21.もう二度と会えないかもしれない
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グイドに連れ去られたシャーロット。
ジョイスはダンカンとグイドの情報をつかんでシャーロッドの店まで行くが、ただならぬ異変を目の当たりにして――。
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そのころジョイスは、紳士のクラブで情報収集に駆けずりまわっていた。
屋敷を出るとき、以前街なかでシャーロットと話しているのを見かけた労働者ふうの男が訪ねてきたが、彼女がいないことを告げると、調査料がどうのこうのと言い出した。
何でも屋の男に調査を頼んでいることは、彼女から聞いていた。今回もなんの情報も持っていないところを見ると、仕事もせず金だけ巻き上げていたのはあきらかだ。ジョイスは男に、二度と姿を見せるなとすさまじい迫力で威圧し、追い払った。
まったく、この街には悪党が多すぎる。
憤慨しつつクラブをまわった彼は、つてをたどって貴族の子息たちから話を聞くうち、悪徳商人ダンカンとグイド・ヘムズワースのうわさを聞き出すことができた。
ダンカンは表向きは商人だが、裏で高利貸しをやっており、女好きが高じて人身売買にも手を出しているということだ。しかし、確たる証拠がないという。
グイドもまた、素行の悪さから、もはや社交界でまともな人づきあいはできていないとのこと。いまグイドは、ダンカンの屋敷で世話になっているらしい。彼とダンカンがつながっているのは間違いなかった。
すぐにでもシャーロットに知らせてやらなければと思い、ジョイスは彼女の店まで馬車を向かわせた。
玄関を開けてすぐ、異変に気づいた。
声をかけてもだれも出てこないし、玄関に鍵もかかっていなかった。
廊下を進んで居間に入ったジョイスは、その惨状に愕然とした。
テーブルが壁際に追いやられ、椅子は倒れ、床に紅茶のカップが砕けて液体が飛び散っている。
いったいなにがあった?
「シャーロット! サラ!」あらためて呼んでみるが、返事はない。
急いで取って返し、外に出て近隣の住民に聞いてみたが、だれもなにも気づかなかったという。
とにかく警吏を呼んで、調べてもらわなければならない。
その手配をして自宅のタウンハウスに戻ってみると、なんと、そこにサラがいた。
ジョイスの姿を見るなり、サラはあわてた様子で駆け寄ってきた。
「ジョイスさま! 大変です、お嬢さまが――!」
サラの話を聞いたジョイスは血相を変え、脱兎のごとくタウンハウスを飛び出していった。
少しずつまぶたが開き、うっすらと視界が広がった。なんだか頭がぼんやりしている。
けれど次の瞬間、シャーロットはいっきに覚醒して起き上がろうとした。しかしみぞおちに痛みが走り、倒れ込んだ。
彼女はベッドの上にいた。手首と足首を縛られて――。
手足を動かしてみたが、厳重に縛られていてほどけそうにない。
服は黒ずくめの男装のままだったが、かつらはかぶっておらず、長い金色の巻き毛がそのまま肩や背中に乱れかかっていた。
ベッドも部屋も、まったく見覚えのないものだった。窓がないのは、地下室だからだろうか? 外の景色は見えないし、昼か夜なのかもわからなない。
明かりはベッド脇のテーブルのランプと、ところどころに置かれた燭台のろうそくの火だけ。薄暗いなかに濃い色合いの重厚な家具が並び、どこか陰鬱で冷たい印象のある部屋だった。
グイドおじさま――あれはグイドおじさまだった。
イングランドに戻ってきてからずっと探していたおじが、向こうからあらわれた。
しかも、あんなに突然に、荒っぽいやり方で。
いったいどうして、おじがいきなりあの店にやってきたのだろう。
いや、そんなことより、サラは無事に逃げられただろうか。
みぞおちを殴られて気を失ってしまったから、あの後のことはなにひとつわからない。
ベッドの上で身をよじってみたが、うまく動けなかった。なんとか両足を床におろして体を起こすことができれば、立ち上がれそうなのだけど……。
いも虫のように身をくねらせて四苦八苦していると、ドアの外から人の気配と足音が聞こえた。この部屋に近づいてくるようだ。
シャーロットはできるだけヘッドボードのほうにずり上がって、縮こまった。近づく物音に警戒していると、やがてドアが開いた。
まず入ってきたのは、おじのグイドだった。続いて、あのダンカン。
ふたりがベッド脇までやってくる。
