みずから書き、みずから滅びるってこと。(Reprise)

中田満帆

みずから書き、みずから滅びるってこと。(Reprise)


 万人の共通コードは好悪の感情のみである。好きだ、嫌いだ以上に説得力を持った言葉を私は知らない。とにかくものを伝える以前に不要なコードが多すぎる(1988、「ロッキング・オン」岩見吉朗)



茹で蛙の梅肉ソース和え


 懐かしい映画をいくつか観た、「ゼイリヴ」とか「スペース・ヴァンパイア」とか「ロボコップ」だ。そしてわたしはイレイザー七〇四の要望で、あたらしくできた、宇宙食のディスカウント専門店へいった。かの女はそういった喰いものが好きだったし、わたしもおなじだった。どういうわけか、スクラップ寸前のかの女と出会ってもう数年になる。かの女は働かない、かつては殺し屋だった。わたしも働いていない、かつては詩人だった。種族はちがっても無職同志の冷たい友情が芽生えた。毎晩かの女の昔話を聞いてやるのがわたしの日課となっている。わたしは店の棚を端っこから見てった。冷凍粉砕の飛蝗、ブリーズドライの茹で蛙を買った。あとはハラル食品店で、海老のペーストや、細胞分岐なしのレトルト・マトンやなんかを買った。もちろん梅肉ソースも。いつも通り、大安亭市場で。わたしは最近ずっと自伝的長篇を考えていた。でもなかなか体験と自己を引っ剥がすのは楽じゃない。行為と記述の乖離に呻いてしまう。短篇集と並行しながら、作業中だ。まずは独白の初稿を書き、次に場所と行為の第2稿を、3つめになにがあるか、という具合だ。きょうはとりあえず、「茹で蛙の梅肉ソース和え」のレシピを以下に紹介するから、みんな美味くつくってくれよな!



 どうしてこんなありさまになってるんだ、とおもうときがある。わたしは32歳。7月で33になってしまう。織田作の死んだ齢(よわ)いだ。齢を重ねるということについて、すでにうんざりしているし、けっきょく現象の増減と反復でしかないのではと考える。もちろんその反面、なにもかもよくなっているという実感も、確かにある。作品が金に変わり、ひとがわたしを正直に見えくれるようになった。これはいままでの人生ではなかったことだ。いつでも誤解と疎外と偏見が蔓り、身うごきさえとれなかったのだから。

 出版局をようやく本物にできた。3年もかかってだ。フリーマガジンだってそうだ、おなじぐらいかかっている。ひとを集めるにはなによりも、ひとに好かれなければならなかった。わたしを囲む問題だってそうだ。それがなんなのかを識るのに時間がかかった。否、かかり過ぎてしまった。わたし自身の精神障碍に26年、薬物療法を断ち切るのに5年、愛着障碍であると理解し、安定を迎えるまでに32年がかかった。躰のことだってそうだ。7歳での台車事故によって、後年は成長するごとに腰、首、頭、胸の痛みに苦しめられ、満足に治療も受けられず、ひどい生活を送った。それが癒えるまでやはり、それなりの年月がかかった。

 いちばん厄介なのは対人関係、対話能力の問題で、わたしは言語の発達が遅く、話したいことが話せず、誤解や嘲笑の的だった。理解できない化けものだった。わたしにできるのは絵を描くこと、森林を歩くことだけだった。幼少時代の友人などひとりもない。親しいひとはだれない。かれらかの女らはわたしをあくまで下位の存在として許容できはしたが、わたしの知性も感情も赦さなかった。ふた親とも関係はない。姉や妹たちもいたが、いまではどこに棲んでいるかもわからない。まさしくわたしは鼻つまみものだった。父からの打擲と過干渉から、母の無関心から遁れ、物理的な居場所を手に入れるのに27年もかかった。

 わたしは29のとき、赤十字病院に入院していた。6月。馴染みの急性膵炎でだ。古本で買った恋愛ものを読んでいるとき、好きだった女たちに逢いたいとおもった。3人のなまえを懐(おも)いだしたが、そのうち2人とは連絡のしようがなかった。わたしは初恋であるひとになんとしてでも再会したかった。高校入学直後、駅ビルでかの女から話しかけられたことがおもいだされた。そのとき、かの女がわたしに暴力をふるっていた男とならんで歩いていたのも。

 ほったらかしにしていたSNSのアカウントを更新して、手当たり次第に小学校時代の連中に承認を乞うた。かの女と共通の友人がいなければ、かの女にはリクエストを送れないからだ。けっきょくは送ったものの反応はなかった。わたしはいろんな同級生にかの女のことが好きだったとうち明けた。断っておくが、わたしは過古もいまもかの女との交際や浪漫なんか想像もしたことはない。かの女にも家庭がすでにあって、なにもかもが無意味だとも知っていた。子供ができたことだって。それでも青年期、いつか再会して、今度こそふつうに会話をと願いながら、冥府みたいな歳月をさまよったのはつらかったし、それが叶わないまま中年に達してしまったのはむごたらしいの1語に尽きる。

 11月の終わり。わたしはかの女に託けを送った。これでだめなら死ぬしかない、そうおもった。1発め、明るく好感のある返事、ふたつめ、わたしの希死念慮を批判する厳しく冷たい返事。「命を粗末にするひとはきらいです」──まさに不意打ちだった。慌ててとりつくろい、さらにはかの女の男友だちをからめて非難した。かつてわたしを侮辱の対象にしたと。子供っぽく拗ねた。

