17.ぼくは彼女にのめり込むばかり
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ジョイスは胸の高ぶりをこらえきれずにシャーロットと唇を重ね、彼女もいやおうなく彼の熱に引き込まれていく。
そんなふたりが、急な雨で狩猟小屋に駆け込むことになり――。
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ジョイスは彼女の唇をすくい上げるように自分の唇と合わせ、すぐに開かせた。
本当に甘い唇だ。
舌を差し入れてやわらかな口内をなめると、すぐに頭がしびれて酔ったようになる。
シャーロットもあっという間に彼の熱にのまれていった。たくましい腕にすっぽりと抱きしめられて、すべてをゆだねてしまいそう。
口づけなんて、彼に会うまでしたことがなかったし、したいと思ったこともなかった。男の人に近づかれると自然に体がこわばって、身構えていた。
でも、なぜかジョイスはこわくない。
さっき馬上で体が固くなったのも、どうしていいかわからなくて戸惑っただけ。彼にふれられるとどきどきして、体が熱くなる。彼に体をあずけたら、あたたかくて、心地よくて、甘えそうになる自分がこわかった。
ふれられただけでもそうなのに、こんな口づけをされたら……。
彼の唇は力強くて、舌は熱くて、どうしても抗えない。抗うどころか、すぐに引き込まれて応えてしまう。
彼は、どうしてわたしにキスするの?
彼は侯爵で、社会的に認められた相手もいるのに。
ただの戯れ? あのお人形みたいにかわいらしい令嬢とも、同じことをしているの?
そんな考えが浮かぶと、胸が締めつけられるような痛みを感じた。
最初はほかの男性と同じように、彼ともできるだけ距離を置こうとした。でも、彼はどんどんわたしの心に入ってきている。
先のことを考えるのがこわい。
彼に会えなくなる日は、かならずやってくるのだから。
シャーロットは彼の胸にこぶしを当てて押しやり、唇を離した。
ジョイスはけげんな顔をしたが、彼女は手のひらを見せて言った。
「木に登ったりしたから、手が汚れてしまったわ」
ジョイスはなにか思いついたようだった。「近くにとても美しい小川が流れているんだ。そこまで行けば、手が洗えるよ。おいで」
ふたたび彼女を馬に乗せ、自分もまたがった。
少し馬を走らせると、シャーロットがきっとあそこだろうと思ったとおりの小川にやってきた。清流に魚が泳いでいて、川岸には小さな野花が咲き乱れている。
いまにもどこからか妖精が飛び出してきそうな場所。
「冷たくて気持ちがいいわ」
シャーロットは両手を川に浸し、笑顔でジョイスを振り返った。
「よかった」彼女の明るい顔を見て、ジョイスはうれしいような、ほっとするような気分になった。
しかし彼女は、またもや意外な行動に出た。
急に靴を脱ぎ、靴下までも脱いで裸足になったのだ。白い足首にジョイスの目が釘付けになっているうちに、彼女はスカートを持ち上げて川に入ってしまった。
「わあ、やっぱり冷たい! でも川の流れがとっても気持ちいいわ! あっ、いま魚が足のあいだを通っていった!」
大はしゃぎだ。信じられない。
ロンドンで最初に会ったときの、あの謎めいた男装の未亡人テーラーはどこかに消し飛び、まるで少女のように笑っている。
スカートの裾から伸びた白くほっそりとした脚にも、まぶしいばかりの笑顔にも、ジョイスはぼうっと見入るばかりだ。
ぱしゃっ、と顔にしぶきがかかって、はっとする。
「どうしたの? ぼんやりして。侯爵さまも入ってみてはいかが? とっても気持ちいいわよ!」
楽しげな彼女に感化され、ジョイスの童心がむくむくと顔を出した。
ブーツも靴下も脱いで、川に入る。ふたりで魚をすくったり、水しぶきをかけ合ったり、こんなことをしたのはいったい何年ぶりだろう。
「なつかしいな。兄ともこうやって川遊びをしたことを思い出したよ。妹は体が弱かったから、いつも川岸で見ていたが」ジョイスが昔を振り返る。
「わたしの弟も体が弱くて、川で遊ぶわたしをいつも見ているだけだったわ。さっきみたいに木登りをするときも」シャーロットは、ふふっと笑った。
「弟さんがいたのかい?」新しい告白を聞き、ジョイスは思いきって質問してみた。
シャーロットははっとしたが、弟がいたことくらい話しても害はないだろう。
「ええ、五つ年下の。体の弱い弟に見せてあげたくて、よくお花や虫や魚を採りにいったわ」
「それで、弟さんはいま……」さらにジョイスは尋ねた。
彼女は水面を見つめたまま、動きを止めてしまった。「生き別れになってしまったの。どこでどうしているのか、元気でいるのかもわからないの」
「そうか……元気でいてくれればいいが。望みは捨てちゃいけない。命さえあれば、きっといつか会える。ぼくだって生き延びて帰ってきたからこそ、こうしてきみに会えた」
戦場でいくつもの死を目の当たりにしてきたジョイスの言葉は、気休めでもなんでもない。真実にほかならなかった。
シャーロットは少し驚いたように顔を上げ、そして微笑んだ。
「そう……そうね……ありがとう」
なんの根拠もない言葉かもしれないけれど、クリスのことで希望が持てるようなことを言ってくれたのは、彼が初めてだった。シャーロットにはただそれがうれしかった。
そのとき、ぽつりと頬に当たるものがあった。