「シャーロット」先に口を開いたのはグイドだった。
「まさか、おまえが生きていたとはな……まったく驚いた」冷たい目で見おろしてくる。
「仮面舞踏会でその首のほくろを目にしたときには信じられなかったが、おまえと連れの男の後をつけていったら、ブランフォード侯爵の屋敷に入っていった。それで翌日からタウンハウスを見張っていたんだ。おまえたちは翌日どこかに出かけちまったが、おまえの侍女だったサラが出入りしているのを見かけて、確信を持ったのさ」グイドは、くくっと意地悪そうに笑った。
「そのあとは、おまえが戻ってきて隙を見せるのを、じっと待っていた。案外早く、おまえとサラは屋敷を出て店に戻ったから、造作もなかったな。しかしまあ、8年も経って、そんな男の格好をして、フランス人になりすましているとは……」上からヘビのような目で姪をじろじろと眺めまわす。
「グイドおじさま、おじさまこそ、あんなあらわれ方をするなんてびっくりしました。いくら探しても見つからなかったのに……いったい、どこでどうなさっていたの?」強いまなざしでシャーロットはおじを見上げた。
「ふん、ずっとロンドンにいたさ。ケントみたいな田舎は退屈でしようがない。わたしは貴族なんだ、このダンカンの力になってやってるのさ」
「シュルーズベリの所領が人手に渡っているのは、いったいどういうわけですか? クリスは? 弟のクリストファーはいったいどこにいるの? 答えて、弟をどこへやったの?」シャーロットは食らいつくような目でグイドをにらんだ。
「おやおや、この期に及んでまだ弟の心配か、立派なことだ。あいにく知らんよ。あの晩、クリスのやつもいなくなったんだ。探したが、それきりだ。どこかでのたれ死んでるんじゃないか?」
「うそよ!」シャーロットはぼう然とした。「十歳の子どもがひとりでどこかに行けるはずがないわ。あなたがどこかへ連れていって、隠したんでしょう! どこへやったの? あの子になにをしたの?」必死でおじを問い詰める。
「うるさい! だから、知らないと言ってるだろう!」グイドはシャーロットの頬を打った。気の短いおじはすぐに態度を豹変させるのだ。「おれたちが彼の部屋に行ったときには、もぬけの殻だったんだ。行き先なんてこっちが知りたいくらいだ。後見人として所領を管理してみても、ろくな金にもならんし、挙句の果てには国王に取り上げられちまうし」
ははは、とダンカンがばかにしたような笑い声を上げた。
「そりゃあ、おまえのやり方がまずいからだ。けっこう儲かってたのに、ぜんぶ賭け事に使っちまって。しょうのないやつだよ、おまえは。自業自得だ」ダンカンの態度からするに、どう見てもグイドがあごで使われているようだ。貴族の出ということで、いいように利用されているのだろう。「だが、腐っても貴族の血筋だからな、役に立つこともある。売り物になりそうな令嬢を見つけるには、まずは社交界に出入りできなきゃ話にならん。貴族と言ったって、金に困っているやつはごまんといるからな」
「あなたたち……まだそんなことをやっているの? どこまでひどい人たちなの?」
グイドとダンカンは、ふたりそろって目をくるりとまわした。
「お嬢さんこそ、何年経ってもそんな憎まれ口をたたいて、自分の置かれた状況がわからんようだな」ダンカンがシャーロットをなめまわすような目で見た。
「8年前に売れなかったのは惜しかったが、それもよかったのかもしれん。予想以上の育ち具合だ。見ろ、この肌、この髪。昔はまだ青臭い小娘だったが、いまや熟れごろの美女ぶりじゃないか。これはこれで、高い値がつく」そう言いながら手を伸ばし、シャーロットのゆるんだ黒のクラヴァットをつかんで引き抜いた。
「きゃあっ!」シャーロットのシャツのボタンが一緒に弾け飛び、大きく開いた。彼女は息をのんでおびえたように目を見開いた。
真っ白でなめらかな胸元の肌に、グイドもダンカンも思わず見入った。
「ほう……」ダンカンはにやにやと笑った。「ブランフォード侯爵といい仲になってるんだろう? かわいがってもらったのか? どんな手を使って侯爵をたぶらかした? フランス帰りといううわさだが、この8年で、さぞや男の手垢がついたんだろうよ。あの侯爵は堅物と聞いていたが、案外、好き物なんだな」
「ジョイスのことを悪く言わないで! 彼はそんな人じゃないわ! 彼はあなたたちとは違うのよ!」シャーロットはふたりをにらみつけたが、賭けのことが頭をよぎって胸が痛んだ。彼を信じたのに……愛してしまったのに……やっぱり男の人はみんな同じなの?