 「好きとか嫌いとか軽蔑するかではなく、あなたの存在に困惑しています」――それで終わってしまった。つづく1年、わたしはかの女の沈黙のなかで詩集「38wの紙片」をだし、幾許かの金を手にした。けれど充たされはしなかった。わたしはかつての仇――そうはいっても子供時代である――を攻撃し、非難した。ある女を責め立てたあと、そいつの男友だち――初恋のひとの親戚でもある――から「友だちを虐めるな」とメッセージが来た。わたしは答えた。「友だちだって?――ただの記号だろ?」――自身の行為が正しかったとはまったくおもわない。ただ、わたしの見解を訊かずにいきなり「いじめるな」とはなんだろう?――女のほうだってわたしに謝ったではないか。いじめを責めるのはいじめなのか。わたしはただ過古にされた行為に対してずっと悩まされてきたし、それを責めただけだ。執拗であったのは確かだ。けれどわたしだけがわるいのか?――こういった違和感が何度も沸き起こった。わたしはひどい沼地に嵌って、怒りと恨みを撒き散らしていた。いつもアルコールと精神薬がそこにあった。発言すること自体、わたしには怖れであったけれど、他者の反応を識る、それそのものが幻惑であったけれど、かの女からの返答がないなか、過古に復讐するほかにやれることはなかった。女たちはおもてむき謝り、男たちはなにも応えなかった。

 '14年の12月23日の夜、突然かの女からメッセージが入ってきた。「ひとを傷つけるひとはきらい!」。反応する間もなくブロックだ。わたしは狂った。まさにブコウスキー曰く《はじめの火傷がいちばん堪える》のだ。そいつに尽きる。それから、だれもかもがわたしを避けた。大きなきっかけは、わたしがかの女を実名で書いたことや、タイムラインに憎悪を垂れ流しつづけたこと、そして'15年の4月ごろ、みずからの傷害事件と、執行猶予判決を曝露したからだった。ほとんどのひとがわたしをブロックし、黙殺した。何度かメッセージを交わし、愉しく話せていたひとびともですらも。わかりきった話だ、わたしには気づかってくれるひともない。もしほんとうに友人がいたなら、わたしのひどい発言を戒めてくれただろうし、わたしになにが起って豹変してしまったかを、怒りの理由を聞いてくれたはずだ。でも、そんなやつはひとりだっていやしなかった。たしかに中学校とちがって、小学校は新興住宅地に在って、ひどい虐めはなかったのかも知れない。ブチブルやろうどもは、鼻を垂らしていただけだともいえる。しかし、まちがいなくわたしのうちっかわで燻りつづけていた。ようするにかれらかの女らにとって、わたしは異物であり、捌け口でしかなかった。

 '00年4月に出会ったかの女の笑顔、わたしを名字ではなく、なまえで呼んだ声、いつかは、なにもかもおもいだせなくなる。「20歳になったら校庭のタイムカプセルをみんな掘り起こそう!」だとよ。──うそっぱちもいいところだ。わたしは呼ばれなかったし、アカの教師によって作文さえも入れさせてもらえなかった。最近になってわたしのほかにも呼ばれなかったもののいることを知って気が済んだ。一昨年の12月は呼びかけ人の実家へ抗議と内容証明を送る旨を書いて葉書をだすほど、この挿話を気に病んでいたから。その女はけっきょく呼びかけ人じゃなかった。やつの担任から電話がかかってきた、「怖がってる」と。けれどもやつが呼びかけ人だといったのもその担任だった。あほらしい限りだ。

 去年の暮れ、ようやく発見した。わたしのやらかしてしまった行為の数多は、岡田尊司が「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」のなかですべて書いているものだった。心理学者のなかではすでにパターン化された言動でしかないと知ったときの悲しさといったらない。もし発刊当初にこれを読んでいたら、なにも問題は起さなかったかも知れない。初恋を破壊するなんてありえないことだった。この世界でのいちばんの秘密、それがかの女へのおもいだったのに。もうなにかも手遅れだ。生きようが、死のうがなんの意味もない。だれも児童心理なんかに興味なんかない。あるとすれば傷ついた人間と、それを診る側であって、わたしがいまさらどんな手段を採っても、だれもふりむかない。ほとんどのひとは正しい設問と正しい答えが存在すると盲信しながら生きるのであって、根本を問いたださずとも気持ちのよくなれるからだ。そんななかにあってわたしの懐疑と反省は、瘋癲のいいわけだ。

 '15年の夏だった。かの女らしいひとが、初恋のひとらしいのが、インターネットの鼎談記事にでていた。わたしがよく閲覧していたニュース・サイトだった。手元にコピーなんかないから、記憶を辿って書く。司会はたしかドワンゴのだれかで、出演は、評論家のT、ネット掲示板のN、実業家のH、藝術家のM、──そしてM村Y子。はなしをまとめれば、M村女史はじぶんを好きだという小中時代の同級生に困らされている。作品を送りつけられたり、facebookでメッセージを送られたり。かれはかの女が好きというが、自身は既婚者だ。かれは世界的な藝術家で詩や絵、音楽の才能がある。かれが「来年の4月に個展をやる」と書き込みをした途端、あらゆるところからコメントを求められ、それは職場にも来たという。なかにはかれを極端に擁護するものもあったという。かの女の旧姓はムラカミで、かれの母方の祖父の遠い親戚だという。いちばん迷惑なのはネットに実名をだされていること。Tは「それがどうして困る?」といい、Nは「そういう迷惑な行為をするひとは無視すればいい」といい、Hはマスコミとの個人的な体験と確執を語り、Mはただただ場違いのようだった。かの女は最后に「かれは自閉症(ASD)なんですよ、このままじゃかわいそう」と発言していた。わたしは半信半疑ながらも、かの女へひどい迷惑をかけたことを知り、書き込みのいくらかを消した。わたしのことを擁護しながら、かの女を責める人物がいるというのにも驚いた。なぜ金にもならない落書きやろうが「世界的な藝術家」に飛躍しているのか、わからないまま海外との接触はやめ、逃げるように過ごした。そんなときだ、イレイザー七〇四と出会ったのは。

