが……怖いんだもん」

 「お前は、頑張り屋の良い子だ。いらないなんて言われないさ」

 「でも……」

 「それとも――俺と来るか?」

 「え……?」


 灯乃が顔を上げると、真剣な眼をした斗真がいた。

 彼女を放っておけない、何かしてあげたいと、心の何処かが温かくなるのを感じながら、斗真は言う。


 「今の俺には力が必要だ。もしお前が母を恐れてお前でいられなくなるというなら、俺を選べ」

 「……斗、真?」


 何を言ってるんだろう、斗真は思った。

 あんなに誰も巻き込みたくないと思っていたのに。

 あんなに関わることを拒んでいたのに。

 灯乃の涙を見ると、気持ちが、想いが、理性を撥ね除け先走る。

 止まらない。


 「俺と来るなら、その三日鷺で母親を斬れ。お前の存在を忘れさせる為に」

 「……!」


 斗真の言葉を聞いて灯乃はハッとした。

 確かにその方法なら、三日鷺のことを話す必要もない上に、心配させることもなくなる。

 しかしそれは、母親との別れ――逃げるということ。


 ――逃げていいの? 私は……


 灯乃は三日鷺を握り締める。これで母を斬れば、この場を丸く収めることが出来る。

 けれど……

 彼女は斗真を見る。


 ――彼が求めているのは、紅蓮の三日鷺……私じゃない


 私の居場所は、何処にもないのかもしれない。

 なら、せめて……


 灯乃は、三日鷺を抜いた。炎を纏い、紅蓮の三日鷺として刀を母親に向ける。


 ――誰にも迷惑かけたくないから


 「ごめんね、お母さん」


 灯乃は三日鷺を振るい、母を斬った。焔の中から“トキ子”という彼女の名前が浮かび上がる。


 「紅蓮の三日鷺の名において命ずる。トキ子――これより貴女の娘は死んだ陽子だけとし、唯朝 灯乃の存在は全て忘れよ。そして、どうか……もう苦しまないで」


 灯乃は母親に背を向けた。


 「……御、意……」


 混濁する母の意識が、静かにそう応えた。



 「……唯朝 陽子の妹、か」


 近くの影でまたも盗み聞きのように聞いていた仁内が、ぐったりする朱飛の隣でボソリと呟いた。

 陽子を知っているのか、厄介と言わんばかりに頭をかく。


 「おい朱飛、知ってたのか?」

 「……いいえ、彼女の家で写真を見るまでは」

 「はぁ……死んでも鬱陶しい奴だぜ」


 仁内は大きく溜息を吐き、空を見上げた。もう薄暗く、茜色が周りを穏やかに照らしている。

 するとそこへ春明が戻ってきて二人を通り過ぎると、斗真達のいる床の間にやってきた。


 「斗真くん、外へ来てくれないかしら」


 ――雄二くんと、話をしてほしいの

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