「ふん、そいつはどうだか」シャーロットの不安を見透かしたような台詞を、グイドが口にした。「おまえも甘い夢は見ないことだ。もう逃げられないからな。どのみち、ロイズやエマのことを知られて放っておくわけにはいかないんだ。今度こそ抜かりなく、異国に売り飛ばしてやる」
その言葉を潮に、ダンカンがさらにベッドに近づいてグイドにあごをしゃくった。「いいからもう出ていけ。これからわたしのお楽しみの時間だ。8年前の礼をたっぷりとさせてもらわなきゃならん」そう言って舌なめずりをする。あまりに醜悪なその顔に、シャーロットは背筋が凍るのを感じた。
グイドが下卑た笑いをもらした。「ふん、あんたも相当なもんだ。大事な売り物なんだからな、こわさないでくれよ。おれのかわいい姪っ子なんだし」くくくと笑って、ドアまで行った。
「それじゃあ、ごゆっくり」彼の背後でドアが閉まった。
ダンカンがシャーロットの真上から、覆いかぶさるようにして覗きこんだ。
シャーロットはさらにヘッドボードに張りつく。しかし、もうこれ以上はさがれない。
ダンカンはゆっくりとベッドに手をつき、乗り上がってきた。
「ずいぶんと面倒をかけてくれたな、どうやって料理してやろうか」薄ら笑いを浮かべながら、シャーロットルのひざに手をかけた。
シャーロットは小さくひっと声をあげ、肉づきのいい手を振り払おうとした。
「来ないで! あっちへ行って! いや!」足首を縛られたまま両足をばたつかせるが、靴のかかとがシーツにすべってまったく力が入らない。
「くそっ、このままじゃ足を開かせられんな。しかたがない、まずは上を――」ダンカンはシャーロットの開いた襟元に両手をかけ、大きくぐいっと引っ張った。シャツの破れる音がして、さらに胸元が大きく開く。胸のふくらみが半分ほどもあらわになった。ダンカンの鼻息がいっそう荒くなる。
「いや! いやぁ! 助けて、ジョイス――!」シャーロットの目から涙がこぼれた。
ダンカンの手がシャツの下にもぐりこもうとした、そのとき。
ドタドタと複数の足音が部屋の外から聞こえた。ダンカンもシャーロットも、とっさにドアに視線が飛ぶ。
勢いよくドアが開き、グイドが駆けこんできた。
直後に入ってきたのはジョイスだ。彼は一瞬で状況を見て取り、イノシシのごとくベッドに突き進んだ。問答無用でダンカンの背中にステッキを振りおろす。ダンカンはぎゃっと声をあげて転がった。
ジョイスはステッキを放り出し、すぐさまシャーロットを抱えた。そして自分の上着を脱ぐと、彼女の体をくるんで上着ごときつく抱きしめた。
「よかった、シャーロット……シャーロット……心配で気が狂うかと思った……もう二度と会えないかと……」
ジョイスの体は小刻みに震えていた。その震えと、彼の腕と胸のあたたかさが、シャーロットにもはっきり伝わっていく。
「ジョイス……ジョイス……」シャーロットの口からも彼の名前がこぼれ、目尻からは涙が幾筋もこぼれ落ちた。
そのとき、背後でうめき声とともにダンカンが起き上がろうとする気配がして、ジョイスは鬼の形相で振り返った。
シャーロットの両肩を、大丈夫だと言うようにしっかりつかんでから手を離す。そしてダンカンに向き直ると、悪党の顔に正面からこぶしをたたきこんだ。ダンカンは鼻と口から血を吹きながら、そのまま後ろにばたりと倒れてベッドから転げ落ち、気を失った。鼻も歯もおそらく折れているだろう。
少し離れたところから、ひいっと悲鳴が上がった。立ち尽くして様子を伺っていたグイドだ。彼のまわりには数人の警吏がいて、逃げ道はふさがれている。
ジョイスはベッドをおりて足早にグイドに近づき、今度は右から一発、左下から斜め上に一発、顔にこぶしを打ちこんだ。グイドもまた鼻と口から血を吹いて倒れた。
「本当は殺してやりたいところだが、まだ聞き出さなければならないこともあるからな。しかし、貴族殺しも人身売買も大罪だ。極刑が待っていると思え」ジョイスは肩で大きく息をしながら告げた。
そしてすぐにシャーロットのところへ戻ると、手首と足首の縄をほどき、彼女の頭に頬ずりしながら強く抱きしめた。
「さあ、一緒に帰ろう」
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