 この出来事がほんとうだったのか、いまでもわからない。アタマもイカれていたし、くそ暑いなかで、直後に血を吐き、熱中症で入院するはめになったぐらいだ。真夏の白昼夢、まさにそんなところってやつだ。それでもしばらくすると怒りが湧いてきた。かの女が被害を訴えることではなく、登場した場所、鼎談の出演者たちだった。なぜよりによってあんな山師どもと一緒なんだ。声がでかいだけのT、倫理不在なうえに違法行為をうまく逃げ切っただけのNとH、Mについてはよく知らない。いえるのはかれの「芸術家起業論」は実践の参考にはならない、くその役にも立たないということだけだ。たやすくいえば過古のひとびとだった。かの女の悩みはもっともで、なにもかもおれがわるい。けれど、できればもっと品のある場所で、品のあるひとびとと話して欲しかった。どこをどうしたら、あんないんちき連中にかどわかされてしまうんだ?──毎年、大量生産される聞き書きのくだらない本で小銭稼ぎしてる日本の実業家や評論家なんて、わたしはとても信頼できない。かの女はわたしについて詳しいけれど、でもわたしはかの女をまったく知らない。過古のなまえと姿だけだ。今年の正月、小中時代の知人に会いにいった。かれとは小学校、中学校、合わせて2度一緒だった。わたしの漫画のはじめての読者だ。そんなかれでもけっきょくは「なぜあまり遊んだこともないおれのところに来るんだ?」という。悪意がないのはわかってる。でも、わたしは駅に送ってもらったとき、「じゃあな」としかいわなかった。かれの「またな」に返事はできなかった。



 夜間高校に入学してまもなく、昼間の女生徒に声をかけられた。中学でいっしょだったTという女で、わたしをしつこくからかっていて不愉快だった。あの笑顔、あの声。もしかしたらMのときだっておなじかも知れない。珍獣を発見した昂奮であり、嬌声だ。しょせんおれは気持ちのわるいやろうでしかない。わたしはメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」を連想する。なまえもない怪物の話を聴き、心を傾けてくれたのは、たったひとりの盲人であったのを懐いだす。おなじように顔も知らないひとびとが、わたしの作品や発言を読んで、少なからず支持してくれるようになって来た。特にスロヴェニアの日本人女性は画材や金を送ってくれる。わたしのような人種は表現なしで生きられないだろう。もしわたしが「喪失」と「憧憬」というふたつのものから脱却できたのなら、かの女との再会が叶い、ふつうの会話ができるのなら、わたしにも家族できれば、もはや言語行為は必要はないかも知れない。絵だけを描いているかも知れない。けれどそんなものは虚妄だ。ほとんどのひとは「再評価」などというものはしない。うちなるハイエナを手懐けるよりも、屍肉を与えるほうをみな撰ぶのだ。わたしがどんなに普遍性を求め、反省し、立ち直ろうと足掻き、職業訓練や仕事に就いても、作品を売っても、かれらかの女らは絶対に認めたりはしない。水平的人間、政治的人間、あるいは演技する人間たちは、それを無意識に恥辱と見做すからだ。

 いまもかの女が好きなのかと問われると正直わからない。ごくごくたまに夢のなかでかの女のことを見るくらいだ。かつてのような感情が死んでしまったにしろ、会って話がしたいのはたしかだった。ただし会ってしまえば、なにかが喪われるのも確かだ。もう日曜日、競馬だ。バーテンの給与もでたし、いい馬に当たっていい女性と巡り逢いたい。少なくとも、情熱のあるひとにだ。でも、そのまえに5ヶ月まえの体重にもどすこった。なにもかもがおもくなってる。こいつはどうにかしなきゃなるまい。


おれというペスト


 このまえは自身の来歴やおもいについて料理のレシピを交えながら語ってみた。きょうはそのつづきを書くとしよう。どこにも求められてない文章を書くというわけだ。 それでもこいつは長篇小説のための訓練みたいなものだと考えている。使えるものはなんだって使うことさ。わたし自身はシオランの追従者ではないが、かれの人間ぎらいと自殺の肯定、多数派への共犯を拒絶するといったおもいには諸手を挙げてやる。さっさと退場したくてならない。先週は、Yという、中央大卒で「自由市民党」党首とひと悶着。きっかけは文章の校正依頼で、わたしの考える手法とかれのとではちがっていたということ。そしてかれが救いがたい莫迦であったことだ。在宅勤務で「出版及び電子書籍のための文藝作品編輯」と掲げたはずが、政治パンフレットの校閲をするはめになってしまった。しかもデータの形式はワードで、文章はでたらめ。体をなしてない。《中卒! きちがい! 詐欺師! ラーメン屋にでもいって修行しろ! 関西の弁護士に訴える!》というありがたきメッセージを頂いたので、お返しに《学歴差別に精神障碍者差別、職業差別──いったいどんな弁護士に依頼する気だ?》と返信をさしあげた。さらに《中央大学の惹句は行動する知性だそうだが、あんたはまるで行動する反知性だね》とも書き送った。たかが校閲をめぐってくその投げ合いなんざごめんだぜ、ベイビーってなわけだ。収入を求めて火あぶりに処されている。できれば眼鏡のレンズを交換して──またしても視力がさがった──来月のあたまには映画「シベールの日曜日」をかの女と見に行くぜ。もちろん、かの女とは、おれの左手のことだ!