思わず空を見上げると、数秒も経たないうちに、川面にいくつもの波紋が広がりはじめた。
「雨だ」ジョイスが言い、即座に行動を起こした。「川から上がろう」
シャーロットの手を引き、川岸に脱いだ靴をそれぞれに拾い上げる。ジョイスは彼女を抱きかかえて馬まで走った。彼女を馬に乗せ、鞍にぶら下げた革袋に靴を放り込み、自分もまたがって一瞬で馬を出す。雨は早くも大粒に変わっていた。
「少しだけがまんしてくれ」ジョイスはできるだけ自分の体で彼女を覆うようにしながら、馬を走らせた。
五分も走ると、雨でけぶる小屋が見えてきた。狩猟小屋だ。まだ管理人までは置いていないが、小屋の手入れはしたと報告が入っていた。
ふたりが小屋に駆け込むころにはもう土砂降りで、雷まで鳴り出した。
ジョイスはいったん外に出て、雨の当たらないところに馬をつないでやった。ようやく雨から逃れたものの、ふたりともすでにずぶぬれだ。
「とにかく服を乾かさないと、風邪をひくな」ジョイスは小屋のなかを見まわした。
幸い、暖炉と薪はすぐ目についた。数分後には暖炉に火が入り、炎が大きく上がっていた。暖炉の前に毛皮の敷物を広げると、シャーロットを見て言った。
「さあ、座って。ぼくはちょっと隣の部屋を見てくる。毛布かなにかあればいいんだが」
シャーロットが火の前に腰を下ろして待っていると、ジョイスが毛布を二枚持って戻ってきた。「向こうの部屋は寝室になっていた。できれば、ぬれたドレスは脱いだほうが体があたたまる。向こうの部屋でドレスを脱いで、毛布にくるまって火に当たったほうがいい」ジョイス自身はぬれねずみのまま焚き火の前で野営したことも数えきれないが、女性にそんなことはさせられない。
シャーロットは少しためらったが、小さなくしゃみをすると、おとなしく毛布を受け取った。
彼女が隣の部屋に行き、ジョイスは上衣を脱いで暖炉の前に座った。パチパチと炎のはぜる音と、ときおり聞こえる雷鳴の音だけになり、どうしても隣の部屋に神経が集中してしまう。衣擦れの音がわずかに聞こえ、彼は努めてゆっくりと息を吐いた。
毛布にくるまった彼女が、おずおずと戻ってきた。ジョイスが無言で自分の隣を手で示す。彼女は人がひとり座れそうなくらい間を空け、しかも火から遠いところに座った。
「それじゃあ寒いだろう」ジョイスは彼女の手をつかんで引っ張った。彼女の手はすっかり冷たくなっていた。
イレーヌは片手で毛布の前をかき合わせたまま、彼のすぐ隣まで移動した。ひじとひじがくっつくようなところまで。
ジョイスがわずかに顔をかたむけて彼女に目をやると、炎が彼女の顔を赤く照らしていた。顔の輪郭が金色に光り、まだ雨で肌が湿っているのがわかる。
彼の視線に気づいたのか、イレーヌも彼のほうを見た。紫色の瞳に炎が映って、なんとも言えない色合いだ。こんな色は見たことがない。
「あなたは寒くないの?」湿ったシャツ一枚で、横に毛布を置いたままの彼を見て、シャーロットは訊いた。
「ぼくはこういうのは慣れている。極寒の地で野営したことも何度もあるし、大丈夫だ。寒いのか? もう一枚毛布をかけようか」彼はすぐに自分の毛布を広げて彼女にかけてやった。
「ありがとう。あなたはすぐに火もつけられるし、なんでもできるのね。わたしもあなたみたいに強かったら……」
強かったら……? なんだというのだろう?
訊いてもいいものかと思いながら、遠い目をした彼女を見るとなにも言えなかった。
「いいや、強くなどないさ。戦場ではたまたま生き残ったが、たくさんの同胞が目の前で死んでいくのになにもできなかった。家族も守ってきたとは言えない。ぼくは家族とあまりうまくやってこられなくてね。もう母が残っているだけで、兄の代わりに侯爵家を守ろうと四苦八苦しているところだ」どことなく自嘲ぎみな口調になった。
「なにもかもあなたが背負うことはないわ。力の及ばないことがこの世界にはたくさんあるもの。お母さまはお元気なのね? お母さまのためにだけでもがんばれるなんて、すてきなことだわ」彼女がやさしい口調で言った。
「だれがあんな母親のために!」突然、ジョイスの口調が荒々しく変わった。
「本当は、ぼくは侯爵家なんてどうでもいいんだ。母が大事にしていたのは兄だけだ。ぼくなどいてもいなくても……」ジョイスが苦々しい口調で絞り出すように言う。
「ジョイス……そんなことを言わないで」シャーロットは彼の腕に手をかけた。「わたしにはもう父も母もいないの。弟もどうなったのかわからない。家族がだれもいないのは、やっぱりさびしいわ。あなたのお母さまだって、あなたを大切に思っているはずよ」
「いいや、きみにはわからない。兄も妹もいなくなった侯爵家など、母にとってはもはや名前だけのものだ。だから名前を守るためだけに、ぼくにモントン伯爵令嬢を――」最後まで言わなかった。イレーヌの前であの令嬢の話はしたくない。
伯爵令嬢の名に、シャーロットははっとした。「あなたは、やっぱりあの令嬢と……」彼女が視線をそらして顔をそむける。
「だから、それはぼくの望んだことじゃない!」ジョイスは強くシャーロットの腕をつかんだ。
「彼女のことなどなんとも思っていない。ぼくは……ぼくが思っているのは、きみのことだ」ぐっと腕を引き、彼女の唇を奪った。
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