15.彼女の意外な願いごと

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舞踏会の翌日、ジョイスはマダム・ノワールことイレーヌから意外な願いごとをされる。

それは、彼にとっては願ってもないことだったが――。


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 翌朝、ジョイスが朝食に降りていくと、すでにイレーヌとサラはテーブルについていた。

 イレーヌはいつもの黒の男装で、髪も元どおりにおろしている。

「おはようございます」イレーヌがかしこまって挨拶し、彼のほうをひと目見ただけでうつむいた。

「おはよう」ジョイスもそれ以上の言葉は見つからなかった。

 昨夜は馬車のなかで会話もなく、タウンハウスまで重苦しい雰囲気で帰ってきた。

 思ったより早くふたりが帰宅したのでサラは驚いていたが、イレーヌはすぐに自室にさがってしまった。とりあえず舞踏会の礼は口にしながらも、疲れたのでやすみたいと言って……。

 朝食の席でも、舞踏会のことは話題にならなかった。まるで昨日はなにもなかったかのように食事が進む。

 イレーヌはあまり食欲がなく、お茶とビスケットをつまむ程度だった。どこか思い詰めたような表情をしているのが気にかかる。

 ジョイスがなにか当たり障りのない話題はないかと考えていると、思いがけず彼女が口を開いた。

「あの、侯爵さま……」イレーヌはためらいがちに言った。

「何度も言っているが、ジョイスでいい。称号で呼ばれるのはどうも慣れないんだ」とくにきみには――と付け加えたかったが、やめておく。

 そのジョイスの希望が聞き入れられたかどうかはわからなかったが、彼女はつづけた。「ひとつ、お願いしたいことがあります」

 彼女から願いごとなど、初めてではないだろうか。

 ジョイスはうれしくなって座り直した。

「なんだ? なんでも言ってくれ」

「あなたが新しく王室から賜ったという所領に、連れていってはいただけないでしょうか?」彼女はすがるような目をしていた。

 なんだって?

 あまりに意外な話でジョイスは面食らったが、それは、彼にとって願ってもないことだった。

 昨夜はせっかくの舞踏会だったのに、思ったように楽しめなかった。

 しかし、ケント州ならふたりきりになれる。

「いいとも。ロンドンは騒がしすぎて、ぼくも少しのんびりしたいと思っていたところだ」ジョイスはにこやかに答えた。突然のお願いの理由も尋ねたいところだったが、うるさく言って彼女が気持ちを変えてはいけない。

「ほんの一日、二日でかまいませんから。お仕事を受けている最中なのに、申し訳ありません」

「少しくくらい仕立てが遅れたって構いやしないさ。きみが気に入ったら、しばらく滞在してもいい。ああ、そうだ、その代わりと言ってはなんだが、ぼくのお願いもひとつ聞いてもらえるかな?」ジョイスはなにかを思いついたように、いたずらっぽく微笑んだ。

「ケント州へは、ドレスで行ってほしい。妹のドレスが、まだ何着もあるんだ」


 翌日の早朝、ジョイスとシャーロットは、四頭建ての馬車に何着ものドレスを積んでケント州に出発した。サラはついて行きたそうにしていたが、万が一まだ昔の使用人が残っていたり、サラを覚えている村人に会ったりしてはいけないので、ロンドンに残ってもらった。

 シャーロットはセシルの旅行用ドレスを借り、髪はふだんどおりに結わえて、ドレスと同じ紺色の大きなリボンを結んだ。

「とてもすてきだ」シックな装いに、ジョイスはまたもや目を見張った。やはり彼女はどんなドレスを着ても美しい。いつもの男装をやめさせて、これからはずっとドレスを着せておきたくなる。


 ケント州に到着したのは、夜も更けたころだった。

 夏の終わりにジョイスが療養したときに比べれば召使いも増え、城のなかもあちこち手が入ったようだ。どこの部屋も快適にととのえられていた。

 ここではジョイスとシャーロットに隣同士の部屋が用意され、それぞれの部屋に入った。当主であるジョイスには、かつてシャーロットの父親が使っていた主寝室。シャーロットには、彼の続き部屋――彼女の母親が使っていた部屋だ。

 上品なサーモンピンクを基調に、可憐な草花模様が描かれた壁紙。カーテンはそれよりも一段濃い色のピンクで、あたたかみのある室内は昔のまま変わっていない。家具類も、シャーロットの記憶にあるままだった。

 ただ、母親が使っていたはずの鏡台の引き出しは空っぽで、宝石箱は見当たらなかった。高価なものはどこかに移されたか、あるいはおじが持っていってしまったのかもしれない。

 ジョイスはこの部屋を気に入ってくれたのかしら。だから、手を加えずにいてくれたの?

 ありがとう、と小さくつぶやいたとたん、シャーロットは急に疲れと眠気をおぼえた。

 小間使いは断ったので、自分で手早くナイトドレスに着替えてベッドに入った。

 明日は城内をたくさん見てまわりたい。

 ああ、待ちきれないわ……シャーロットはあっという間に眠りに落ちた。


 隣の主寝室では、ジョイスがウォリスの手を借りて着替えをしていた。彼もそれなりに疲れてはいたが、不思議な高揚感に満ちていた。

 馬車のなかではイレーヌとふたりきりで、思う存分、ドレス姿の彼女を楽しむことができた。セシルの旅行用のドレスがよく似合っていて、気品があって、美しかった。道すがら、本や音楽や衣装の話などで盛り上がって、ふたりして笑うことも多かった。

 そしていま、彼女は隣の部屋で眠っている。

 タウンハウスで一度だけ見た彼女のナイトドレス姿がまぶたに浮かんで、思わず隣室に続くドアを見つめた。

 彼女がここに来たいと言ったのは、貴族の城が見てみたかったからだと馬車のなかで言っていたが……ぼくとふたりになりたいという思いは少しでもあったのだろうか?

 そうであってほしいが……。

 ジョイスは焦れったいもやもやを感じながらも、なにか胸があたたかく、やさしい気持ちで満たされているのを感じて、翌日を楽しみに眠りにつくことができた。

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