 「苦渋の三段論法」でシオランが書いてるように《三十代になったら、ひとはもはや世間の事件に興味を持つべきはない。天文学者が巷の噂話に興味を持つべきないように》だ。然り。どれほどの人間が好事家になることと教養人なることを履き違え、自身を苛んでいるか。だからはわたしはニュースを読まない。人生の浪費だ。批評だってそうだ。もう批評なんか懲り懲りだ。素人同士でがやがやと褒めたり、腐したりだ。一切やるなとはいわない、だがいつもやるものではない。わたしを見てみれば納得がいくだろう。対人感覚が麻痺し、世の光りへとでていくのが億劫になってしまった。批評なんか才能ないものに任せればいい。自作について能弁な書き手には警戒したほうがいい。自身がそうなってしまわないためにも、語りにはつづまりがいるんだ。ネットワーク上での表現に充足してしまう危険については、さんざ自身で体験してきたので、いまさらそれをひとに伝える意味があるのかはわからない。ひとや世代によってはネット上での自己完結こそ至高なひともいるし、そんな場所でおれが発言する、助言するのは滑稽か否か。ネットでは新しい投稿サイトができあがった。わたしは気に入らなかったが、ふたりの人物に恩義があって投稿するはめになった。久しぶりに新しい詩を書き、投げ入れた。澤あづさは、本人のいうところ酷評をされていたが、なんのことはない。「昔しはよかった」ということだ。一介の作家志望として、6年もまえの作品を絶賛されてもあまり感じるところがない。それにかの女が仰るほどに《小説としては問題がありすぎるほど詩的》とか《でたらめなくらい大胆に飛躍》していたとはおもえない。素直にじぶんの好きな世界を書いただけといまでもおもっている。過古に喜ばれた作品の焼き直しなんかできない。でもわたしだって過古の賞賛が忘れられない。改稿してコメント欄に投げた。反応はなかった。だれも見向きもしやしない。べつのサイトでは、「初稿で涙を流した」という女性から、不満のメッセージが来た。「初稿をもっと大事にしてください」といわれた。そうとも。いっぽうでは救いがたいコメントもあった。たとえ不評であれ、あたらしくいたい。


    ブロスの下着


  だれかおれを連れ去って欲しい

  たとえそのだれかが

  きみであっても

  それはとても素敵なことで

  長い孤立からきっと

  救ってくれる 


  人生に勝ちめなんかないのは知ってるとも

  まちがいがあまりに多く

  ただしいものがあまりに少なくとも

  語りかけてみたい

  すべてを


  女を知らないやつがこんなものを書いてるんだ

  嗤いたければそうするがいいさ 

  平日のマーケットで

  金色の星を浴み 

  ブラームスの2番を聴きながら

  ブロスの下着を撰びたい


  そしてアパートに帰って

  シュトラウスのドン・キホーテをかけながら

  かの女がくそをしたあとの、

  便所の水のながれをずっと聴いてたい

  ずっと聴いてたいんだ

  それはきっと

  美しいにちがいない



 日曜日も、この2ヶ月もけっきょく競馬はできなかった。わたしはひどく酔っていた。あちこちでウィスキーの水割りを呑んだ。浪費以外のなにものでもない。競馬予想クラブへ加入料が痛々しい。けっきょく仕事で獲た2万3千500円も、軍用コートの支払いや、衝動買いした古本――セリーヌの「死体派」やなんかで、ほとんどなくなり、わたしはできあがったデモ音源を聴かせようと、三田市は相野くんだりまでいった。正気の沙汰ではなかった。わたしは焦りすぎていた。三田までの移動手段を考えていると、もう夜に近かった。

 「茹で蛙のレシピ」はまったく受けない。イレイザー七〇四は慰めてくれた。15年来の知人が、記事をシェアしてくれてはいたがはっきりした感想もない。わたしは酔って電話をかけた。もと同級生で近所だった男にである。いまは宝石や装飾品の修理、リメイクをしている。金持ちの息子で、美的センスのかけらもなく、ものを知らない有閑マダムども相手に商売している、侏儒のやろう。わたしは敬語で話しかけた。むこうはというと、畿内訛を穢く、横柄に使い、「おまえと話しすンは時間のムダや」といって切った。あまりにも予想通りで、ありきたりの答え。オイル・サーディンでも持ってやつの店までいってやろうかともおもったが、やめにした。西宮は苦楽園とはいえ、時間と金のむだであるのにちがいはなかった。売れる文章になるのならべつだが。

 バスに乗った。さらに三田駅から相野まで。冬の道を歩く。高校時代の先輩がやっている喫茶店を見つけるまでに20分はかかった。馬糞の臭気をさまよい、暗い歩道で立ち小便をした。ローソンの隣りに店はあった。灯りはなかった。2階と勝手口には燈火がある。けれど扉を叩こうが、来訪を大声で伝えようが、だれも現れなかった。わたしは持ってきた最初の詩集を郵便受けに突っ込み、悪態を尽きながら、相野駅まで引き返した。もっと早く来ていれば高校生のころ、好きだった女の現在を聞けたかも知れない。途中、線路際の小道に降り、歩いているうちに泣いた。17歳のころの、古い歌をおもう。《あゝ、この静けさに堪えかねて嗚咽を漏らしているのはだれだ?》。それは、この負け犬だ。おもうに初恋のかの女は要領のよく、品も知性もへったくれもない男たちが好きなんだろう。かの女の友だちの一覧をおもいだして気づいた。ごろつきのようなやつらばかりじゃないか。最后に会ったとき、一緒に歩いてた男だってその類だ。弱いものや、劣っているものへの仕打ちの数多。暴力と嘲笑。わたしは憶えている。宝石修理の小男だってそうだ。かの女の親戚だという小汚いやつも。どうしてあんな男たちに嫉妬するのか。自身を軽蔑したことも、人生に疑いを持ったこともない。環境のよさに胡座をかいて、弁舌のよさに陶酔しているだけだ。中身はからっぽで、はったりしかない。本物なんざひとりだっていやしない。かの女が鼎談した人物たちもそうだ。だれもかれも虚業を誇ってる、最低のやろうども。たしかに知名度は高い、だがそれがどうしたっていうんだ?

