第4話 海の魔女
身につけていた服を全て脱いで、海に入る。サラと一緒に泳ぐのは、すごく楽しい。
露わになった身体が少し恥ずかしいけれど、サラしか見ていないのだし、いいかなと思う。あとのことはどうにでもなれ。
すっかり秋らしくなった夜の海は、思っていたよりも冷たい。思わず身を震わせると、サラが私の肩に触れてくる。
「ローラ、大丈夫? わたしから離れないでね」
「うん、ありがとう」
サラと手をつないで泳ぐ。
不思議と、もう寒さは感じなくなっていた。そもそも、私はこんなに泳げたっけ?と疑問に思うほど、疲れも感じない。呼吸も苦しくない。
よくわからないけれど、それはサラに触れているから、ということらしかった。
昔話によれば、かつて、人魚の女たちは、船乗りの人間の男たちを誘惑して、海底へ連れ帰っていたという。
そのときに暴れられたら大変なので、人魚に触れた人間は、一時的に、人魚のように泳ぐことができるようになっているということだった。
「……それって、もしかして私も、誘惑されてるってことになるんじゃ……」
「ん、まぁ、間違ってないよね。……いや、誘惑したのは、ローラのほうでしょ」
「そうだったっけ」
そんなことを言い合って笑う。
さて、でも、昔の人魚姫たちは、人間の男なんか連れ帰って、一体どうしていたんだろう。そんなことを疑問に思うけど。そのへんのことは、サラもよく知らないらしい。
「さて、この辺かな。潜るよ」
サラはそう言うと、返事も聞かずに、急に深く潜り始めた。目の前にブクブクしていた泡がやがて小さくなり、視界がひらけると、そこには、珊瑚礁に覆われた美しいお城があった。
「すごい……綺麗」
サラの言ったとおり、全然苦しくないし、息をして、話すこともできた。
「ここが、わたしの家。それから……あっちに、魔女の住処がある。家を案内したいところだけど、時間がないから、すぐ行くよ」
「うん」
サラは私の手を引いて、魔女の住処を目指して、すごいスピードで進む。途中で、なんとなく怖い見た目のお魚たちもいたけど、サラが進むと、みんな、さっと道を開けてくれた。
やっぱり、サラは人魚姫なんだな、と思う。
この海の底の、美しい世界のトップに立つ存在なのかもしれない。そんなことを思いながら、手をつないで泳いでいく。少しずつ水温が冷たくなってきたな、と思っていると、どこからともなく、低いしわがれた声が聞こえてきた。
「ほお。人間の娘が、なんか用かい」
目の前に現れたのは、老婆だった。彼女も当然のように人魚だ。ただサラと違って、全体的に暗い色のうろこのある尻尾は、二股に分かれている。
「あの、魔女さん、ですか?」
「いかにも。儂はこの海で最も恐ろしい魔女、リリスさ……」
そう言って老婆が笑う。全身が凍ってしまいそうな恐怖を感じた。
だけど、負けずに言う。
「私は、ローラといいます。お願いがあってここまで来ました」
「そうかい。おやおや、サラ姫も一緒かい。いいのかな、一国の王女がこんなところまで来て」
「リリス、他の皆には黙っていて」
笑う魔女に、サラはきっとした表情でそう言う。
「いいとも。話してみなさい」
私とサラは、代わる代わる、魔女に事情を話した。私が隣国の王子様と結婚させられそうになっていること。そして、私たちが密かに愛し合っていて、一緒の世界で暮らしたいと願っていることを。
「なるほど。それはずいぶんと、わがままなお嬢さんたちだこと。……いいだろう。ローラ、お前を人魚の仲間にしてやろう。ただし条件がある」
「条件? 声を取ったりするのはやめてよ」
私より先に、サラが反応する。
「サラ姫どのは、よほどお前のことを気に入っているんだねえ。……安心しろ。取るのはお前の声じゃない。王子の魂だ」
「えっ」
魂、なんて言葉を聞いて、驚きと疑問が同時に押し寄せてくる。
「魂ってことは、王子を殺すってことですか……?」
「そうさ。どうせ隣国の王子など、もうお前らには関係のない相手だろう? ならば、王子を屠り、その魂を儂に寄越せ。それができるなら、ローラを人魚にしてやろう」
息が一瞬、止まった。まさか王子を殺せと言われるだなんて、思っていなかった。いくら私がサラと一緒にいたいといっても、無関係な人を、殺めるだなんて、できるはずがない。
「やるかやらないかは、お前さん次第だよ。とは言え、もう後戻りなんて、できないと思うがね」
それは魔女の言うとおりだった。サラの能力で、私が呼吸を続けられる時間は、あと30分もなかった。私はこの場で人魚にしてもらえなければ、溺れて死ぬのだ。
「わかりました。やります。私が王子を、殺します」
サラの心配そうな視線を感じたが、私はひるまずにそう答えた。
「いいだろう。契約、成立だ」
言うが早いか、魔女は手に持っていた大きな杖を振る。
私の足に向けられたその杖からは、金色の光が発せられ、私の身体は大量の泡に包み込まれる。
泡がなくなり、視界が開けたとたん、私は、自分の足が魚の尻尾に変わっていることに気づいたのだった。
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