第2話 密会
それから、ローラとわたしは、人目を盗んで、浜辺で会うようになっていった。人気のない、深夜0時の砂浜が、ローラとの待ち合わせ場所だった。
ローラは砂浜からすぐそばにある、大きなお城に住んでいる。つまりは王女様だった。
お城が消灯された後、ローラが自室からランプを三回点滅させたら、それが会おうという合図だ。わたしは時間になると毎日のように水上に顔を出して、ローラからの合図を待った。
「お待たせ」
「遅ーい」
夜の砂浜に、裸足のローラが駆けてくる。白いワンピースの裾をひらひらとさせながら。
「仕方ないじゃない。ばあやがなかなか離してくれないんだもの。明日は舞踏会があるからって、ずーっとお話ばっかりして」
「舞踏会ってなに?」
「みんなで音楽に合わせて踊るのよ。こんなふうに!」
ローラは私の手を取る。ぐっと引っ張られたせいで、わたしのいる水面に模様ができる。また水に入って来ようとしたから急いで止めた。
「こんな夜中に、またずぶ濡れになるつもり? あなたって人は」
「ごめんごめん」
ローラは無邪気に笑う。ふわふわの金髪が風に揺れる。触りたくなってしまったけど、わたしが触れたらまた濡れてしまうな、と思ってやめておいた。
「……ねえ、サラ。海の世界ってどんな感じ? 私、サラのおうちに行ってみたいな」
「むりむり。ローラの泳ぎじゃ到底たどり着けないよ。ここよりもずっと深くて遠いところにあるんだ」
「ふーん」
ローラは面白くない、というような顔をする。
「わたしはサラの家に行ってみたいけどな。ここからじゃよく見えないし。その舞踏会ってやつも楽しそうだし」
「舞踏会、ねぇ」
ローラは遠くを見つめるようにして、ふぅ、と小さくため息をついた。
「ねぇ、サラって、恋をしたことはある?」
「恋?」
「サラ、恋って何かも知らないの?」
「……失礼な。わたしだって恋くらい知ってるよ。たくさん本で読んだもの」
人間の国の本でも、海の世界で伝わるお話でも。恋の話は古今東西、みんな似たようなものだ。
なかでも印象的なお話がある。はるか遠い昔の、おとぎ話だけど。
昔々、人魚の国のお姫様が、人間の王子様に恋をして、その想いを叶えるために、彼女は魔女の力を借りて人間になったというお話。
だけど結局、彼女は王子様に振り向いてもらえずに魔法のタイムリミットを迎えて、泡になって消えてしまったのだそうだ。
なんで泡になんかならなきゃいけないんだと、幼い頃のわたしはよく憤ったものだった。誰かが誰かを好きになっただけで、種族が違うというだけで、こんな目に遭わないといけないなんて、理不尽だと思ったのだ。
わたしは、そんなふうには絶対なりたくない。だから、恋なんて絶対したくないと思っていた。特に人間なんかには、絶対に。
「恋なんて、ろくなもんじゃないよ、きっと」
わたしはローラに言う。
「そう? 私はそうは思わないけど」
「ローラ、誰かに恋してるの?」
「そうなれたらいいんだけどね」
ふふふ、とローラは笑った。薔薇色の唇からそよ風が吹く。揺れる髪を見ていると心がざわざわする。不思議な感覚だった。
「別に……そんなの、無理にする必要ないと思うけど。好きな人ができちゃったなら、そりゃ、仕方ないかもしれないけどさ」
「うん……でも、そうも言ってられないんだ」
寂しそうに、諦めたように笑う。そんな顔されたら、こっちまで、胸の奥がきゅっとなる。
「どういうこと?」
「私、もうすぐ結婚しないといけないんだって」
「え……?」
「明日の舞踏会は、その顔合わせなの。私、隣の国の王子様のところへ行って、結婚するの」
「ローラは、その王子様のことが好きなの?」
「……まさか。だって、会ったこともないのよ? だけど……仕方ないんだ。小さな頃から、決まっていたことらしいから」
「そんな……そんなの、嫌じゃないの?」
「うん、嫌だよ……でも、どうせ変えられないことなら、少しでも好きになれるようにがんばりたいなって」
そう言って力なく笑う。どこからどうみても、辛そうにしか思えない。けれど所詮、住む世界の違う、人魚の私にできることなど何もないのだ。
私は、黙ってローラの髪を撫でる。すると突然、ローラは泣き崩れた。堰を切ったように、あとからあとから、涙と共に同じ言葉を呟く。
「サラ……嫌だよ……私、ずっとサラと一緒にいたいよ……結婚なんかしたくないよ……」
言いながら、わたしのうろこに手を伸ばす。すーっと尻尾をなぞられる。くすぐったい。
「……ローラ?」
「ねぇ、私も、おとぎ話みたいに、魔女に会えないかな? 人魚が人間になれるなら、人間が人魚になることもできないかな……?」
そんなことを言い出す。
「そしたら私、サラと一緒に海の底で暮らしたい。ずっと一緒にいたいの……駄目?」
「ローラ……」
「大好きだよ、サラ……。私、誰よりもサラが好き。人魚と人間でこんなこと、変かもしれないけど……この気持ち、迷惑……?」
そんなはずなかった。わたしだって、本当は誰よりローラのことを求めていた。それはもう、取り返しの付かないくらいに。
「……おとぎ話みたいに、うまくは行かないかもしれないよ?」
だけど、やるしかない。
ローラは黙って頷く。わたしも何も言わずに、彼女を見つめる。
「……ね、もう一回して? ……あのときみたいに」
その声の響きが、胸を熱くさせる。だから、もう一度、わたしは、彼女の唇に口づける。初めはそっと触れるだけ。次は、もっと深く、丁寧に。
「……海の味がする」
照れたように笑うローラを、誰よりも愛しいと思った。
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