 「一見うんさくさいひとだけど発言は正しい」なんていうやつらがいる。医療や福祉に自己責任を叫んだ、長谷川豊にだって賛同者はいる、高城剛や山本一郎なんかをありがたがるひとびとだっている。わたしだってモーリー・ロバートソンや高橋ヨシキはきらいではないし、頷くことだってある。それでもおもうのは《一見うんさくさいひとだけど、やっぱり発言だって胡散臭い》ということだ。

 わたしが勝手に美化していただけだ。かの女に落ち度もない。醜いものを傷つけるのは正しく、じぶんたちを傷つけるのは絶対悪ってわけだ。くさった共同体幻想の成れの果て。《命を粗末にするひとはきらいです》だって?──わたしがなにをやろうとも考えようとも、きらいはきらいなんだ。ヘリウムによって自裁を遂げたところで、かの女たちはなんともおもわないだろう。19歳で自裁したという、もと同窓生の女性だってきみたちには助けを求めなかったわけだろう?

 口先だけのおそまつな連中に怒りと悲しさと羞ずかしさが溢れそうだった。三田市から750円かけてわが町へと帰った。わたしはまだ無意味な劣等感、ひとびとがみなじぶんよりも優れているという幻想を棄てられないのか?──イレイザー七〇四はいった、――あなたって執念深いのね。その執念は創作だけにしてさっさと眠るのよ。わたしもそうしてるし。



 おとついは火曜日で可燃ごみの日、もちろんそいつも忘れ、いっぱいになった袋が玄関に転がってる。医者にいきそびれ、痛みと不安のなか、太陽は元気だ。寒さも全裸でなれば気にすることもない。イレイザー七〇四はいつも裸で過してる。わたしは老い耄れてしまうばかりだ。ようやくきのうになって詩集とフリーマガジンを発注した。前者については、出版コードこそ記載したが、バーコードについては不安があったから、いちど業者にでもまかせてみるしかない。それでもって絵葉書のこと。まずは絵のサンプルファイルをふたたびつくらなければならなかった。去年の3月、錯乱してたわたしはファイルを高架下においてきてしまった。だれかがおれを殺しに来る。――そんなふうにいかれてた。昼頃になって1軒のみ、開いてるのを見つけ、高尿血酸症――つまり痛風の薬を処方してもらった。

 術後の経過は芳しくない。それでも金のために働く。午前0時、終わって室に帰れば、もはや声もでない。金のほかに獲るものがないわけじゃない。けれどあまりにも躰がやわになってた。抜糸も忘れたまんまで、どおりで痛いわけだった。どうにか近場に外科を見つけた。開くのは午后4時である。どうにもこうにも朝がひどい。おもに左の脇腹や背中が痛む。術後の生活がわるいらしい。焦って仕事にもどってしまったうえに、薬も満足に呑んじゃなかった。

 きょうは金曜日で可燃ごみの日、もちろんそいつも忘れ、回収車が去ったあと、いっぱいになった袋だけを通りへ棄てた。棄てるはずだった段ボールも木板も室にそのままだ。躰の痛みはあいかわらず、ひどい。朝はなにもかもだめだ。金はない。水曜日に使い果たしてしまった。なにへ消えたかは知らない。大きな買いものもしないまま1万2千がなくなった。またしても酔ってた。絵は描いてない、小説もだ。他人の発言の洪水にやられてる。そいつを掻き分けて、伝える意思が弱すぎる。本だってひらいてない。遠い狼煙や醜聞の数多、どうだっていい過古のひとびと、同級生ども、教職員ども、親というならずもの。かれらかの女らの行為や発言の数々をいまでも懐いだす。だしたくないときにいつもだ。終わった羞恥と屈辱の多重露光と来た。撲られ、嗤われ、盗られ、辱められ、そして見棄てられてしまった。わたしだけではなく、多くの醜いひとびとが。

 できることはあるのだろうか。ひとまず考えてみよう。きょうは印刷屋から本が納入された。これもまたひどい。表紙の裁断にまちがいがある。「足し塗りアリ」の設定がよくなかったか。やってしまった。これでは売りものにはならない。いっぽうでM氏からの依頼は突貫工事で完成だ。「火星移住希望者」を募るためのポスター・アートらしい。わたしは宇宙にも空想科学にも疎(うと)かった。それでもなんか、というわけだ。4千円也。もっと仕事が要る、もっと共犯者が要る。



 いつかだったか、酔ったわたしは電話魔になってひとりの女と話した。またも同級生。おなじ齢だというのに、最后までわたしは敬語。かの女は丁寧に話を聴いてくれた。はるか南国の女ボスといったところの、落ち着きのある喋りだった。写真スタジオをやってるしていることのほか知らない。29歳のときにSNSで話し、誤植の多い詩集を送った。いっとき、わたしはかの女へひどい迷惑をかけたうえに、逆恨みさえしてしまった。それもまたあのひとのことでだ。まえにもいったようにわたしはひどい火傷で、気が狂ってた。自身の醜さにのたうちまわってた。わたしは自身の不始末について詫びを入れ、これまで「謝り方がわからなかった」といった。実際、何年も対話方法を試行錯誤しながら、けっきょくは失墜し、さまざまなところに毒を残してしまっていた。まさしくわたしはペストだった。いまだって、わるいおもいに絡められやすい。じぶんでじぶんを承認できていないのだろう。場当たりで、破滅へ突っ込むみたいなマネをやってしまう。臆病な少年みたいな喋りで語って電話を切った。かの女から「またね」といわれて、またしても戸惑った。決まりきった挨拶や社交辞令にさえ、考えてしまう自身が果てしなく滑稽だった。

