20.もうだれも信じられない
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ジョイスの友人たちの言葉にショックを受けるシャーロット。
ロンドンに戻るとジョイスの屋敷を飛び出し、自分の店に逃げ帰るが――。
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「よせ! 彼女はそんなんじゃないんだ」ジョイスは彼らに声を荒らげた。
シャーロットは耳を疑い、青ざめた。
「そんなんじゃない? それは……いったいどういうこと?」彼女は消え入りそうな声を絞り出した。
「なんだ、彼女になにも言っていないのか?」べつの紳士が横から言った。「そういう取り決めは早いほうがいいんだぞ? 最初に言っておかないと、のちのち面倒なことになる。まあ、賭けのことを知られたら、よけいに手当てを出すことになっちまうのか? 悪いことしたな」
武勇伝? 賭け? 取り決め? 手当て? なんの話なの?
シャーロットの頭のなかはぐるぐるまわっていた。耳にしたことの意味がよくわからなかった。
でも、さっき青年から向けられた目――あれは男が女を品定めする目だ。経験の少ないシャーロットにもそれくらいはわかった。
ガラガラと音を立てて、ジョイスへの信頼が崩れていくような気がした。目の前が真っ暗になる。足元にぽっかりと穴が空いたような、深いところへ落ちていくような錯覚に陥った。
この人は安心できると思ったのに……信じて身も心も許したのに……すべてを話したのに……。
彼女はふらふらと後ずさりをして、部屋を出た。
出たところで廊下を駆け出したが、すぐにジョイスが追ってきた。
「シャーロット! 待て!」
玄関ホールで追いつかれたが、シャーロットはジョイスを突き飛ばした。
「さわらないで! わたしをだましたのね? おもしろ半分で、お金を賭けて、わたしを――」言葉にすることさえできなかった。自分はすべてを捧げたのに、彼にとってはなんでもないことだった。ただの遊びだった……!
「違う! 聞いてくれ、頼むから話を――」ジョイスがシャーロットの腕に手をかける。
「やめて!」シャーロットは彼の手を振り払った。「もうなにも聞きたくないわ。あなたの話なんか聞きたくない。わたしを早くロンドンに帰して。いますぐに。もうここには一秒だっていたくないの!」シャーロットは玄関を飛び出し、馬車を探して駆け出した。
すぐにジョイスが後を追い、彼女の前に立ちふさがった。大きく息をついて話しだす。
「わかった、すぐに帰ろう。だが、長距離を走れる馬車はいま一台しかない。ぼくと一緒に帰るんだ。馬車の長旅は危険もある。ひとりでは行かせられない。いいね?」
シャーロットは顔をそむけたまま、しばらくして答えた。
「わかったわ。それでいいわ」
ふたりは重苦しい空気のなか、馬車に乗って出発した。
ロンドンに着くのは夜中になるかもしれないが、とても翌日まで待っていられる雰囲気ではなかった。
ジョイスはロンドンからやってきたレイたちに、好きなだけ滞在してから勝手に帰ってくれと言い残した。詳しいことを話している余裕はなかった。いつか、日をあらためて説明すればいいだろう。
馬車のなかで何度かシャーロットに話しかけようとしたが、彼女は聞こうとしなかった。身を固くして、座席の隅に張りつくように座っていた。
もどかしいが、しかたがない。いまは無理に話をするよりも、少し時間を置いて彼女が落ち着くのを待ったほうがいい。
それより先に、彼女のおじや悪徳商人について、一刻も早く調べなければ。
ロンドンのタウンハウスに戻ってきたのは、やはり真夜中を過ぎてからだった。
急な帰宅に執事やサラたちは驚いたが、ふたりの険悪な空気を感じ取って、深く詮索することはなかった。シャーロットはすぐにでもタウンハウスを出て行きたかったが、さすがに夜中では身動きが取れず、すぐさま自室にこもった。
翌朝、ジョイスが目覚めて階下におりていったときには、すでにシャーロットとサラは出ていってしまっていた。仕立ての作業に関する物は、すべて店のほうに運んでほしいとイアハートに言い置いて――。
ジョイスはわれながら驚くほどショックを受けたが、いまはどうしようもない。しばらくはがまんするよりほかなかった。
彼は波立つ心を抑えつけ、先に彼女のおじや弟のことを調査するため、情報通の貴族たちが集まるクラブに足を運ぶことにした。
「お嬢さま、いったいなにがあったんですか?」サラが心配そうに声をかけながら、小走りについてくる。
ふたりはコヴェント・ガーデンにあるシャーロットの店に向かって、足早に歩いているところだった。朝早くからあわただしく行き交う馬車や物売りたちで、通りは活気に満ちている。
シャーロットはサラの問いかけに答えることなく、暗い表情で歩いていく。シャーロットとジョイスのあいだになにかあったのは間違いないが、早朝から起き出したシャーロットは朝食も取らずにタウンハウスを出ていくとサラに告げ、飛び出すようにして出てきたのだ。今日はドレスではなく、いつもの黒ずくめの格好とかつらに戻っていた。
いっこうに返事をする気配のない主人にサラはため息をつき、あきらめておとなしくついていった。三十分ほどで店に帰りついたふたりは、お茶をいれてビスケットをつまんだが、シャーロットに食欲はないようだった。
とにかくジョイスのタウンハウスで作業をすることはなくなったのだから、また店のほうで仕立ての準備をしなければ――。そうサラが考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。
“しばらく休業します”の貼り紙を出したままになっていたが、だれかが問い合わせにでも来たのかもしれない。
サラが応対しようと席を立った、その一分後。
短い悲鳴と、ドタドタという乱れた足音が玄関から聞こえ、すぐに居間のドアが乱暴に開いた。真っ先に入ってきた男の顔を見て、シャーロットは思わず腰を上げた。
「グイドおじさま?」ドアから飛び込んできたのは、おじのグイドだった。彼は記憶にあるよりもいくらか髪に白いものが混じり、老けたように見えた。
シャーロットは自分が思わず発した言葉にはっとし、あわてて口を手で覆った。
「やっぱりおまえか」グイドは足早にシャーロットに近づくと、左腕をつかんで引き寄せ、彼女の髪をかきあげて首筋をさらした。そこに並んだ三つのほくろを見て、舌打ちをする。
「離して!」シャーロットは身をよじり、グイドを突き飛ばして離れた。
そのとき廊下からサラが飛び込んできたが、後からすぐに悪人面の見知らぬ若い男が入ってきてサラにつかみかかった。
「お嬢さま! お嬢さま!」男に腕をつかまれたサラが、必死で暴れながらシャーロットに声をかける。
「その女はどうでもいい。うるさいから、どこかに連れていって
それを聞いたシャーロットは、即座に動いた。グイドを突き飛ばし、サラと男のところへ駆け寄って男に体当たりした。
「逃げて、サラ!」不意を突かれた男は尻もちをつき、床に転がった。
「サラ、早く!」絶叫に近い声に突き動かされたかのように、サラは玄関に向かって駆け出した。床に転がった男が起き上がろうとするのを、シャーロットがまた飛びかかって阻止する。しかしシャーロットの後ろから、今度はグイドが彼女につかみかかって羽交い締めにした。彼女は両腕と両脚をばたつかせて暴れ、抵抗したが、若い男がシャーロットのみぞおちにこぶしを入れた。
一瞬にしてシャーロットの意識は薄れ、視界が暗転した。
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