 言語行為に染まったことがわるいのか、いいのかはわからない。表現活動に夢中になったり、ひとびとの、言葉にはしない態度や考えに怒ったり、そのときそのとき、ふりまわされる。あいもかわらず、伝わる、伝わらないということに過敏でいるし、臆病なほどに第1声が遅く、みじかい。わたしのことを欺瞞だというひとも多いだろう。それは事実だ。現在午后4時45分。もう仕事の時間になってしまった。きょうの昼はジョン・ルーリーのtwitterからブロックされた。かれの使っている画材について尋ねた。そのあとがよくなかった。かれに《blood》と答えられたわたしはからかわれているとおもい、冗談めかしたことを書いた。するとすぐに拒絶だ。有名人にからむ小穢い東洋人、そいつがわたしだ。謝罪のために別のアカウントまでつくって発言したものの、《70%は水彩、あと油彩、そしていくらかのインク》という返信が来たくらいで、赦してはくれないかも知れない。作品よりも作者のほうがずっとおぞましくて、鼻持ちがならないといった作家がいたっけ。──仰る通りです。そもそもSNSでいいことなんかありゃしないじゃないか。この6年、まさに災禍を招き果てた。身のほど知らずもいいところ。自身を宣伝するという行為も、見ず知らずのだれかと交流するという行為にも「だからどうした? それがなんになる?」としかいいようがない。イレイザー七〇四が笑った、――いっつもそうじゃないの!

 わたしは、新しくはないが別の認識に乗って、山麓道路をくだり、やがて職場にたどり着くというわけだ。近頃、さまざまなことを懐い、書きて来て、出てきた結論がそれだ。敵も味方もない、かつてにもどる日は来るのだろうかとおもいながら、わたしは短距離飛行の無人バスへと乗り込んだ。空調がよく効いている。上着を脱ぐ必要もなかった。坐席には、それぞれ感知器があって、それがあるものを温め、あるものを冷やしているからだ。加納町交差点の上空はあいかわらず公僕どもがいた。密集する犯罪(アウト)組織(フィツト)の動向を諜っていはいたが、いつもいつも三文芝居みたいな佇まいで、なにも起らずに終日監視がつづいている。わたしはフラワー通りの終点、ネオ・フィネスト三ノ宮の屋上から、老いた女とともに地上へ降りて、それぞれの方角へと去った。あの老女にも、かつて片思いというものがあったのだ。わたしは通称・北の光(ノーチツヒ)(独逸語らしかった)と呼ばれる闇市場で、大勢の黒人たちと夕食を喰い、またしても見習いのバーテンへともどった。

 じゃあ、――「またね。」


馬は美し、ひとは醜し


 ジョン・ルーリーはおれを赦してくれたようだ。だったらどうだって?――もういい。駄べりの好きな、口の巧いひとびとがなんとも目障りになり、おれはまたひとつのゲームから降りることになった。もちろん多くのものと袂別しなければならない。どこかしら通底するところのあってつながっていたひととも。おれは疲れた、憑かれている。潔く去るしかない。

 日曜日、職場のオーナーである未亡人からの誘いで、横尾忠則現代美術館へいくはずも携帯電話がない。見つからない。おもいだすかぎり、先週の水曜日に触ったのを最后にして行方知れずだ。室を掻きまわし、問い合わせの電話を入れるもつながらず、店に出向いた。曰く利用停止を申請した電話をGPSによって探すことはできない、という答えだった。おれは入院と療養中の滞納分を払えなかった。ふた月分である。分割はできなかった。それでというわけで金が貯まるまで待ってもらえるようにしたのだが、こうなってしまった。おれは金については要注意人物で、すでにリストに載せられているから、新しい契約をほかで結ぶこともできない。ほんとうのところ、携帯電話なんざ好きではない。それでも連絡に差し障りがあるというのは居心地がわるかった。そもそも水曜日、おれはなにをやっていたのか。昼に出かけてから、いちど帰って映画を観、ふたたび出かけた。くそまずい牡蠣丼を喰い、そのあまりの不味さに気分がわるくなって、どっかの便所でぜんぶ吐いた。それからの記憶がない。

 それから今週の水曜日。救急外来の世話になったが、肝心な問題はわからないまま。頓服をもらって帰った。そしてそいつが効かないこと、みずからの死が近づいてるのを感じとった。ひどい寝起きだ。おれたちのそれぞれの軍隊をなだめながら、いまはこいつを書いている。もしかしたら、また入院になるやも知れない。望みはある、ただ躰がまったくついてこない。死ぬのはかまわない。ただ痛みの極みのなかで、みずからの意思とはかかわりなく死にたくはない。それならイグジット・バッグをかぶってバルーン・タイムの栓をひらいたほうがずっといい。バルーン・タイムならすでに買ってある。命を粗末するひとはきらいだって?――しかしきみのその科白と、きみの行動はまったく持って一致してないではないか。おれに死んで欲しいのか、欲しくないのかすら不明じゃないか。世界が砂に埋まれるのか、アイス・ナインがすべての水を氷に変えてしまうのかはわからない。ただいえるのは、ものごとはすべて異口同音で、おなじ現象の反復と増減でしかないということだ。いまさらジタバタしたって、古今和歌の時代から、まったくちがうおもいを吐きだすのだってできやしない。かれらには素直さがあった。素直さ、いまではただの世辞でしかない。単調で、浅いやつらにいう科白だ。多くのひとは、じぶんにとってわるくない女を抱いて、わるくない文化に触れるくらいが関の山だ。

 木曜日にもおなじ病院へいった。それから近所の内科へ。いちばん強い鎮痛剤を2種類だ。ともかく痛みで寝起きもままならならなくなっていた。左半身がどうしようもなく痛む。鳩尾、脇腹、下腹部、背中と、動くと動かざるを問わずに。参ってしまった。金欠のときほど、わるいことは起きる。弱りめに祟りめ。しかたなくおれは内容証明をつくって、未払いの賃金について問い合わせた。相手のことは以前、短篇のなかでも書いていて、大阪の門真にその寮がある。うまくいけば、3万ちかくはかたいはずだ。悪足掻きとはわかっていても、なにかをせずにはいられないのだ。それが愚かものの証しである。



 日曜日。馬はだめだった。馬というよりもおれ自身がだめだった。電話は見つかった。ちょうど機種変更の話をしているところへ発見の報せと来た。もし携帯電話がなければ、酒場への本採用も消えてしまうところだった。おれは滞納金をオーナーに借りることにして室に帰った。

 月曜日。オーナーはおれの携帯電話の支払いのために金を貸してくれ、おまけに家電のためにボーナスを前払いしてくれるという。前者はともかく後者には少し怖気づいてしまった。おれはそこまでのやろうじゃないというわけだ。それでもともかく話をまとめた。おれは「ひとに誉められたい」というだけの、ちっぽけで、からっぽな人間でしかないからだ。シオランはそういった欲望を《これほど恥ずかしい弱さを公然とさらけだすよりは、冒瀆のありったけを犯した方がずっと名誉なことであるから》と、だれもそいつを打ち明けない理由を語っている。そこいらの人間とおなじくおれだってなんにもわかっちゃいないくそばかだとしても、おれはそういった弱さや疚しさを正直に語りたい。ほかの連中が涼しい顔を決めていれば猶のことである。おれは生来から多数派の人生を嫌悪していたし、事実それとはちがった人生を送っている。おかしなやつとおもわれるのは癪だが、それはしかたがない。それこそおれが望んでいたことだから。それでも多くの期待は失望に、好意は悪意に成り果てたのが、この30年余りだった。絶えまなく、傷つけて来し、傷ついて来た。多くのひとがおれから去っていった。それでも残されたもののために書いている。

 火曜日。午前7時。きのうになってようやく詩集に添付する絵葉書を印刷した。ぜんぶで、4種8枚。まあ、こんなもんだろう。イラストレーションの報酬も入るし、まあまあな月末だ。おれには確かな才能がある。ただ、その行使がうまくない。いつも躰とおもいが一致しない。傷は完治してない。肝臓の数値があがってる。それでも、きっと来年はマリブ・ビーチあたりで大笑いしていることだろう。若死にしたいという欲望はある。負けの美学ってやつなのかはわからない。死んでしまいたいというおもいはある。だが、それはいま行使すべきではない。おれは恋がしたい。最后の可能性に賭けて、最愛ってものに出逢いたい。この齢いになって、ほんとうにひとを好きになるのはむつかしい。「人生で恋ができるのは3度まで」なんてことを伊丹十三が書いていた。12歳、16歳、23歳――とっくに3度を過ぎていた。よっぽど頻繁に会わないかぎり、他者に対してつよいおもいを抱けない。おれはすぐにひとのなまえだって忘れてしまい、度々非礼をやらかしてしまう。どんなに好みの女性をまえにしたところで、熱くなれなくなってしまっている。それでも恋がしたい。おれはふたりのひとをおもい浮かべ、かの女たちの顔や、声、交わした会話を反芻し、熱い茶を淹れた。――そうとも、恋がしたい。わるい記憶をすべて塗り替え、呼吸法を新しく学習するんだ、ペスト(迷惑な人物)なおれとはオサラバを決める。近頃、ふたりの女のことが気になっている。ただ好きといえるほどじゃない。

 バーテンダーの職は手段であって目的ではない。賃仕事は、しょせん他人のための、他人がつくった、他人の仕事だ。おれはおれ自身の仕事を確かなものにしたい。そのために金がいるからやっているだけだ。用済みになれば、やめてしまえばいい。30を過ぎて、充たされず、なにもかもが夢のままで、ひとに使われるなんざおぞましいかぎりだ。いつまでも人生を切り売りして暮らすわけにはいかない。そんな暇はない。おれはなにひとつ諦めていない。できることをぜんぶやりたい。

 水曜日。つくづくいまの職場でいやなのは、業務とは直接関係ない物事をとやかくいわれることだ。その夜、おれは本を持って来ていた。筋力トレーニングについての指南書なのだが、それをオーナーの未亡人が見つけ、「あたしもHくんも自己啓発本なんかきらいなんだよ、そんなもん読んだ時点で終わってるッ!」――そういった。いったいなにが終わるのか? 人生?――世界?――業務スーパーの営業時間?――かつておれに「おまえの人生、終わってる」と放言した醜女の同級生がいた。休みの時間、かの女はいきなりふり返ってそういった。なんのために?――名塩グリーンハイツにかの女の実家があるから、もしかしたら理由がわかるかも知れない。

 ともかくオーナーの口ぶりが不愉快だった。それにH氏のふるまいもいけ好かなかった。かれはいつもじぶんがなにがきらいかを繰り返し、捲し立てている、SNSをやる人間、電子メールを送る人間、バッド・エンドの映画、藝術気取りの映画、日本映画、あれをやる人間、それを好む人間、だれそれ、そのほか。笑顔でそういったざれごとを曰う。女客相手には「恋人なんかいらない」とか「血筋を絶やしてやる」とか、ひたすら自身の孤独について明るくいっているが、そういった言辞が反動的なものでしかないのはあきらかだった。むきだしの嫌悪や諦観は、匿された恐れと不安でしかない。それはおれ自身、憶えがあった。かれが明るく話せば話すほど、おれは白々しく、苦いものを感じる。好きだ、きらいだ、おなじ話を1日に幾度も聞かされているうちに、だんだんと、かれ、かの女やH氏の虚栄が透けて見えてしまった。他人の人生観や価値観が、そこから生まれる指摘が、なんの役にも立たないのはよく知っている。真に受けて、失敗したところでだれも責任なんかとらない。口が巧く、立場がいいからといって、おれの人生や価値観にまで手を出さないくれ。そいつは職務とはなんのかかわりもない。ひとに雇われるということは、こういったざれごとを捌く必要がどうしてもでてくる。なにもかも金のためだ。おれは微笑みを浮かべて、毒を浴びるしかあるまい。きょうは木曜日だ。ようやく詩集を発送できる。売れたのはたった3冊だ。仕方ない、なにせ3年もまえのやつの新装版だ。前回みたいに40部も売れるはずもない。それでもこの詩集には大きな意味があったし、いまも存りつづける。図書コード申請できてよかったとおれはおもっている。夏頃には個展もやる。画廊ではなく無料のアート・スペースを借りることにした。長篇小説はしばらくお預けだ。ひさしぶりにおれは絵と写真を学びたい。画集も限定で販売し、版画にも挑みたい。とにかく新しい経験が、まったく新しい関係性が必要だ。

 そういえば未明、黒人街でちょっとした騒ぎがあった。どうやらジャイナ教のモスクまえで組織の三下が揉めごとをやらかし、それに怒ったトルコ系神戸人が襲撃を仕掛けて逃走、アフリカ系神戸人たちに助けを求めたところ、黒人街にはすでに組織の連中が張っていて、襲撃犯の引き渡しを要求、それを拒絶した2者のあいだで戦いが起き、双方、18人が負傷ということらしい。人間の憎悪はとどまるところを知らない。いまさらどんなものに神を見出そうとも、われわれは救われない。そんなことを訓(おし)えられる。そのいっぽう中華系神戸人はどちらにつけば利益になるか、算盤を弾いているさなかだ。低空飛行する警察車輛の群れ、おれはそいつを眺めながらセンター街まで歩き、地下のイタリア料理屋で、アボガードと生ハムのリングイネを喰い、シチリア系神戸人の女の子たちを眺めた。かの女たちは美しかったが、ナンパでもしようものならマフィア出身の父親か親戚に半殺しは免れまい。おれにできることはなにもなかった。

   おまえはなにを見てるんだ?

 料理人のひとりがカウンターから身を乗りだしてきた。――しまった、見つかった。

  なにも見ちゃいないさ。しいていえば天然の美だね。

   ふざけるな、すけべやろう。

   おまえの噂は有名だ、いつだってやらしい眼つきで女を見る。じぶんの右手とヤッてろよ。――生憎、おれは左利きだ。

 料理人は怒り顔で電話に左手を伸ばし、なにごとかを喚いた。右手でナイフを、もういっぽんの右手で電針銃を握っている。おれが逃げだそうと尻を動かした一瞬、さっきまで知らないふりを決めていた女の子のひとりが、おれの腕を掴む。太陽みたいだった。

    いい加減にやめて、ルイーノ!

   なにをいってるんだ、コロンバ!

    とにかくやめるのよ、使用人!

   きみの父上にいいつけてやるぞ!

    薄汚い、男根主義者の卑怯者!

 かの女は、コロンバは、おれをそとへ連れだした。レザー製の、黒いレギンスがたまらねえ。おれたちは黙ったまま地上へあがり、連絡先を交換した。これからなにが起るのか、まったく読めない。別れ際に軽い抱擁と口づけをし、おれはしばらくかの女のうしろ姿に見惚れていた。33歳をまえにしてようやく人生がまわりだした。恋の終列車に乗って、いったいどこへむかうのか。イレイザー七〇四は妬くだろうか。

 現在、午前11時58分。これでお終い。おれはみずから書き、やがてみずから滅びる。あたりまえのことだ。それでも書かずにはいられない。自滅しか待つものがないとしても、もはやそれをやめることはできないだろう。失墜しつづけることの快楽と愉悦。勝ちめのないのをわかっていても、おれは書く。これから郵便局への小旅行だ。書かずにいられる人生ならもっと幸せだったのもわかる。でも、いまさら嘆いたところでなにも変わりはしない。愉しむしかない。きのう注文した下着がもう届いた。ブロス――ではなく、安いグンゼのが。それを穿いて丘を降ろう。インターネットの自称詩人たち、紙媒体の自称詩人たち、空疎な受賞歴、お偉方、他人の人生におかまを掘るやつら、おれのような男にやさしくしてくれる女性たち、おれやおれの作品に興味を示してくれている女性たち、かつて片思いを抱いた女性たち、青い木立ち、非加熱の壜ビール、サニーデイ・サービス――無意味(ナンセンス)のちからを信じたいんだ。――わかるかい?


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みずから書き、みずから滅びるってこと。(Reprise) 中田満帆 @mitzho84

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